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2024年新春参詣
2024年 無事に新年を迎えれし事、慶賀至極と存じます。
しかしシーイーは喪中にて、残念この上なく。
さてこそ、
今年も元日そうそうから、いろんな神社を参拝してきました。
今年は去年に知り合った「のん」という女性が同行しております。
・京都十六社朱印めぐり
・京洛八社集印めぐり
を二人でスタコラサッサと実施してきました。
最後の最後で事故があったのですが…
中々レアな経験です。
シーイーの古都京都巡り087出雲大神宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「出雲大神宮」
です。
丹波一宮という格式 かつ 元祖の「出雲神社」。
江戸時代の庶民に流行した「出雲参り」の目的地。
ここ数年の日本史研究では
「ヤマト政権の出雲討伐の場所」
とか
「国譲りの場所」
という説が出てきている場所になり、
神社周辺には古墳がいくつかあるほどです。
最寄りの駅からのアクセスはお世辞にも「便利」とは言えないので、
公共交通でお越しの際は、
JR山陰本線や路線バスの時刻にご注意を。
シーイーの古都京都巡り086下鴨神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「加茂御祖[かも みおや]神社」
です。
下鴨神社 と言う方が馴染みがあるかと。
なんでも紀元前から鎮座との事で、
2100年の歴史がある事になります。
直近では馬場にある「ラグビー神社」が流行との事です。
シーイーの古都京都巡り085神明神社と鵺大明神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「神明神社」と「鵺[ヌエ]大明神社」
です。
鵺大明神社については、創建のプロセスが物語が主体なのと、
その物語で神明神社と密接な関係があることから、
二箇所を同時紹介としています。
平家物語にも記述がある「源頼政」は、
「ヌエ退治」をしたという伝承があり、
その伝承が元で作られているのが「鵺大明神社」です。
頼政は、坂田金時(幼名 金太郎)の主である「源頼光」の玄孫にあたり、
武に長ける一族のため、鵺退治に抜擢されたとも。
※伝承によっては、頼政自身がヌエにトドメを刺すもの、
配下が刺すバリエーションがあり、この動画では前者を採用しています。
シーイーの古都京都巡り084粟田神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「粟田神社」
です。
京都から伸びる「東海道」の玄関が「粟田口」であり、
その玄関先に相当する神社になります。
その立地から、源義経などの参拝履歴があります。
シーイーの古都京都巡り083綾戸國中神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「綾戸國中神社」
です。
奇妙な名前が第一印象と思います。
というのは・・・
「綾戸神社」と「國中[くなか]神社」が「合体!」した神社なので、
その名前となってます。
綾戸神社については、継体天皇の時代からあるので、
ざっくりで1500年の歴史となり、
國中神社は平安時代の創建らしく、戦国時代の「桂川原の戦」で壊れた為に、
近隣の綾戸神社に持ってきたそうです。
シーイーの古都京都巡り082飛鳥田神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「飛鳥田神社」
です。
横大路に鎮座なので、数回前に紹介の「横大路田中神社」からすぐだったりします。
西暦653年に創建ということで、
京都市内でもトップクラスの古さになります。
桂川の真横なので、水害被害はそれなりにあったと思われますが、
これと言った被害記録や、水害が元での修築などの情報は乏しく、
具体的な事は謎の状態です。
あとがき
紹介にあたり、極力直近の写真にしようと7/29か7/30に撮影を予定していましたが、
去る7/28に身内の不幸により黒不浄となりて参拝できなくなり、
2016年に撮影したものを使用しています。
シーイーの古都京都巡り081石井天満神社(坂出市府中天満神社)
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「石井天満神社」
です。
讃岐の国府から徒歩10分ほど。
かの菅原道真が守護職(国司)の時に、
度々訪れては、休憩したり 和歌を詠んだり・・・色々した。
その事を知った「藤原宅成」という人物が建立した神社。
目の前に国府がある事から、当動画で簡単ながら国府の説明もしています。
シーイーの古都京都巡り080徳島眉山天神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「眉山天神社」
です。
神社史では江戸後期に創建なんですが・・・
多方面の文献を読むと、戦国時代末期に創建と思われる節が見えます。
なんせ秀吉が行った「北野大茶会」に関する記録にも、
この神社に関する情報と思われるものがあるんですよ。
何よりも藩主の蜂須賀氏は、羽柴の与力(豊臣家臣団)の筆頭ですからね(笑)
シーイーの古都京都巡り079滝宮天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「滝宮天満宮」
です。
菅原道真は讃岐守(現在の県知事に相当)に任命されると、
速やかに讃岐にやってきました。
讃岐国府(現在の県庁に相当)で色々と政治を行います。
道真が寝泊まりの建物(官舎に相当)が、当地にあったそうで、
後に神社へとなったといいます。
色々と伝説が残っています。
シーイーの古都京都巡り078菱妻神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「菱妻神社」
です。
前回および直近に紹介の神川神社 久我神社 羽束師神社 と同じく
長岡京の東側と、水害対策として、向神社(現 向日神社)から勧請により建立されるも…
建都中の長岡京の都を壊滅状態にした、葛川(現 桂川)の大洪水で跡形もなくなったらしいです。
前々回の「久我神社」の名前がそのままですが、
桓武天皇・村上天皇の血統である源氏の末裔「久我氏」が周辺を治めており、
久我家が先述の神社の礎石を流用で建立したそうです。
ちなみに女優の久我美子さんは、この久我家の末裔にあたるそうです。
シーイーの古都京都巡り077神川神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「神川神社」
です。
少し前の羽束師神社、前々回の久我神社と同じく長岡京の東を鎮護する神社。
長岡京に関する文献では、新設の神社らしいです。
各文献にもこの神社は登場するので、奈良末期からあるらしいのですが、
神社史としても創建時期が不明となってます。
堺市の住吉大社から勧請だけあって、住吉さんが祀られてますが、
昨今は近隣の宅地開発が進んでおり、住宅地になってます。
2023年墨染の桜と雅楽
2023年 の桜は、関西圏では概ねピークを通過し、
平野部では「葉桜」になりました。
シーイーは毎年に「墨染の桜」を見に行きます。
色々とシバリが解除されたので、今年はイベントが再開されました。
その記録動画として、ここに残しておきます。
追伸
ここのお寺にある日蓮さんの像ですが、
いつみても、
「あいやしばらく!」とか
「ちょっと待った!」
と言ってる様に見えます。
シーイーの古都京都巡り076長洲天満神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「長洲天満神社」
です。
尼崎市に鎮座する何気ない天神さんかと思いきや、
道真さんが大宰府下向の折に立ち寄った場所であり、
近隣住民とふれあったエピソードがある箇所。
道真の没後に住民たちの手により建立された、
実は民間が頑張って建立した天神さんでもあったりします。
また尼崎在住のシーイーの親戚も、幾度か寄付をしてるといいます。
残念な事に、阪神淡路大震災や火事など、
平成時代に被害があったものの、民間の尽力により復興を続ける、
現在も民間の力で支えられている天神さんでもあり。
シーイーの古都京都巡り075久我神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「久何(久我)神社」
です。
前回の羽束師神社と同じく長岡京の東を鎮護する神社。
速い話、この付近まで長岡京の都だったんです。
大極澱からかなり離れてるし、また内裏からかなり低い位置なので、
水害でが水没したのが、丸見えだったかもしれません。
意図は不明ながら、加藤清正を祀る社殿が末社であるんです。
シーイーの古都京都巡り074羽束師神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「羽束師神社」
です。
西暦477年に創建といわれるも、ごく地方神社だったが、
長岡京遷都により都の東側を鎮護するお役目が与えられたことで、
格式が上がったといわれており、延喜式では「大社」扱いとなっており、
乙訓地区の筆頭神社となってます。
【KAITO V1&V3】静かの海【刀ミュカバー曲】
古都です。
KAITOお誕生日おめでとうって事で、カバー曲を歌っていただきました。
V1 17周年&V3 10周年おめでとう。V3は公式と一緒、V1は我が家にきてから去る1月27日で15周年でした。月日が経つのは早いね。まとめてで悪いけどそちらのお祝いも兼ねてます。
*相変わらず伴奏は完コピとか無理っす。相対音感死んでるので、コーラス部分の音程が違ってるかもしれません。
*終わり方が雑・楽器チョイス・テンポ適当、うちの子たちはおしゃべりあまり得意ではないんで、台詞部分は少し聞き苦しいかも。
*V1が鶴丸、V3が大倶利伽羅パートです。
*音圧低めです。各自調節して聴いてやってください。
*今までの作品→【mylist/5984576】
シーイーの古都京都巡り073高瀬神社(大阪府守口市)
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「高瀬神社(大阪府守口市)」
です。
奈良時代にかの行基が作った「橋」を管理する寺院として建立。
長岡京時代に桓武天皇は、実弟の供養に社殿を作ったという点から、
桓武天皇が寺院嫌いだったとも言われており、
桓武天皇の手で神社となったらしいですが、
事の真意はミステリーな施設です。
2023年新春参詣
2023年 あけましておめでとうございます。
今年も元日そうそうから、いろんな神社を参拝してきました。
戦争のない良い年になってほしいものです。
さてこそ、例の如く
・京都十六社朱印めぐり
・京洛八社集印めぐり
プラスで
・西大路七福社めぐり
をスタコラサッサと実施してきました。
また昨年に精華町さまから「京町セイカ」の公式立ち絵素材を入手したので、
試しにそれを使ってみました。
動画編集をしていると、映像のズレとかが発生し、
予定より投稿がおそくなってしまいました。
一か八かで、去年に搭載させたM2の記憶媒体の側で処理すると、
速いは、ちゃんと作れるわ…と。
それはおいといて…
ニコニコ生放送で、神社・仏閣からの中継の準備は、
なかなか進んでない状況ですが、
牛歩ながら継続して進めておきます。
※各神社の撮影は、沢山の人が参詣なので、
肖像権を踏まえての構図としており、
やむを得ず等で映り込んでいる場合、手を加えております。
シーイーの古都京都巡り072田中神社(京都市伏見区横大路)
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「田中神社(伏見区横大路)」
です。
実は神社として作られたのではなく、
天正年間の水害で流されてきた建物を、
近隣住民が神社に加工しちゃったという。
元来の建物は、平安末期の離宮のため、
内部に神殿があったかもしれないので、
一般民衆は神社と勘違いしたのかもですね。
シーイーの古都京都巡り071木嶋坐天照御魂神社(木嶋神社 / 蚕ノ社)
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「木嶋坐天照御魂神社」
です。
地元でも本名で呼ぶ人はいないそうです。
愛称の「蚕ノ社」が駅名にあるほどで、
この表記・発音が超メジャーの神社です。
※シーイーは「きじまさん」と呼んでます。
諸説ある中で、飛鳥時代創建が有力で、
推古天皇と聖徳太子関わってるようですが…
広隆寺の建立と同じ頃と云われるも、
広隆寺は聖徳太子の供養で建立説が根強いので、
判断が難しいところです。
当時は松尾大社と同じく、秦さんの領地であり、
養蚕のテクニックを広め、実践した場所でもあり、
当地で作られたシルクは上質で、朝廷への献上品の一つだったとの事。
シーイーの古都京都巡り070田中神社(京都市左京区元田中)
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「田中神社(左京区元田中)」
です。
創建時期については、神社史や各文献がばらばらなので、
どれが正しいのか全く不明になります。
北の洛外に鎮座し、比叡山から御所へ向かう道の道中でもあることから、
僧兵の一団がよく暴れた場所でもあることや、
応仁の乱で甚大な被害だった場所でもあるので、
幾度と潰れているそうですが、
鴨御祖神社(下賀茂神社)の遷宮で中古の社殿がやってくることから、
再建が定期的に行われているとい状況から、
比較的楽に再建されているし、鴨社の御紋があちこちにあります。
明治3年の「苗字制度」が発令の時は、
周辺の住民かつ氏子の方々が「田中」の姓を選んだことから、
「田中姓の発祥の神社」
とも言われております。
シーイーの古都京都巡り069車折神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「車折神社」
です。
※今回の動画は6年前に撮影した写真を使用しています。
平安末期の清原頼業という学者を祀っています。
彼が祀られるようになった切っ掛けがユニークで、
後鳥羽天皇が彼の屋敷だった所を牛車で通ったら、
急に牛車が動かなくなった、ないし、牛車が破損したので、
休憩がてら参詣したところ動くようになった…
という伝承があり、
これにより拡張されたらしいです。
現在は本殿よりも、末社の「芸能神社」の方が、とてつもなく人気で、
近くに撮影施設があることから、
ドラマのヒット祈願や、芸能人が祈願で玉垣を納めに来られます。
中には声優さんやお笑い芸人さんも。
境内のあちこちの玉垣に、色々なジャンルの芸能人の名前をみかけます。
本来は、歌舞音曲などの「芸事」の事なんですがね…
「芸能神社」という名前から、芸能人さんが来られているようです。
シーイーの古都京都巡り068梨木神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「梨木神社」
です。
幕末の人物でお好きなのは?
と聞かれたら、
坂本龍馬 や 西郷隆盛 大久保利通 伊藤博文…
などとは答えず
「三條実美さん」とシーイーは答えます。
その実美さんとその父である実万さんが祀られています。
明治時代に創建されて、実美さんは大正時代に合祀されていますので、
比較的に浅い歴史の神社です。
シーイーの古都京都巡り067満足稲荷神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「満足稲荷神社」
です。
かの豊臣秀吉が、伏見城内に稲荷神社を祀ることにし、
朝鮮出兵の開始まもなくの時であり、
最初の調子がいいタイミングで建立したので、
満足稲荷
と命名したが…創建後から戦局が酷くなった。
秀吉の没後に発生した「伏見城の戦」では、
城内に移築されいた御香宮と同様に、相当な被害があった。
復興されたのが、徳川幕府が五代綱吉になってからで、
寺院の建立に際し、鎮守社で移設によります。
近年では、2021年に屋根の修復工事が行われております。
シーイーの古都京都巡り066安井金比羅宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「安井金比羅宮」
です。
今回からレギュラーのオープニングが、
八幡さんバージョンとなり、BGMも 協奏曲「八幡」 となります。
本編は相変わらずの 組曲「天神 第二楽章」です。
金比羅宮と言いながらも、実は寺院の歴史の方が長い処で、
かの中臣鎌足が建立した「藤寺」が始まり。
鎌足の藤好みが発揮され、境内のあちこちに藤があったそうですが、
応仁の乱などで、本殿前の藤棚だけとなってしまいました。
それを見た中大兄皇子(天智天皇)は、
鎌足が藤を好んでいると察したことで、
「藤原」の姓を与えたとの説が、近年出てきました。
明治になって神社となり、
昭和期に「安井金比羅宮」として神社庁に参加より、
本格的な神社となってます。
シーイーの古都京都巡り065火除天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「火除天満宮」
です。
織田信長が上洛したことで、
京都の町は平穏となっていたし、
足利義昭が追放されたのもあって、
さらに平穏となっているときに、
大宰府から道真の像が、避難してきたことが始まり。
信長・光秀が創建に関わっています。
シーイーの古都京都巡り064御金神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「御金神社」
です。
はじめに…
日中は人がゴッタガイしている神社だったりするので、
仕事が終わったタイミングで撮影したものの…
手振れがひどくて…( ̄▽ ̄;)
息を止めて撮影して成功した写真を使ってます。
事務所から徒歩圏内の場所で助かりましたw
元々この神社は一般人のお家にあった社だったが、
近隣住民からの嘆願により一般の神社にグレードアップした処。
歴史的な見解としては、
平安時代では陶器などの生産地区で、
江戸時代になると金座・銀座(現在の造幣局に相当)があった辺りで、
そういった職人さんの町でもあった。
ために金属の神である「カナヤマヒコ」が祀る社があるのは、
容易に想像ができます。
シーイーの古都京都巡り063建仁寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「建仁寺」
です。
※今回からBGMがさらにアレンジのバージョンとなってます。
臨済宗の開祖である「栄西」が、
鎌倉幕府からの斡旋・バックアップで建立となった寺院。
創建時の元号が「建仁」だったので、そのまま名前となってます。
(延暦寺や仁和寺なども元号から来ているお寺ですね。)
方丈には栄西の掛け軸(写し)のでっかいのが掛かってます。
足利将軍家も大事にしており、
足利義満は「京都五山」の第三位に位置づけるほど。
室町末期には名だたる武将が塔頭を寄進などあり、
徳川家も「以心崇伝」に命じて保護させてます。
シーイーの古都京都巡り062祇園神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「祇園神社」
です。
明治になって改名されたのが「八坂神社」にて、
こちらの呼び方がオーソドックスですが、
登録上では「祇園社」のために、タイトルを「祇園神社」としております。
かなり前となりましたが、コラムでも紹介した
「京都五社めぐり ~四神相応の京~」
の対象神社としてはラストになります。
記紀には「祇園精舎の牛頭天王を祀る疫社」と記述があり、
桓武天皇はこの文言から「祇園社」と命名したようです。
当社が主催のお祭りが「祇園祭」なのは、言うまでもなく、
現在も疫病退散・無病息災の意図があるのは、
まさに「疫社」がベースゆえの事になります。
有名な西口の楼門をくぐると、元祖の「疫社」がすぐあって、
その裏手(奥)に本殿がある造りとなってます。
楼門から両脇に参道が別れる仕組みは、
青龍が蜷局を巻いている姿を踏まえたとも言われております。
建立の後は、天皇家・公家・武家からの崇拝があり。
各幕府も修築や寄進を行っている神社になります。
また、全国にある「祇園神社」および「八坂神社」の総本宮になります。
シーイーの古都京都巡り061今宮神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「今宮神社」
です。
船岡山からすこし北に鎮座する、
元々は「疫社」があったらしく、それを平安初期に拡張されたとの事。
応仁の乱では、西軍の本陣が目の前ゆえに。大災害となってしまうも、
復興されたのが江戸時代になってから。
徳川家光の側室「おたま」がこの辺りの出身とか、
この神社の氏子だったとか他説があり、
結果的に五代将軍の生母となって、綱吉が修築してます。
※町娘のおたまが将軍の母となった事から、「玉の輿」の語源ともある。
シーイーの古都京都巡り060京都熊野神社 衣笠分社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「京都熊野神社 衣笠分社」
です。
衣笠地区に鎮座する創建は明治維新後の近代で、
等持院と平野神社のちょうど真ん中くらいにあります。
孝明・明治・大正天皇の専属医師の福井さんが、
京都熊野神社から勧請で、自宅に建立しちゃったのがはじまり。
衣笠地区では新しい神社なので、
ついでで「衣笠」の由来も紹介しています。