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私のジャマイカ滞在記 ㉑ / 44A
ジャマイカの日差しのもと、わたしの青春は、写真には残らない、ささやかな冒険の連続だった。自分の姿を捉えることには無頓着で、そのために残された数枚の写真は、とりとめもなく奇妙なものばかり。誰かがそれらを見たなら、わたしを誤解してしまうかもしれない。派手な外見とは裏腹に、わたしは無口で地味な男だったからだ。
ジャマイカに来て二ヶ月が経った頃、わたしの日常はリッキーベンズという男とその友達に彩られていた。彼のアーティストとしての才能は確かなもののそれごなかなか花開かないでいた。それでも彼のことを不思議に思いながらも魅了されていた。彼の家族とも親しくなり、小さな弟妹や母親に何度か会った。父親については、ニューヨークで悲劇的な最期を遂げたと聞いた。
彼の庭には昔使っていたというタクシーがあったが、彼がどうやって家族を養っているのかは、街の人々にはよく知られた謎の一つだった。彼の知人にはスタジオ経営者やダンサーがおり、街のあちこちに彼のビジネスの痕跡があった。
写真の中の背の高い男、レジャーはビデオカメラを持ち歩く男で、リッキーベンズのプロモーションビデオ撮影のためにいつも忙しく動いていた。屋上ビアホールでの撮影は夜遅くまで続き、わたしは機材運びを手伝っていた。レジャーは周囲の若者たちにも手伝いを促し、彼らに対する厳しい愛情を注いでいた。
撮影が終わると、夜更けにパーティへの誘いがあったが、わたしは疲れ果てていた。リッキーベンズは彼の部屋で眠るように言ってくれた。朝方、彼が帰宅する音で目を覚ますと、なぜか彼はわたしのポケットを探っていた。何が起こったのかを尋ねる前に、彼は何も言わずに部屋を出ていった。
何かを盗まれたわけではないが、その夜はジャマイカの普通の生活を垣間見たような気がした。その後すぐにわたしはリッキーベンズの家を離れたが、彼はバス停まで送ってくれ、別れ際に近くになっていたマンゴーをちぎり2人で食べあった。わたしたちが同じ29歳でありながら、あの夏はまるで少年のような無邪気な日々を過ごしていたことに、後になって気づいたのだった。
私のジャマイカ滞在記⑦ / 44A
ジャマイカ、ストーンラブスタジオの近くにある小さなスタジオ、7star general studio。僕がそこに足を踏み入れたのは、15年前のことだった。その時の僕の姿は、彼らがよく使う言葉で言えば、ほぼ黒人のような姿になっていた。
それはリッキーベンツという男からの招待に応じて訪れた場所だった。彼の名を耳にした時、心の中で小さな熱が湧き上がった。僕が求めていたのは、まさにこういう環境だったからだ。
7star general studioの庭には、名もなきアーティストたちが集まり、サイファーで自分のスキルを磨いていた。僕もその中の一人として、日本で作った「アリが十匹ありがとう」という歌を披露した。それはある意味、場を“ボス”にするための僕の魔法だった。その歌がリッキーベンツの耳に入り、彼は僕をスタジオの中へと連れて行った。
そこで僕が出会ったのは、社長のla lewisだった。彼は白のスーツに身を包んだ、まるで実業家のような風格を持つ男だった。その男は、僕に突如として歌を披露するよう要求してきた。緊張の中、僕は日本で受けた「パジャマパーティー」という歌を普通の声量で歌い上げた。しかし、それはla lewisの期待に応えるものではなかった。彼の顔には失望の色が浮かび上がり、僕を社長室から退出させた。
外に出たところ、リッキーベンツが待っていた。彼の顔には、なぜこんなことになったのかという不思議そうな表情が浮かんでいた。しかし、彼は突如として僕に「俺が特訓してやるから、弟子になれ」と言い放った。
それからの僕の日々は、レゲエの歌の修行の日々となった。リッキーベンツとの特訓の中で、彼と僕は同じ年だということを知った。それは、僕の人生の中での新たな章の始まりだった。