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佐々木敦×東浩紀「昭和90年代、批評は再起動する——スクール第2弾<ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾>ついに始動!」【2015/3/20収録】 @sasakiatsushi @hazuma
ゲンロンでは2015年6月より、新しい批評家を養成するための学校「ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾」を開講します。
これは4月開講の「ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校」(春学期募集終了)に続く、ゲンロンのスクール事業第2弾にあたります。
メイン講師を務めるのは、これまでにも「批評家養成ギブス」を手がけ、自身も『ニッポンの思想』、『ニッポンの音楽』、『「4分33秒」論』、『批評時空間』、『シチュエーションズ』、『未知との遭遇』、『「批評」とは何か?』など幅広いジャンルの批評を手がけてきた佐々木敦。2015年=昭和90年、いま必要な批評の言葉を探る「批評再生塾」の全貌が明らかに!!
http://genron-cafe.jp/event/20150320/
<1/7>佐々木敦×東浩紀「テン年代カルチャーの行方——<ゲーム的リアリズム>から<パラフィクション>へ?」【2014/10/02収録】 @sasakiatsushi @hazuma
テン年代が始まって、すでに5年が経過した。この間、日本で「新しい」文化の潮流は芽生えたのだろうか。批評家・佐々木敦は、この9月に刊行された新刊『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶応大学出版会)で、新たな物語の枠組み「パラフィクション」を提示した。佐々木によれば、ゼロ年代はメタフィクションの時代であったという。アニメや美少女ゲーム、ライトノベルといったジャンルを中心に、フィクションであることそれ自体を逆手に取った形態が頻繁に利用されるようになり、強い支持を受けた(一例を挙げれば『涼宮ハルヒの憂鬱』や『EVER17』、『All You Need Is Kill』など)。その過程を経て、ゼロ年代後半から、メタフィクションの限界を乗り越えようとする動きが現れ始めた。それが「パラフィクション」である。「パラフィクション」は、読者に対し「読む」という能動的な行為を要求し、それに応じて読まれるたびに新たに生成されるような作品群のことを指す。佐々木は例として伊藤計劃+円城塔の『屍者の帝国』や、神林長平の『ぼくらは都市を愛していた』などを取り上げ、その可能性と射程について言及している。一見メタフィクションとの差が見えづらい「パラフィクション」だが、 佐々木によれば、ゼロ年代のメタフィクションの隆盛、そして「パラフィクション」の発生には歴史的な意味があるという。その意味とはどのようなものか。今後どのような展開がありうるのか。それは国際的な競争力のあるコンテンツになりうるのか。佐々木も頻繁に参照する、東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』が出版されたのは2007年のこと。東はその後の「物語」、それを取り囲む諸状況、そして「パラフィクション」の可能性をどのように評価するのか。 東浩紀を「ゼロ年代一人勝ち」と評した佐々木敦と、評価された張本人が、テン年代カルチャーを主題に徹底討論する。
<6/7>佐々木敦×東浩紀「テン年代カルチャーの行方——<ゲーム的リアリズム>から<パラフィクション>へ?」【2014/10/02収録】 @sasakiatsushi @hazuma
テン年代が始まって、すでに5年が経過した。この間、日本で「新しい」文化の潮流は芽生えたのだろうか。批評家・佐々木敦は、この9月に刊行された新刊『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶応大学出版会)で、新たな物語の枠組み「パラフィクション」を提示した。佐々木によれば、ゼロ年代はメタフィクションの時代であったという。アニメや美少女ゲーム、ライトノベルといったジャンルを中心に、フィクションであることそれ自体を逆手に取った形態が頻繁に利用されるようになり、強い支持を受けた(一例を挙げれば『涼宮ハルヒの憂鬱』や『EVER17』、『All You Need Is Kill』など)。その過程を経て、ゼロ年代後半から、メタフィクションの限界を乗り越えようとする動きが現れ始めた。それが「パラフィクション」である。「パラフィクション」は、読者に対し「読む」という能動的な行為を要求し、それに応じて読まれるたびに新たに生成されるような作品群のことを指す。佐々木は例として伊藤計劃+円城塔の『屍者の帝国』や、神林長平の『ぼくらは都市を愛していた』などを取り上げ、その可能性と射程について言及している。一見メタフィクションとの差が見えづらい「パラフィクション」だが、 佐々木によれば、ゼロ年代のメタフィクションの隆盛、そして「パラフィクション」の発生には歴史的な意味があるという。その意味とはどのようなものか。今後どのような展開がありうるのか。それは国際的な競争力のあるコンテンツになりうるのか。佐々木も頻繁に参照する、東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』が出版されたのは2007年のこと。東はその後の「物語」、それを取り囲む諸状況、そして「パラフィクション」の可能性をどのように評価するのか。 東浩紀を「ゼロ年代一人勝ち」と評した佐々木敦と、評価された張本人が、テン年代カルチャーを主題に徹底討論する。
<4/7>佐々木敦×東浩紀「テン年代カルチャーの行方——<ゲーム的リアリズム>から<パラフィクション>へ?」【2014/10/02収録】 @sasakiatsushi @hazuma
テン年代が始まって、すでに5年が経過した。この間、日本で「新しい」文化の潮流は芽生えたのだろうか。批評家・佐々木敦は、この9月に刊行された新刊『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶応大学出版会)で、新たな物語の枠組み「パラフィクション」を提示した。佐々木によれば、ゼロ年代はメタフィクションの時代であったという。アニメや美少女ゲーム、ライトノベルといったジャンルを中心に、フィクションであることそれ自体を逆手に取った形態が頻繁に利用されるようになり、強い支持を受けた(一例を挙げれば『涼宮ハルヒの憂鬱』や『EVER17』、『All You Need Is Kill』など)。その過程を経て、ゼロ年代後半から、メタフィクションの限界を乗り越えようとする動きが現れ始めた。それが「パラフィクション」である。「パラフィクション」は、読者に対し「読む」という能動的な行為を要求し、それに応じて読まれるたびに新たに生成されるような作品群のことを指す。佐々木は例として伊藤計劃+円城塔の『屍者の帝国』や、神林長平の『ぼくらは都市を愛していた』などを取り上げ、その可能性と射程について言及している。一見メタフィクションとの差が見えづらい「パラフィクション」だが、 佐々木によれば、ゼロ年代のメタフィクションの隆盛、そして「パラフィクション」の発生には歴史的な意味があるという。その意味とはどのようなものか。今後どのような展開がありうるのか。それは国際的な競争力のあるコンテンツになりうるのか。佐々木も頻繁に参照する、東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』が出版されたのは2007年のこと。東はその後の「物語」、それを取り囲む諸状況、そして「パラフィクション」の可能性をどのように評価するのか。 東浩紀を「ゼロ年代一人勝ち」と評した佐々木敦と、評価された張本人が、テン年代カルチャーを主題に徹底討論する。
<3/7>佐々木敦×東浩紀「テン年代カルチャーの行方——<ゲーム的リアリズム>から<パラフィクション>へ?」【2014/10/02収録】 @sasakiatsushi @hazuma
テン年代が始まって、すでに5年が経過した。この間、日本で「新しい」文化の潮流は芽生えたのだろうか。批評家・佐々木敦は、この9月に刊行された新刊『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶応大学出版会)で、新たな物語の枠組み「パラフィクション」を提示した。佐々木によれば、ゼロ年代はメタフィクションの時代であったという。アニメや美少女ゲーム、ライトノベルといったジャンルを中心に、フィクションであることそれ自体を逆手に取った形態が頻繁に利用されるようになり、強い支持を受けた(一例を挙げれば『涼宮ハルヒの憂鬱』や『EVER17』、『All You Need Is Kill』など)。その過程を経て、ゼロ年代後半から、メタフィクションの限界を乗り越えようとする動きが現れ始めた。それが「パラフィクション」である。「パラフィクション」は、読者に対し「読む」という能動的な行為を要求し、それに応じて読まれるたびに新たに生成されるような作品群のことを指す。佐々木は例として伊藤計劃+円城塔の『屍者の帝国』や、神林長平の『ぼくらは都市を愛していた』などを取り上げ、その可能性と射程について言及している。一見メタフィクションとの差が見えづらい「パラフィクション」だが、 佐々木によれば、ゼロ年代のメタフィクションの隆盛、そして「パラフィクション」の発生には歴史的な意味があるという。その意味とはどのようなものか。今後どのような展開がありうるのか。それは国際的な競争力のあるコンテンツになりうるのか。佐々木も頻繁に参照する、東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』が出版されたのは2007年のこと。東はその後の「物語」、それを取り囲む諸状況、そして「パラフィクション」の可能性をどのように評価するのか。 東浩紀を「ゼロ年代一人勝ち」と評した佐々木敦と、評価された張本人が、テン年代カルチャーを主題に徹底討論する。
〈5/5〉野間易通×尹雄大×東浩紀「反ヘイトの論理と憐れみの倫理」【2014/12/20収録】 @kdxn @nonsavoir @hazuma
※このイベントは、ゲンロン友の会会員向けイベント「ゲンロン友の会第5期総会<強いつながり:デモ、豚、そしてドストエフスキー>」(http://peatix.com/event/61621)内の1プログラムです。【登壇者プロフィール】東浩紀(あずま・ひろき)1971年生まれ。東京都出身。哲学者・作家。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。株式会 社ゲンロン代表、同社発行『思想地図β』編集長。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』(講談社 現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(講談社)など多数。7月に新著『弱いつながり』(幻冬舎)を刊行。https://twitter.com/hazuma野間易通(のま・やすみち)1966年、芦屋市生まれ。大阪外国語大学インド・パキスタン語学科卒業。『ミュージック・マガジン』『コンポジット』編集部を経て、現在フリーランス編集者。「レイシストをしばき隊」創設者で現C.R.A.C.メンバー。著書に『非常階段 A Story of The King of Noise』(K&Bパブリッシャーズ、2010年)、『金曜官邸前抗議』(河出書房新社、2012年)、『「在日特権」の虚構』(同、2013年)など。尹雄大(ゆん・うんで)1970年神戸市生まれ。ライター&インタビュアー。テレビ制作会社勤務を経てライターに。「Number」「AERA」「婦人公論」等で執筆。「考える高校生のためのサイト MAMMO.TV」のインタビュアーを務める。主な著書に『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)『FLOW』(冬弓舎)。公式サイト:http://nonsavoir.com
〈4/5〉野間易通×尹雄大×東浩紀「反ヘイトの論理と憐れみの倫理」【2014/12/20収録】 @kdxn @nonsavoir @hazuma
※このイベントは、ゲンロン友の会会員向けイベント「ゲンロン友の会第5期総会<強いつながり:デモ、豚、そしてドストエフスキー>」(http://peatix.com/event/61621)内の1プログラムです。【登壇者プロフィール】東浩紀(あずま・ひろき)1971年生まれ。東京都出身。哲学者・作家。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。株式会 社ゲンロン代表、同社発行『思想地図β』編集長。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』(講談社 現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(講談社)など多数。7月に新著『弱いつながり』(幻冬舎)を刊行。https://twitter.com/hazuma野間易通(のま・やすみち)1966年、芦屋市生まれ。大阪外国語大学インド・パキスタン語学科卒業。『ミュージック・マガジン』『コンポジット』編集部を経て、現在フリーランス編集者。「レイシストをしばき隊」創設者で現C.R.A.C.メンバー。著書に『非常階段 A Story of The King of Noise』(K&Bパブリッシャーズ、2010年)、『金曜官邸前抗議』(河出書房新社、2012年)、『「在日特権」の虚構』(同、2013年)など。尹雄大(ゆん・うんで)1970年神戸市生まれ。ライター&インタビュアー。テレビ制作会社勤務を経てライターに。「Number」「AERA」「婦人公論」等で執筆。「考える高校生のためのサイト MAMMO.TV」のインタビュアーを務める。主な著書に『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)『FLOW』(冬弓舎)。公式サイト:http://nonsavoir.com
〈3/5〉野間易通×尹雄大×東浩紀「反ヘイトの論理と憐れみの倫理」【2014/12/20収録】 @kdxn @nonsavoir @hazuma
※このイベントは、ゲンロン友の会会員向けイベント「ゲンロン友の会第5期総会<強いつながり:デモ、豚、そしてドストエフスキー>」(http://peatix.com/event/61621)内の1プログラムです。【登壇者プロフィール】東浩紀(あずま・ひろき)1971年生まれ。東京都出身。哲学者・作家。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。株式会 社ゲンロン代表、同社発行『思想地図β』編集長。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』(講談社 現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(講談社)など多数。7月に新著『弱いつながり』(幻冬舎)を刊行。https://twitter.com/hazuma野間易通(のま・やすみち)1966年、芦屋市生まれ。大阪外国語大学インド・パキスタン語学科卒業。『ミュージック・マガジン』『コンポジット』編集部を経て、現在フリーランス編集者。「レイシストをしばき隊」創設者で現C.R.A.C.メンバー。著書に『非常階段 A Story of The King of Noise』(K&Bパブリッシャーズ、2010年)、『金曜官邸前抗議』(河出書房新社、2012年)、『「在日特権」の虚構』(同、2013年)など。尹雄大(ゆん・うんで)1970年神戸市生まれ。ライター&インタビュアー。テレビ制作会社勤務を経てライターに。「Number」「AERA」「婦人公論」等で執筆。「考える高校生のためのサイト MAMMO.TV」のインタビュアーを務める。主な著書に『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)『FLOW』(冬弓舎)。公式サイト:http://nonsavoir.com
〈1/5〉野間易通×尹雄大×東浩紀「反ヘイトの論理と憐れみの倫理」【2014/12/20収録】 @kdxn @nonsavoir @hazuma
※このイベントは、ゲンロン友の会会員向けイベント「ゲンロン友の会第5期総会<強いつながり:デモ、豚、そしてドストエフスキー>」(http://peatix.com/event/61621)内の1プログラムです。【登壇者プロフィール】東浩紀(あずま・ひろき)1971年生まれ。東京都出身。哲学者・作家。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。株式会 社ゲンロン代表、同社発行『思想地図β』編集長。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』(講談社 現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(講談社)など多数。7月に新著『弱いつながり』(幻冬舎)を刊行。https://twitter.com/hazuma野間易通(のま・やすみち)1966年、芦屋市生まれ。大阪外国語大学インド・パキスタン語学科卒業。『ミュージック・マガジン』『コンポジット』編集部を経て、現在フリーランス編集者。「レイシストをしばき隊」創設者で現C.R.A.C.メンバー。著書に『非常階段 A Story of The King of Noise』(K&Bパブリッシャーズ、2010年)、『金曜官邸前抗議』(河出書房新社、2012年)、『「在日特権」の虚構』(同、2013年)など。尹雄大(ゆん・うんで)1970年神戸市生まれ。ライター&インタビュアー。テレビ制作会社勤務を経てライターに。「Number」「AERA」「婦人公論」等で執筆。「考える高校生のためのサイト MAMMO.TV」のインタビュアーを務める。主な著書に『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)『FLOW』(冬弓舎)。公式サイト:http://nonsavoir.com
〈1/4〉田原総一朗×東浩紀「ポストモダン以降の政治——ゲンロンカフェでついに実現、1対1の生討論!」【2013/8/13収録】 @namatahara @hazuma
自民党が65議席を獲得し、圧勝に終わった参議院選挙。55年体制の崩壊から20年、一度は二大政党制が確立されたはずの日本政治は、ふたたびかつての自民党政権による、「安定」した統治体制に戻ってしまったように見える。民主党は解体の危機を迎える一方、第三極と呼ばれた各政党は、民主党に代わるほどの勢力を持ち得ていない。みなが信じる「大きな物語」が衰退し、社会がまとまりを失ったとされるポストモダンの社会において、なぜ人々はかつてと同じ政治体制を選んだのだろうか。ポストモダン以前=モダンへの退行なのか、それともポストモダン以降=ポスト・ポストモダンの新たなる潮流なのか。。!?ネット選挙の解禁、東京都選挙区における山本太郎氏の当選。日本政治は戦後に逆戻りしてしまったのか。それとも新たな変革が起こる前兆なのか。『朝まで生テレビ!』で幅広い世代の論客と対峙して来た田原総一朗が今回ついにゲンロンカフェに初登場!『朝生』の常連でもある東浩紀と1対1で生討論を繰り広げる! かつて放送された『朝生』では、議論の対立から「じゃあ帰りますよ」と生放送中にスタジオを飛び出した東だが、自身がオーナーのゲンロンカフェでは、イベント中に退場するわけにはいかないぞ!邪魔者なし、CMなしの真剣勝負。……2人の激論はもう誰にも止められない!!
〈7/7〉五野井郁夫×福嶋亮大×東浩紀「東アジアでデモは可能か——香港デモ最新レポ」【2014/11/12配信】 @gonoi @liang_da @hazuma
★「REALTOKYO」に掲載された福嶋亮大さんの取材レポート「香港デモ見聞録」(http://realkyoto.jp/article/report_hongkong_demo_fukushima/)も必見です!★9月27日に始まり、現在も終息の気配を見せない香港の民主化要求デモ。警察が排除のために使った催涙弾に対し、学生たちが傘を使って身を守ったことから傘がデモのシンボルとなり、「雨傘運動」や「雨傘革命」と呼ばれている。雨傘運動は中国政府に対する民主化運動である。2017年から普通選挙になるはずだった行政長官選挙が、指名委員会による支持を得た候補者数名に立候補者を絞ると発表され、これに対する反発運動が急速に拡大していった結果である。しかし、その運動を支えているのはどのような人々なのか、そこに至るまでにいかなる動きがあったのか、隣国の出来事にもかかわらず、日本国内ではその実情がなかなか見えてこない。2度にわたってその実際を目撃した中国文学者・福嶋亮大が、現地の写真を参照しながら最新情報をレポートする。くわえて国際政治学者・五野井郁夫も直近の香港でのフィールドワークを報告。また、台湾学生による立法院占拠など、東アジアにおけるデモの動きは広がりを見せている。これがさらなるうねりに発展する可能性はあるのか。それらのデモと日本におけるデモの浸透にはどのようなつながりがあるのか。五野井郁夫、福嶋亮大、東浩紀の3人が、東アジアにおけるデモの可能性について問う。
〈6/7〉五野井郁夫×福嶋亮大×東浩紀「東アジアでデモは可能か——香港デモ最新レポ」【2014/11/12配信】 @gonoi @liang_da @hazuma
★「REALTOKYO」に掲載された福嶋亮大さんの取材レポート「香港デモ見聞録」(http://realkyoto.jp/article/report_hongkong_demo_fukushima/)も必見です!★9月27日に始まり、現在も終息の気配を見せない香港の民主化要求デモ。警察が排除のために使った催涙弾に対し、学生たちが傘を使って身を守ったことから傘がデモのシンボルとなり、「雨傘運動」や「雨傘革命」と呼ばれている。雨傘運動は中国政府に対する民主化運動である。2017年から普通選挙になるはずだった行政長官選挙が、指名委員会による支持を得た候補者数名に立候補者を絞ると発表され、これに対する反発運動が急速に拡大していった結果である。しかし、その運動を支えているのはどのような人々なのか、そこに至るまでにいかなる動きがあったのか、隣国の出来事にもかかわらず、日本国内ではその実情がなかなか見えてこない。2度にわたってその実際を目撃した中国文学者・福嶋亮大が、現地の写真を参照しながら最新情報をレポートする。くわえて国際政治学者・五野井郁夫も直近の香港でのフィールドワークを報告。また、台湾学生による立法院占拠など、東アジアにおけるデモの動きは広がりを見せている。これがさらなるうねりに発展する可能性はあるのか。それらのデモと日本におけるデモの浸透にはどのようなつながりがあるのか。五野井郁夫、福嶋亮大、東浩紀の3人が、東アジアにおけるデモの可能性について問う。
〈5/7〉五野井郁夫×福嶋亮大×東浩紀「東アジアでデモは可能か——香港デモ最新レポ」【2014/11/12配信】 @gonoi @liang_da @hazuma
★「REALTOKYO」に掲載された福嶋亮大さんの取材レポート「香港デモ見聞録」(http://realkyoto.jp/article/report_hongkong_demo_fukushima/)も必見です!★9月27日に始まり、現在も終息の気配を見せない香港の民主化要求デモ。警察が排除のために使った催涙弾に対し、学生たちが傘を使って身を守ったことから傘がデモのシンボルとなり、「雨傘運動」や「雨傘革命」と呼ばれている。雨傘運動は中国政府に対する民主化運動である。2017年から普通選挙になるはずだった行政長官選挙が、指名委員会による支持を得た候補者数名に立候補者を絞ると発表され、これに対する反発運動が急速に拡大していった結果である。しかし、その運動を支えているのはどのような人々なのか、そこに至るまでにいかなる動きがあったのか、隣国の出来事にもかかわらず、日本国内ではその実情がなかなか見えてこない。2度にわたってその実際を目撃した中国文学者・福嶋亮大が、現地の写真を参照しながら最新情報をレポートする。くわえて国際政治学者・五野井郁夫も直近の香港でのフィールドワークを報告。また、台湾学生による立法院占拠など、東アジアにおけるデモの動きは広がりを見せている。これがさらなるうねりに発展する可能性はあるのか。それらのデモと日本におけるデモの浸透にはどのようなつながりがあるのか。五野井郁夫、福嶋亮大、東浩紀の3人が、東アジアにおけるデモの可能性について問う。
〈4/7〉五野井郁夫×福嶋亮大×東浩紀「東アジアでデモは可能か——香港デモ最新レポ」【2014/11/12配信】 @gonoi @liang_da @hazuma
★「REALTOKYO」に掲載された福嶋亮大さんの取材レポート「香港デモ見聞録」(http://realkyoto.jp/article/report_hongkong_demo_fukushima/)も必見です!★9月27日に始まり、現在も終息の気配を見せない香港の民主化要求デモ。警察が排除のために使った催涙弾に対し、学生たちが傘を使って身を守ったことから傘がデモのシンボルとなり、「雨傘運動」や「雨傘革命」と呼ばれている。雨傘運動は中国政府に対する民主化運動である。2017年から普通選挙になるはずだった行政長官選挙が、指名委員会による支持を得た候補者数名に立候補者を絞ると発表され、これに対する反発運動が急速に拡大していった結果である。しかし、その運動を支えているのはどのような人々なのか、そこに至るまでにいかなる動きがあったのか、隣国の出来事にもかかわらず、日本国内ではその実情がなかなか見えてこない。2度にわたってその実際を目撃した中国文学者・福嶋亮大が、現地の写真を参照しながら最新情報をレポートする。くわえて国際政治学者・五野井郁夫も直近の香港でのフィールドワークを報告。また、台湾学生による立法院占拠など、東アジアにおけるデモの動きは広がりを見せている。これがさらなるうねりに発展する可能性はあるのか。それらのデモと日本におけるデモの浸透にはどのようなつながりがあるのか。五野井郁夫、福嶋亮大、東浩紀の3人が、東アジアにおけるデモの可能性について問う。
〈3/7〉五野井郁夫×福嶋亮大×東浩紀「東アジアでデモは可能か——香港デモ最新レポ」【2014/11/12配信】 @gonoi @liang_da @hazuma
★「REALTOKYO」に掲載された福嶋亮大さんの取材レポート「香港デモ見聞録」(http://realkyoto.jp/article/report_hongkong_demo_fukushima/)も必見です!★9月27日に始まり、現在も終息の気配を見せない香港の民主化要求デモ。警察が排除のために使った催涙弾に対し、学生たちが傘を使って身を守ったことから傘がデモのシンボルとなり、「雨傘運動」や「雨傘革命」と呼ばれている。雨傘運動は中国政府に対する民主化運動である。2017年から普通選挙になるはずだった行政長官選挙が、指名委員会による支持を得た候補者数名に立候補者を絞ると発表され、これに対する反発運動が急速に拡大していった結果である。しかし、その運動を支えているのはどのような人々なのか、そこに至るまでにいかなる動きがあったのか、隣国の出来事にもかかわらず、日本国内ではその実情がなかなか見えてこない。2度にわたってその実際を目撃した中国文学者・福嶋亮大が、現地の写真を参照しながら最新情報をレポートする。くわえて国際政治学者・五野井郁夫も直近の香港でのフィールドワークを報告。また、台湾学生による立法院占拠など、東アジアにおけるデモの動きは広がりを見せている。これがさらなるうねりに発展する可能性はあるのか。それらのデモと日本におけるデモの浸透にはどのようなつながりがあるのか。五野井郁夫、福嶋亮大、東浩紀の3人が、東アジアにおけるデモの可能性について問う。
〈2/7〉五野井郁夫×福嶋亮大×東浩紀「東アジアでデモは可能か——香港デモ最新レポ」【2014/11/12配信】 @gonoi @liang_da @hazuma
★「REALTOKYO」に掲載された福嶋亮大さんの取材レポート「香港デモ見聞録」(http://realkyoto.jp/article/report_hongkong_demo_fukushima/)も必見です!★9月27日に始まり、現在も終息の気配を見せない香港の民主化要求デモ。警察が排除のために使った催涙弾に対し、学生たちが傘を使って身を守ったことから傘がデモのシンボルとなり、「雨傘運動」や「雨傘革命」と呼ばれている。雨傘運動は中国政府に対する民主化運動である。2017年から普通選挙になるはずだった行政長官選挙が、指名委員会による支持を得た候補者数名に立候補者を絞ると発表され、これに対する反発運動が急速に拡大していった結果である。しかし、その運動を支えているのはどのような人々なのか、そこに至るまでにいかなる動きがあったのか、隣国の出来事にもかかわらず、日本国内ではその実情がなかなか見えてこない。2度にわたってその実際を目撃した中国文学者・福嶋亮大が、現地の写真を参照しながら最新情報をレポートする。くわえて国際政治学者・五野井郁夫も直近の香港でのフィールドワークを報告。また、台湾学生による立法院占拠など、東アジアにおけるデモの動きは広がりを見せている。これがさらなるうねりに発展する可能性はあるのか。それらのデモと日本におけるデモの浸透にはどのようなつながりがあるのか。五野井郁夫、福嶋亮大、東浩紀の3人が、東アジアにおけるデモの可能性について問う。
〈6/6〉佐々木俊尚×東浩紀「ウェブで政治は動かせるのか?」【2014/9/12収録】 @sasakitoshinao @hazuma
テクノロジーが未来をどのように変えるのか、つねに革新の最前線を見つめ続けてきたジャーナリスト、佐々木俊尚。ゲンロンカフェに1年ぶりに登場し、東浩紀とともに最新の世相を問う。
2010年末の「アラブの春」、2011年の「オキュパイ・ウォールストリート」…ウェブが政治を動かす可能性にはさまざまな期待が寄せられてきた。日本でも、東日本大震災をきっかけに生まれた官邸前デモなどの現象は、ウェブ環境がなければ起らなかった政治運動だと言える。
しかし、それから数年。
「アラブの春」はエジプトにふたたび軍事政権を生み出し、オバマ政権は苦境に立たされている。国際政治はネット以前の国民国家の時代に逆戻りしたように見える。日本でも官邸前デモはさしたる成果を生み出さず、自民党長期政権が誕生。イケダハヤトが地方に移住し、安藤美冬が大学の常勤職に就き、家入一真のインターネッ党が区長選候補擁立を断念したことに象徴されるように、かつてマスコミでもてはやされたネットの旗手たちも、それぞれの場所で方針転換を迫られている。
ウェブではやはり政治は動かせないのだろうか?
それとも、これはまたさらなる新しい動きの序章にすぎないのだろうか?
結局、ネットはなにに使うべきものだったのだろうか?
『弱いつながり』(http://amzn.to/1QXuWbE)を上梓したばかりの東浩紀が、『自分でつくるセーフティネット』を上梓したばかりの佐々木俊尚を迎えて問う、「狂騒の時代のあと」の等身大のネット論。
1/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462023758
2/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462025926
3/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462025957
4/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462025980
5/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462026018
6/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462026134
ウェブで政治は動かせるのか? | ゲンロンカフェ
http://genron-cafe.jp/event/20140912/
〈5/6〉佐々木俊尚×東浩紀「ウェブで政治は動かせるのか?」【2014/9/12収録】 @sasakitoshinao @hazuma
テクノロジーが未来をどのように変えるのか、つねに革新の最前線を見つめ続けてきたジャーナリスト、佐々木俊尚。ゲンロンカフェに1年ぶりに登場し、東浩紀とともに最新の世相を問う。
2010年末の「アラブの春」、2011年の「オキュパイ・ウォールストリート」…ウェブが政治を動かす可能性にはさまざまな期待が寄せられてきた。日本でも、東日本大震災をきっかけに生まれた官邸前デモなどの現象は、ウェブ環境がなければ起らなかった政治運動だと言える。
しかし、それから数年。
「アラブの春」はエジプトにふたたび軍事政権を生み出し、オバマ政権は苦境に立たされている。国際政治はネット以前の国民国家の時代に逆戻りしたように見える。日本でも官邸前デモはさしたる成果を生み出さず、自民党長期政権が誕生。イケダハヤトが地方に移住し、安藤美冬が大学の常勤職に就き、家入一真のインターネッ党が区長選候補擁立を断念したことに象徴されるように、かつてマスコミでもてはやされたネットの旗手たちも、それぞれの場所で方針転換を迫られている。
ウェブではやはり政治は動かせないのだろうか?
それとも、これはまたさらなる新しい動きの序章にすぎないのだろうか?
結局、ネットはなにに使うべきものだったのだろうか?
『弱いつながり』(http://amzn.to/1QXuWbE)を上梓したばかりの東浩紀が、『自分でつくるセーフティネット』を上梓したばかりの佐々木俊尚を迎えて問う、「狂騒の時代のあと」の等身大のネット論。
1/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462023758
2/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462025926
3/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462025957
4/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462025980
5/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462026018
6/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462026134
ウェブで政治は動かせるのか? | ゲンロンカフェ
http://genron-cafe.jp/event/20140912/
〈4/6〉佐々木俊尚×東浩紀「ウェブで政治は動かせるのか?」【2014/9/12収録】 @sasakitoshinao @hazuma
テクノロジーが未来をどのように変えるのか、つねに革新の最前線を見つめ続けてきたジャーナリスト、佐々木俊尚。ゲンロンカフェに1年ぶりに登場し、東浩紀とともに最新の世相を問う。
2010年末の「アラブの春」、2011年の「オキュパイ・ウォールストリート」…ウェブが政治を動かす可能性にはさまざまな期待が寄せられてきた。日本でも、東日本大震災をきっかけに生まれた官邸前デモなどの現象は、ウェブ環境がなければ起らなかった政治運動だと言える。
しかし、それから数年。
「アラブの春」はエジプトにふたたび軍事政権を生み出し、オバマ政権は苦境に立たされている。国際政治はネット以前の国民国家の時代に逆戻りしたように見える。日本でも官邸前デモはさしたる成果を生み出さず、自民党長期政権が誕生。イケダハヤトが地方に移住し、安藤美冬が大学の常勤職に就き、家入一真のインターネッ党が区長選候補擁立を断念したことに象徴されるように、かつてマスコミでもてはやされたネットの旗手たちも、それぞれの場所で方針転換を迫られている。
ウェブではやはり政治は動かせないのだろうか?
それとも、これはまたさらなる新しい動きの序章にすぎないのだろうか?
結局、ネットはなにに使うべきものだったのだろうか?
『弱いつながり』(http://amzn.to/1QXuWbE)を上梓したばかりの東浩紀が、『自分でつくるセーフティネット』を上梓したばかりの佐々木俊尚を迎えて問う、「狂騒の時代のあと」の等身大のネット論。
1/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462023758
2/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462025926
3/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462025957
4/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462025980
5/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462026018
6/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462026134
ウェブで政治は動かせるのか? | ゲンロンカフェ
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〈1/6〉佐々木俊尚×東浩紀「ウェブで政治は動かせるのか?」【2014/9/12収録】 @sasakitoshinao @hazuma
テクノロジーが未来をどのように変えるのか、つねに革新の最前線を見つめ続けてきたジャーナリスト、佐々木俊尚。ゲンロンカフェに1年ぶりに登場し、東浩紀とともに最新の世相を問う。
2010年末の「アラブの春」、2011年の「オキュパイ・ウォールストリート」…ウェブが政治を動かす可能性にはさまざまな期待が寄せられてきた。日本でも、東日本大震災をきっかけに生まれた官邸前デモなどの現象は、ウェブ環境がなければ起らなかった政治運動だと言える。
しかし、それから数年。
「アラブの春」はエジプトにふたたび軍事政権を生み出し、オバマ政権は苦境に立たされている。国際政治はネット以前の国民国家の時代に逆戻りしたように見える。日本でも官邸前デモはさしたる成果を生み出さず、自民党長期政権が誕生。イケダハヤトが地方に移住し、安藤美冬が大学の常勤職に就き、家入一真のインターネッ党が区長選候補擁立を断念したことに象徴されるように、かつてマスコミでもてはやされたネットの旗手たちも、それぞれの場所で方針転換を迫られている。
ウェブではやはり政治は動かせないのだろうか?
それとも、これはまたさらなる新しい動きの序章にすぎないのだろうか?
結局、ネットはなにに使うべきものだったのだろうか?
『弱いつながり』(http://amzn.to/1QXuWbE)を上梓したばかりの東浩紀が、『自分でつくるセーフティネット』を上梓したばかりの佐々木俊尚を迎えて問う、「狂騒の時代のあと」の等身大のネット論。
1/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462023758
2/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462025926
3/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462025957
4/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462025980
5/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462026018
6/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462026134
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〈3/6〉佐々木俊尚×東浩紀「ウェブで政治は動かせるのか?」【2014/9/12収録】 @sasakitoshinao @hazuma
テクノロジーが未来をどのように変えるのか、つねに革新の最前線を見つめ続けてきたジャーナリスト、佐々木俊尚。ゲンロンカフェに1年ぶりに登場し、東浩紀とともに最新の世相を問う。
2010年末の「アラブの春」、2011年の「オキュパイ・ウォールストリート」…ウェブが政治を動かす可能性にはさまざまな期待が寄せられてきた。日本でも、東日本大震災をきっかけに生まれた官邸前デモなどの現象は、ウェブ環境がなければ起らなかった政治運動だと言える。
しかし、それから数年。
「アラブの春」はエジプトにふたたび軍事政権を生み出し、オバマ政権は苦境に立たされている。国際政治はネット以前の国民国家の時代に逆戻りしたように見える。日本でも官邸前デモはさしたる成果を生み出さず、自民党長期政権が誕生。イケダハヤトが地方に移住し、安藤美冬が大学の常勤職に就き、家入一真のインターネッ党が区長選候補擁立を断念したことに象徴されるように、かつてマスコミでもてはやされたネットの旗手たちも、それぞれの場所で方針転換を迫られている。
ウェブではやはり政治は動かせないのだろうか?
それとも、これはまたさらなる新しい動きの序章にすぎないのだろうか?
結局、ネットはなにに使うべきものだったのだろうか?
『弱いつながり』(http://amzn.to/1QXuWbE)を上梓したばかりの東浩紀が、『自分でつくるセーフティネット』を上梓したばかりの佐々木俊尚を迎えて問う、「狂騒の時代のあと」の等身大のネット論。
1/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462023758
2/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462025926
3/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462025957
4/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462025980
5/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462026018
6/6 http://www.nicovideo.jp/watch/1462026134
ウェブで政治は動かせるのか? | ゲンロンカフェ
http://genron-cafe.jp/event/20140912/
〈1/5〉福嶋亮大×東浩紀【物語と観客の日本文明論——『復興文化論』の先へ #3】「旅・日本思想・アヴァンギャルド」【2014/9/26収録】 @liang_da @hazuma
第三回の講義では、東浩紀氏とともに日本思想の諸問題、さらにそこから見えてくる前衛の可能性を主なテーマとして話し合いたいと思います。幻冬舎から7月に『弱いつながり——検索ワードを探す旅』(http://amzn.to/1QXuWbE)を刊行した東氏は、インターネットと身体、検索と旅行の「あいだ」で、人生の新しい組み立て方を提案しました。インターネットは私たちの思考の環境を劇的に変えてしまいましたが、東氏はその混乱を逆手にとるような形で、旅をキーワードにしながら、私たちの生き方の新しいモデルを提案しているのです。哲学的に言えば、それは「ゲームを外から眺める無関心な観客」を重視するカントの公共性論にも繋がっていくものでしょう。
考えてみれば、日本人の「思想」は宗教、文学、芸能その他が渾然一体となったところに成立しています。西洋の哲学のような建築的なものではないにせよ、世界と触れ合い、精神の自由を広げようとする思考の資源そのものは、さまざまな文化領域のなかに散らばっています。私たちはこの資源をうまく利用しながら、グローバル化/グーグル化の裏をかくような思想のスタイルを総合的に描き出していくべきでしょう。旅することが考えることであり、人生を作ることでもあるという東氏の魅力的な提案は、日本思想の問題にも連なっていくはずです。
さらに言えば、その試みからは、前衛のコンセプトの再起動も可能かもしれません。前衛という言葉はとっくに死語になりましたが、本来ならば「きれい」も「きたない」も全部詰め込んで、たとえ見栄えは悪くとも、使えるものは全部使い尽くしてしまおうとする無鉄砲さにこそ、われわれの前衛の可能性はあったはずです。旅からアヴァンギャルドまで、多角的な議論をご期待ください。(福嶋亮大)
1/5 http://www.nicovideo.jp/watch/1459401353
2/5 http://www.nicovideo.jp/watch/1459402101
3/5 http://www.nicovideo.jp/watch/1459402192
4/5 http://www.nicovideo.jp/watch/1459402287
5/5 http://www.nicovideo.jp/watch/1459402325
旅・日本思想・アヴァンギャルド | ゲンロンカフェ
http://genron-cafe.jp/event/20140926/
(3/4)亀山郁夫×東浩紀 司会=上田洋子「『カラマーゾフの兄弟』からチェルノブイリへ——ロシア文学と日本社会」【2014/12/9収録】 @hazuma @yuvmsk
ドストエフスキーは世界文学のなかでも、日本でとくに人気の高い作家である。これまで多くの作家が影響を受け、多くの研究者が論文を捧げ、あまたの翻訳が世に出されてきた。
だが、21世紀になって、ドストエフスキーの新訳を年間26万部を越えるベストセラーに導いたのは、世界でも亀山郁夫だけではないか。
ベストセラーになったのは、ドストエフスキーの長編のなかでも最も長い『カラマーゾフの兄弟』(光文社古典新訳文庫)。ヒットの原因は、平易かつ美しい現代語で、物語のダイナミズムをそのままに読ませる亀山訳との相乗効果にある。新訳では、読書ガイドや解題、伝記など、翻訳者亀山があちらこちらに登場して、『カラマーゾフの兄弟』の面白さを熱く語る。読者は亀山の読みと深読みに共感したり反論したりしながら、小説のページをまた繰り直すことになる。そして結局、亀山の熱に巻き込まれてしまう。
亀山は『カラマーゾフ』後も、『罪と罰』(光文社古典新訳文庫)『悪霊』(同)『地下室の記録』(集英社)と、ドストエフスキーの新訳を立て続けに出版している。そして今年、ついにオリジナルの長編小説『新カラマーゾフの兄弟』を『文藝』に発表。この小説では原作の面白さはそのままに、エッセンスや細かなモチーフが見事に現代日本に置き換えられている。エッセイ集『偏愛記』(新潮文庫)ではドストエフスキーの問題がみずからの経験における日本赤軍やオウムの問題と重ね合わせられていたが、『新カラマーゾフの兄弟』でもまた、ドストエフスキー的な論理的思考や推理のプロセスが、亀山の自伝と重ね合わされている。『新カラマーゾフの兄弟』は、ドストエフスキーの小説のたいへん優れた「二次創作」とも言えるだろう。
ドストエフスキーはなぜそんなにひとを惹きつけるのか。ドストエフスキーは日本人になにをもたらしたのか。稀代のドストエフスキー伝道者亀山郁夫に、ドストエフスキーの愛読者として知られる東浩紀が迫る。司会はロシア文学者の上田洋子。
(2/4)亀山郁夫×東浩紀 司会=上田洋子「『カラマーゾフの兄弟』からチェルノブイリへ——ロシア文学と日本社会」【2014/12/9収録】 @hazuma @yuvmsk
ドストエフスキーは世界文学のなかでも、日本でとくに人気の高い作家である。これまで多くの作家が影響を受け、多くの研究者が論文を捧げ、あまたの翻訳が世に出されてきた。
だが、21世紀になって、ドストエフスキーの新訳を年間26万部を越えるベストセラーに導いたのは、世界でも亀山郁夫だけではないか。
ベストセラーになったのは、ドストエフスキーの長編のなかでも最も長い『カラマーゾフの兄弟』(光文社古典新訳文庫)。ヒットの原因は、平易かつ美しい現代語で、物語のダイナミズムをそのままに読ませる亀山訳との相乗効果にある。新訳では、読書ガイドや解題、伝記など、翻訳者亀山があちらこちらに登場して、『カラマーゾフの兄弟』の面白さを熱く語る。読者は亀山の読みと深読みに共感したり反論したりしながら、小説のページをまた繰り直すことになる。そして結局、亀山の熱に巻き込まれてしまう。
亀山は『カラマーゾフ』後も、『罪と罰』(光文社古典新訳文庫)『悪霊』(同)『地下室の記録』(集英社)と、ドストエフスキーの新訳を立て続けに出版している。そして今年、ついにオリジナルの長編小説『新カラマーゾフの兄弟』を『文藝』に発表。この小説では原作の面白さはそのままに、エッセンスや細かなモチーフが見事に現代日本に置き換えられている。エッセイ集『偏愛記』(新潮文庫)ではドストエフスキーの問題がみずからの経験における日本赤軍やオウムの問題と重ね合わせられていたが、『新カラマーゾフの兄弟』でもまた、ドストエフスキー的な論理的思考や推理のプロセスが、亀山の自伝と重ね合わされている。『新カラマーゾフの兄弟』は、ドストエフスキーの小説のたいへん優れた「二次創作」とも言えるだろう。
ドストエフスキーはなぜそんなにひとを惹きつけるのか。ドストエフスキーは日本人になにをもたらしたのか。稀代のドストエフスキー伝道者亀山郁夫に、ドストエフスキーの愛読者として知られる東浩紀が迫る。司会はロシア文学者の上田洋子。
「QUIZ JAPAN」第6回トークライブ【ゲスト:伊沢拓司・隅田好史・大美賀祐貴・矢野了平】#2
2015年10月17日(土)、東京・五反田のゲンロンカフェにて、『QUIZ JAPAN』主催の第6回トークライブが開催されました。『東大生クイズ王・伊沢拓司の軌跡 Ⅰ~頂点を極めた思考法~』を出版した『高校生クイズ』2連覇の現・東大生の伊沢拓司を中心に、同じくの『高校生クイズ』の優勝者である隅田好史(元・京都大学クイズ研究会)と、同時代を戦った大美賀祐貴(元・早稲田大学クイズ研究会)、さらに『高校生クイズ』を手がける放送作家の矢野了平をゲストに招き、数々のクイズ番組や『abc』をはじめとするクイズのオープン大会について徹底討論した、貴重なトークライブの模様をお送り致します。
※会場の都合により、今回は低画質の映像になっております。ご了承をお願いいたします。
第6回トークライブ#1
「QUIZ JAPAN」公式サイト http://quizjapan.com
「QUIZ JAPAN」第6回トークライブ【ゲスト:伊沢拓司・隅田好史・大美賀祐貴・矢野了平】#1
2015年10月17日(土)、東京・五反田のゲンロンカフェにて、『QUIZ JAPAN』主催の第6回トークライブが開催されました。『東大生クイズ王・伊沢拓司の軌跡 Ⅰ~頂点を極めた思考法~』を出版した『高校生クイズ』2連覇の現・東大生の伊沢拓司を中心に、同じくの『高校生クイズ』の優勝者である隅田好史(元・京都大学クイズ研究会)と、同時代を戦った大美賀祐貴(元・早稲田大学クイズ研究会)、さらに『高校生クイズ』を手がける放送作家の矢野了平をゲストに招き、数々のクイズ番組や『abc』をはじめとするクイズのオープン大会について徹底討論した、貴重なトークライブの模様をお送り致します。
※会場の都合により、今回は低画質の映像になっております。ご了承をお願いいたします。
第6回トークライブ#2
「QUIZ JAPAN」公式サイト http://quizjapan.com
(1/3)伊藤剛×加治屋健司「美術からマンガを見る/マンガから美術を見る――『マンガを「見る」という体験』刊行記念対談」【2014/11/14収録】 @GoITO @kenji_kajiya
鈴木雅雄編『マンガを「見る」という体験』(水声社)は、マンガ表現論と美術批評をクロスオーバーさせた連続討議を論集にまとめたものです。ともすればそれは、マンガと美術の接点をさぐるといったものととらえられますが(その見方も間違いではないにせよ)、むしろ「マンガ」と「美術」を同じテーブルのうえで扱うことで、私たちの視覚体験により深く切り込むことを試みたと言ったほうが適切でしょう。言い方を変えれば、ここで探られているのは、「マンガ」と「美術」を等しく語りうるプラットフォームということです。また、ともに平面のうえに「描かれたもの」であるはずの両者が、なぜかくも断絶させられてきたのかという問いを残すものであったと言ってもよいでしょう。本書の刊行記念であるこの対談では、同書所収の加治屋論文『マンガと美術――現代美術批評の観点から』で提示された、「経験的イメージ/超越論的イメージ」という概念対を軸に据え、マンガを「読む」体験の側から「美術」を「みる」ことと、美術を「鑑賞する」体験の側から「マンガ」を「よむ」ことを試みます。マンガの側からは「コマ」「フキダシ」といった諸装置を手がかりに、美術の側からは「フラットベッド画面」といった議論を手がかりに、互いの領域について互いが材料を持ち寄り、互いに「知りたいこと」を訊ね、互いが答えるという応答を予定しています。
(2/3)伊藤剛×加治屋健司「美術からマンガを見る/マンガから美術を見る――『マンガを「見る」という体験』刊行記念対談」【2014/11/14収録】 @GoITO @kenji_kajiya
鈴木雅雄編『マンガを「見る」という体験』(水声社)は、マンガ表現論と美術批評をクロスオーバーさせた連続討議を論集にまとめたものです。ともすればそれは、マンガと美術の接点をさぐるといったものととらえられますが(その見方も間違いではないにせよ)、むしろ「マンガ」と「美術」を同じテーブルのうえで扱うことで、私たちの視覚体験により深く切り込むことを試みたと言ったほうが適切でしょう。言い方を変えれば、ここで探られているのは、「マンガ」と「美術」を等しく語りうるプラットフォームということです。また、ともに平面のうえに「描かれたもの」であるはずの両者が、なぜかくも断絶させられてきたのかという問いを残すものであったと言ってもよいでしょう。本書の刊行記念であるこの対談では、同書所収の加治屋論文『マンガと美術――現代美術批評の観点から』で提示された、「経験的イメージ/超越論的イメージ」という概念対を軸に据え、マンガを「読む」体験の側から「美術」を「みる」ことと、美術を「鑑賞する」体験の側から「マンガ」を「よむ」ことを試みます。マンガの側からは「コマ」「フキダシ」といった諸装置を手がかりに、美術の側からは「フラットベッド画面」といった議論を手がかりに、互いの領域について互いが材料を持ち寄り、互いに「知りたいこと」を訊ね、互いが答えるという応答を予定しています。
(3/3)伊藤剛×加治屋健司「美術からマンガを見る/マンガから美術を見る――『マンガを「見る」という体験』刊行記念対談」【2014/11/14収録】 @GoITO @kenji_kajiya
鈴木雅雄編『マンガを「見る」という体験』(水声社)は、マンガ表現論と美術批評をクロスオーバーさせた連続討議を論集にまとめたものです。ともすればそれは、マンガと美術の接点をさぐるといったものととらえられますが(その見方も間違いではないにせよ)、むしろ「マンガ」と「美術」を同じテーブルのうえで扱うことで、私たちの視覚体験により深く切り込むことを試みたと言ったほうが適切でしょう。言い方を変えれば、ここで探られているのは、「マンガ」と「美術」を等しく語りうるプラットフォームということです。また、ともに平面のうえに「描かれたもの」であるはずの両者が、なぜかくも断絶させられてきたのかという問いを残すものであったと言ってもよいでしょう。本書の刊行記念であるこの対談では、同書所収の加治屋論文『マンガと美術――現代美術批評の観点から』で提示された、「経験的イメージ/超越論的イメージ」という概念対を軸に据え、マンガを「読む」体験の側から「美術」を「みる」ことと、美術を「鑑賞する」体験の側から「マンガ」を「よむ」ことを試みます。マンガの側からは「コマ」「フキダシ」といった諸装置を手がかりに、美術の側からは「フラットベッド画面」といった議論を手がかりに、互いの領域について互いが材料を持ち寄り、互いに「知りたいこと」を訊ね、互いが答えるという応答を予定しています。
「QUIZ JAPAN」第5回トークライブ【ゲスト:稲川良夫・永田喜彰・秋利美記雄・仲野隆也】#3
2015年7月19日(日)、東京・五反田のゲンロンカフェにて、『QUIZ JAPAN』主催の第5回トークライブが開催されました。今回のゲストは『第11回アメリカ横断ウルトラクイズ』優勝者・稲川良夫氏、『第13回』準優勝者・永田喜彰氏、同じく『第13回』の準決勝・ボルチモアの激闘でおなじみの秋利美記雄氏、『第13回』は成田のじゃんけんで破れてしまったものの、名古屋大学クイズ研究会創世期を秋利氏と共に支えた仲野隆也氏の4名。それぞれのクイズ番組デビューからウルトラクイズのエピソードまで語られた、貴重なトークライブの模様をお送り致します。
第5回トークライブ#1
第5回トークライブ#2
「QUIZ JAPAN」公式サイト http://quizjapan.com
(1/3)市川真人×中森明夫「アナ雪騒動とアイドルから考える文学の行方——10年代の言論の自由?!」【2014/8/21収録】@a_i_jp
ディズニー映画『アナと雪の女王』が『ハリー・ポッターと賢者の石』を抜いて歴代第3位、14週連続での興行成績第一位を更新していた6月半ば、ある話題が世上を賑わした。アイドル評論家として活躍しつづける中森明夫が、当初の依頼元である「中央公論」への掲載を拒まれたとして、サイト「Real-Japan」に『アナと雪の女王』をめぐるエッセイが全文を公開したのだ。
公開にあたって書き下ろされた前文に掲載拒否の事実のみしか記されていない以上、その詳しい経緯や判断の是非はまだ推し量ることしかできない。だが、女性性と彼女たちが強いられる「女らしさ」、そして「ありのままであること」をめぐって、小保方靖子から皇太子妃までを射程に収めたそのエッセイは、中森明夫らしい、けれん味と鋭さを湛えた佳作だった。分量やチューニングにおいて「掲載拒否」されねばならぬほどの暴力性を携えるわけでなく、著者の見事な表現の手つきと、ごくシンプルでしかし筋の通った主張(そして「アナと雪の女王」への敬意)だけが際立つその小文が拒まれることは、政治的あるいは商業的な危うさ以上に、「言葉の芸」としての文芸の拒絶にほかならない。
政治的偏向と安手のヒロイズムに満ちたオハナシがベストセラーともてはやされ著者や読者を勘違いさせる一方で、流布する物語の本質をやさしく抉る批評が拒まれる――歴史的な「近代文学の終り」とはまるで異質なレイヤーで訪れる「文芸への拒絶」を前に、小説『アナーキー・イン・ザ・JP』の著者であり、希代の読書家であり文芸批評家でもある中森明夫はいま、何をどう考えるのか。文芸の現在と未来をめぐる徹底討議120分。
(2/3)市川真人×中森明夫「アナ雪騒動とアイドルから考える文学の行方——10年代の言論の自由?!」【2014/8/21収録】@a_i_jp
ディズニー映画『アナと雪の女王』が『ハリー・ポッターと賢者の石』を抜いて歴代第3位、14週連続での興行成績第一位を更新していた6月半ば、ある話題が世上を賑わした。アイドル評論家として活躍しつづける中森明夫が、当初の依頼元である「中央公論」への掲載を拒まれたとして、サイト「Real-Japan」に『アナと雪の女王』をめぐるエッセイが全文を公開したのだ。
公開にあたって書き下ろされた前文に掲載拒否の事実のみしか記されていない以上、その詳しい経緯や判断の是非はまだ推し量ることしかできない。だが、女性性と彼女たちが強いられる「女らしさ」、そして「ありのままであること」をめぐって、小保方靖子から皇太子妃までを射程に収めたそのエッセイは、中森明夫らしい、けれん味と鋭さを湛えた佳作だった。分量やチューニングにおいて「掲載拒否」されねばならぬほどの暴力性を携えるわけでなく、著者の見事な表現の手つきと、ごくシンプルでしかし筋の通った主張(そして「アナと雪の女王」への敬意)だけが際立つその小文が拒まれることは、政治的あるいは商業的な危うさ以上に、「言葉の芸」としての文芸の拒絶にほかならない。
政治的偏向と安手のヒロイズムに満ちたオハナシがベストセラーともてはやされ著者や読者を勘違いさせる一方で、流布する物語の本質をやさしく抉る批評が拒まれる――歴史的な「近代文学の終り」とはまるで異質なレイヤーで訪れる「文芸への拒絶」を前に、小説『アナーキー・イン・ザ・JP』の著者であり、希代の読書家であり文芸批評家でもある中森明夫はいま、何をどう考えるのか。文芸の現在と未来をめぐる徹底討議120分。