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【広島県の神社巡り】安芸武田氏の佐東銀山城 北門の鎮護 宇那木神社 (Unaki Jinjya)
鎌倉末期(佐東郡の銀山かなやまじょう城築城の頃)創建の模様で、安芸守護、分国守護などであった武田氏が甲州から勧請した神社。元は宇那木八幡宮と号していたようです。
御祭神=応神天皇 仲哀天皇 神功皇后
宇那木山に鎮座しておりこの山中には数基の古墳が現存する。
佐東郡は(もともと古代は佐伯郡と呼ばれたが平安末期に佐西郡と佐東郡に分かれた)後に沼田郡となり 近代になり安佐郡などと改編された。
JR可部線の七軒茶屋駅から程ないところにあり4〜500m程度離れている。現地は駐車場あり。
安芸武田氏ゆかりの神社である。
銀山城のある現・武田山までは車で20分くらいで山麓からは登山となる。なかなか急な山であるが眼下に太田川流域から厳島を望める景色は良い。二回ほど登りました。
古墳などもあり古代から開け。
中世の太田川流域の安芸の国支配の中心地だったようですが武田氏も守護職をおわれた。
戦国期には太田川流域の分郡守護であった武田氏も衰退し大内氏や尼子氏が勢力を伸ばしやがて毛利氏が台頭してくる。わずかに残る武田氏ゆかりの場所の一つなんですね。
2019( 令和元年 )冬 参拝。
広島そごう新館9F 【嵯峨野庵 常盤会茶会記】 R4.7.3 映像編 音楽と字幕のみ
誰でも行けるお茶会シリーズ最新版。R4 7・3 広島そごう新館 嵯峨野庵に於いて。修正。
武家茶系が好きなので今回は2年ぶりにお茶席。大寄せ茶会での喫茶の流れと御道具。
前回も奇しくもそうでしたが茶人グループ常盤会茶会で茶道石州流さんの席です。
常盤会は各流派の先生が加盟する茶人グループで定期的に嵯峨野庵で釜をかけている。
今回の担当石州流は大和小泉の石州流宗家の広島県支部のようですね。
基本広島の石州流は茶を立てるお点前は伊達藩 清水道閑系の清水派(その中でも土佐清水派)ですね。
今回は席中が内輪の方の多い席ではなかったのでお点前所作の映像は無しです。
たまにお客さんが少ない空いた時間帯は席担当さんや受付の方などが茶席に入る時もありますからね。
2年前の2月の茶席模様(一部お点前など映像あり)sm36387850
茶花=半夏生、菊芋、フウロウソウ、モウズイカ、秋色紫陽花、矢筈茅
石州流について
石州流について
大和小泉に陣屋を構えるの小大名片桐石見守貞昌が創始した武家茶道の一派。
三代将軍の茶道指南的な位置にいた小堀遠州に続いて四代将軍の茶道指南的な位置にあった人物。
系統的には千道安の系譜を引き、武家風茶の湯の創始者古田織部などの茶も継承しているようです。
侘びと要素と武家の格式も残す流派。故に家元以外でも台子の点前を今も残して継承している。
広島だと呉に石州流が盛んですね。分派が多いので家元と仰ぐ先が宗家や寺院など色々。
おそらく全国の石州流(幾つもに分派してる)をまとめれば茶の流派全体で見れば最大の数があるのではと思われます。
石州宗家、怡渓派、清水派、古石州、伊佐派、不昧派、鎮信派、其角堂派・・・・。
裏方に参加され先生にいくつか補足で水屋での写真などを提供していただきました (*´ω`*)人
石州さんの前の会長さんは以前行ってた謡曲の先生のお稽古場で一緒だったのですが、
謡曲の教師の資格もありお能もされたすごい方でした。今はないんですけど・・・・・
何度か茶室なんかに遊びに行きました。
AIきりたん「広島市歌」(2代目 昭和4年)
昭和4年(1929)に作成された「広島市歌」です。
産業博覧会を記念して中国新聞社が作成し、市に寄贈したものですが、正式な制定は経ていないため、あくまで非公式市歌です。
作曲は広島県出身で、「雪の進軍」などで有名な軍楽家・永井建子です。
八衢という言葉は、同年に広島市が7自治体と合併したことを表していると思われます。
なお、非公式の広島市歌は他にも矢田部藤吉作詞のものがあります。
広島市の滝/前編「五段返しの滝」 広島市安佐南区沼田町吉山の自然散策2022
広島市の滝その1 五段返しの滝。安佐南区の中山間地域 沼田町戸山地区 戸山は吉山地区と阿戸地区からなり滝は吉山地区の浄土真宗法隆寺から山へ向かい清流の大谷川上流 林道終点あたりにある。
四本杉でも知られる東郷山の登山口でもある。
注)途中の大谷川にある滝ですが大谷川渓谷の滝というそうです。
7月13日訪問時の記録。
後編はまきのおの滝ですsm41714668
西国街道沿いの力箭山(Rikiya zan)に鎮座「 草津八幡宮 」と広島湾の島々 広島市西区草津(令和三年1月)
令和三年初参拝記録。広島市西区草津 江戸時代は西国街道の間宿(あいのしゅく)で正規の宿場の間にあり休息などに利用された。海辺の街で海運、漁業牡蠣養殖などで栄えた今は沖が埋め立てられ住宅や商工施設が立つ 戦国時代 水軍城「草津城」もあった。
神社の在る山について、神功皇后の三韓征伐の伝説でこの地で軍船を整え 弓矢(箭)の訓練をさせたと伝承され力箭山(りきやさん)と呼ばれる。
草津八幡宮の今の社殿や境内域、自体はそう古いものではない。
昭和六年に山腹を切り開き境内が新造され現在地に遷座され新たに社殿建立されたもの。
古は海の近くにあり再建のたび内陸に移っていったと言う。
高台にあり草津の町〜広島湾や島々などの景観が優れています。時々眺めに行きたくなる場所。
社殿も大変姿が良いし189段の石段も風情がある。
御朱印もいただけます。
宮嶋口や旧市内からチンチン電車で行き 草津駅で降りて散策も楽しいですよ。
草津沖周辺は埋め立てられ近代化されているが、古い街並みや神社仏閣、うだつやコテ絵などのある古民家や蔵なども今だ点在している。歴史散策も楽しい。御幸川の河口あたりに飲食店スーパー専門店などが入るレクトがある。洒落ているので休息などに良い。
蝋梅やひと足ごとの祈りかな
西国街道を進んだ宮内にある 宮内天王社sm37969384
西にある厳島神社外宮 地御前神社 sm37384152
上平良にある延喜式内社名神大社 速谷神社 sm35298947
晩秋の「臼山八幡神社」(1) 紅葉はじめの石鳥居 周辺風景切り取り 高画質版
臼山八幡宮 広島市佐伯区石内地区の神社で、背後の山は厳島神主家や大内氏の支配した大規模な山城跡 水晶ケ城跡。けいだいに蜜蜂さんが飛んでました。紅葉以外は黄色く黄葉してたりしましたね。
鳥居の辺りの紅葉など。
神社境内参拝はその2で。
【広島市の神社巡り】山間の緑の田園に鎮座する「大歳神社」 広島市佐伯区湯来町下 松原
広島の山間部 佐伯区湯来町。国道434号線の沿道。水内川沿いの田園地帯に鎮座する農耕神の神社。R4年5月31日参拝
周囲は田植えされたばかりの田園が広がり緑が目に染みる季節。
小さな鎮守の森と社殿が緑の風景の中に浮かんでいる。
由緒は不明。地図で見ると松原と記載された地域のようです。石碑には松原神社とある。
神社庁の佐伯区の項も記載はなかった。
地図で見ると大歳神社の数がこの地域周辺に大変多い。近くの麦谷や太田川まで出た飛地の湯来町下の(水内駅跡付近)大歳神社、安芸太田にも多い。
つづき 太田川左岸側の大歳神社sm41791996
霊泉 湯の山温泉 鎮守社 湯之山明神社 広島県広島市佐伯区湯来町 高画質版
湯の山温泉は浅野藩時代に開かれた温泉場であるが歴史はそれ以前に遡る様です。
浅野公が整備した湯治場跡が今も残る。石を掘った湯壺があり昔はそれがそのままつかわれていたらしい。源泉は湯治場跡から涌出している様です。
その霊泉〜湯ノ山温泉の効能の高さから崇められ鎮守の神を祀り湯の山大明神と号した。
今も湯山明神社として残る。
所謂冷鉱泉で25度くらいの源泉である。昔はそのまま入ったり打たせ湯にあたったりしたらしい。
浅野藩士で絵師の記載した文章では「夏の終わりはいるがほの暖かい程度で湯に入った気がしないが次第に暖かくなってきた云々。
現在は加温してある。日帰り用の温泉館が麓にできており格安である。
この参拝の時 危険な大きな蜂に関わるトラブルに見舞われ散々な目にあうが、ゾッとします(映っつてるけど ここには載せてはいませんが)自戒を込めて自然には気をつけたいものです。ある意味脅威ですから。ここも当分行かないと思いますw。ここの神社下の旧湯治場周辺は冬までしばらく注意が必要です。山だからこのへんは。
なお温泉施設は関係ないので一切問題はありませんご安心を入浴へいきましょう。僕は当分この辺にはにいかないと思います 好きなんだけどねえ。
神社した湯治場跡での出来事です。温暖化ですが冬になれば問題ないかな。
【一日遅れの広島原爆の日】ところで『グラウンド・ゼロ』はどこなの?ドームから離れた病院の近くだった
賢い人は気づいているはず、原爆ドーム付近じゃないんですよ。
ちょっと離れた病院の近くだったりします。
水晶ケ城跡の麓 「臼山八幡神社」Usuayama Hachiman (自然豊かな境内と紅葉の始まり) 広島市佐伯区石内
平安末期に始まり戦国時代厳島合戦の前まで 水晶ヶ城という大規模な山城があり厳島神主家藤原氏や大内氏の支配下にあったが厳島合戦前に毛利軍により落城後に廃城となった。城砦が大規模すぎて守るのに難しい故とも云われる。
旧社格は村社。八幡神を祀る。境内社=稲荷神社と新宮神社がある。
11月 終盤 紅葉が徐々に始まり出す頃。一部色付いていた。境内の木々の映像が多いですが。きれいに撮れた感じがします。境内は結構広いです。石段したの紅葉の古木のある石鳥居のところは駐車スペースになっています。また社殿右手の境内隅に永井建子(字幕訂正=けんし)記念碑が建つ。明治の軍楽隊から始まり幅広く活躍。作曲(元寇、雪の進軍など)なども行い明治の西洋音楽の先駆者の一人。あと・・・神社参拝は5分以降からです^^; 記録用なんで映像長いです、適当に飛ばしてください。
〜境内 由緒書より〜
延暦二年宇佐八幡より勧請された小祠が祀られ、後に築城された水晶ヶ城の鎮守として祀られた。
現 社殿はなかなか大きくどっしりしている。境内は大木が多くある。昭和になり皇紀二千六百年記念にて山腹を切り開き境内拡張して社殿を現在の位置へ移し祀った。
歴史
水晶ヶ城または水晶城(すいしがじょう)=wikiや石内公民館HPの古里巡りを参照。
この辺りには石道本城と新城があったとされ川向こうのバイパス側に有井城跡がある(ほとんど残ってない)古里巡り記載に従い有井城=石道本城としました。
源平の頃 源範頼軍が影ともの道をとおり平家追討した時この城にて佐々木国正が平家方と戦ったらしい。武神として次第に信仰されていく。城は次第に拡張されていったのであろう。
戦国期には厳島神主家 藤原氏領〜大内氏支配下になり麻生右衛門が城主として赴任した時に、新たに社殿を造営したと伝わる。
城は山全体を城郭化した連郭式山城で相当規模が大きなものであった。今も山中に城跡があ
る 令和2年11月
旧祇園社 安神社 初冬の紅葉風景 広島市安佐南区祇園
安佐南区祇園にある安神社です。昔は祇園信仰の祇園社でした。佐東銀山城の安芸武田氏の勢力圏にあり尊崇されていたようです。
祇園坊の柿の色がよかった。
祇園坊=広島名産の渋柿で大きくて、渋抜きしたり干し柿にして食べるようです。ここ安神社こと祇園社が名前の由来だとか。
左の丸はiPhoneの画面上のホームボタン^^; 写真ソフトのムービーをキャプったもんで。
AIきりたん「広島市歌」(初代)
明治45年(1912)に民間で制作された非公式の自治体歌「広島市歌」です。
広島市在住の歯科医・矢田部藤吉が発表した詞に、学習院の教官だった納所弁次郎が曲をつけたもので、「軍都広島」の時代の雰囲気がよく分かります。
東書文庫に所蔵されている楽譜は他の貴重書とともに重要文化財に指定されており、先日、広島市のサイトで画像が公開されました。
広告御礼
870300コロニー様 ありがとうございます。
広島市 長尾天満宮!
広島市にある長尾天満宮に行って来ました!
神社巡り→series/251647
武将のお墓参り→series/238035
偉人に会いに行く→series/210538
歴史探訪など巡り→series/256690
うま娘プリティーダービーseries/262381
とある日常→series/228088
フリーBGM・音楽素材 H/MIX GALLERY
http://www.hmix.net
牛田の神田橋界隈
広島市東区牛田界隈の1日です。神田橋の上流側にある水道橋は古くから存在していた。初代の水道橋は1897年(明治30年)4月19日着工、同年7月29日竣工[11]。市内最古の浄水場である牛田浄水場建設の際に作られた水道橋であり、元々は大日本帝国陸軍第5師団司令部や日清戦争時に広島大本営が置かれた旧日本軍の拠点・広島城へ上水を送る「広島軍用水道」の水道管だった。出典:Wikipedia間もなく完成から118年です。
広島市の寺院【三滝観音】龍泉山「三滝寺」(1)本堂までの参道、鐘堂、龍神堂他 広島市西区三滝山
広島市西区三滝山にある真言宗の古刹。江戸時代から三滝観音として信仰され親しまれてきた。
風光明媚な渓流や滝のある境内は夏の避暑や秋の紅葉などもある。「中国観音霊場」「廣島新四國88ヶ所霊場」の札所でもあり参詣者が後をたたない。
*お詫び= 龍神社は龍神堂が正しいです訂正いたします。昔から御寺では祀られていたそうです。
久々の(以前登山の時だから五年ぶり?)散策時に綺麗なので写真沢山撮りましたので活用してみました。秋の午後で曇り加減だった。寺の裏山は宗箇山と言われ 上田宗箇が縮景園から借景として大きな松を山頂に植えた故事からその山名がついた山。
(1)参道入り口あたり〜鐘堂〜龍神堂〜六角堂〜本堂 直下の磨崖仏までです(途中にある茶堂、庭園と十六羅漢像他は下山時に観ます)こちらは見どころが多いので三回くらいに分割。
その2=sm39664828
大同四年(809年)空海の開基とも言われる古刹で江戸時代後期に入山した明禅僧正により六十年の期間にわたり再興されたという。
その後鞍馬寺で修行された四廣四鬼神和尚により復興が継承されたという。弥山の寺にて住職も兼ねていたので、宮島の弥山に祀られていた三鬼大権現(追帳鬼神、時眉鬼神、魔羅鬼神からなる弥山 山岳信仰の守護神)の三鬼神権現堂が勧請され建立されている。
現在の場所にある弥山の三鬼権現堂(御堂は江戸期までは現在の御山神社のある岩盤の上にあったようです)建立したのもこの和尚だということです。
原爆の被害を受けおり当時の建物で現存するのは 鎮守社、三鬼権現堂、稲荷社、鐘堂、想親観音堂。
本堂は原爆と風水害の被害を受けたため昭和四十九年に古い日本の様式で総檜、寄棟、瓦葺にて再建。
音楽 のる様作(ニコニコモンズ)忘却の都~ノスタルジックなBGM~ あとは沢音。
事歴に関しての歴史事項は、広島市西区役所作成配布の三滝散策マップ境内、参道周辺地図の記事を参照しています。https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/nishiku/226361.html(ここで地図が見れます)お近くの方は気が向かれたら是非参詣ください。
【連接路面電車】市街地と世界遺産を結ぶ広島電鉄宮島線。広島ゆかりの土地や食べ物も、途中下車で堪能します!
そういえば宮島って日本三景だったわ。三景訪問完遂に後から気づいた。
VOICEPEAK:東北ずん子 VOICEPEAK:ずんだもん
【BGM・SE】
・BGMer https://bgmer.net
・Otologic https://otologic.jp
・効果音ラボ https://soundeffect-lab.info
・DOVA-SYNDROME https://dova-s.jp/
・Reo様 https://www.youtube.com/@ReoMusicCH
・ChiD様 https://www.youtube.com/@chid6848
・Oxsea様 https://www.youtube.com/@oxsea
【参考資料】
『広島の路面電車65年』,広島電鉄,1977.10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12060779
横田好明「路面電車からLRTシステムに向けた広島電鉄の取り組み」『IATSS review』34(2),国際交通安全学会. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/8218200
広島電鉄株式会社「企業・IR情報 広電の歴史」
https://www.hiroden.co.jp/company/outline/history01.html
「ひろでん会館跡地暫定活用の概要決定について」
https://www.hiroden.co.jp/topics/2019/1120-koiplace.html
「広電宮島口駅および軌道を移設し、7月2日(土)14時頃より新駅を供用開始します」
https://www.hiroden.co.jp/topics/2022/0602-miyajimaguchi.html
「COMPANY PROFILE 2021」
https://www.hiroden.co.jp/company/outline/pdf/company-profile.pdf
「宮島線運賃表」
https://www.hiroden.co.jp/train/use/pdf/miyajima-fare.pdf
宮島藤い屋HP
http://www.fujiiya.co.jp/iroha.html