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京都・四季の写真集(季節別・春夏編)
今まで撮影した京都の写真をスライドショーにしてみました。季節別と場所別に分類しています
(季節別、場所別と分けていますが写真の内容は同じものです)
今回は季節別の春・夏編になります。なお、京都市周辺の宇治や長岡京の写真も入っています。
季節別秋・冬編→sm15678048 場所別編その1→sm15678359 場所別編その2→sm15679139
京都関連動画→mylist/15106515 他HD動画→mylist/15759523 アップ一覧他→mylist/15106514 user/12128395
※9/23追記 壁紙(1920x1200サイズ)の写真をアップしました。DLはこちらからどうぞ。
http://www1.axfc.net/uploader/Mg/so/25719&key=京都壁紙
DLできない、もしくはzipが流れたらこちらから個別にDLください。
http://escassy.net/kyoto.html
奈々さん好きの私がNOëL 〜La neige〜 ノエル・ラ・ネージュ実況Part24
お母さん登場
Part25 sm5215779 マイリス mylist/9084104
新作★道化師殺人事件mylist/9765868
癒しの音 二胡のいい曲 ChenMin
中国の楽器二胡のアーティストChenMinの曲をまとめました。二胡の音色が心に染みます。2作目つくりました。”http://www.nicovideo.jp/watch/sm3769524”
追記:chenminと石井達也のコラボレーションの動画がYoutubeにありました。
これも最高です。
http://www.youtube.com/watch?v=CfSJj427f1s
西の京 古都山口 大内文化の古寺社をめぐる旅 寺社編(五社寺巡拝)
2019.8.8
山口市を自転車で回りました。山口駅~上山口~宮野~大内氏館跡~山口駅写真と少し動画も添えて編集しています
前半(古熊神社~八幡宮)
古熊神社(天神さん)=大内氏の建立した天満宮 拝殿は楼門も兼ねる山口独特のもの。
今八幡宮=大内氏により元々あった今八幡(祭神:宇治皇子一座)に朝倉八幡を合祀して創建され、楼門に拝殿の機能を持たせてある造り楼拝殿の左右翼廊は中央より一段低く作られ身分により座すところが決まっていたようですまた僧侶の読経が行われた場所のようです。管領代大内義興公の建立なので豪壮な造りです。
動画後半で以下をあげています
仁壁神社~八坂神社(築山館跡にある)~龍福寺=大内館跡にある庭。
仁壁神社は三宮と呼ばれ周防の古社である。バテてたのでさらりと拝殿で参拝だけ
八坂神社はもともと祇園社と呼ばれ牛頭天王を祀る神社だったと思いますが明治後八坂社となっています本殿は大内義興の建立で、そのまま現存。
元々は山口大神宮内にあり江戸期に堅小路の築山館跡へ移転されたもの。祇園祭の鷺舞の奉納は 600年続くそうです。往古は庶民は築地屏から舞を見物することも禁じられていたとか。
堅小路=山口の昔のメインストリートだそうです。
曹洞宗龍福寺=元は山口市内の白石にあり廃寺になっていたが毛利隆元が大内義隆の菩提寺に創建。明治後本堂などが失われ 大内氏の氏寺だった氷上山興隆寺から釈迦堂を移築して本堂とし再建されていますので大内氏全盛時代の遺構と言えます。資料館もあるようですが疲れてて未見です。
発掘された史跡の復元池泉庭園も見学してみました。 枯山水も復元されてるらしいです(後で知りましたので行っておりません)
他に参詣した 常栄寺と善生寺は庭園動画にまとめることにして掲載していません。
撮影してないんですけど偶然通ったので護国神社もいってます(広くて社殿の後ろの青空と雲と樹木がいい感じでした)常栄寺への途中にある。
また近くの墓地下に総理大臣で陸軍元帥寺内正毅墓所の看板があり(行かなかったですが)この近く 出身らしいですね陸軍墓地か何かのようです。
雪舟庭園 sm35616440
2023年新春参詣
2023年 あけましておめでとうございます。
今年も元日そうそうから、いろんな神社を参拝してきました。
戦争のない良い年になってほしいものです。
さてこそ、例の如く
・京都十六社朱印めぐり
・京洛八社集印めぐり
プラスで
・西大路七福社めぐり
をスタコラサッサと実施してきました。
また昨年に精華町さまから「京町セイカ」の公式立ち絵素材を入手したので、
試しにそれを使ってみました。
動画編集をしていると、映像のズレとかが発生し、
予定より投稿がおそくなってしまいました。
一か八かで、去年に搭載させたM2の記憶媒体の側で処理すると、
速いは、ちゃんと作れるわ…と。
それはおいといて…
ニコニコ生放送で、神社・仏閣からの中継の準備は、
なかなか進んでない状況ですが、
牛歩ながら継続して進めておきます。
※各神社の撮影は、沢山の人が参詣なので、
肖像権を踏まえての構図としており、
やむを得ず等で映り込んでいる場合、手を加えております。
シーイーの古都京都巡り022上御霊神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回から中古ながら新調したカメラでの写真で、
若干比率が異なってます。
今回はちょっと長めでの
「上御霊神社」
の紹介になります。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その6
「京都十六社朱印めぐり」の対象神社でもあります。
主祭神:
・早良親王
・吉備真備
・橘逸勢
他5柱
摂社/末社:
・福寿稲荷
ほか多数
桓武天皇は平城京からの遷都を決心しました。
遷都のプロジェクトとして、
藤原種継と実弟の早良親王をプロジェクトのトップとして、
山城国乙訓の長岡村に派遣しました。
「立地はよい」との判断により場所が決定し、
さっさと内裏の建築が始まりました。
突貫工事もあいまって、半年後には内裏の外郭と大極殿が完成。
桓武天皇はさっさと居を移して「遷都」となりました。(長岡京遷都)
そんなある日、
現場状況の確認でぶらぶらしていた種継に、
流れ矢が命中!即死してしまいました。
犯人はヤス「大伴家持」と裁定され、
事件の前に没していたことから官位剥奪、親類が悉く逮捕。
早良親王も関与との讒言があり、
実弟の早良親王を幽閉・流罪に。
早良親王は無実を訴え続け断食するも、まもなく死去。
まもなくに河川氾濫と疫病発生となり、皇后と実母が病没。
「早良親王のタタリである!」
とされて建都が中断。
現場の責任者の「和気清麻呂」は、
新天地でのやり直しを進言、桓武天皇も承諾。
建都・遷都に先立って、
早良親王に「崇道天皇」の地位を与えて神号とし、
八瀬に「崇道神社」
新都の北東(鬼門)に「上御霊神社」と「下御霊神社」を建立
これがこの神社の成り立ちです。
室町期には、畠山家の家督相続の衝突で、畠山政長が陣を置いて、
そこに畠山義就が突っ込んできて合戦に。
「上御霊神社の戦い」と呼ばれる、応仁の乱の前哨戦となりました。
そこから「応仁の乱 勃発の地」とされている神社です。
江戸末期には、
天皇家で皇女が誕生すると、胞衣が奉納される神社となりました。
こんな神社です。
シーイーの古都京都巡り039,040本願寺と真宗本廟
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「(京都)本願寺」と「真宗本廟」
です。
今回は多層建てで紹介します。
前者は「西本願寺」 後者は「東本願寺」
とガイドブックには載ってます。
戦国時代に各地で起こった「一向一揆」の最高総司令官である
本願寺の「浄土真宗本願寺派第11世宗主」光佐(顕如)は、
公家の三条家から妻を迎え、甲斐の武田信玄と義兄弟となり、
長男の光寿(教如) 三男の光昭(准如) 他を授かった。
その長男が東本願寺 三男が西本願寺の初代住職となります。
シーイーの先祖は、伊勢長島一向一揆の関係者だったとかで、
400年遡ると、密接な関係があるお寺となる為に、
説明の内容はオブラートに包んだつもりです。
2024年新春参詣
2024年 無事に新年を迎えれし事、慶賀至極と存じます。
しかしシーイーは喪中にて、残念この上なく。
さてこそ、
今年も元日そうそうから、いろんな神社を参拝してきました。
今年は去年に知り合った「のん」という女性が同行しております。
・京都十六社朱印めぐり
・京洛八社集印めぐり
を二人でスタコラサッサと実施してきました。
最後の最後で事故があったのですが…
中々レアな経験です。
シーイーの古都京都巡り041光明寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「光明寺」
です。
西山浄土宗(せいざんじょうどしゅう)の総本山。
平安末期から鎌倉初期にかけて活躍の
「法然」と「熊谷直実」が建立したお寺。
直実は平家物語にも出てくる人物です。
法然が初めて説法をした事でも有名です。
参考文献
・長岡京市史資料集成2 長岡京市の寺社
・シーイーの地元調査メモ
シーイーの古都京都巡り062祇園神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「祇園神社」
です。
明治になって改名されたのが「八坂神社」にて、
こちらの呼び方がオーソドックスですが、
登録上では「祇園社」のために、タイトルを「祇園神社」としております。
かなり前となりましたが、コラムでも紹介した
「京都五社めぐり ~四神相応の京~」
の対象神社としてはラストになります。
記紀には「祇園精舎の牛頭天王を祀る疫社」と記述があり、
桓武天皇はこの文言から「祇園社」と命名したようです。
当社が主催のお祭りが「祇園祭」なのは、言うまでもなく、
現在も疫病退散・無病息災の意図があるのは、
まさに「疫社」がベースゆえの事になります。
有名な西口の楼門をくぐると、元祖の「疫社」がすぐあって、
その裏手(奥)に本殿がある造りとなってます。
楼門から両脇に参道が別れる仕組みは、
青龍が蜷局を巻いている姿を踏まえたとも言われております。
建立の後は、天皇家・公家・武家からの崇拝があり。
各幕府も修築や寄進を行っている神社になります。
また、全国にある「祇園神社」および「八坂神社」の総本宮になります。
シーイーの古都京都巡り055教王護国寺と西寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「左大寺(教王護国寺)」と「右大寺(西寺)」
前者は「東寺」の別称が有名すぎるお寺。
です。
平安京の建都のタイミングでは、
桓武天皇は建立する気はなかったらしい。
唐から帰国した最澄が「本場の仏教」についての報告により、
奈良の都の「西大寺」と「東大寺」を規模縮小の形で、
羅城門の両サイドに五重塔だけを建立させたのが始まりとも。
度重なる災害で、双方ともに幾度と修築や再建がされるが、
最終的には、西寺は再建されずとなり、現在は「西寺跡公園」に。
東寺は各幕府が関わった事により、令和の現在にも残っています。
シーイーの古都京都巡り032蓮華王院
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「蓮華王院」
です。
正式名称だと聞きなれないかもしれません。
単独のお堂が「三十三間堂」の愛称なので、
こちらの名前の方が有名であり、
正面にもその名前の表札があります。
元々は天台宗のお寺で、
応仁の乱でも被害経験があり、
寺院史にも残る大修復が数回あります。
イタリア写真旅行記 vol.1 水の都編[ヴェネチア]
イタリア旅行で撮り溜めた写真を公開.第1回目は水の都ヴェネチアです
ちょうどカーニバルの日に訪れたので,マスクをかぶった仮装者たちがみられるはずです
([ARIA][ヴェネチア] 水の都ベネチアをウンディーネたちに案内してもらたnm3448324の再編集です.今回はヴェネチアのみなので前よりも写真数は増えています.)
vol.2 芸術の都編[フィレンツェ]:sm7736482 他のうp主の動画:mylist/9068060
シーイーの古都京都巡り083綾戸國中神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「綾戸國中神社」
です。
奇妙な名前が第一印象と思います。
というのは・・・
「綾戸神社」と「國中[くなか]神社」が「合体!」した神社なので、
その名前となってます。
綾戸神社については、継体天皇の時代からあるので、
ざっくりで1500年の歴史となり、
國中神社は平安時代の創建らしく、戦国時代の「桂川原の戦」で壊れた為に、
近隣の綾戸神社に持ってきたそうです。
シーイーの古都京都巡り084粟田神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「粟田神社」
です。
京都から伸びる「東海道」の玄関が「粟田口」であり、
その玄関先に相当する神社になります。
その立地から、源義経などの参拝履歴があります。
コラム1 京都十六社朱印めぐり
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回はシーイーのコラムです。
お題は「京都十六社朱印めぐり」
元旦から2月15日にかけて行われており、
なんと16もの神社をめぐる
一種の「スタンプラリー」です。
南東から反時計回りに
御香宮
藤森神社
新熊野神社
豊国神社
市比賣神社
粟田神社
熊野若王子神社
岡崎神社
熊野神社
御霊神社
今宮神社
わら天神(敷地神社)
春日神社
六孫王神社
吉祥院天満宮
長岡天満宮
毎年 三箇日に完了させるように
気合入れて廻っております。
マイペースでかまいません。
じっくり しっとり
各神社を堪能してください。
注意点としては、
市比賣神社
女人厄除けの神社なので、
三ヶ日は女性でゴッタガイしてます。
三ヶ日だけ河原町通り沿いの小屋で貰えます。
わら天神
妊婦さんにご利益と縁が抜群です。
戌の日だと妊婦さんが優先されます。
シーイーの古都京都巡り028新熊野神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「新熊野神社」
です。
[いまくまの]と読みます。
主祭神:
・イザナミ
摂社/末社:
・若宮社
・樟社
ほか
本家の紀伊熊野を34回も参拝した後白河天皇が、
平安京にも「熊野神社を創建したい」との勅命で、
平家が出資して本家の紀伊熊野から石材や木材を調達して
建立された神社になります。
院所となる法住寺の蓮華王院(三十三間堂)の落成式と合わせて勅祭が実施。
しかし応仁の乱で丸焼けになってほぼ廃絶。
復興されたのは江戸初期。
徳川家光の実妹で 後水尾天皇の皇后こと 「徳川和子」が
夫と兄にお願いして、ちゃっちゃと復興されたという。
なんというか・・・時の勢いとは大きなもんですな。
シーイーの古都京都巡り063建仁寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「建仁寺」
です。
※今回からBGMがさらにアレンジのバージョンとなってます。
臨済宗の開祖である「栄西」が、
鎌倉幕府からの斡旋・バックアップで建立となった寺院。
創建時の元号が「建仁」だったので、そのまま名前となってます。
(延暦寺や仁和寺なども元号から来ているお寺ですね。)
方丈には栄西の掛け軸(写し)のでっかいのが掛かってます。
足利将軍家も大事にしており、
足利義満は「京都五山」の第三位に位置づけるほど。
室町末期には名だたる武将が塔頭を寄進などあり、
徳川家も「以心崇伝」に命じて保護させてます。
シーイーの古都京都巡り085神明神社と鵺大明神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「神明神社」と「鵺[ヌエ]大明神社」
です。
鵺大明神社については、創建のプロセスが物語が主体なのと、
その物語で神明神社と密接な関係があることから、
二箇所を同時紹介としています。
平家物語にも記述がある「源頼政」は、
「ヌエ退治」をしたという伝承があり、
その伝承が元で作られているのが「鵺大明神社」です。
頼政は、坂田金時(幼名 金太郎)の主である「源頼光」の玄孫にあたり、
武に長ける一族のため、鵺退治に抜擢されたとも。
※伝承によっては、頼政自身がヌエにトドメを刺すもの、
配下が刺すバリエーションがあり、この動画では前者を採用しています。
2023年墨染の桜と雅楽
2023年 の桜は、関西圏では概ねピークを通過し、
平野部では「葉桜」になりました。
シーイーは毎年に「墨染の桜」を見に行きます。
色々とシバリが解除されたので、今年はイベントが再開されました。
その記録動画として、ここに残しておきます。
追伸
ここのお寺にある日蓮さんの像ですが、
いつみても、
「あいやしばらく!」とか
「ちょっと待った!」
と言ってる様に見えます。
シーイーの古都京都巡り086下鴨神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「加茂御祖[かも みおや]神社」
です。
下鴨神社 と言う方が馴染みがあるかと。
なんでも紀元前から鎮座との事で、
2100年の歴史がある事になります。
直近では馬場にある「ラグビー神社」が流行との事です。
シーイーの古都京都巡り034正覚寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「正覚寺」
です。
宗派 浄土宗 知恩院派
山号 成等山[せいとうざん]
開基/開山 貞誉[ていよ]
本尊 阿弥陀如来
応仁の乱で荒廃している状態の都に建立されたそうで、
時期的には「桶狭間の戦い」の前年だそうです。
豊臣政権の時代に、
知恩院と誓願寺が、どちらの所属の末寺になるか、
揉めていたそうで、
1615年に徳川家の裁定でやっと確定。(知恩院派となる。)
直後に伏見城の「朱色の城門」が下げ渡されて移築。
そこから「赤門」という愛称がある寺院になります。
シーイーの古都京都巡り023下御霊神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は前回の姉妹神社となる
「下御霊神社」
の紹介になります。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その7
主祭神:
・早良親王
・吉備内親王
・霊元天皇
他
摂社/末社:
・内宮
ほか多数
創建に至る内容は、前回の上御霊神社と同じなので割愛。
元々は現在の「今出川寺町」にあった「出雲寺」の末寺として
建立された説が有力です。
鎌倉時代に「新町出水」への引っ越しと共に神式になったようで、
現在のその地は京都府庁だったりします。
室町時代に勃発した「応仁の乱」では、
乱勃発の情報が届くとすぐに、時の神職さんが、
ご神体を持って ア~ラホ~ラサッサ の スタコラサッタ!
と現在の御室あたりへ疎開。
室町末期、秀吉の京都復興にて、
現在の場所が確保され、本殿建立の後にご神体が帰還。
江戸時代では、
御所が焼け落ちるほどの大火事「宝永の大火」と「天明の大火」があり
全社では全焼 後者では土蔵以外が焼け落ちました。
復旧の為の仮御所が二度も下賜されるという、
天皇家からとてつもない信仰がありました。
また霊元天皇は神輿も寄進しており、
霊元天皇時代の土蔵と神輿が現在に残っている神社です。
これらの社殿などは重文や国宝の指定はされてなく、
京都市の有形文化財です。
(神社が所有の「霊元天皇からの書状」が重文になってるのみ。)
シーイーの古都京都巡り013賀茂別雷神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は松尾大社に続いて「王城鎮護」の神社
「賀茂別雷神社」
の紹介になります。
通称の「上賀茂神社」の方が有名ですかね。
全国の神社に摂社や末社などにおいて、
鎮座する「加茂社」の総本宮になり、
「賀茂御祖神社」(通称 下鴨神社)とセットで
山城国一宮になります。
5月15日はメインのお祭である「葵祭」が行われます。
※2020年の葵祭は、残念ながら中止となりました。
ここもユネスコ世界文化遺産となります。
タイマーがズレてて54分ほど、
投稿が遅れちゃいました(テヘ
シーイーの古都京都巡り057,058大黒寺と金札宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「大黒寺(薩摩寺)」
と
「金札宮」
です。
※今回から本編BGMが編曲のバージョンとなりました。
いつかはフルオケにしたいものですがね…。
このお寺と神社は、公道を挟んでお向かいさんという立地なのと、
直近の歴史で関係があったので、多層建てでの紹介です。
大黒寺(薩摩寺)は、
戦国時代の猛将「島津義弘」が建立したお寺で、
すぐ西側に島津家の京屋敷(薩摩藩の屋敷)があったのもあって、
島津家の家臣団やその配下の人達を弔う意図で建立。
金札宮は、
奈良時代に創建説と、平安時代に創建説がある神社で、
室町末期に、伏見城の築城で城内に移設され、
伏見城落城の後に現在地へ移設されてます。
大黒寺の建立時期に移設されているので、
その鎮守社の意図があったかもしれません。
幕末では、
「鳥羽伏見の戦い」で、薩摩・土佐連合軍が、
大黒寺に集結し、金札宮で先勝祈願をして出陣。
明治維新の後に、西郷隆盛によって
幕末の殉死者を弔う墓碑が大黒寺に建立という歴史を持ってます。
2022年新春参詣
2022年 あけましておめでとうございます。
元日からいい天気となった京都です。
良い年であってほしいですね。
さてこそ、例の如く
・京都十六社朱印めぐり
・京洛八社集印めぐり
をスタコラサッサと実施してきました。
その記録動画としてここに投稿しておきます。
ちなみに今朝起きたら…
体が悲鳴を上げていた事は、言うまでもなし…。
ゆくゆくは、ニコニコ生放送で、神社・仏閣からの中継とかしたいものです。
その準備は時間がかかるかもですが、進めておきます。
※各神社の撮影は、沢山の人が参詣なので、
肖像権を踏まえての構図としており、
やむを得ず等で映り込んでいる場合、手を加えております。
シーイーの古都京都巡り042乙訓寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「乙訓寺」
です。
古くは推古天皇の祖父「継体天皇」が
一時だけですが都があった場所。
その地に推古天皇が聖徳太子に命じて建立したのが始まりとの事。
長岡京遷都においては、
都のどまんなかにある寺院となるので、
桓武天皇が命じて増強したそうです。
参考文献
・長岡京市史資料集成2 長岡京市の寺社
・シーイーの地元調査メモ
2021年の京都十六社朱印めぐり
2021年 新年あけまして おめでとうございます。
今年も「京都十六社朱印めぐり」が行われ、
本日につつがなく満了いたしました。
成功を寿ぎまして、動画といたしました。
世間の状況から、
各神社さんはディスタンスの対応でご苦労様でございます。
今年こそ 平穏無事な一年であることを願いたいものです。
シーイーの古都京都巡り030養源院
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「養源院」
です。
山号は「南叡山」
開山が「成伯」で戦国大名の浅井家に縁がある方で、
開基が「浅井茶々」となり、
まさに「浅井家の菩提寺」と言えるお寺です。
成伯が延暦寺の僧であったため、建立当時は天台宗のお寺でしたが、
昭和期に浄土真宗に改宗されてます。
大坂の陣の後は、徳川秀忠の正室である浅井江(徳川江/崇源院)が、
豊臣秀頼、姉の茶々および浅井家先祖の供養をすべく、
江戸幕府主体での法要が大々的に行われました。
まもなくに火事で焼失しますが、
江が秀忠に懇願して再建されました。
再建には解体された伏見城の廃材がリサイクルされて、
伏見城の戦いで戦死した、徳川方の将兵の血が多数付着しており、
主に天井板に使われている事から、「血天井」の異名があります。
この件は、
大河ドラマ「葵 ~徳川三代~」の第37回で、
秀忠と江の夫婦の会話に出てきております。
上述の通り徳川家の先祖に当たる事から、
葵の御紋の使用が許可されております。
シーイーの古都京都巡り079滝宮天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「滝宮天満宮」
です。
菅原道真は讃岐守(現在の県知事に相当)に任命されると、
速やかに讃岐にやってきました。
讃岐国府(現在の県庁に相当)で色々と政治を行います。
道真が寝泊まりの建物(官舎に相当)が、当地にあったそうで、
後に神社へとなったといいます。
色々と伝説が残っています。
初夏の北鎌倉散策
今年の6月末、鎌倉え行った時の動画です。季節外れですが暇つぶしにはなるかと思います。鶴岡八幡宮、浄智寺、東慶寺、円覚寺を周ってきましたが雨の中、思ったような画が撮れませんでした。いずれまた再度挑戦!!
シーイーの古都京都巡り012慈照寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回も前回に続き
「相国寺」の山外塔頭である」
「慈照寺」のピックアップ紹介です。
室町幕府八代将軍「足利義政」が建立するも、
観音殿(銀閣)の棟上げのタイミングで死去したので、
完成が見れてないんですよ。
京都の三大閣と呼ばれる楼閣になります。
・鹿苑寺(金閣)
・慈照寺(銀閣)
・新世界(通天閣);
・西本願寺(飛雲閣)
観音殿と東求堂が国宝になっているのと、
慈照寺の全体がユネスコ世界文化遺産となります。