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AIきりたん「広島市歌」(2代目 昭和4年)
昭和4年(1929)に作成された「広島市歌」です。
産業博覧会を記念して中国新聞社が作成し、市に寄贈したものですが、正式な制定は経ていないため、あくまで非公式市歌です。
作曲は広島県出身で、「雪の進軍」などで有名な軍楽家・永井建子です。
八衢という言葉は、同年に広島市が7自治体と合併したことを表していると思われます。
なお、非公式の広島市歌は他にも矢田部藤吉作詞のものがあります。
【広島市の神社巡り】山間の緑の田園に鎮座する「大歳神社」 広島市佐伯区湯来町下 松原
広島の山間部 佐伯区湯来町。国道434号線の沿道。水内川沿いの田園地帯に鎮座する農耕神の神社。R4年5月31日参拝
周囲は田植えされたばかりの田園が広がり緑が目に染みる季節。
小さな鎮守の森と社殿が緑の風景の中に浮かんでいる。
由緒は不明。地図で見ると松原と記載された地域のようです。石碑には松原神社とある。
神社庁の佐伯区の項も記載はなかった。
地図で見ると大歳神社の数がこの地域周辺に大変多い。近くの麦谷や太田川まで出た飛地の湯来町下の(水内駅跡付近)大歳神社、安芸太田にも多い。
つづき 太田川左岸側の大歳神社sm41791996
西国街道沿いの力箭山(Rikiya zan)に鎮座「 草津八幡宮 」と広島湾の島々 広島市西区草津(令和三年1月)
令和三年初参拝記録。広島市西区草津 江戸時代は西国街道の間宿(あいのしゅく)で正規の宿場の間にあり休息などに利用された。海辺の街で海運、漁業牡蠣養殖などで栄えた今は沖が埋め立てられ住宅や商工施設が立つ 戦国時代 水軍城「草津城」もあった。
神社の在る山について、神功皇后の三韓征伐の伝説でこの地で軍船を整え 弓矢(箭)の訓練をさせたと伝承され力箭山(りきやさん)と呼ばれる。
草津八幡宮の今の社殿や境内域、自体はそう古いものではない。
昭和六年に山腹を切り開き境内が新造され現在地に遷座され新たに社殿建立されたもの。
古は海の近くにあり再建のたび内陸に移っていったと言う。
高台にあり草津の町〜広島湾や島々などの景観が優れています。時々眺めに行きたくなる場所。
社殿も大変姿が良いし189段の石段も風情がある。
御朱印もいただけます。
宮嶋口や旧市内からチンチン電車で行き 草津駅で降りて散策も楽しいですよ。
草津沖周辺は埋め立てられ近代化されているが、古い街並みや神社仏閣、うだつやコテ絵などのある古民家や蔵なども今だ点在している。歴史散策も楽しい。御幸川の河口あたりに飲食店スーパー専門店などが入るレクトがある。洒落ているので休息などに良い。
蝋梅やひと足ごとの祈りかな
西国街道を進んだ宮内にある 宮内天王社sm37969384
西にある厳島神社外宮 地御前神社 sm37384152
上平良にある延喜式内社名神大社 速谷神社 sm35298947
晩秋の「臼山八幡神社」(1) 紅葉はじめの石鳥居 周辺風景切り取り 高画質版
臼山八幡宮 広島市佐伯区石内地区の神社で、背後の山は厳島神主家や大内氏の支配した大規模な山城跡 水晶ケ城跡。けいだいに蜜蜂さんが飛んでました。紅葉以外は黄色く黄葉してたりしましたね。
鳥居の辺りの紅葉など。
神社境内参拝はその2で。
広島市の滝/前編「五段返しの滝」 広島市安佐南区沼田町吉山の自然散策2022
広島市の滝その1 五段返しの滝。安佐南区の中山間地域 沼田町戸山地区 戸山は吉山地区と阿戸地区からなり滝は吉山地区の浄土真宗法隆寺から山へ向かい清流の大谷川上流 林道終点あたりにある。
四本杉でも知られる東郷山の登山口でもある。
注)途中の大谷川にある滝ですが大谷川渓谷の滝というそうです。
7月13日訪問時の記録。
後編はまきのおの滝ですsm41714668
広島そごう新館9F 【嵯峨野庵 常盤会茶会記】 R4.7.3 映像編 音楽と字幕のみ
誰でも行けるお茶会シリーズ最新版。R4 7・3 広島そごう新館 嵯峨野庵に於いて。修正。
武家茶系が好きなので今回は2年ぶりにお茶席。大寄せ茶会での喫茶の流れと御道具。
前回も奇しくもそうでしたが茶人グループ常盤会茶会で茶道石州流さんの席です。
常盤会は各流派の先生が加盟する茶人グループで定期的に嵯峨野庵で釜をかけている。
今回の担当石州流は大和小泉の石州流宗家の広島県支部のようですね。
基本広島の石州流は茶を立てるお点前は伊達藩 清水道閑系の清水派(その中でも土佐清水派)ですね。
今回は席中が内輪の方の多い席ではなかったのでお点前所作の映像は無しです。
たまにお客さんが少ない空いた時間帯は席担当さんや受付の方などが茶席に入る時もありますからね。
2年前の2月の茶席模様(一部お点前など映像あり)sm36387850
茶花=半夏生、菊芋、フウロウソウ、モウズイカ、秋色紫陽花、矢筈茅
石州流について
石州流について
大和小泉に陣屋を構えるの小大名片桐石見守貞昌が創始した武家茶道の一派。
三代将軍の茶道指南的な位置にいた小堀遠州に続いて四代将軍の茶道指南的な位置にあった人物。
系統的には千道安の系譜を引き、武家風茶の湯の創始者古田織部などの茶も継承しているようです。
侘びと要素と武家の格式も残す流派。故に家元以外でも台子の点前を今も残して継承している。
広島だと呉に石州流が盛んですね。分派が多いので家元と仰ぐ先が宗家や寺院など色々。
おそらく全国の石州流(幾つもに分派してる)をまとめれば茶の流派全体で見れば最大の数があるのではと思われます。
石州宗家、怡渓派、清水派、古石州、伊佐派、不昧派、鎮信派、其角堂派・・・・。
裏方に参加され先生にいくつか補足で水屋での写真などを提供していただきました (*´ω`*)人
石州さんの前の会長さんは以前行ってた謡曲の先生のお稽古場で一緒だったのですが、
謡曲の教師の資格もありお能もされたすごい方でした。今はないんですけど・・・・・
何度か茶室なんかに遊びに行きました。
水晶ケ城跡の麓 「臼山八幡神社」補遺〜 Usuayama Hachiman (師走 紅葉最盛期記録) 広島市佐伯区石内
令和二年12月 もみじの紅葉が盛りになったと思われた頃訪れた。
やや曇り気味でしたがだいぶ色付きが進んでおりまあまあ雰囲気は出てるかなと。宮島辺りは混雑しているというので避けてこちらへ再訪した。この辺りは古代山陽道でもある。
平安末期に始まり戦国時代厳島合戦の前まで 水晶ヶ城という大規模な山城があり厳島神主家藤原氏や大内氏の支配下にあったが厳島合戦前に毛利軍により落城後に廃城となった。城砦が大規模すぎて守るのに難しい故とも云われる。
旧社格は村社。八幡神を祀る。境内社=稲荷神社と新宮神社がある。
境内は結構広いです。石段したのもみじの古木のある石鳥居のところは駐車スペースになっています.。また社殿右手の境内隅に永井建子(けんし)の記念碑が建つ。
〜境内 由緒書より〜
延暦二年宇佐八幡より勧請された小祠が祀られ、後に築城された水晶ヶ城の鎮守として祀られた。現社殿はなかなか大きく造りどっしりしている。境内は大木が多くある境。昭和になり 皇紀二千六百年記念にて山腹を切り開き境内拡張して社殿を現在の位置へ移し祀った。
その1(紅葉はじめ頃〜社殿及び境内 動画 sm38073703
令和2年12月
【広島県の神社巡り】安芸武田氏の佐東銀山城 北門の鎮護 宇那木神社 (Unaki Jinjya)
鎌倉末期(佐東郡の銀山かなやまじょう城築城の頃)創建の模様で、安芸守護、分国守護などであった武田氏が甲州から勧請した神社。元は宇那木八幡宮と号していたようです。
御祭神=応神天皇 仲哀天皇 神功皇后
宇那木山に鎮座しておりこの山中には数基の古墳が現存する。
佐東郡は(もともと古代は佐伯郡と呼ばれたが平安末期に佐西郡と佐東郡に分かれた)後に沼田郡となり 近代になり安佐郡などと改編された。
JR可部線の七軒茶屋駅から程ないところにあり4〜500m程度離れている。現地は駐車場あり。
安芸武田氏ゆかりの神社である。
銀山城のある現・武田山までは車で20分くらいで山麓からは登山となる。なかなか急な山であるが眼下に太田川流域から厳島を望める景色は良い。二回ほど登りました。
古墳などもあり古代から開け。
中世の太田川流域の安芸の国支配の中心地だったようですが武田氏も守護職をおわれた。
戦国期には太田川流域の分郡守護であった武田氏も衰退し大内氏や尼子氏が勢力を伸ばしやがて毛利氏が台頭してくる。わずかに残る武田氏ゆかりの場所の一つなんですね。
2019( 令和元年 )冬 参拝。
久遠山 海蔵寺と江戸時代の作庭〜石組(いわぐみ)池泉庭園 【禅宗寺院庭園】 広島市西区草津
広島市西区草津 曹洞宗 久遠山 海蔵寺と石組庭園(池泉庭園)
米帝の原爆投下で焼けたため広島市内の古庭園はほとんどない。
江戸期庭園の遺構が残るのは=貴重なものであります。今回で3回目訪問。
本堂=天保年間建立で江戸期の寺の本堂建築を今に残す。被曝建物でもあります。
旧市内は古い寺社はほとんど焼けているため残るものが大変少ない。
本堂は方丈の形式だが通常より大きな作りになっているそうです。
西区草津
草津の旧西国街道沿いにある寺社である。周囲には草津八幡(近代に遷座している)、鷺森神社や古い蔵元、寺社、コテ絵を観れる古民家なども点在するエリア。漁師町でしたが今は都市化され埋め立てが進んでいる。現在の牡蠣養殖を盛んにしたのも草津かららしいですね。
石組庭園=元禄時代に築庭された寺院庭園。本堂北側の斜面にあり。
本堂(方丈)書院から見る形式かな。岩が多用されていて三角形に近い池がある。石組は池の護岸から池上部にかけて重厚に組まれている。
西側(向かって左)には滝石組があり落水されていた(今もわずかにあるそうですが、枯れたりもしてるみたい)この時は枯滝のようでした。
滝石の横(左)にも横石を用いた石組が築山から下の方へ組まれている。滝石と横石の石組のあたりの築山はちょうど谷のような形状になっている。庭園ガイドさんのHPを拝見すると以前の写真からしたら山からの土砂が石の間に増えていますね。
夏なので草が茂っています。
海蔵寺サイト、海蔵寺さんの御由緒書、庭園ガイド(庭の紹介HP) サイト海蔵寺の項参照しました。
音楽
ニコニ・コモンズ のる様作
春は歌う。.*:+☆軽やか&華やかなピアノソロBGM
静寂の庭。.*:+☆しっとり和風なピアノソロBGM
忘却の都~ノスタルジックなBGM~
広島県の小瀬川温泉〜湯来ロッジの満開の桜めぐり 2022
本多田、美和に続いて、令和四年のお花見がてら見て歩いた記録 廿日市と湯来町
国道186号沿線 広島山口県境の川〜小瀬川沿いの小さな温泉の桜
この時期は人出が多い・・。うどん屋さんの丸忠さんがやってるのでおうどんが美味しい。
名水や温泉水(ラドン水)も汲める。
ここは鉱泉の源泉のやや上の巨岩を神体に小瀬川神社も建立しておられますなかなかすごい岩です。
雰囲気があります。
湯来ロッジの桜
広島市佐伯区湯来町多田 湯来温泉にある国民宿舎 掛け流し
夏は蛍、春は桜がいいですね。
この日は他に神原の枝垂れ桜巨樹へも行きました。
広島市の滝/後編「まきのおの滝」 広島市安佐南区沼田町 吉山の自然散策2022
広島市の滝その2 五段返しの滝周辺補遺とまきのおの滝と林道脇の小さな滝
夏の草花オカトラノオ。
安佐南区の中山間地域 沼田町戸山地区 戸山は吉山地区と阿戸地区からなり滝は吉山地区の浄土真宗法隆寺から山へ向かい清流の大谷川上流 林道終点あたりにある。
四本杉でも知られる東郷山の登山口でもある。
7月13日訪問時の記録。
前編は五段返しの滝です。sm41697758
旧浅野家 庭園 国名勝「縮景園」 その1 園内へ灌花井戸、清風館外観、大蘇鉄(明治100年記念)周辺まで。
縮景園(しゅっけいえん)=元和2年(1620年)浅野藩主 浅野長晟により造られた別邸の大名庭園。
築庭者は、武家茶道上田宗箇(そうこ)流の流祖で浅野家家老で茶人上田宗箇その人。
回遊式池泉庭園である。
その名は西湖を模したともいくつもの名勝を縮めて表現したためともいわれる。
また林羅山が浅野公の求めに応じて書いた詩文の冒頭句から名付けられたとも言われる。
元々は江戸時代以来正式には泉邸と言われていた。戦後、縮景園が正式名称となる。
築庭後、幾度か改修や拡張がなされ現在の形となる。天明年間に庭師として知られた京都の清水七衛門(加計の吉水園なども改修している)による大改修でほぼ今の原型が定まったと言われる。
そのほか文政期に行われたらしい。他に寛政年間に1度、文化年間に2度の改修が行われたようです。
1940年昭和15年に浅野家から広島県へ寄贈された。
清風館=書院風な数奇屋造りの平家建て柿葺の建物。戦後再建された。よく茶会で使われるので何度も見学しています。中でお茶を飲むといいですよぉ。上田宗箇流 武将の茶らしくて所作がかっこいいからね。今年は茶会あるらしい。
大蘇鉄=樹齢300年くらいらしいです。上田宗箇流家元の寄贈で明治100年記念に植樹されたもののようです。よくニュースなんかに出ますね春の菰(こも)はずしとか。
京橋川沿いに位置しており川から水を引いたり、井戸から組み上げている。
池(小島がいくつもある)、築山、茶室、居館、東屋、滝や流水などがありかなり広い。
今回は東側中心で撮影した・・できるだけ人が映らないように苦心しました。
築山好きなんだけど動画撮るの上手くいかないわ。平日にまたいこうお茶して帰ろうw
まーだ東屋や西側は撮影してないんだな・・・人が多くてw
原爆投下により建物等樹木なども焼失したが、戦後復興され市民に公開された。
広電白島線〜縮景園前か広島駅から至近なので徒歩でも行けるよ。
縮景園HP記事、ウィキ参照
音楽:ニコニ・コモンズ 忘却の都~ノスタルジックなBGM~
作者名:のる様
【県道車載】県道293号 廿日市市虫所山 大虫〜広島市佐伯区湯来町多田 湯来ロッジまで BGM付き(14:25~お猿さん)
県西部 廿日市市の山中 虫所山の大虫から広島市佐伯区湯来町多田へ抜ける〜温泉国民宿舎
湯来ロッジまでの車載抜粋。途中森の中や点在する集落、大谷川や水内川の渓流沿い、滝を抜けていく。
虫所山・大虫の枝垂れ桜の様子を見に行くがまだ花前であった。
shiriの解説 音声を入れようとしたんだが気力が尽きたのでいずれ。
14:25~40左手にお猿さんいます⊂((・x・))⊃
音楽 のる様作 2曲使用 ニコニ・コモンズ
山御所「阿刀明神社」安芸国 楽音寺神明帳記載の古社 〜 令和三年初秋 〜 広島市安佐南区沼田町阿戸
阿刀明神社 天保八年に古い阿刀神社と近くにあった宇豆八幡とが合祀された神社である。合祀後は社号を八幡宮と称したが、明治維新以後、旧名に復した。
春は桜もあり村の鎮守として昔ながら残された御社。
天保年間氏子により杉、ヒノキなど植樹された鎮守の森は広島市の天然記念物指定。
広島市安佐南区沼田町阿戸地区 旧戸山村と呼ばれた所(沼田郡阿戸村と吉山が合併していた)その後伴村などと合わさり沼田町〜広島市と合併し安佐南区沼田町に。
御祭神 主神=可美眞手命(ウマシマデノミコト) 天照大神 宗像三神 相殿=八幡神
古代には阿刀(あとう)氏の居住した土地でその祖神を祀る阿刀神社がもともとあった。その後天承年間(崇徳天皇の御代)大中臣権介正房により開拓された土地ということです(八幡神を祀ったのはこの一族らしいです)
境内社=大中神社と大年社、荒木社(社の右側の二小社)
阿刀氏は物部と同じ饒速日命を祖神とする氏族集団であるそうです。可美眞手命は饒速日の子神。
2020年以来 時々参拝に行きますが参道の石畳と社叢を背景にした社殿の見事さに惚れ惚れします。
戸山公民館で散策用のMap資料がおいてありいただけます。資料も少し置いてあった。
広島市 文化財HP,戸山散策マップ、wiki参照。
【2024年2月開業】広島新サッカースタジアム 展示模型撮ってみた ホーム最終戦 2021.11.27 サンフレッチェ広島 Sanfrecce Hiroshima F.C エディオンスタジアム広島
2024年シーズンに合わせて開業予定の新しい広島サッカースタジアム。
サンフレッチェ広島、11/27ホーム最終戦。
エディオンスタジアム広島にて基本設計版(現在建設中)の模型を展示!
カバーガラスの反射で模型の撮影は難しかった…(; ・`д・´)
「サンフレッチェ・レディース2021」
アクターズスクール広島のアイドルユニット“SPL∞ASH”(スプラッシュ)
広島市の風船屋 merry balloon(メリーバルーン)さん
サンフレッチェ広島F.Cの新たな本拠地となるスタジアム。
建設地は広島中心部の広島城隣の広島市中央公園。
屈指のアクセスを誇る「街なかスタジアム」を実現させます。
広場とフラットな調和をめざす「パークスタジアム」をコンセプトに掲げています。
■サッカースタジアム:2024年2月開業予定
大成・フジタ・広成・東畑・EDI・復建・あい・シーケィ共同企業体
客席数:約28,520席(記者席含む・車いす席:約300席)+立ち見席:約1,600席
地上7階・最高高さ:約42m
■広場エリア:2024年7月開業予定
エヌ・ティ・ティ都市開発株式会社ほか
ST023-1 駅間散歩:あき亀山駅→河戸帆待川駅 ①駅のICOCAチャージで悲劇&伊勢社に探訪
ご視聴ありがとうございます。
今回は令和元年10月18日~22日にかけて旅行した広島・呉・江田島旅行より、JR可部線のあき亀山駅~河戸帆待川駅の間を超大回りで散歩した際の様子をまとめてみました。
シリーズ中、過去動画と重複した場面がございます旨、あらかじめご了承下さい。
関連動画を以下に紹介します。
改めてみてみると改善箇所が多いので、改めて10分程度の動画にまとめたいですね…
☆彡013-16 【広島・呉旅行】「3日目」広島駅・マツダスタジアム近くの「HIROSHIMA Base HOTEL」に泊まってみた
https://youtu.be/Nw-P2mvOikA
→前日に宿泊した格安ホテル
YonTubeよんつべ #37「四日市市民が「四日市役場」に行ってみた。ただそれだけの動画」
https://youtu.be/aAqkuF1WaNw
→散歩途中に三重県四日市市民が広島市にある四日市役場へ寄った模様
YonTubeよんつべ #38「JR四日市駅とJR五日市駅を間違えてしまった」
https://youtu.be/7kc-iAdXmlk
→四日市駅と五日市駅を間違えてしまった方のために、五日市駅の付近を散歩調査してみた動画
YonTubeよんつべ #39-1「JR五日市駅からJR四日市駅まで、在来線で移動してみた」【五日市駅~姫路駅】
https://youtu.be/-E69eWXdFHs
→読んで字のごとく、五日市から四日市まで在来線で移動しているだけの動画
代表Twitter: https://twitter.com/YamaRyoh
広島市の神社巡り【西国街道】旧村社 古江 「 新宮神社 」 広島市西区古江東
西国街道 沿いの古江の丘の上に鎮座する古社。創建は南北朝時代の延文年間(1356年〜1361年)で熊野三山の中の熊野新宮社を勧請したもの。
元来の御祭神は泉津事解男命(よもつことさかおのみこと)一座であったが明治初年伊奘美命を加えたという。
明治四十年県令の指示で八幡宮と大日社を加えて相殿に祀り現在に至る。
社殿は平成に入り焼失したため平成三年再建であるがなかなかいい。
境内は広場のような公園になっている。見晴らしは良かったと思われるが今は海は遠くなり住宅街の真っ只中でマンションなどが立ち並ぶ。
2018年の西国街道ウオーキングで見つけられなくて調べてようやく行ってきた。
古江電停から山側へ行くと西国街道に出てファミマの横を入り少し進むと参道入り口が見つかる。周囲に駐車場はあるが1時間200円くらいだった。
<安国寺恵瓊中興 >安芸国安国寺遺構 不動院(国宝の金堂と重文の楼門・鐘楼)広島市東区牛田
不動院=足利尊・直義氏兄弟が全国に建てた安国寺のひとつ。旧安芸安国寺。
寺院由緒によれば
元は平安時代に創建されたようである。その後、安芸国安国寺にあてられ、安芸守護武田氏により尊崇され、大永年間の武田・大内の戦いで伽藍が焼失したといわれる。
武田滅亡後は大きく衰退したが、毛利の外交僧の安国寺恵瓊により再興された。安国寺恵瓊は武田氏。
禅宗であった(臨済)が、現在の寺院建物のほかに方丈や幾つもの塔頭が並んだといいます。
しかし福島正則により寺領没収となり再び衰微した。後に福島の祈祷僧 有珍が住職となり真言宗となり、本坊に祀った不動明王から不動院と号しやがて寺院全体が不動院と呼ばれるようになる。
一部 wiki参照
金堂は国宝に指定されている(6カ国太守大内氏時代の建物で室町期禅宗様式で豪壮、山口の大内義隆公建立の寺院にあったものである)安国寺恵瓊が移築したものということです。おかげで残ったとも言える。
大内が滅び大旦那がいなくなれば衰退してしまう。歴史ある建物もこうして移築により保存されたんでしょうな。
サムネ=不動院 楼門
広島市の寺院【三滝観音】龍泉山「三滝寺」(二)本堂と三滝名水〜鎮守堂と幽明の滝 広島市西区三滝山
広島市西区三滝山にある真言宗の古刹。江戸時代から三滝観音として信仰され親しまれてきた。
風光明媚な渓流や滝のある境内は夏の避暑や秋の紅葉などもある。「中国観音霊場」「廣島新四國88ヶ所霊場」の札所でもあり参詣者が後をたたない。
その2= 本堂、三滝名水〜鎮守堂、幽明の滝〜三鬼堂まで(猫も出ます)その3は下山しながら茶堂、庭園と十六羅漢像、多宝塔。こちらは見どころが多いので三回くらいに分割してます。
その1sm39657016
久々の(以前登山の時だから五年ぶり?)散策時に綺麗なので写真沢山撮りましたので活用してみました。秋の午後で曇り加減だった。寺の裏山は宗箇山と言われ 上田宗箇が縮景園から借景として大きな松を山頂に植えた故事からその山名がついた山。
大同四年(809年)空海の開基と伝わる古刹で江戸時代後期に入山した明禅僧正により六十年の期間にわたり再興された。その後鞍馬寺で修行された四廣四鬼神和尚により復興が継承されたという。弥山の寺にて住職も兼ねていたので、宮島の弥山に祀られていた三鬼大権現(追帳鬼神、時眉鬼神、魔羅鬼神からなる弥山 山岳信仰の守護神)の三鬼神権現堂が勧請され建立されている。
現在の場所にある弥山の三鬼権現堂(御堂は江戸期までは現在の御山神社のある岩盤の上にあったようです)建立したのもこの和尚だということです。
原爆の被害を受けおり当時の建物で現存するのは 鎮守堂、三鬼権現堂、稲荷社、鐘堂、想親観音堂。
本堂は原爆と風水害の被害を受けたため昭和四十九年に古い日本の様式で総檜、寄棟、瓦葺にて再建。
音楽 のる様作(ニコニコモンズ)忘却の都~ノスタルジックなBGM~ あとは沢音。
事歴に関しての歴史事項は、広島市西区役所作成配布の三滝散策マップ境内、参道周辺地図の記事を参照しています。https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/nishiku/226361.html(ここで地図が見れます)お近くの方は気が向かれたら是非参詣ください。
【広島市の神社巡り】「安芸津彦神社」(旧名 官幣社) 広島市安佐南区祇園
江戸時代までは厳島神社の七つの兼帯社の一つであった。明治5年 現在の社号に改めた。
JR可部線に沿うように走る県道277号線(旧道)沿いにある。所々古い屋並みも残る道だが 今でも交通量は半端なく多い路線その街道沿いの一角に旧官幣社こと安芸津彦神社がある。
安芸津彦神社(旧名称=官幣社)安芸津彦命、安芸津姫命を祭神とする神社~安芸津彦命は阿岐(安芸)国造 飽速玉男命(速谷神社御祭神)の祖神である.
平成になる直前に焼失した後社殿は 残念ながら社殿は鉄筋コンクリート再建である。
写真を見直してみますと綺麗に撮れていました。
末社の建物は古い感じでした。
祇園の名の由来である、安神社がごく近い。
祇園町地名の由来〜 広島市の古社「安神社」(旧 祇園社)の紅葉 広島市安佐南区祇園
境内の由緒によれば=清和天皇の御世 貞観年間に諸国に勧請された祇園社の一つだそうです神仏混淆の素盞嗚命と習合したした牛頭天王を祀る社だった。明治二年神仏分離し安神社と改称。郷社となる。
明治43年 社殿焼失大正時代の再建 神明造の社殿です。
住宅に囲まれ 社頭を県道277号線が走り、背後にJR可部線が通過する場所にある。
鳥居から遥かに銀山(かなやま)=武田山〜佐東銀山城跡(安芸武田氏の根拠地)が見える。
佐東銀山城(武田山)の麓にあったが正安元年1299年に厳島神主家に攻められ兵火で焼けたため、武田氏により現在地で再建されのだそうです。
祭礼中の戦火で御神体は御神幸中で助かったという。
(歴史等は神社の由緒書を参照しています)
何度かこの辺は通行していたが、今回2回目の参拝させていただいた。
県道277=西区横川〜安佐南区のJR古市橋駅前まで続く県道 旧国道54号で旧道と呼ばれバス通りでもあり交通量は相当多い。道は結構狭い。
御朱印は書き置きに日付を入れていただけました。
注)字幕の訂正=厳島神主家に松尾山の社殿が焼かれたのがX嘉元元年ではなく→正安元年です。その後に武田氏による再建が嘉元元年が正しいです。
神宮寺=感応院X→感神院が正しいです。 以上訂正しておきます。うろ覚えでした^^;
音楽はニコニココモンズから
のる様作
沈む秋。.*:+☆ヒーリングBGM
鎮守の森~和風&アンビエントなピアノソロ~