タグ 広島市 が登録されている動画 : 334 件中 65 - 96 件目
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広電 市内を走る路面電車たち(単車編)
広電路面電車の単車を“大体(*)”集めてみました。
数年前に撮影した物もあるので、今となっては懐かしい物もあるかもしれません?
(*)800形と1000形は動画が無いためありません。ご了承ください。
2016年05月23日 つばめの旅配信 総集編 広島県 広島市
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広島のみなさーーん きましたよ! lv264108959
広島のみなさーーん きましたよ!2 lv264110543
広島のみなさーーん きましたよ!3 lv264112107
広島のみなさーーん きましたよ!4 lv264115310
2016初夏の旅 ラスト lv264128121
つばめ制作 全動画 mylist/36330456
【世界遺産】サトジュン祭りから帰る動画(その20)【赤い刺客】
2016年1月9日に東京で行われた佐藤順一監督生活30周年記念「サトジュン祭」に北九州から参戦した時の模様の動画の22本目です。イベントを満喫し、「サンライズ出雲」→木次線→芸備線→東城→神石高原町油木→福山と乗り継ぎ竹原で一泊しました。聖地巡礼を終えた後、安心アンコールワットなゲイ陽バスで広島に到着し、いよいよ最後の交通機関に乗り換えます。乗り換え時間を使って世界遺産を眺めながら電車も見物しました。あと、同じ区間をアクセラで走った場合の景色はこちら→sm25794771。前回の動画→sm28197039 次の動画→編集中/第一回目(その0)→sm28002239 サトジュン祭りを見るために北九州~東京を往復したまいりすとmylist/54587990 竹原まで自家用車で行ったまいりすと→mylist/49192120
【GAY-YOバス】サトジュン祭りから帰る動画(その19)【かぐや姫号】
2016年1月9日に東京で行われた佐藤順一監督生活30周年記念「サトジュン祭」に北九州から参戦した時の模様の動画の21本目です。笑いあり涙あり感動ありのイベントを満喫し、「サンライズ出雲」→木次線→芸備線→東城→神石高原町油木→福山と乗り継ぎ竹原で一泊しました。聖地巡礼を終えた後、安心アンコールワットなゲイ陽バスで広島へ向かいます。竹原はこれで十数回目の巡礼なので竹原画像少な目でごめんなさい…なので。あと、同じ区間をアクセラで走った場合の景色はこちら→sm25787638。前回の動画→sm28190927 次の動画→sm28208656/第一回目(その0)→sm28002239 サトジュン祭りを見るために北九州~東京を往復したまいりすとmylist/54587990 竹原まで自家用車で行ったまいりすと→mylist/49192120
牛田の神田橋界隈
広島市東区牛田界隈の1日です。神田橋の上流側にある水道橋は古くから存在していた。初代の水道橋は1897年(明治30年)4月19日着工、同年7月29日竣工[11]。市内最古の浄水場である牛田浄水場建設の際に作られた水道橋であり、元々は大日本帝国陸軍第5師団司令部や日清戦争時に広島大本営が置かれた旧日本軍の拠点・広島城へ上水を送る「広島軍用水道」の水道管だった。出典:Wikipedia間もなく完成から118年です。
京橋川.mov
広島市内を流れる「京橋川」に架かる「鉄管橋」長い役割が終わるという噂があります。ご苦労様です。こんな風に見えたらどうする?
なんだこの船かっこいい!消防艇だ!名は「ひろしま」だそうだ!
広島湾でなんか かっこいい船を見つけました。広島市消防局の消防艇で「ひろしま」だそうです。
梶毛ダムへ行ってきた《梶毛川・広島市佐伯区五日市町石内》
広島県広島市佐伯区の石内にある梶毛ダムを訪れた動画です。
車載動画としては、県道290号石内バイパスからダムへ向かっています。
●撮影日:2015/ 2/24
●BGM:watsonさん(フリーBGM・音楽素材MusMus:http://musmus.main.jp/)
◆うpリスト ダムその2:mylist/35932484/車載動画その16:mylist/49163046/車載動画以外:mylist/33852123(Dance×Mixerなど)/mylist/42492795(ゲーム系)
Funkys 第4試合2ゲーム目 (ソフトバレー北スポ交流会) 2013/03/20
Funkys 第4試合2ゲーム目 (ソフトバレー北スポ交流会) 2013/03/20
Funkys 第4試合1ゲーム目 (ソフトバレー北スポ交流会) 2013/03/20
Funkys 第4試合1ゲーム目 (ソフトバレー北スポ交流会) 2013/03/20
プルミエイル整健堂スペシャルインタビュー
整体師の大久保さんは、広島でも珍しい「メンタルケア」をとりいれながら、からだとこころを癒してくれます。いつも実際に癒されている聞き手が、その秘密を引き出します。お楽しみに!
西国街道〜広島市草津 神社巡り 「幸(こう)神社」〜「龍宮神社」 広島市西区草津
庚申信仰・猿田彦命の幸神社、漁民の守護神 龍宮神社
草津は漁業で栄えていた町でした。今は埋立で都市化された。
旧山陽道(西国街道)が通り間宿(補助的な宿場で休憩に主に使われた宿場)でもあった。
草津には=草津八幡、龍宮神社、幸神社、鷺森神社、住吉神社、幸福稲荷などがあるね。
住吉神社(以前画像が消えたんで)をまだ再撮影しとらんな・・。
滝と渓流の涼しい音「五段返の滝」 ダイジェスト版(とりあえず)広島市安佐南区沼田町
安佐南区沼田町 大谷川の大谷渓谷にある滝。
五段返し、まきおの滝、渓流のダイジェスト。
iPhoneで作成。音楽は付属のラブラリーのものを使用。
フル動画はいつになるやらへ(´-ω-`)へ
広島そごう新館9F 【嵯峨野庵 常盤会茶会記】 R4.7.3 映像編 音楽と字幕のみ
誰でも行けるお茶会シリーズ最新版。R4 7・3 広島そごう新館 嵯峨野庵に於いて。修正。
武家茶系が好きなので今回は2年ぶりにお茶席。大寄せ茶会での喫茶の流れと御道具。
前回も奇しくもそうでしたが茶人グループ常盤会茶会で茶道石州流さんの席です。
常盤会は各流派の先生が加盟する茶人グループで定期的に嵯峨野庵で釜をかけている。
今回の担当石州流は大和小泉の石州流宗家の広島県支部のようですね。
基本広島の石州流は茶を立てるお点前は伊達藩 清水道閑系の清水派(その中でも土佐清水派)ですね。
今回は席中が内輪の方の多い席ではなかったのでお点前所作の映像は無しです。
たまにお客さんが少ない空いた時間帯は席担当さんや受付の方などが茶席に入る時もありますからね。
2年前の2月の茶席模様(一部お点前など映像あり)sm36387850
茶花=半夏生、菊芋、フウロウソウ、モウズイカ、秋色紫陽花、矢筈茅
石州流について
石州流について
大和小泉に陣屋を構えるの小大名片桐石見守貞昌が創始した武家茶道の一派。
三代将軍の茶道指南的な位置にいた小堀遠州に続いて四代将軍の茶道指南的な位置にあった人物。
系統的には千道安の系譜を引き、武家風茶の湯の創始者古田織部などの茶も継承しているようです。
侘びと要素と武家の格式も残す流派。故に家元以外でも台子の点前を今も残して継承している。
広島だと呉に石州流が盛んですね。分派が多いので家元と仰ぐ先が宗家や寺院など色々。
おそらく全国の石州流(幾つもに分派してる)をまとめれば茶の流派全体で見れば最大の数があるのではと思われます。
石州宗家、怡渓派、清水派、古石州、伊佐派、不昧派、鎮信派、其角堂派・・・・。
裏方に参加され先生にいくつか補足で水屋での写真などを提供していただきました (*´ω`*)人
石州さんの前の会長さんは以前行ってた謡曲の先生のお稽古場で一緒だったのですが、
謡曲の教師の資格もありお能もされたすごい方でした。今はないんですけど・・・・・
何度か茶室なんかに遊びに行きました。
【サブチャン】広島駅東の踏切は愛宕踏切という名前だった
ご視聴ありがとうございます。
この動画は2019年10月に広島へ旅行した際の動画となります。
代表Twitter: https://twitter.com/YamaRyoh
ST023-1 駅間散歩:あき亀山駅→河戸帆待川駅 ①駅のICOCAチャージで悲劇&伊勢社に探訪
ご視聴ありがとうございます。
今回は令和元年10月18日~22日にかけて旅行した広島・呉・江田島旅行より、JR可部線のあき亀山駅~河戸帆待川駅の間を超大回りで散歩した際の様子をまとめてみました。
シリーズ中、過去動画と重複した場面がございます旨、あらかじめご了承下さい。
関連動画を以下に紹介します。
改めてみてみると改善箇所が多いので、改めて10分程度の動画にまとめたいですね…
☆彡013-16 【広島・呉旅行】「3日目」広島駅・マツダスタジアム近くの「HIROSHIMA Base HOTEL」に泊まってみた
https://youtu.be/Nw-P2mvOikA
→前日に宿泊した格安ホテル
YonTubeよんつべ #37「四日市市民が「四日市役場」に行ってみた。ただそれだけの動画」
https://youtu.be/aAqkuF1WaNw
→散歩途中に三重県四日市市民が広島市にある四日市役場へ寄った模様
YonTubeよんつべ #38「JR四日市駅とJR五日市駅を間違えてしまった」
https://youtu.be/7kc-iAdXmlk
→四日市駅と五日市駅を間違えてしまった方のために、五日市駅の付近を散歩調査してみた動画
YonTubeよんつべ #39-1「JR五日市駅からJR四日市駅まで、在来線で移動してみた」【五日市駅~姫路駅】
https://youtu.be/-E69eWXdFHs
→読んで字のごとく、五日市から四日市まで在来線で移動しているだけの動画
代表Twitter: https://twitter.com/YamaRyoh
山里 湯来町多田・大きな枝垂れ桜と山里の風景 R4.4 広島市佐伯区湯来町多田(本多田)
湯来町の県道293号の起点 湯来町多田字本多田で県道の起点 吉和の森から水内川が流れこみ リアル案山子があちこちに立つ里。
酷道488狭隘部分の入り口でもある。あまりに狭い道なのでバイパスがつけられ雲でトンネルから迂回できるようになっている。トンネルを抜けた先の写真も少しとった。
枝垂れ桜の見事な株がああったのでしばし休息して眺めて帰るった時の映像。
よんつべ37 四日市市民が「四日市役場」に行ってみた。ただそれだけの動画
※この動画は2019年11月にYouTubeチャンネルにて公開したものとなります※
ご視聴ありがとうございます。
この動画は広島旅行中の三重県四日市市民・山田が四日市役場に行った模様を淡々と撮影したものです。
過度な期待はしないで下さい。
あと、古民家カフェは土日祝日は営業していないそうなので、遠方からお越しの際はご注意下さい。
まちづくり四日市役場
広島県広島市安佐北区亀山3丁目14−20
大山地(おおやまじ)の滝 〜国道488号線沿い〜 広島市佐伯区湯来町多田
広島市佐伯区湯来町多田にある四段の滝。国道488号線沿いにあり 湯来温泉あたりから車で5分くらいの場所水内川のすぐそば。
初めてみましたがなかなかいい滝です。
すぐ近く100mくらい先の水内川にも宮ヶ瀬の滝があります国道上からから見れます。
祇園町地名の由来〜 広島市の古社「安神社」(旧 祇園社)の紅葉 広島市安佐南区祇園
境内の由緒によれば=清和天皇の御世 貞観年間に諸国に勧請された祇園社の一つだそうです神仏混淆の素盞嗚命と習合したした牛頭天王を祀る社だった。明治二年神仏分離し安神社と改称。郷社となる。
明治43年 社殿焼失大正時代の再建 神明造の社殿です。
住宅に囲まれ 社頭を県道277号線が走り、背後にJR可部線が通過する場所にある。
鳥居から遥かに銀山(かなやま)=武田山〜佐東銀山城跡(安芸武田氏の根拠地)が見える。
佐東銀山城(武田山)の麓にあったが正安元年1299年に厳島神主家に攻められ兵火で焼けたため、武田氏により現在地で再建されのだそうです。
祭礼中の戦火で御神体は御神幸中で助かったという。
(歴史等は神社の由緒書を参照しています)
何度かこの辺は通行していたが、今回2回目の参拝させていただいた。
県道277=西区横川〜安佐南区のJR古市橋駅前まで続く県道 旧国道54号で旧道と呼ばれバス通りでもあり交通量は相当多い。道は結構狭い。
御朱印は書き置きに日付を入れていただけました。
注)字幕の訂正=厳島神主家に松尾山の社殿が焼かれたのがX嘉元元年ではなく→正安元年です。その後に武田氏による再建が嘉元元年が正しいです。
神宮寺=感応院X→感神院が正しいです。 以上訂正しておきます。うろ覚えでした^^;
音楽はニコニココモンズから
のる様作
沈む秋。.*:+☆ヒーリングBGM
鎮守の森~和風&アンビエントなピアノソロ~
【天正年間創建】廣瀬大明神「廣瀬神社」〜広島市中区広瀬
廣瀬大明神「廣瀬神社」〜広島市中区広瀬
市杵島比賣命、多紀理毘比賣命、多岐都比賣命の三神を祀る。相殿に天照大神、素盞嗚命、神倭伊波禮彦命を配する。主祭神は厳島神社と同じですね。
歴史=天正年間 毛利輝元が広島城を築城し本拠を広島に移した折、菩提寺 洞春寺(現在は山口市にある)をこの地に移したという。その鎮守として祀られたのが広瀬 市杵島大明神である
広島の城下町 西部一帯の氏神とされた
享保年間広瀬大明神と社号を改めさらに明治後に広瀬神社と号し村社と定められた。
広大な境内地に巨木古木が並ぶ境内だったそうですが米軍の国際法違反の原子爆弾投下により灰燼に帰す。戦後の区画整理で境内地も狭くなり現在の社域が定まった。
現社殿は拝殿が昭和二十四年建立、本殿は昭和五十年造営だそうです
行き方 広島駅や宮島線からだと~広島電鉄の十日市電停を下車して歩道(左側)を横川方面へ向かう。寺町電停の手前、広瀬町信号の交差点を左へすぐ。
JR横川からだと広電に乗り寺町電停で降りて少しだけ歩くと同じ交差点へ着く社殿が駐車場越しに見えます。
この日は横川あたりから寺町を散策しながら行きました。
【広島の神社】別表神社「 比治山神社 」〜七月七日 七夕 参拝〜 広島市南区比治山
広島市南区にある「比治山神社」旧村社で現在=別表神社。比治山という71m程度の山の麓にある。
七夕の日、午後から梅雨の雨が止んだので参拝してきた記録。2回目の参拝。
昔に比べだいぶ境内は狭くなったようですがなかなか風情があるようでした。
社殿右側の池には水がなかった。
比治山はかつては広島湾の島であったが、戦国時代までには太田川のはこぶ土砂の堆積により陸地化していたという。
かつては山の南側にあり谷の名前から黄幡大明神と号されていた。正保三年三月現在地へ遷座した。昭和二十年米軍の国際法違反の原爆投下により社殿が壊滅し昭和二十九年再建された。
広島の市電5番 比治山下経由宇品行きの線路が社前を走る。昔はよく乗った路線。
水晶ヶ城の鎮守 旧村社 臼山八幡神社 広島市佐伯区石内(旧 佐伯郡石内村) 令和2年
臼山(うすやま)八幡神社。旧佐伯郡石内村(現広島市佐伯区石内)に鎮座する古い神社。
神社 後背の臼山132m は、水晶ケ城(すいしがじょう)跡の東翼郭にあたるらしい。麓あたりは古代山陽道。県道290号線旧道側にある。
字幕では臼山八幡宮としましたが扁額、由緒書を見直すと臼山八幡神社が正式名称のようです。ただ寄進された鳥居には宮とある。
最近参拝した中ではなかなかの場所、本殿も間近に見え境内社の新宮神社も良い姿でした。
延暦年間成立した石道村(江戸時代石内村となる)に延暦二年宇佐から八幡神が勧請された小祠が祀られ、後に水晶ヶ城の鎮守として祀られた。
現在の社殿はなかなか大きく、造りもいい。緑が多い大木が多くある境内もまたいい。昭和になり 皇紀二千六百年記念で後ろの山腹を切り開き境内拡張して社殿を現在の位置へ移し祀ったそうです。
水晶ヶ城または水晶城(すいしがじょう)=wikiや石内公民館HPの古里巡りを参照させていただいて
見るとこの辺りには石道本城と新城があったとされ川向こうのバイパス側に有井城跡がある(ほとんど残ってない)古里巡り記載に従い石道本城としました。
源平の頃 源範頼軍が影ともの道をとおり平家追討した時この城にて佐々木国正が平家方と戦ったらしい。武神として次第に信仰されていく。
戦国期には厳島神主家 藤原氏領〜大内氏支配下になり麻生右衛門が城主として赴任した時に、新たに社殿を造営したと伝わる。
城は山全体を城郭化した連郭式山城で相当規模が大きなものであった。今も城跡が残り神社などから登山も可能なようです。
尚城は厳島合戦前哨戦で開城した後、廃城とされた。
かげともの道=古代山陽道 石内あたりから五日市方面へ古代山陽道が通っていた。
永井建子(字幕訂正=けんし)=石内村出身で、陸軍軍楽隊楽長などを務めた。音楽家。軍楽、洋楽、交響曲、吹奏楽などの先駆者の一人ということです。作詞作曲も手掛けた。記念碑が建立されている。
神社の祭祀は、式内社 速谷神社が行っている模様。
広島市近郊の神社巡り「観音神社」令和2年満開の「観音しだれ」桜 第二稿 2020.4
観音神社 春にはしだれ桜が見事な神社である 観音地区(旧佐伯郡観音村だったエリア)の神社(摂社、末社も入れて二十四社)を合祀した神社である。
二十四社の中で最も古い神社は伊勢から勧請したのが延喜3年(903年)清明次判という人物が勧請したものでこの辺りでは一番古い。広島市佐伯区 観音地区(旧観音村だったエリア千同、坪井、三宅、屋代、倉重、佐方)の神社(摂社、末社も入れて)二十四社があったそうです。
明治43年に旧各村の千同=白鳥神社 坪井=苔生神社 三宅=武内神社、貴船神社 蒲神社 屋代=工宮神社の六社を合祀〜苔生神社境内に四宝神社とした祀る。
昭和34年代〜35年=四宝神社に倉重の高山神社をさらに合祀して成立した。
高山神社の社殿を現在地に移し修築〜観音神社と号したもので 幣殿、祝詞殿も新たに建立され整備がなされている。
御祭神=磐長姫命、安芸都彦命、湯津彦命、倭武命、八幡三神、大穴牟遅、宇迦乃御魂、武内禰など13柱。
境内も綺麗で、しだれ桜は見事なので花の時期がオススメです。御朱印もいただけます。
四宝神社の狛犬が置かれているが、頭頂部がえぐられているこれは杯状穴で参拝者が祈願などしたあとといわれる。
宮島街道の隅の浜〜県道41号線を岡の下川沿いに行くと一本奥の旧道沿い坪井公民館の横にある。
コロナに負けず咲いています 今年はイベントも中止で静かに咲いています
でも意外に人がいた、田舎なので混み合ってはいないが、東京なども世の中大変になっていますが人混みは避けてマスクなどして静かに花を見たいものです。この近くの造幣局の桜も今年は花の回り道中止です。外から見ると何本か咲いていました。
2020 4 6
日本庭園の名匠重森三玲の作 冬の「聚花山(しゅうかざん)の庭」記録(広島市南区本浦町)
広島市南区本浦にある「半べえ庭園」かつてこの地で果樹園を経営していた事業家の 金井半(なかば)氏が全国からツツジの苗を集め植えたことから始まる。戦後は広島遊園地と呼ばれツツジの名所であった。
昭和四十五年 古庭園の研究家重森三玲氏により聚花山(しゅうかざん)の庭が築庭されており多くの石を使い立石が庭一面に林立している様は壮観です。
現在は「半べえ庭園」として料亭、結婚式場、レストランに日帰り温泉を運営し、施設利用者は自由に 庭園を拝観できる。
現在では300種10万本のツツジがあると言われている(筆者は今回初めて行ったので花は未見です)
ツツジ山の聚花山を借景にした聚花山の庭、林泉の庭(江戸時代からある庭を改修)、水車の庭(重森完途 作)があり紅霞亭という茶室もある。温泉と併設されたレストランきすいからは輝水の庭が鑑賞できる。
レストランは予約制の本格的会席~ミニ御膳(2000円前後)、定食や単品のうどんそばなど1000円未満のリーズナブルなメニューもある。なかなか美味しいです 鯛釜飯は美味でした^^
レストランと日帰り温泉は2020年コロナ禍の中廃業。料亭は従来通りのようです。
場所は広島市南区本浦 広電バス仁保車庫行き4番で爾保姫神社入口で下車すぐ。
この辺りは、かつては仁保島と呼ばれた島であった場所。近くの丘に爾保姫神社が鎮座する。神功皇后にゆかりの神社で八幡神も勧請されている。
平成になり古い社殿が焼失し、近年新しい社殿が再建されていた。余り神さびた雰囲気はないです。車で上がれます。御朱印は大きな朱印が朱肉つけすぎで濃厚でした隣のページに色が・・・(^_^;)
2020年1月 雨上がりに訪問 記録
広島市8区別・人口ランキングの推移【1980~2020】
出典:広島市
BGM:Dear Childhood Friend
http://www.hmix.net/music/n/n46.mp3
令和元年 年末年忘れ茶会 風景 頼山陽史跡資料館内〜茶室
頼山陽史跡資料館〜茶室にて 恒例の年末年忘れ茶会(令和元年)
地元茶人グループ妙音会(濃茶の会)の方々が釜をかけられた。頼山陽の旧居の庭や茶室への路地、茶会の御道具拝見など。頼山陽の後〜そごうの新館嵯峨野庵ので開かれていた茶席(常盤会の茶席だったとお思う)へも寄りましたので拝見した棚や花、御軸などの写真も少し入れました。
毎年恒例の行事でどなたでも入れます。この頼山陽の茶室は炭火が使えるので大抵1席目は炭点前がみれます。
人がとても多いですけどね(^_^;) 席料は800円だったかな。
漢学者 詩人 日本外史の著者 頼山陽
復元された旧居のと資料館の外観紹介です。
年末に毎年開かれる御茶席で一服して見学しました。
路地の様子や茶席が終わってお道具など拝見して写真なども少し。
今回は古田織部の御茶入などがありました。
ちなみに そごう茶会(そごう新館9階にある嵯峨野庵)では土日中心に定例茶会があるので面白いです千家、武家茶、煎茶などよいろんな流派が釜をかけておられます。
そごう茶会で検索するとそごうさんのHPにスケジュールが載ってます。
お茶は詳しくないんですがですが、そごう嵯峨野庵でよく行くのは上田宗箇流とか石州流(知り合いの先生がいるので)とか武家茶系が多いかな たまに表裏千家の席も。
観光などでお近くにおよりの節は、頼山陽史跡資料館へぜひ拝観にどうぞ
街中の緑のお庭もいいですよ。
広電の本通り駅、袋町電停から歩いてすぐ。
普段は茶室公開してないけど外から庭は見れます。