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ルイ・ヴィエルヌ:オルガン交響曲第6番 ロ短調 作品59
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=A3L2_MJEpZk)。
ルイ・ヴィエルヌの最後のオルガン交響曲である第6番 ロ短調 作品59は、1930年に作曲されました。本作は無調音楽への傾向を強めつつも、セザール・フランクが創始した循環形式、後期ロマン派の和音構成、そしてヴィエルヌが得意とした即興演奏を思わせるパッセージが高いレベルで融合した、ヴィエルヌの最高傑作の1つです。
本作を含むヴィエルヌのオルガン交響曲はフランスのオルガン作品の金字塔であり、モーリス・デュリュフレやマルセル・デュプレ、更にはメシアンやマリー=クレール・アランに至る、後進の作曲家・オルガン奏者に多大な影響を与えました。
デヴィッド・バスキーフィールド(オルガン)
ルイ・ヴィエルヌ:オルガン交響曲第5番 イ短調 作品47
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=X-HIkUQw1Vk)。
1924年、ルイ・ヴィエルヌはオルガン交響曲第5番 イ短調 作品47を作曲しました。
ヴィエルヌは第一次世界大戦で弟と息子を失っており、更に戦後はマルセル・デュプレとの対立が起きるなど、失意の中にありました。ヴィエルヌは基本的に後期ロマン派の作曲家として活躍しましたが、本作においては無調音楽をある程度取り入れる大胆さを見せており、当時のヴィエルヌの心境が作品に反映されたとする見方もあります。
ザムエル・クンマー(オルガン)
ルイ・ヴィエルヌ:オルガン交響曲第4番 ト短調 作品32
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=5c-bZ8drDe0)。
ルイ・ヴィエルヌのオルガン交響曲第4番 ト短調 作品32は、1914年の夏に作曲されました。
この作品はアメリカのオルガン奏者ウィリアム・クレイン・カール(William Crane Carl 1865 - 1936)に捧げられました。彼はヴィエルヌと同じくアレクサンドル・ギルマンを先生としており、ギルマンが渡米した際にはギルマンを学長として「ギルマン・オルガン学校」を設立するほどに親交を結んでいました。このため、ヴィエルヌは新作のオルガン交響曲を兄弟子であるカールに捧げようとしたと思われます。
しかし、本作が作曲された1914年の夏には第一次世界大戦が勃発しており、戦争の混乱の中で演奏の機会はなかなか訪れませんでした。結局、本作は作曲から10年後の1924年、アンドレ・マルシャルによって初演されました。
ハンス・エーベルハルト・ロス(オルガン)
ルイ・ヴィエルヌ:オルガン交響曲第3番 嬰ヘ短調 作品28
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=Cd4fLfEmadQ)。
1911年、パリ・ノートルダム寺院の首席パイプオルガン奏者であったルイ・ヴィエルヌは、全5楽章からなるオルガン交響曲を作曲しました。これがオルガン交響曲第3番 嬰ヘ短調 作品28で、ヴィエルヌが作曲したオルガン交響曲の中では最も演奏時間が短い作品です。
この年には母親と、パリ音楽院のオルガン科教授であったアレクサンドル・ギルマンが死去しており、ヴィエルヌは近親者と恩師を立て続けに失いました。その上、ヴィエルヌはギルマンの後任としてパリ音楽院オルガン科の教員に戻ろうとしたものの、音楽院内からの反対により排除され、悲運と挫折に満ちた年となりました。それにもかかわらず、作品にはそのような作曲者の不幸を思わせるような雰囲気はなく、ヴィエルヌの作曲家としての能力の確かさが示されています。
演奏者のPär Fridberg(パール・フリードベーリィ? 1961 - )はスウェーデンのオルガン奏者・合唱指揮者で、エーテボリ交響楽団の指揮や、ストックホルム音楽大学で合唱指揮の講師も務めたことがある人物です。
Pär Fridberg(オルガン)
ルイ・ヴィエルヌ:オルガン交響曲第1番 ニ短調 作品14
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=MHG6_5U1Cf0)。
パリ音楽院でセザール・フランクやシャルル=マリー・ヴィドールに師事し、視力障碍に悩まされながらも19世紀末から20世紀前半にかけてフランスにおける最高のオルガン演奏家の1人であったルイ・ヴィクトル・ジュール・ヴィエルヌ(1870年 – 1937)は、オルガン独奏用の作品を多数作曲しており、特に6曲の「オルガン交響曲」が代表作として知られています。
ヴィエルヌはヴィドールが開拓したオルガン交響曲(オルガン独奏のための交響曲)というジャンルに関わることを決心し、1899年に全6楽章からなるオルガン交響曲第1番 ニ短調 作品14を作曲しました。この作品はヴィエルヌの才能を高く評価したヴィドールによって初演され、当時のヴィエルヌの先生であったアレクサンドル・ギルマン(ヴィドールの後任としてパリ音楽院オルガン科教授に就任)に捧げられました。
翌1900年、ヴィエルヌはパリ・ノートルダム寺院のパイプオルガン奏者に選定され、一躍フランスにおけるオルガン演奏の中心人物となりました。彼は、この役職を生涯務めることになります。
ビョルン・ボイセン(オルガン)