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パル判事の「大亜細亜悲願之碑」「日本はアジア解放のため戦った」
インド・パル判事の「大亜細亜悲願之碑」「日本はアジア解放のため戦った」
<KSM WORLD>
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武田邦彦の歴史講座 第九回 日本だけが侵略戦争をしなかった
大日本帝国は「侵略戦争をした」と言う。戦った相手は、中国以外はすべて白人だった。ローマ帝国は地中海全体を征服したが、日本の歴史の先生はローマから見た戦争を説明したので、「侵略」とはなっていない。アメリカはアメリカに西部地区、ハワイ、フィリピンを侵略したが、日本を侵略戦争として非難している。(平成25年5月2日)
第462回『ゴキジェットアルファさん再登場◇ほんわか動画「インドネシア独立記念パレード」』【水間条項TV会員動画】
背景は江戸川水閘門(江戸川水門・江戸川閘門)あたり
インド・パル判事「日本はアジア解放のために戦ったのだ」
【KSM】日本人が知らないインド・パル判事の「大亜細亜悲願之碑」広島平和記念公園の本当の碑文「日本はアジア解放のために戦ったのだ」भारत ने धन्यवाद। पाल राधाबिनोद, धन्यवाद।
大亜細亜悲願之碑
http://jp-pride.com/irei/irei02.html
大亜細亜悲願之碑 説明文・本文
http://hanatatibana.cocolog-nifty.com/photos/photo1/dscn0097.html
パール判事の大亜細亜悲願之碑(広島本照寺)
http://blog.goo.ne.jp/toyokozy/e/07ec47f36ecb36adc45393d9a00947d0
『阿羅健一氏と語る「インドネシア独立記念日の市中パレードに日本から参加~」』第605回【水間条項TV】
背景は勝どき駅から築地川公園まで
【佐渡金山記事に関連した軍艦島ユネスコ登録時のときの安倍首相国賊判断】
https://globe.asahi.com/article/14537566
日本はアジア解放と言う人類最高の事をした。元アムステルダム市長
日本はアジア民族を解放し、救い出すと言う人類最高の良い事をしたのです。元アムステルダム市長 エドゥアルド・ヴァン・ティン
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間も無く大東亜戦争開戦の日、護国の英霊に慰霊と感謝の誠を捧げよう 〜旧帝国海軍中尉の父の命日にあたり〜
本日(日付変わり昨日12月4日)は、旧帝国海軍中尉で空母「翔鶴」乗組員だった父の4年目の命日。
父がこよなく愛してやまなかった海軍旗を掲げお参りをしました。
今の私の活動の素地は父により作られたものです。
生まれ落ちた瞬間から楠公について教えこまれつつ育ちましたし、日本の國體についても厳しく教えられました。
保守活動をされていらっしゃる方には「若い頃は自虐史観を信じ込んでいたが、最近になりネット等で真実を知り、保守活動を始めた」と仰る方がとても多いのですが、私の場合は全く逆で、生まれ落ちた瞬間から、旧帝国海軍中尉、海軍士官の娘、楠公の血脈を引く者として育てられ、今に至る、という訳です。
戦後のGHQによる占領支配と、戦勝国による東京裁判なる茶番により、さも日本が侵略戦争を仕掛けたかのように喧伝されましたが、その自虐史観からなる虚について、まだ何も分からない小さい頃から、教えられて育ちました。
今のいわゆる「保守層」と呼ばれる方々が声を挙げるようになるずっと前の事でした。
今では、多くの方々が「保守」と言う形で真実の国家観と国史の史実に目覚められ、もう自分一人だけでは無く、同志の方々がこんなにも沢山いらっしゃるのだ!と、とても心強く、嬉しく思っています。
家庭教育はとても厳しく、テレビも禁止、漫画もアニメも禁止でした。
そして、血脈に相応しい教養を身に付けるようにと、小学生になった頃から茶道や華道、香道、能楽、ピアノ、バレエ等、あらゆる教養を身に付けさせられました。
今でも実になっているのは茶道くらいですが(笑)。
大学受験をし、厳し過ぎる環境から逃げ出すかのように京都の大学に進学してからは、父には「今後一切、私は先祖の事も神社の事も歴史観の事も関わらない」と宣言し、本当に関わらなくなりました。
しかし、遺伝子とは異なもの。
地霊の働きかけなのか、ある時、父の生家近くへ私用で赴いた際に、言葉では言い表されぬ、いたたまれぬ思いになりました。
「私は何をやってるのだろう」
楠公研究会活動で、必ずゆかりの地の現地に赴いて歴史を学ぶようにしているのは、自身のこの不思議な体験が元になっています。
その地に生きた人々の魂、特に非常に崇高なる理念で生きた人の魂は永遠に生き続ける。
まさに、七生報國。
大東亜戦争に於いても、多くの若者が「七生報國」の鉢巻を巻き、菊水と「非理法権天」旗を掲げ、出征、散華していきました。
大東亜戦争は日本の侵略戦争などではなく、アジア解放の聖戦でした。
そして、結果としてアジアは解放され、日本の掲げた大義である崇高なる理念において、大勝利を収めた事は間違いの無い事です。
これからも國體護持、そのひと筋で精進致して参ります。
イギリスの犯罪・アムリットサルの虐殺事件
1919年、イギリス植民地のインドではガンジーの指導による非暴力不服従運動の下、インド人たちが各地で反イギリス集会を行っていた。シーク教徒の聖地アムリットサルでも約1万2千人が集まっていた。すると、ダイヤー准将が率いるイギリス領インド帝国軍1個小隊が広場の入口をふさぐような形で布陣して、何の警告もなしに銃撃を始めた。女子供を含む約1千5百名の死傷者が出た。事件後、ダイヤー准将が大佐への降格処分になっただけで、イギリス政府の事件調査委員会は終わった。そして、今日に至るまでイギリス政府は正式な謝罪はしてない。この動画は映画「ガンジー」の虐殺事件のシーン。
西村幸祐 先生へ
私、nyantamaが西村幸祐先生のツイッターへコメントをさせていただきました。そして西村幸祐先生のお返事いただきました。通信制高校を4年かけて(高校中退も合わせると約5年半高校通いました)卒業した自分にまさかこのような先生からお返事いただけるとは思ってもおりませんでした。その内容は、以下の通りです。西村幸祐 @kohyu1952 1月11日@kurakutyuudou 情報ありがとうございます。ただ、資料の出所も全く違う所です。そもそも日本政府の開戦声明は有名なもので、歴史を知る人には既知の資料です。安濃博士という方も根来さんという方も存じていませんが、それだけ、この資料が共有されてきたのは嬉しい限りです。
安濃豊のアジア解放戦争史 田原総一郎の転向と保守論壇2
亜細亜解放の熱気は終戦まで続いたが、小学五年生の時戦争が終わり、世間は一転して日本悪者論が支配することと成った。GHQが世論を誘導して、”戦前の日本は全て悪い”ということにしてしまった。 戦後自分もそう思ってきたのだが、子供の頃耳にしていた聖戦論のことが気に掛かり、最近真実は何だったのかもう一度研究してみた。その結果、頭山満など亜細亜主義者の存在に行き着き、あの戦争は紛れもなく亜細亜解放戦争であったとの結論にたどり着いた。
安濃豊のアジア解放戦争史 田原総一郎の転向と保守論壇1
小学一年生の時に大東亜戦争が始まった。その時世間では日本は亜細亜を白人植民地から解放するために開戦した。この戦争は亜細亜を解放するための聖戦であると世間は沸き立っていた。彼自身も聖戦だと思って居た。その亜細亜解放の熱気は終戦まで続いたが、小学五年生の時戦争が終わり、世間は一転して日本悪者論が支配することと成った。GHQが世論を誘導して、”戦前の日本は全て悪い”ということにしてしまった。
安濃豊のアジア解放戦争史 フィリピン独立の真実
第2次世界大戦として、旧戦勝国側は”欧州での戦い”と”アジアの戦い”を一括りにしてファシストとの戦いであったと規定しているが、実のところ、アジアにおける戦いは植民地を守ろうとする白人植民地帝国とそれを解放独立させようとする大日本帝国の戦いであった。欧州では解放軍であった米英軍はアジアにおいては侵略軍であり、日本軍が解放軍であったのである。立場は逆転していたのである。米国は日本軍を叩くことにより、アジア解放を弾圧していたのである。 東京裁判はアジア解放軍であった日本軍に侵略軍であったという濡れ衣を着せるための儀式だったのである。
安濃豊のアジア解放戦争史 司馬史観と安濃史観
司馬史観とは端的に言えば「合理主義を重んじる」ということが前提としており、それは大戦期に戦車将校として軍の中にある様々な非合理を見たことから来ているとされる。具体的には「明治と昭和」を対置し、「封建制国家を一夜にして合理的な近代国家に作り替えた明治維新」を高く評価する一方で、昭和期の敗戦までの日本を暗黒時代として否定している。そして、合理的で明晰な思考を持った人物たちを主人公とし、明治という時代を明るく活力のあった時代として描いた。かくて、戦前のすべてを悪しきものとして否定する進歩史観が猖獗を極めた戦後日本にあって、司馬作品のみならず司馬史観もがもてはやされたのは容易に理解できるところである。
安濃豊のアジア解放戦争史 ベトナム戦争
大アジア解放戦争とは 日露戦争(1904年2月8日)からベトナム戦争終結(1975年4月30日)までの期間、極東、東南アジア全域において、白人帝国主義による植民地支配からアジアを解放するため約80年間にわたって戦われた戦争をさす。