タグ 広島市 が登録されている動画 : 332 件中 33 - 64 件目
種類:
- タグ
- キーワード
対象:
<広島市の神社巡り> 客人(まろうど)神社と大森八幡宮 佐伯区湯来町
広島市佐伯区湯来町の客人神社と大森八幡宮を参拝 山と渓流のある山間の集落にある鎮守。国道433号線沿いの客人神社は、宮島の厳島神社の境内社から勧請している。大森八幡は平成の初めまではの境内に大杉がそびえる社叢で有名だったらしい。
客人神社=湯来町葛原にある氏神。秋の大イチョウは紅葉スポットで有名 厳島神社の客人神社を勧請して創建。昭和になり地元の河内神社と大歳神社を合祀している。
御祭神は大穴牟遅命 他
大森八幡=社伝では用明天皇の頃、延文年間創建。宇佐八幡から勧請された。昭和末期62年と平成3年の台風で社殿や鳥居、社叢に被害を受け。拝殿、神殿等は平成の再建。
大木の杉木立はすべて倒れてしまい現在は若木が植樹された木々のある広々とした空間になっている。社殿の姿は良い。拝殿も赤瓦で絵馬が掲げられて吹き抜けになっている。社殿と背後にある阿弥陀山との景色が特徴的。巨樹好きなので社叢は見たことがないので残念である。拝殿左側面にに立てかけてある保存された板状の倒れた神木の大きさがすごいです。
手水に藻が沸いていたのが残念(^^;
同じ広島市佐伯区 観音神社(枝垂れ桜満開の頃)sm36603170
<広島市の神社巡り > 桜満開〜春闌の頃「山御所 阿刀明神社」再訪
桜の満開の山御所 阿刀明神社。
1300年頃の楽音寺神明帳 四位十一前に記載される古社。
天保八年に古い阿刀神社と宇豆八幡とが合祀された神社である。元は八幡宮と称したが明治以後旧名に復した。春は桜もあり村の鎮守として昔ながら残された御社。
天保年間氏子により植樹された鎮守の森は広島市の天然記念物指定。
広島市安佐南区沼田町阿戸地区 旧戸山村と呼ばれた所(沼田郡阿戸村と吉山が合併していた)その後伴村などと合わさり沼田町〜広島市と合併し安佐南区沼田町に。山の中にある集落であるが団地などもでき結構家が多いし古い赤瓦のすごく大きな家がある)
御祭神 主神=可美眞手命(ウマシマデノミコト) 天照大神 宗像三神 相殿=八幡神
古代には阿刀(あと)氏の居住した土地でその祖神を祀る阿刀神社がもともとあった。その後天承年間(崇徳天皇の御代)大中臣権介正房により開拓された土地ということです(八幡神を祀ったのはこの一族らしいです)
境内社=大中神社と大年社、荒木社(社伝右側の二社)
阿刀氏は物部と同じ饒速日命を祖神とする氏族集団であるそうです。可美眞手命は饒速日の子神。
再訪して戸山公民館で資料をもらい車を止め、山仲間と(マスクして(^^; )神社まで散策してきた 境内も綺麗で、多くはないが境内社叢風景と相まって桜の頃も静かに花を見るにもよいもんです。 のあとしばらくして広島県も緊急事態宣言に。
広島の地下鉄全線乗りつぶし
本通駅から県庁前駅0.3kmなのでみんなでやってみよう。
アストラムラインの車窓動画(地下)
広島そごう茶会 茶室「嵯峨野庵」 常盤会の茶席(席担当=茶道石州流)風景 2020.2
広島の茶の湯文化のサロン的な広島そごう新館9階にある茶室 嵯峨野庵。定例的に毎月、土日中心に様々な流派が釜を掛けていた。いわゆる大寄せ茶会である。茶会の流れを紹介。
表裏千家など各流、上田宗箇や石州、遠州、藪内等々の武家茶、濃茶会、煎茶の会などさまざまに誰でもふらりと訪れ楽しめる場所。最後の方の運営側の内輪のお客が多い席へ入りました。少し席中風景なども知り合いの先生にお願いして撮影させていただいた。
2月節分前日の2日は、茶人グループ常盤会茶席で担当は武家茶の茶道石州流宗家広島県支部でした。
席入り〜正客が決まると、御点前開始〜御菓子が出る〜半東が出て正客応対し解説なども〜正客から順にお菓子を頂戴し〜正客、次客までは御点前が点て、三客以降は水屋から点て出し。
補足
寿棚=天板が八角形、二本柱(四方透かし)の漆塗りの棚もののようです 風炉、炉共に使う。
上野焼=福岡県田川郡香春、福智、大任町などで焼かれる焼き物。小倉藩時代の細川忠興が朝鮮陶工を招いて始めたもの。茶人に好まれたが一時衰退。明治後再興。山岡徹(三代目徹山)=香春にある窯元(徹山窯)
多田焼=岩国吉川公の御用窯だった。元禄時代萩焼が入手できない事情ができた吉川公が京都の陶工を招き岩国の多田というところで、将軍家への献上用に茶道具や花器などを焼かせたのが始まり。寛政年間に途絶える。明治後様々復興がはかられたが、昭和になり初代田村雲渓、二代雲渓さんの雲渓窯により再興された。
高木治郎兵衛=京都三条釜座の釜師。千家十職の一つ釜師大西家で修行し安政2年(1855年)に創業。現在は6代目が製作しているそうです。
千漢鳳=韓国無形文化財の陶芸作家。聞慶窯。
前端雅峰=山中塗の塗り師。山中塗を受け継ぐ前端家九代目。今回の棗は蓋裏にミル貝の蒔絵。
高坏=たかつき。古代では素焼きの土器に足がついたもの~塗りの器に脚のついた菓子器。
しのぶ草=シダ科の植物 日本では長く鑑賞に用いられた 和名=「忍」耐え忍ぶからきたと言われる。
片桐石州=1万石あまりの大和小泉藩主片桐貞昌石見守。千道安の流れを汲む大名茶人で4代将軍家綱の茶道師範的位置にいたとされる。清水、不昧、伊佐派など様々分派している。
嵯峨野庵は広島そごう新館売却にて広島茶道界に歴史を刻み閉庵しました。
史跡 広島藩主・旧湯治場と霊泉の鎮守社 湯之山大明神と大森八幡宮 広島市佐伯区湯来町
芸州広島藩主の旧湯治場で藩の事業で建てられた湯治場。250年の歴史がある。広島市佐伯区湯来町湯の山温泉 伝承では開湯は1200年前とも言われる古い湯治場。
行程 広島市佐伯区から一路湯来(ゆき)へ向かう八幡川沿いに登り魚切ダムの側を通り山間の中を抜け・・・
湯来伏谷の大森八幡宮〜湯来温泉(休憩)〜湯の山温泉、湯治場跡、湯の山明神社へ。
江戸時代も幾度か温泉が湧出し 1749年藩主 浅野吉長公により藩の儒者が湯の山霊泉記を著す。
翌1750年藩の事業として湯治場が建設され合わせて鎮守の湯の山明神が再建された。
その後、一般庶民にも解放され効能も高く湯治場として賑わったと云う。祭祀は佐伯区の観音神社さんで行われている。
神社でいただいてきた資料みますと、岡岷山(広島藩士で絵に秀でて、城下から湯の山温泉などを経て、豊平の駒ケ滝を見に行く行程を描いた 都志見往来日記などを書いた)の文によれば、中秋に入浴、寒いので8、9人しか湯治客はなく 湯は人肌で、湯坪に入るうちに暖かくなるが、湯に入った気分にはならと書いています。
その昔は源泉にそのまま入ったようです^^; 効能はその方が良いでしょうな。
現在は、温泉水源泉は23.5度なので温泉館で加温してある。
泉質は放射能泉(ラドン温泉です)
江戸の昔からある4mの落差の岩場から落ちる名物打たせ湯は源泉で23.5度ですので冬は・・・・やはり寒いねw。夏はいいですけど。
現在は旅館や、民宿が数件あるようで湯の山温泉館が公衆浴場としてあります。
湯の山明神社は温泉館の上にあり 旧湯治場跡もあって歴史を感じます。
旧湯治場跡は、県の史跡指定されており外から見学しました。
温泉館は何度も来てるけど、湯の山大明神さんは初めて参拝。
湯の山明神へ参拝して霊泉を汲み湯の山を後にした。
湯来町には他に湯来温泉もあり、旅館や湯来ロッジ(日帰り入浴できる)などがある。施設は湯来ロッジの方が良い。風情は湯の山の方かな。広島市周辺で最安の歴史ある温泉。
西国街道を行く 海田市宿場の町並み風景と船越 岩滝神社参拝 広島県安芸郡海田町
安芸郡海田町 海田市と呼ばれた旧西国街道の古い宿場町跡。広島城下から東へ最初の宿場として、瀬野川の河口にあり、西の廿日市とともに海上輸送の基地として栄えたといいます。
古い白壁の屋敷や寺院神社が点々と残り結構雰囲気がある。
今回ルートはJR山陽本線海田市(呉線乗換駅)からまず船越へ向かい初参拝の岩滝神社へ参拝した。
桜の岩滝神社〜西へ街道跡の道を進む〜旧千葉家住宅〜熊野神社(カープ奉納絵馬)〜桜木天神〜 海田郷土館(樹齢300年の大楠と古墳跡)〜春日神社〜中野の砂走り街道松〜終点安芸中野駅まで。
車道なので結構歩きやすく散策にまた行きたいです。
千葉家=町年寄などを務めた旧家。幕府や大名などの天下送り大名送りなど文書等を取り次ぐ役目も担っていたとか。本陣がふさがるなどした場合大名等が宿泊もしたそうですな。
春日神社について補足(字幕が見えずらい為)=春日神社は当時の日浦山城主小坂氏により1223年に奈良の春日大社より勧請し創建され後に安芸国人領主・阿曽沼氏により社殿が修築された。現在の社殿は大正12年の災害の後に再建されたそうです
今回の連れの山仲間のおじちゃんは、千葉家の公開日にまた歩きにいったそうです。庭園は整備が足らずやや残念だったとか。
再編集して再うP^^
海田宿の重要文化財、名勝庭園などのある 千葉家住宅(別アカ) sm38084070
西国街道旧跡 小己斐島(旧小己斐明神)広島市西区井口明神
西国街道沿いにある 小己斐島 小さな島ですが埋め立てられた商工センター内の公園の池に残る。
古には刻印の明神と言われ 平清盛が鈴が峰山できを切り出し厳島神社建設場所へ運ぶとき刻印を打った場所とも言われている。もともと市杵島姫を祀っていたとも言われる。
西広島の己斐にある旭山神社(八幡宮)を分祠し小己斐明神と称された。子授けの子乞い明神など
とも呼ばれたらしい。
小己斐明神は参拝したんですが井口大歳神社境内に遷座して合祀されている模様。
大木のある地元の素朴な歴史のある氏神でいい感じでした。
かつては夫婦島で女明神&男明神の二つの小島があり 今は男明神島のみ残る。
両部鳥居がかつての信仰の跡を残す。
街道筋の名所の一つだった。干潮時には西国街道を行く旅人は山越えを避けこの辺りを歩いて迂回もしたという。
池は海水の池なのでボラなどがいます。
広島東照宮春季例大祭参拝と御茶席で一服 (2019コロナ禍前)
広島東照宮参拝と薄茶席で喫茶
4月14日は春の例大祭があった。
広島駅の北側 二葉山(尾長山)麓にある慶安元年創建の東照大権現家康公を祀る歴史ある神社
場所は駅から歩いて5〜6分でしょうかね。
太鼓奉納や生花展もあったので盛りだくさん。
桜が終わりで葉桜に移ろうところ新緑へまっしぐらです。
(注)片桐石州 武家茶道 石州流開祖
大和小泉藩主 江戸初期の大名茶人で4代家綱公の茶道師範と言われる。
江戸幕府で主流となる流派で多くの分派が派生している。
【西国街道行く】広島市西区己斐(西広島駅)〜古江〜草津〜西区井口駅(商工センター入口電停)
西国街道行く(1)
広島市西区己斐(西広島駅)〜西区井口駅(商工センター入口電停)まで歩きます
西広島駅駅〜別れの茶屋〜古江和風堂〜草津(鷺森神社、海蔵寺、慈光寺、小泉本店、草津八幡)
〜井口駅
広島市周辺の旧山陽道(西国街道)の一部を何回かに分けて歩いてみます。面影はわずかだと思いますが 歴史のある道ですから。
別れの茶屋はパン屋さんになっています 赤飯むすびと可愛いパンを買いました。
別れの茶屋 江戸の昔、広島城下から西へ旅する人をこの茶屋あたりまで見送り名残を惜しんだということからこの茶屋が別れの茶屋と呼ばれた。風情がある名前ですよね。
和風堂=武家茶道上田宗箇流の総本山。元浅野家の家老上田氏が家元。
鷺森神社=街道沿いに建つ。これも古い神社。昔は弁財天も祀っていたらしい。
海蔵寺や草津八幡宮は街並みや広島湾が見えて景色大変がよろしいです
海蔵寺 は中国僧が建立した禅宗の寺院。長州征伐の時の談判がここで行われるなど歴史の舞台ともなる。本堂の北側には江戸時代元禄期の池石庭園がある。
草津八幡=草津の氏神。元は海に近いところにあったらしいが、だんだん内陸へ遷座し近代以後、新たに開かれた力箭山中腹に鎮座した。
慈光寺=日蓮宗。現在の本堂は戦後再建された。海中より引き上げられた草津の妙見大菩薩も祀る。
現在は妙見堂はないが、妙見様は本堂にあると思われる。山門は古い被爆建物。
街中にはうだつのある昔の町家が点在しているそうです。
草津あたりが昔の景色というか佇まいが垣間見えていいです。
草津は三次の浅野家の領地で漁業や水産加工で栄えました。
【広島から】なつやすみワンマンドライブ②【忠海まで】
2018年の夏休み。
いつもはダラダラしてるだけなのだけど、今年は美味しいものを食べに行きました。
そんな中国地方周遊ワンマンドライブの第2回目。
諸般の事情で渋滞してた山陽道を経由して竹原市忠海まで向かう模様です。
第一回目の動画→sm33714997/次の動画→sm33728058
中国山地をウロウロしてみたマイリスト→ mylist/62168702
西日本豪雨災害 遺体は不明高校生か 祖父、ぼう然と 広島市安芸区
遺体は行方不明になっていた男子高校生とみられています。身元の確認が現在、進められています。男子高校生の自宅は崩れて跡形もありません。この地区は、砂防ダムを越えて水が押し寄せました。男子高校生は土砂崩れに巻き込まれたとみられてます。7月16日は猛暑のなか、警察や消防、自衛隊が100人態勢で捜索を行っていました。自衛隊員ががれきの中で遺体を見つけたということです。高校生の祖父も駆け付け、遺体が見つかった場所をぼう然と見つめていました。隣の安芸区矢野町では、現在も警察官ら3人の行方が分かっておらず、捜索が続けられています。16日、広島市の予想最高気温は35度となっていて、猛暑のなか捜索活動や復旧作業が続けられます。
関連
宇和島特産「みかん」大打撃sm33544250
支援物資の送り方は?ボランティア募集始まるsm33500479
広島県警「被災地デマ注意」sm33502807
ドラえもん募金sm33507877
避難所でペットに対する感染症予防sm33544187
安芸区 公営住宅無償競争率10倍超sm33544144
倉敷市内でみなし仮設住宅足りずsm33541332
東京都220戸提供sm33541299
豪雨災害で300人招集 予備自衛官について詳しくsm33539734
90歳女性川に流されたか 愛媛県鬼北町sm33539682
真備町「みなし仮設住宅」相談窓口設置sm33539650
町中災害ごみ 真備町sm33539562
西予市水道一部復旧sm33539511
ボランティア 安芸区310人が集まるも足りずsm33539404
半数以上高齢者集落への道崩落sm33531354
政府 豪雨被害特設ページsm33531585
今必要な物はブルーシートやスコップ、土嚢袋、人手sm33531272
農業被害232億円sm33530043
避難所で床上浸水sm33526781
「感染症」恐れsm33526697
真備町 罹災証明受け付けsm33526584
大洲市罹災証明書 支給開始めどたたずsm33513238
被災者公営住宅7万戸sm33513141
広島市安芸区で被災者に公営住宅無償で提供 競争率10倍超も
広島市安芸区内で用意された物件はわずか2件で、これに対して入居希望は26世帯と、競争率は13倍に上りました。
抽選に外れた人:「残念です。(空き部屋のある)中区の方は(遠くて)無理ですね。通勤もあるし」
第2希望に決まった人:「第1希望は20件くらい応募があったので、バツで第2希望が(決まった)。安心です。今後、こういう土砂災害がないように」
安芸区では異なる区にある第2希望の住宅を入れても入居先が決まった世帯は半数にとどまりました。広島市は今後、被災した人のニーズにあった住宅を増やしたいとしています。
関連
支援物資の送り方は?ボランティア募集始まるsm33500479
広島県警「被災地デマ注意」sm33502807
ドラえもん募金sm33507877
倉敷市内でみなし仮設住宅足りずsm33541332
東京都220戸提供sm33541299
豪雨災害で300人招集 予備自衛官について詳しくsm33539734
90歳女性川に流されたか 愛媛県鬼北町sm33539682
真備町「みなし仮設住宅」相談窓口設置sm33539650
被災した子供たちにコロコロ無料sm33531028
スーパー移動販売で再開sm33539633
町中災害ごみ 真備町sm33539562
西予市水道一部復旧sm33539511
ボランティア 安芸区310人が集まるも足りずsm33539404
半数以上高齢者集落への道崩落sm33531354
政府 豪雨被害特設ページsm33531585
今必要な物はブルーシートやスコップ、土嚢袋、人手sm33531272
被災地喜び 飲食店やスーパー営業再開sm33531116
農業被害232億円sm33530043
避難所で床上浸水sm33526781
「感染症」恐れsm33526697
真備町・小学校で罹災証明受け付けsm33526584
大洲市罹災証明書 支給開始めどたたずsm33513238
必要な物資「給水タンク・軍手・水」sm33509397
被災者公営住宅7万戸sm33513141
ボランティアが復旧作業 広島市安芸区では4つの地区に310人が集まるも広域被害で参加者が分散
広島市安芸区では、4つの地区で合わせて310人が災害ボランティアに参加しました。小学校では校庭や校舎の周りを覆った土砂を撤去する作業に汗を流していました。
大阪からボランティアに参加:「早く学校の生活に戻れるようにしてあげたい」
広島市災害ボランティア本部によりますと、県内の広域で被害が出ているため他の地域にボランティアが分散したとみられ、想定よりも参加者が少なかったということです。
ボランティアに参加した地元の高校生:「少しの力でも役に立てたら良いなと思います」
被災した住民:「とにかく、もう感謝、感謝。『ありがとうございます』しかない」
関連
支援物資の送り方は?ボランティア募集始まるsm33500479
広島県警「被災地デマ注意」sm33502807
ドラえもん募金sm33507877
被災した子供たちにコロコロコミックを無料で公開sm33531028
ボランティア活動本格化 広島市安芸区sm33531798
半数以上が高齢者の集落への道が崩落 孤立解消のめど立たずsm33531354
政府 豪雨被害特設ページ立ち上げsm33531585
復旧へいま必要な物はブルーシートやスコップ、土嚢袋、そして人手sm33531272
被災地に喜びの声 飲食店やスーパーが営業再開sm33531116
農業関連の被害232億円にsm33530043
避難所で床上浸水sm33526781
「みなし仮設住宅」提供へ 岡山sm33526656
作業で「感染症」の恐れもsm33526697
真備町・小学校で罹災証明受け付けsm33526584
人手不足で進まぬ片付けsm33525926
大洲市罹災証明書受付 支給開始めどたたずsm33513238
砂埃で感染症懸念 真備町sm33508657
必要な物資「給水タンク・軍手・水」sm33509397
公営住宅など7万戸確保sm33513141
交付税350億円繰り上げsm33519883
断水に手袋が活躍sm33525847
真備町被災者多い総社市の山手公民館 情報不足で動けずsm33524056
西日本豪雨から1週間 “豪雨”広域被害に暑さ追い打ち いまだ山から水も 広島市安芸区から報告
報道のカメラはどうしても犠牲者が出た場所、それから安否不明の人がいる場所に集中します。ただ、今回はそうした場所の間の地域でも非常に広い範囲で大きな被害が出ています。安芸区の矢野幼稚園では、いまだに園庭に大量の土砂が積もっていて、遊具もだいぶ土砂で隠れてしまっています。園長先生に話を聞くと、どうしても幼稚園は女性の職員で人手が足りず男の力も必要で、ボランティアが欲しいと話していました。住宅街もたくさんの土砂がうず高く積もっていて、ボランティアの数が全く足りていません。矢野小学校では一面に広がる校庭、流されてきた土砂で覆われてしまっています。一番深い所だと、1メートルも深さがあるということです。川のように見えるのは校庭を流れている山からの水です。川のようになって泥水が大量の土砂を運んできました。校庭の端の辺りで深さ1メートルというのが分かると思いますが、一番奥にある鉄棒の頭だけが見えています。大量の土砂がこの校庭全体に積もっているわけです。ボランティアが約100人来ているそうですが、人の手だけでは片付かないと先生も嘆いていました。
関連
支援物資の送り方は?ボランティア募集sm33500479
広島県警「被災地デマ注意」sm33502807
ドラえもん募金sm33507877
「みなし仮設住宅」提供 岡山sm33526656
「感染症」の恐れも 対策はsm33526697
真備町・小学校で罹災証明受け付けsm33526584
人手不足で進まぬ片付けsm33525926
大洲市罹災証明書受付 支給開始めどたたずsm33513238
砂埃感染症懸念sm33508657
必要な物資「給水タンク・軍手・水」sm33509397
公営住宅7万戸確保sm33513141
交付税350億円繰り上げsm33519883
土砂崩れで“村ごと消えた”集落孤立 sm33509894
断水に手袋が活躍sm33525847
総社市の山手公民館 情報不足で動けずsm33524056
支援物資も 「人手不足」で配りきれず 広島県呉市sm33523959
広島市と呉市を結ぶ国道31号 広島市と広島県呉市を結ぶ大動脈、待望の通行止め解除
広島市方面と呉市方面とを結ぶ国道31号は山側に有料道路、そのすぐ下にJR呉線、国道と3つの交通網が並行して走っていますが、すべてがこの土砂崩れによって寸断されてしまいました。そんななか、国道より海側にあった海水浴場の駐車場に迂回(うかい)路を造り、通行できるようになっています。片側1車線の真新しい道路がその迂回路で、自家用車や時折、トラックが通行する姿が確認できます。国道31号の通行止めは午後11時ごろ、5日ぶりに解除されました。この道路は広島市と呉市を結ぶ大動脈で、一日平均2万4000台が利用しています。今回の土砂崩れで約680メートルの区間が通行できなくなり、利用者は1時間程度で行ける広島市と呉市の間を4時間かけて迂回していたそうです。呉市方面には被害の大きかった地域、断水が続いている地域がたくさんあるため、この国道の利用再開は被災者にとっても復旧への大きな一歩となりそうです。
関連
支援物資の送り方は?ボランティア募集始まるsm33500479
広島県警「被災地デマ注意」sm33502807
必要な物資「給水タンク・軍手・水」今は不要「ペット用品・赤ちゃん用品・日持ちしない食品」sm33509397
【ドラえもん募金】sm33507877
安倍総理 被災地視察sm33513793
国交省が“安全基準の約6倍”のダム放流説明sm33513729
罹災証明書受付続くも 支給開始めどたたずsm33513238
公営住宅など7万戸確保sm33513141
土砂崩れで“村ごと消えた” 相次ぐ集落の孤立 sm33509894
「コアストーン」で土石流被害拡大sm33509308
ため池決壊おそれ避難指示sm33508759
砂埃で感染症懸念 岡山県倉敷市真備町sm33508657
避難所ではエアコンなど暑さ対策sm33508029
バックウォーター現象で被害拡大 sm33507941
「起こるべくして起こった」堤防決壊 小田川と高馬川氾濫sm33505176
マツダやパナソニック操業停止sm33502955
岩国市 日本酒「獺祭」メーカーも被害sm33501007
住宅に大量土砂 「砂防ダムあるから大丈夫」の意識も 広島市安芸区矢野東地区の土砂災害現場
今回の災害では治山ダムを乗り越えるような形でたくさんの岩、大量の土砂が流れてきて、6軒ほど家がありましたが、すべて流されました。そして今も大きな岩が転がっています。この辺りで今も7人が安否不明のままです。この住宅団地というのは、広島郊外の山を切り開いて造られました。広島では過去にも度々、こうした宅地造成地で豪雨災害が起きていたものですから、住民の人たちは沢の上にダムを造ってほしいと昔からずっと要望を出していたそうです。それが今年の2月末に完成して住民の皆さんは非常に喜んでほっとしたそうです。ただ、それがあだになってしまったのではないかと話す住民の人もいました。というのは、災害日にあの沢から岩が崩れてくる1時間ほど前には、この辺りに避難勧告が出されていました。それに気付いていた人も多かったんですが、ダムがあるから大丈夫なんじゃないかということで、家に残っていた人が多かったんです。そしてたくさんの物が流れてきました。例えば、トラックの荷台には岩の下に男性が1人挟まっていたそうです。すごく痛がっていたそうなんですが、住民が助け出したそうなんです。さらに道を大きな家が流れていったそうです。住民たちは砂防ダムがあったがゆえに、どこか安心した気持ちがあったのかと嘆いている人もいるんですが、別の住民はすべてを砂防ダムのせいにするわけにはいかない。今回は想定を超えるとんでもない自然災害が起きてしまったんではないかと話していました。
関連
支援物資の送り方は?ボランティア募集始まるsm33500479
広島県警「被災地デマ注意」sm33502807
新たに榎川が氾濫避難指示sm33503593
5歳女児犠牲自衛隊などが安否確認真備町sm33502898
自衛隊、警察、消防隊による捜索活動熊野町sm33502836
避難生活に不安の声sm33502728
肱川氾濫で濁流溢れ2階部分まで 野村高校の野球部員も片づけにsm33501047
岩国市獺越地区 日本酒「獺祭」メーカーも被害sm33501007
“水没の街”岡山県真備町 炎天下での作業続くsm33500194
真備町の洪水被害は「バックウォーター」が原因か sm33494444
NPT会議で広島の被爆女性が演説 「核なき世界」の実現訴え
スイスで開かれているNPT(核拡散防止条約)に関する会議で、広島で被爆した日本人女性が演説し、各国の政府に「核なき世界」の実現を訴えました。
児玉三智子さん:「私たちは今、岐路にいます。核兵器の廃絶なしに世界の人類の命と安全を守ることはできません」
演説した児玉さんは、広島で7歳の時に被爆した体験を話しました。そのうえで、去年、国連で採択された核兵器禁止条約に参加していない核保有国や日本政府を批判しました。また、広島市の松井市長と長崎市の田上市長も核廃絶の重要性を訴えました。NPTを巡っては、2020年に実効性を検証する再検討会議が予定されています。
日立製作所エスカレーター上り(1F~7F駐車場エリア) フジグラン緑井 広島市
エスカレーター 模型 https://amzn.to/2zIKNzf