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【ドイツ軍】パリ入城行進曲(Pariser Einzugsmarsch)
「パリ入場行進曲」はナポレオン戦争期に対仏大同盟軍がパリに入城した事を記念して、ヨハン・ハインリヒ・ヴァルヒによって作曲されたプロイセンの行進曲です。
ドイツ帝国期に人気を博し、瞬く間に有名な曲となりました。ヴァイマル共和国、第三帝国時期になり、この曲は反フランスの象徴となりました。そして、1940年にドイツ軍がパリを占領した際にはこの曲が演奏されたようです。
その曲名と歴史故に、ドイツ連邦軍ではパリ入城行進曲をめったに演奏することはありませんでしたが、最近では再録が行われるなど新たな様相を呈してきています。
【ドイツ軍・州歌】メーメルラントの歌(Memellandlied)
「メーメルラントの歌」は1930年代頃に作曲された軍歌もしくはメーメル州歌(郷土歌)です。長い前奏に短い歌詞で「メーメルはドイツのもの」と歌っています。
メーメルはバルト海に面した港湾都市で、1252年にドイツ騎士団によって創建されました。
それから約700年間、メーメルはドイツ人の支配下に置かれます。時代は進み、1871年のドイツ統一後、メーメルはドイツ帝国の最東端に位置する都市となります。
1918年にドイツが第一次世界大戦に敗戦するとメーメルはリトアニアに編入され、「クライペダ」と改名されます。しかし、ドイツ人が多かったクライペダでは1938年の選挙でナチスが勝利し、翌年第三帝国に編入され「メーメル」と名前が戻されました。
第二次世界大戦中、ドイツの敗戦が目前となった頃、多くのドイツ人住民は引き上げを余儀なくされ、1945年、メーメルはソ連に占領されました。戦後はリトアニア・ソビエト領に編入され、再び「クライペダ」に改名されました。残っていたドイツ人はシベリア送りかドイツ本国に追放されました。
メーメルは現在、クライペダとしてリトアニアの一領土を構成しています。
音源はかなり古く、恐らくは戦前に録音されたものです。
【プロイセン】プロイセン行進曲(プロイセンの歌)(Preußen-marsch,Preußenlied)【プロイセン王国国歌】
「プロイセン行進曲」は1840年にゴールデによって作曲された行進曲です。
メロディはホーエンツォレルン家の王室歌である「皇帝陛下万歳(Heil dir im Siegerkranz)」(sm)のとプロイセンの国歌である「プロイセンの歌(Preußenlied)」(sm29445037)を合わせたものになっています。
第一次世界大戦後、ドイツ王室歌で事実上の国歌である「皇帝陛下万歳」は演奏を禁じられ、「皇帝陛下万歳」のメロディが入っていたプロイセン行進曲は演奏ができなくなります。
そんな中で「皇帝陛下万歳」と入れ替わり、新たな国歌として「ドイツの歌(Deutschlandlied)」が制定されます。
1922年にはプロイセン行進曲の「皇帝陛下万歳」部分のメロディを「ドイツの歌」に編曲した新たなバージョンのプロイセン行進曲(sm)がリリースされ、プロイセン自由州歌になりました。
【ドイツ軍】トルガウ分列行進曲(Torgauer Parademarsch)
「トルガウ分列行進曲」はドイツ軍の行進曲です。作曲者は不詳です。
トルガウはザクセンにある街の名前であり、七年戦争で戦場になった場所です。
また、トルガウはアメリカ軍とソビエト赤軍が東西から合流した「エルベの誓い」でも有名な場所ですね。
【ドイツ軍】フリードリヒ大王行進曲(Marsch Fridrich des Großen)
「フリードリヒ大王行進曲」はフリードリヒ2世をテーマにしたドイツ軍・プロイセン軍の行進曲です。フリードリヒ2世の死後に作曲されたものも考えられますが、作曲者は不明です。
【オーストリア】フィレンツェ(フローレンス)行進曲(Florentiner Marsch)
フィレンツェ行進曲は『ボヘミアのスーザー』で知られるユリウス・フチークによって作曲されたオーストリアの行進曲です。フローレンス行進曲とも呼ばれます。
ドイツ軍楽のマイリストは下記プロフィールから↓
【行進曲】プロイセンの栄光
『プロイセンの栄光』は、ドイツの作曲家ヨハン・ゴットフリード・ピーフケによる作品です。数あるドイツ行進曲の中でも、とりわけ名の知れた本作品ですが、有名になったのは作曲者であるピーフケの死後のことだそうです。
ここでの演奏は、ベルホルト・マイヤー指揮西ドイツ第2空軍音楽隊によります。
【行進曲】航空兵よ、飛翔せよ - Flieger Empor
「Flieger Empor」は元々、パイロット達を描いた1930年代のドイツ映画の為にエーリッヒ・ビューダーによって作曲されたものです。編曲は、ヘルマン・メネッケによります。歌がつくことも多いこの曲ですが、ここでは吹奏楽による合奏版をご紹介します。
演奏は、ベルトホルト・マイヤー指揮西ドイツ空軍第2軍楽隊によります。
【オーストリア】ラデツキー行進曲(Radetzky-marsch)
「双頭の鷲の旗の下に」と並ぶ言わずと知れたオーストリアの名曲です。
PS 投稿期間が空いてしまい申し訳ありませんでした。
【ドイツ軍】Der Tag der Luftwaffe (ドイツ空軍の日)
1938年5月に撮影された映像です。マントを羽織った人物はヘルマン・ゲーリングです。
軍楽隊が演奏している曲はクルプファルツの狩人(Der Jäger aus Kurpfalz)というドイツの民謡曲です。
Die Grenzwacht hielt im Osten 東の国境警備隊【ドイツ語+和訳字幕】
ドイツ帝国の軍歌
Karl Freiherr Manteuffel-Katzdangenの"die Baltenfahne"という詩をもとに、1920年に作られたもの。
歌詞の和訳の参考にしたサイト:https://miurayosimra.hatenablog.com/entry/2022/11/05/213122
Die Eisenfaust am Lanzenschaft チュートン騎士団の歌【ドイツ語+和訳字幕】
Willi Nuferが作詞し、 Robert Götzが1921年に作曲したもの。メロディーは三十年戦争当時のドイツの伝統的な曲をベースにしている。
歌っているのはシレジア青年合唱団(Schlesische Jugend)