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古刹 三滝寺 梵音之滝と補陀落庭 広島市西区三滝山
少し画像追加して再編集版 龍泉山 三滝寺の庭園とニノ滝の映像をコンパクトにまとめたもの。
補陀落の庭=Potaraka こと補陀落浄土を指す言葉。元々あった寺院庭園を重森三玲氏が改修した庭園です。普段は中は非公開。参道からは見ることができる。
梵音の瀧=庭園奥にある二の滝である。落差90尺=27mの瀑布。梵音は、梵天王(最高神ブラフマン)の発する音声、仏の声又は読経の声などの意味がある。R3 秋
広島市の寺院【三滝観音】龍泉山「三滝寺」(三)補陀落の庭と茶堂・梵音の滝〜多宝塔 広島市西区三滝山
広島市西区三滝山にある真言宗の古刹。江戸時代から三滝観音として信仰され親しまれてきた。
風光明媚な渓流や滝のある境内は夏の避暑や秋の紅葉などもある。「中国観音霊場」「廣島新四國88ヶ所霊場」の札所でもあり参詣者が後をたたない。
字幕訂正=梵音の滝は字幕では落差つ90m〜90尺27mが正しいです。
その3=その3は下山しながらと十六羅漢。茶堂、梵音の滝と補陀落の庭〜多宝塔(国の重要文化財)
その2= 本堂、三滝名水〜鎮守堂、幽明の滝〜三鬼堂まで(猫も出ます)sm39664828
その1sm39657016
久々の(以前登山の時だから五年ぶり?)散策時に綺麗なので写真沢山撮りましたので活用してみました。秋の午後で曇り加減だった。寺の裏山は宗箇山と言われ 上田宗箇が縮景園から借景として大きな松を山頂に植えた故事からその山名がついた山。
大同四年(809年)空海の開基と伝わる古刹で江戸時代後期に入山した明禅僧正により六十年の期間にわたり再興された。その後鞍馬寺で修行された四廣四鬼神和尚により復興が継承されたという。弥山の寺にて住職も兼ねていたので、宮島の弥山に祀られていた三鬼大権現(追帳鬼神、時眉鬼神、魔羅鬼神からなる弥山 山岳信仰の守護神)の三鬼神権現堂が勧請され建立されている。
現在の場所にある弥山の三鬼権現堂(御堂は江戸期までは現在の御山神社のある岩盤の上にあったようです)建立したのもこの和尚だということです。
原爆の被害を受けおり当時の建物で現存するのは 鎮守堂、三鬼権現堂、稲荷社、鐘堂、想親観音堂。
本堂は原爆と風水害の被害を受けたため昭和四十九年に古い日本の様式で総檜、寄棟、瓦葺にて再建。
音楽 のる様作(ニコニコモンズ)蓮の花。.*:+☆ゆったりヒーリング・ピアノあとは沢音。
事歴に関しての歴史事項は、広島市西区役所作成配布の三滝散策マップ境内、参道周辺地図の記事を参照しています。)お近くの方は気が向かれたら是非参詣ください。
国道186号線の休憩スポット「元湯小瀬川温泉」名水と池と庭 広島県廿日市市栗栖
小瀬川沿いにある元湯小瀬川温泉 西広島バイパス沿いのうどんの丸忠さんが経営している。
うどんメインの食堂に温泉が併設されている感じだ。周りは自然豊かな西中国山地の中。
うどん・蕎麦の定食だとニジマスの唐揚げがついてきます。
前は渓流、背後や周囲は山が連なり自然の景色は大変いい。裏山の小瀬川神社の巨岩もすごいです。
186号線沿いには喫茶やレストランなどドライブ客向けにいくつも店舗が点在している。羅漢渓へ向けてはドライブスポットだが坂道でカーブが多いので気をつけて運転したい。186をさらに行くと羅漢峡(道の駅と温泉あり)〜冠高原、吉和へいたる。
枕木のベンチ移動してみた
お庭の枕木のベンチをガレージ側に移動してみました。
他にもちょっと手を加えて。
今日もニコニコ、ご視聴ありがとうございます。
県名勝「千葉家住宅」江戸期中期改修の「泉庭」と重要文化財「座敷棟」
千葉家住宅の江戸中期に座敷等建て替えの時1774年改修のお庭(江戸初期築庭)部分中心に編集。
広島県の名勝指定。座敷棟=県の重要文化財指定。
庭と座敷棟はセットなので残した。曇りでやや暗め。
植栽が茂っているので緑は濃い。
ただ、築山などがややわかりにくい感じ。築山には石が置かれ、妙見社の祠がある。
植木をいい具合に刈り込んだらもっと姿がよくなるかもしれませんね。
千葉家の歴史=平氏の流れの関東武士団中の房総で威を振るった豪族千葉氏の一族である。安芸国へ移住したのち戦国期 大内、毛利(小早川隆景)などに仕えた。
毛利が防長二州に移封後、武士をやめてしまい「神保屋」と号し広島藩で商人となる。西国街道の宿場として整備された海田へ移住し酒造業などを営む傍、宿場の要職を務めた。
また、天下送り、宿送り(幕府や藩の書簡、文書、荷物の継ぎ送り)の業務を担う。
家紋が蔵などにありますが=月星紋(げっせいもん)妙見信仰に関係した千葉氏の家紋。
音声修正。
作務の心得 (コロナ二年目立夏)
コロナ問題、東京オリンピック問題、考えてもいっこうにいい答えが出ない。ならばいっそのこと普段やっている作務を見直したらどうかと思いつき動画にしてみました。
重森三玲作庭の庭 漢陽寺庭園(蓬莱山池庭〜地蔵遊化庭〜九山八海庭)山口県周南市鹿野町
鹿苑山漢陽寺=明で禅の修行したという名僧 用堂妙機禅師 開山。大内盛見(もりはる)公 建立の臨済の名刹で大内氏祈願所として建てられた。末寺200ヶ寺を有する一大門派だったそうですがいまは昔です。
寺院の三つの庭を拝観
潮音道洞〜蓬莱山池庭(書院裏)〜地蔵遊化の庭(中庭)〜九山八海の庭(書院東側、書院内から硝子越しに観る)
昔、鹿野の莇ヶ岳 登山の帰りに山仲間と来て以来二回目の参拝でした。江戸時代に開削した潮音洞の流れが庭を通り町へ流れて行っています。
参拝のついでに記念撮影したものから再構成。
初秋の半べい庭園 聚花山の庭(Syukazan Garden) 長尺版 広島市南区本西浦
庭園レストラン 半べい庭園 長めです 記録用として。
古庭園研究や作庭家の重森三玲氏が築庭の庭園がある。
二代目社長が重森氏に依頼して築庭したそうです。ふんだんに石が使われています。
庭の名前の聚花山の庭=花をあつめた山の庭 ほどの意味です。半べい庭園は昔は広島遊園地と呼ばれつつじの名所として有名らしいです(花の時期は未だ訪問したことがないんですが)
8月の終わりに訪問・・猛暑の終わり頃、池の水がやや濁り気味状態が悪かったです。造園業者が入っていて隣の庭は見れませんでした。料亭の庭なのでライトアップ資材など人工物ががあちこちあるのは仕方がないですね。年月が経ちますがよく保存はされています。
重森氏は元来花道の専門家でのち独学で庭園を研究し様々な古庭園の修復や新しい庭の創造を行われた。私が実際行ったところでは〜周南市漢陽寺、松尾大社なども築庭している。宇部市宗麟寺 龍心庭も重森三玲氏が修復している。
邇保姫神社前バス停が一番近いです (広電バス〜4号線仁保車庫、向洋行)車だと国道2号線を広島市中心部から走ると東雲の先で本浦交番前交差点で右折する。右手に看板が見える。案内に沿って広島市工業高校周囲を回り込むようにすすむ。一方通行が多い地域なので注意。
*レストランか料亭、入浴施設などを利用されると見学できます。
レストランと入浴施設はコロナ禍で廃業になりました。メインの料亭のみになりました。
初秋の半べい庭園 聚花山の庭(Syukazan Garden)ショート版 広島市南区本西浦
庭園レストラン 半べい庭園〜古庭園研究や作庭家の重森三玲氏が築庭の庭園がある。
二代目社長が重森氏に依頼して築庭したそうです。ふんだんに石が使われています。
庭の名前の聚花山の庭=花をあつめた山の庭 ほどの意味です。半べい庭園は昔は広島遊園地と呼ばれつつじの名所として有名らしいです(花の時期は未だ訪問したことがないんですが)
8月の終わりに訪問・・猛暑の終わり頃、池の水がやや濁り気味状態が悪かったです。造園業者が入っていて隣の庭は見れませんでした。料亭の庭なのでライトアップ資材など人工物ががあちこちあるのは仕方がないですね。年月が経ちますがよく保存はされています。
重森氏は元来花道の専門家でのち独学で庭園を研究し様々な古庭園の修復や新しい庭の創造を行われた。私が実際行ったところでは〜周南市漢陽寺、松尾大社なども築庭している。宇部市宗麟寺 龍心庭も重森三玲氏が修復している。
邇保姫神社前バス停が一番近いです (広電バス〜4号線仁保車庫、向洋行)車だと国道2号線を広島市中心部から走ると東雲の先で本浦交番前交差点で右折する。右手に看板が見える。案内に沿って広島市工業高校周囲を回り込むようにすすむ。一方通行が多い地域なので注意。
*レストランか料亭、入浴施設などを利用されると見学できます。
ちなみにレストランきすいは半べい温泉と同じ場所にあります。リーズナブルなメニューからミニ懐石まであります。
2020.11.8武漢発コロナウイルス拡大と恐慌により温泉とレストラン部門は廃業されました。政府がきっちり保証してあげないからです・・・これからこういう事案増えるぞ!::
防府天満宮 茶室芳松庵(平成三年建立)と暁天楼 山口県防府市
防府天満宮の旧圓楽坊跡地にへ平成三年建立された茶室芳松庵と庭園、幕末史跡「暁天楼」(移築されていた 防府宮市の大旅籠藤村屋の遺構を老朽化で解体後、古絵図面通り再建)
ちょうど天満宮へ上がる石段の途中にあり、向かい側が旧別当寺の「大専坊」跡にあたる。1月の冬枯れの季節であいにく曇り。閑寂な感じでした。
茶室は玄関で受け付け後、大広間で一服、薄茶を点て出していただけます。
独りなので茶会ではお正客さんが座るであろう場所で頂戴しました^^
広間には 青竹の結界 炉に御釜、長板に建水、勺立、などが飾られていました。
二階と離れに茶室があり見学もできます。二階からの眺めもよろしい。
茶室を出てから小雨が降り始めて庭の拝見はまたの機会にしました。緑や花の頃がいいでしょうね。
暁天楼=宮市(むかし社前の商家など並んだ繁栄の中心)にあった大きな旅籠「藤村屋」遺構を移築してあったが、老朽化で解体後、子孫の方が昔の絵図面通り再建寄進された。参道脇庭の片隅に建つ。
かつての建物は古の志士たちも泊まったということです。
暁天楼の奥に天満宮最大という御神木のクスノキがあります。境内の楠木いいですよね毎回見ほれます。
ちなみに庭園のみならばは無料で拝観できます。
尾道古寺巡り 国宝の寺 浄土寺 ( 寺院と庭園拝観 ) 広島県尾道市
広島県尾道市 真言宗泉涌寺派 転法輪山 大乗院 浄土寺 多宝塔は国宝指定されている。聖徳太子開基と伝承される古寺。堂内(建物外観のみ撮影可)江戸期の庭園拝観、境内拝観
歴史は古く聖徳太子開基と言われる港町尾道を代表する古刹寺院です
平安〜鎌倉中期まで真言宗高野山直系寺院〜鎌倉時代末期から真言律宗〜江戸時代から真言宗泉涌寺派
本堂ほか諸堂は幾度か焼けており、再建され現存する堂宇は鎌倉時代末期〜室町時代の建築で多宝塔は 国宝指定。
尾道は古来海上交通の要衝で、盛んに船が行き交い商業が栄え、軍事的にも要の地でした。
尾道の大商人の経済を背景に諸堂が再建された。
鎌倉時代末期〜幕府を開いた足利尊氏などとも縁が深く崇敬されたと言われます。
足利義満の武将 九州探題今川了俊も尾道で軍備を整えたと言われるそうです。
二回目の参詣でした。
今回は本堂へお参りし内陣拝観をしました(堂内や方丈内は撮影禁止)宝物館も見学いたしました。本堂や阿弥陀堂の歴史ある諸仏像は素晴らしく迫力ありました。受付の人が詳しく説明してくれます。
珍しいのは阿弥陀堂裏に蓮如上人の揮毫した名号がかけてあったりしました。
御寺への参道風景、山門、本堂外観などと本堂裏の建物や唐門(方丈側から)方丈の庭〜江戸期に築庭の泉水庭園がメインです。庭園をうまく撮影するのは難しいです。
説明では御本尊から紐が伸び須弥壇前に垂れ下がっている、僧侶は様々儀式ではこれを持ち拝する また、ご開帳時はこれが伸ばされ本堂前で参詣する人々のところまで伸ばされるといいます。
境内伽藍=国宝多宝塔、唐門、阿弥陀堂、護摩堂、子安堂、宝篋印塔、納経塚など
鎮守社丹生高野明神は修復中でした。
*泉水庭園(江戸時代 徳島の隠士長谷川千柳 築庭)で江戸後期作庭とか言われます。
見えにくいですが築山の前側が泉というか池になっている。
サムネは浄土寺 境内庭園と茶室遠望
松江山(Zungo zan) 宗隣寺 龍心庭 南北朝時代築庭 山口県最古の庭園(夜泊石、干潟様)
宇部市小串 松江山(ずんこうざん)宗隣寺宗麟禅寺(誤字訂正)臨済宗東福寺派の古刹
字幕中宗麟寺とあるのは誤字です→宗隣寺が正しいです。
元は宝亀八年(777年)唐からの渡来僧の為光和尚が 普済寺として創建〜寛文十年(1670年) 毛利藩の家老で宇部を領した福原氏の福原広俊が父の号からとり 福原氏の菩提寺 「宗隣寺」として再興した。
中国観音霊場 の一つで如意輪観音十八番札所。山陽花の寺 御朱印もある。
本堂北面の庭園は、普済寺の庭園を基にした(築庭は古く南北朝時代650年前に遡る)築山 泉水庭園です 夜泊まり石風な石組みや浅瀬の干潟様の古風な趣向が残されています
干潟様(ひがたよう)=池の水際を小石などを敷いて、池泉の水が増減しますとまるで、干潟のようになる趣向の意匠。平安期の策定期という書物にも記載されている。
ただ、現在確認できるのは平泉毛越寺と宇部宗隣寺だけだそうです。
本堂は平成十年再建だそうで、庭園も昭和四十三年に古庭園の研究 修復専門家の 重森三玲(みれい)氏により調査修復されています。
そんなに広い庭ではないのですが綺麗な庭です。鑑賞時にはご住職がテープで解説を流していただけるのでわかりやすいです。
築山の奥には旧領主 福原氏墓所があり幕末の家老福原越後さんのお墓もある。年に一度公開され参詣可能。
山口県最古層の庭として国の名勝指定され歴史的庭園であります。
思うに秋の紅葉やツワブキが咲いたらいいでしょうねぇええ
宇部 新川駅から徒歩2〜30分(2kmくらい)途中いろいろ彫刻などもありいい散策です。
今回歩いたのは、駅を出て左へ行き小串通りで線路を渡ると渡辺翁記念館がある〜山大病院〜真締川へ出て川を遡ると左手に参道がある。
微修正上げ直しました
庭園シリーズ 常栄寺 雪舟庭 編 sm35947405
吉川元春の武将二宮俊実(佐渡守)建立 禅宗寺院 松巖院と江戸期築庭の庭園 山口県岩国市藤生
松巖院は、岩国市藤生にある戦国毛利の一族 吉川元春の武将二宮佐渡守俊実の建立した禅宗寺院(臨済宗だったらしいですが 現在は単立寺院)です(動画は岩国の小瀬の渡し場跡の桜〜松巖院と進みます)
二宮佐渡守は、吉川軍主力の武将だったそうです。厳島合戦や石見攻略などでも活躍した。吉川元春〜広家と仕えたそうです。
境内奥の木立の中に二宮佐渡守の御墓と陶晴賢の供養塔があるそうです(未見)
開山は真如周伯和尚と由緒書きにありました。
吉川公の要請で八十を過ぎて「二宮俊実覚書」をしたためたと言われ 陰徳太平記など軍記の基本史料となったそうです
江戸時代19世紀(文化から天保年間)に住職月渓和尚により作られた二つの庭園があり作庭者や時期の記録(安政2年の文書に記録がある)も残り貴重な遺構とされる 市の名勝指定 1山門から本堂前に蘇鉄と苔の平庭(塀越しに瀬戸の海と島が借景となる)
2本堂南側にある築山や石組み、植木、池などのある回遊式の池泉庭があります。
築山には観音堂や地蔵がある。樹木が多く植えられているお庭でした。
庭園系のサイトの意見にありましたが樹木が多過ぎて確かに石組みが少しみづらいかなとはおもいました。今でも十分いいですけどね。
*本堂南面の平庭は簡素で苔と借景もよく大変結構でした。
付記=また山門下の石地蔵は切支丹地蔵であるそうです(後で知りました)
小高い境内に海や山の息吹を感じながら手を合わせたいですね
この日行きますと本堂は閉まっていたので外からお賽銭を入れ手を合わせました。
*行かれる場合 修行寺なのでまず御参りをさせていただいてから静かにお庭など拝見しましょう
僕は、このお寺の平庭からの借景の景色はいい〜〜なあと思います またお参りしたいです。
圓光寺の庭
京都市左京区にある臨済宗南禅寺派の寺院紹介文⇒http://www.enkouji.jp/grounds.html
園芸愛好家・西口一希の寄せ植えコレクション11
寄せ植えコレクション。センスが光るお庭やガーデニングを紹介。
(寄せ植え(よせうえ)とは、園芸・盆栽用語で、異種ないしは同種の植物を同じ鉢やプランター、またはじか植えの場合に株元を近接して植えることをいいます。)
今日は庭の寄せ植えの例をご紹介します。
園芸愛好家・西口一希