タグ 北アイルランド が登録されている動画 : 66 件中 33 - 64 件目
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現代における世界でいちばんダサいPV
Two Door cinema club / WHAT YOU KNOW 何となく。公開はしている。反正はしない。
【1Mbps PV】Gary Moore-Still Got The Blues
ご冥福を…早過ぎる
mylist/17655929
1970年代初頭の北アイルランド
デリー(ロンドンデリー)の当時の日常。このころからすればだいぶマシになったとはいえ・・・。YouTubeから。
北アイルランドのSAS Part2
sm10724778←1の続きです。Discovery Channelから。Part3→???
【Shabeen】 Go On Home British Soldiers 【イベント・ライブ】
セルティックの感謝祭のライブにて。IRAのRebel Songである「Go On Home British Soldiers」という歌を Shabeenというバンドが歌います。開催地はスコットランドのグラスゴー。なんか客席でバスクの旗を振っている人もいます。YouTubeより転載。過激な歌詞ですが、この歌はIRAだけでなく、セルティックのサポーターはよく歌うそうです。
Sinn Fein党全国大会2010 党首 Gerry Adams語る
Provisional IRAの政治部門(最近は選挙による平和裏な南北アイルランドの統一を目指す、ということになっている)の党首Gerry Adamsのスピーチ。Sinn Fein全国大会2010にて。福祉や教育、労働などについての話が多いですね。手話通訳も左のほうにいます。しかしやはり、アイリッシュとしての「市民権」の獲得と「共和国」の実現は譲れない命題のようです。
北アイルランドのSAS Part 1
Discovery Channelから。イラン大使館包囲事件から始まって、北アイルランドにおけるSASの姿に迫る。 Discovery Channelなので、一部再現映像が含まれている可能性あり。2はこちら→sm10724778
【北アイルランド】 1996年 デリー暴動 7月10日ー11日
1996年7月10月ー11日、デリー(ロンドンデリー)の住民による暴動、警官隊・機動隊・英国軍との衝突。2009年7月には3都市以上で大規模な暴動が数日数夜に渡って起きました→sm7817879
Real IRA
北アイルランド和平合意に反対する強硬派のReal IRA。最近では2010年2月22日の250ポンド爆弾の事件など。なんだか2008年以降、地味に活動が活発化してきたような気がするのですが・・・。英国軍アフガン連絡部隊の兵士を暗殺したり、爆破事件を起こしたり、そして小規模な爆撃や銃撃などは頻繁に・・・(景気の悪化によるもの、なのだろうか?)。大規模なものは少なく、代わりに麻薬や武器密輸など、マフィア化してきた印象もありますね。
Gary Moore After The War
Roy Buchanan ♪The Messiah Will Come Again G:Gary Moore Ds:Cozy Powell B:Laurence Cottle Key:Don Airey
2006年ダブリン暴動(2006年2月25日)
北アイルランドのプロテスタント側のパレードが南のアイルランド共和国の首都ダブリン、その中心部のオコンネル・ストリートで行われることになった。それに反対する市民を抑えるために警官隊が出動。ダブリン市民と警官隊と衝突し、暴動に発展した。▼参考→http://en.wikipedia.org/wiki
Real IRAによるオマー爆破事件(1998年8月15日)
1998年、北アイルランドで歴史的な和平合意が締結された後、反和平派のReal IRAはオマーの街で車爆弾を爆発させた。それにより一般市民24名が死亡、220人以上(後の報告では300人を越える)が負傷した。これによりReal IRAは大きな非難を受けることになった。しかし、Real IRAは3度事前に警察に爆弾を仕掛けたことを告げる警告の電話をかけていた。いつもならすぐ出動する警察と軍はなぜこの時動かなかったのか、というのはよく議論の的となる事柄である。
IRAとSASの銃撃戦(1988年8月30日)
「Ambush at Drumnakilly」として知られ、歌にもなっている有名な事件。IRAが英国軍兵(北アイルランド防衛部隊:UDR)の殺害を企て、作戦行動を行っていたところをSASに逆に待ち伏せ攻撃される。236発もの銃弾が放たれ、3名のIRA兵士は死亡。ディスカバリー・チャンネルの再現ビデオ。▼http://en.wikipedia.org/wiki/Ambush_at_Drumnakilly
IRAによるマンチェスター爆破事件(1996年6月15日)
少なくとも200名以上が負傷。IRA暫定派による犯行。3000ポンド(1400キロ)もの大きさの車爆弾(第二次大戦以来、英国本土が受けた爆撃として最大)一発でマンチェスターの中心部が吹き飛んだ事件。事前に通報が入り、警察と軍が出動して市民は避難したものの、それでも212名以上が負傷。通報(IRAはあえて自分から通報する)がなければ多くの死者が出ていたことだろう。(当時現場には7万5千人から8万人の市民がいた)IRAは殺害よりも英国経済へ打撃を狙ったという。実際、直接的な被害だけで当時のお金で6億ポンドから7億ポンド、現在の価値で9億ポンドほどの被害を出した。TVなどによる中継などもあり有名な事件でもある。▼http://en.wikipedia.org/wiki/1996_Manchester_bombing
IRAの市街地警戒活動
一般市民が当たり前のように歩いているのに驚かされる。ベルファスト北部Ardoyneの住宅街でのIRA兵のパトロールです。
IRAのライフル兵
The Irish Republican Forumより。http://www.irishrepublican.net/forum/index.php▼Real IRAなどは14歳あたりから狙撃兵の求人広告出してるみたいです。
北アイルランド・ロイヤリストの暴動:2005年ー2007年
北アイルランドのロイヤリスト・ユニオニスト(英国支持・プロテスタント側)の暴動の様子です。時期は2005年から2007年。英国支持・プロテスタント側も北アイルランド警察や英国軍と衝突する。そもそも「北アイルランドを英国から切り離すのなら、英国軍と戦争する」と言って武装組織UVFを作り、北アイルランドを英国領に残らせたほどの人たちですから。▼2005年9月の暴動の際に北アイルランド警察のヘリコプターから撮影された映像が多くあります。YouTubeより。
北アイルランドの英国軍パラシュート部隊
1972年の「血の日曜日事件」で有名になってしまった感もある北アイルランドの英国軍パラシュート部隊。彼らの任務を映した映像。英語音声。YouTubeより。
プロテスタント過激派によるIRA兵の葬儀襲撃事件(1988年)
英国SASに射殺された三人のIRA兵の葬儀の場にプロテスタント過激派UDA(ニュース音声ではUFFと言っているが当時彼が所属していたのはUDA)のMichael Stoneが手榴弾と2丁の銃で襲撃。列席しているIRA・Sinn Fein党の重鎮の殺害を図る。一般人を含む3人死亡、60人以上が負傷。実行犯Michael Stoneはプロテスタント過激派の中で英雄となり、獄中でUFFのリーダーとなる。2000年に釈放後、2006年に北アイルランド議会を銃と爆弾で襲撃、逮捕され、2008年の裁判により、13もの罪で実刑(懲役16年)となる。その罪の中にはSinn Fein党の重鎮Gerry Adamsや Martin MacGuinessの暗殺未遂も含まれていた。▼葬儀襲撃事件→http://en.wikipedia.org/wiki/Milltown_Cemetery_attack
「IRA兵士に告ぐ」(2005年) Sinn Fein党首Gerry Adamsの演説
IRA(IRA暫定派)の政治部門Sinn Fein党の党首Gerry Adamsの2005年の演説です。YouTubeから転載。映像はおそらく共和主義の人が合わせたものだと思われます。IRA暫定派は2005年に武装解除を行い、大量の武器を破棄した。しかし未だ兵力は持ち続けているといわれる。IRAに尊敬され離反されぬようにしながら、停戦合意や武装解除などのカードを切りつつ、しかしIRAの武装組織としての体裁と影響力を保ち、同時に和平プロセスにおいて大きな影響力を保ち続けさせるGerry Adamsの政治手腕は見事なものだと思う。▼2009年10月23日、IRA暫定派がダブリンで男性一人を射殺。
【2009年7月12日ー14日】北アイルランド・ベルファスト暴動
ようつべより。2009年7月12日から14日の3日間、北アイルランド・ベルファスト北部のArdoyneで暴動が発生。これは7月14日の映像。暴動は他3つの都市(Derry (Londonderry)、Armagh、Rasharkin)に飛び火、拡大した。IRA の政治部門であるSinn Fein党の党首Gery Adamsですら、この暴動は和平プロセスに反対する武闘派のReal IRAが暴動を扇動したのだ、と非難するほど。2009年の北アイルランドではReal IRAによる3月の英国兵暗殺事件から再び紛争が激化し始めている。
Real IRAの闘争継続宣言(2009年3月7日の英国兵暗殺事件後)
ようつべから。Real IRAは2009年3月7日に北アイルランドの英国軍基地(アフガニスタンに展開している英国兵との連絡所であり、英国軍のエリートが集まっていた)を襲撃し、2名の英国兵を射殺、2名の英国兵と2名の民間人に重傷を負わせた(民間人も巻き添えにしたのは緘口令を防ぐため、との説もあり)。その後、Real IRAはさらに武力闘争を継続していくと本ニュース動画では述べている。(3月の暗殺事件以前も、Real IRAは2009年1月に爆弾闘争を行おうともしていた)詳しくは「2009 Massereene Barracks shooting」でググってみてください。また、今年の7月13日に起きた暴動を扇動したとしてReal IRAは警察に非難されています。BBCニュースはこちらhttp://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/8148955.stm
デリー(ロンドンデリー)暴動 【北アイルランド】
ようつべから。北アイルランドでは7月から8月、プロテスタントは自らの勝利を祝うパレードをします。それがアイリッシュ・カトリックを様々な形で刺激するのでしばしば暴動になります。これはその一つを報じたニュース映像です。今年(2009年)は7月12日から14日にかけて3都市以上で暴動が起きました。Real IRAが扇動したと非難されていますが・・・→sm7817879
【IRA】北アイルランドの「権兵衛さんの赤ちゃんが風邪ひいた」
ようつべより。日本では「権兵衛さんの赤ちゃんが風邪ひいた」などという形で有名なメロディですが、アイルランドでは「Belfast Brigade」としてIRAの闘争の唄として知られています。アメリカなどでは「The Battle Hymn of the Republic」としても有名ですね。Wikipediaいわく、こんな感じですhttp://en.wikipedia.org/wiki/Belfast_Brigade
【アイリッシュ・バラッド】Sniper's Promise by Wolfe Tones 【Irish Rebel Song】
YouTubeから転載。Wolfe Tonesが歌う"Sniper's Promise"(狙撃手の約束)です。いわゆるIrish Rebel Songなのですが、この曲は戦いを賛美するのではなく、そこにあるいろいろな矛盾や悲劇的な悲しみを歌っています・・・歌詞は"Sniper's Promise" で検索すればすぐ見つかるはずです。_いわゆる「癒しのケルト」と言われがちなアイルランドの「素朴な」歌の底には、こういう悲しみがあるということを、たまには思い出してみるのも、悪くはないかな、と。【追記】映像はコメントで指摘されている通り、スターリングラードを使用しているようですね。
IRA幹部が語る
YouTubeより転載。IRA(IRA暫定派)幹部が語ります。政治部門のシン・フェイン党ではなくIRA幹部がこうして語る映像は、わりと貴重かと。爆破はするができるだけ死者は出さない・裏切り者には膝(男性は膝の骨、女性は骨は外す)を銃で撃ちぬく。それがIRAの流儀。____YouTubeにはIrish Republican.netというところがアップロードしたみたいですね。1992年の声明らしいです。http://www.irishrepublican.net/forum/index.phpだそうです。
UVF(北アイルランドプロテスタント過激派組織)のレクチャー
YouTubeから転載。北アイルランドプロテスタント過激派組織、UVF(Ulster Volunteer Force)の銃のレクチャーらしいです。時代などは不明です。
北アイルランド紛争
YouTubeから転載です。1972年のBloody Sundayなどから2000年代、2007年くらいまでのが「共和主義者の視点で」上手くまとめられている感じです。さすがに2009年3月のReal IRAや Continuity IRAの事件、そしてそれに続いて起きている事件などは含まれていませんが・・・