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変なおじさんとこの 鶏さん399 お手製滝の稼働状態
今回は 鶏は出てないんですが
お手製で滝のようなものを 作ってみました
まぁ 小さな砂防ダム?が実際の所なんですが。。。
変なおじさんとこの 鶏さん389 愛南町のとある場所 鶏がいる庭の3月のある日
わが家の庭に咲く山桜
満開になった3月下旬
変なおじさんとこの 鶏さん322 集中豪雨と自作の水路
集中豪雨がきました
物凄い雨です
去年から今作ってる 水路周りの様子を確認してみました
庭動画2023初夏
いい加減毟った草木を処分せなと思い立ちつつお久しぶりです。
あまり放置しすぎると腐葉土と化して庭の土が増えるんですよねぇ。
虫たちの住処を奪うようで気が進まないのですが、というていでサボローがそそのかすわけです。
しかし、今年の睡蓮はマジでヤバイです咲きすぎです。
肥料山ほどやってるというわけでもないので、やはり今まで葉を刈りすぎていた模様。
生物関連:【mylist/45001675】
色々 :【mylist/46846314】
ツイッター>https://twitter.com/hutae_kaina
作務の心得 (コロナ二年目立夏)
コロナ問題、東京オリンピック問題、考えてもいっこうにいい答えが出ない。ならばいっそのこと普段やっている作務を見直したらどうかと思いつき動画にしてみました。
庭の手入れ
私のアメブロの詩を朗読しました。
ちなみに詩はフィクションです。
アメブロ「とりあえず詩集ということで」
https://ameblo.jp/renge-tsutsuji
県名勝「千葉家住宅」江戸期中期改修の「泉庭」と重要文化財「座敷棟」
千葉家住宅の江戸中期に座敷等建て替えの時1774年改修のお庭(江戸初期築庭)部分中心に編集。
広島県の名勝指定。座敷棟=県の重要文化財指定。
庭と座敷棟はセットなので残した。曇りでやや暗め。
植栽が茂っているので緑は濃い。
ただ、築山などがややわかりにくい感じ。築山には石が置かれ、妙見社の祠がある。
植木をいい具合に刈り込んだらもっと姿がよくなるかもしれませんね。
千葉家の歴史=平氏の流れの関東武士団中の房総で威を振るった豪族千葉氏の一族である。安芸国へ移住したのち戦国期 大内、毛利(小早川隆景)などに仕えた。
毛利が防長二州に移封後、武士をやめてしまい「神保屋」と号し広島藩で商人となる。西国街道の宿場として整備された海田へ移住し酒造業などを営む傍、宿場の要職を務めた。
また、天下送り、宿送り(幕府や藩の書簡、文書、荷物の継ぎ送り)の業務を担う。
家紋が蔵などにありますが=月星紋(げっせいもん)妙見信仰に関係した千葉氏の家紋。
音声修正。
枕木のベンチ移動してみた
お庭の枕木のベンチをガレージ側に移動してみました。
他にもちょっと手を加えて。
今日もニコニコ、ご視聴ありがとうございます。
古刹 三滝寺 梵音之滝と補陀落庭 広島市西区三滝山
少し画像追加して再編集版 龍泉山 三滝寺の庭園とニノ滝の映像をコンパクトにまとめたもの。
補陀落の庭=Potaraka こと補陀落浄土を指す言葉。元々あった寺院庭園を重森三玲氏が改修した庭園です。普段は中は非公開。参道からは見ることができる。
梵音の瀧=庭園奥にある二の滝である。落差90尺=27mの瀑布。梵音は、梵天王(最高神ブラフマン)の発する音声、仏の声又は読経の声などの意味がある。R3 秋
広島市の寺院【三滝観音】龍泉山「三滝寺」(三)補陀落の庭と茶堂・梵音の滝〜多宝塔 広島市西区三滝山
広島市西区三滝山にある真言宗の古刹。江戸時代から三滝観音として信仰され親しまれてきた。
風光明媚な渓流や滝のある境内は夏の避暑や秋の紅葉などもある。「中国観音霊場」「廣島新四國88ヶ所霊場」の札所でもあり参詣者が後をたたない。
字幕訂正=梵音の滝は字幕では落差つ90m〜90尺27mが正しいです。
その3=その3は下山しながらと十六羅漢。茶堂、梵音の滝と補陀落の庭〜多宝塔(国の重要文化財)
その2= 本堂、三滝名水〜鎮守堂、幽明の滝〜三鬼堂まで(猫も出ます)sm39664828
その1sm39657016
久々の(以前登山の時だから五年ぶり?)散策時に綺麗なので写真沢山撮りましたので活用してみました。秋の午後で曇り加減だった。寺の裏山は宗箇山と言われ 上田宗箇が縮景園から借景として大きな松を山頂に植えた故事からその山名がついた山。
大同四年(809年)空海の開基と伝わる古刹で江戸時代後期に入山した明禅僧正により六十年の期間にわたり再興された。その後鞍馬寺で修行された四廣四鬼神和尚により復興が継承されたという。弥山の寺にて住職も兼ねていたので、宮島の弥山に祀られていた三鬼大権現(追帳鬼神、時眉鬼神、魔羅鬼神からなる弥山 山岳信仰の守護神)の三鬼神権現堂が勧請され建立されている。
現在の場所にある弥山の三鬼権現堂(御堂は江戸期までは現在の御山神社のある岩盤の上にあったようです)建立したのもこの和尚だということです。
原爆の被害を受けおり当時の建物で現存するのは 鎮守堂、三鬼権現堂、稲荷社、鐘堂、想親観音堂。
本堂は原爆と風水害の被害を受けたため昭和四十九年に古い日本の様式で総檜、寄棟、瓦葺にて再建。
音楽 のる様作(ニコニコモンズ)蓮の花。.*:+☆ゆったりヒーリング・ピアノあとは沢音。
事歴に関しての歴史事項は、広島市西区役所作成配布の三滝散策マップ境内、参道周辺地図の記事を参照しています。)お近くの方は気が向かれたら是非参詣ください。
日帰り旅 山口県防府「防府天満宮の門前町」2 防府天神境内〜石畳の参道周辺と茶室芳松庵の庭
松崎天満神とともに発展した商業のまち。今も賑わう防府天満宮へ。
防府天神境内〜【石畳の参道周辺と茶室芳松庵の庭園】
一ノ鳥居を抜け石畳の綺麗な参道を散策=萩狛犬、石畳、酒垂神社〜大専坊遺構〜天神さまのお茶室の庭と幕末の歴史舞台ともなった暁天楼(オリジナルは老朽化で解体され再建寄進されたもの)をまで。
日本で最初に菅原道真の霊を祭神とした神社とされる。当時の国司が土師氏で菅原氏と同族だったことと太宰府に流される前に立ち寄りもてなされてしばし滞在された歴史もあるようです。
大専坊=旧神宮寺別当坊(全国でも現存する遺構は少ない)
かつては酒垂山 萬福寺=社坊の筆頭として 松崎天神(防府天満宮)を管掌していた
社坊【大専坊、千蔵坊、乗林坊、等覚坊、圓楽坊、会所坊、密蔵坊、東林坊、西林坊】の九坊が在った
字幕訂正=5:05あたり〜正しくは菅原道真公と喫茶は縁が深いようです○
この後、其の3=黄昏近い防府天満宮を参拝します。
音楽(ニコニ・コモンズより拝借)
のる様作
mountain breeze~爽やか&軽快なピアノソロ~
don様作
halfway through one's journey
旧山陽道 防府市富海(二)旧山陽道散策 富海漁港、本陣跡など sm39780333
旧山陽道 富海(一)橘坂とて手懸岩の海の眺め sm39772962
秋の庭にある よく分からん実を確認するだけ
2023年11月中旬撮影。今年の夏は晴天が多く、秋は暖かい日が続きました。私は植物には詳しくありませんが、今年の気候の影響による植物の害虫や病気、開花や紅葉、結実の時期が気になったので、庭木の確認ついでに撮影しました。 近代日本は人が住む場所と緑地を分けがちで、日本庭園などの箱庭は、外の自然環境と切り離されています。家の庭は人の住みやすさよりも、小鳥や小さな生き物が棲みやすい庭を目指しています。例えるなら、動物たちにとってのイングリッシュガーデン風オープンガーデン。むしろ、林縁部や山間部にある家は、このような庭が自然かつ害鳥、害虫の管理も楽で、ほとんど放っておいても多様な動植物がそれを管理してくれます。逆に、街路樹などの同じ樹種(桜など)が植えてあるような所では、害鳥、害虫が発生するのは当たり前と言えます。このような山沿いの家は、外の自然環境と家を隔離する方が難しく、空を飛ぶ事が出来る鳥や昆虫の侵入を阻止するには、かなりのコストと手間が掛かります。それならば、誘鳥木や蜜源植物を植えて、生態系を作った方が良いのではないでしょうか。自然・風景mylist/65301634
国道186号線の休憩スポット「元湯小瀬川温泉」名水と池と庭 広島県廿日市市栗栖
小瀬川沿いにある元湯小瀬川温泉 西広島バイパス沿いのうどんの丸忠さんが経営している。
うどんメインの食堂に温泉が併設されている感じだ。周りは自然豊かな西中国山地の中。
うどん・蕎麦の定食だとニジマスの唐揚げがついてきます。
前は渓流、背後や周囲は山が連なり自然の景色は大変いい。裏山の小瀬川神社の巨岩もすごいです。
186号線沿いには喫茶やレストランなどドライブ客向けにいくつも店舗が点在している。羅漢渓へ向けてはドライブスポットだが坂道でカーブが多いので気をつけて運転したい。186をさらに行くと羅漢峡(道の駅と温泉あり)〜冠高原、吉和へいたる。
永興寺 薬師堂の枯山水と室町期庭園遺構
永興寺 庭園 岩國随一の古刹 薬師堂の枯山水と境内奥の室町期の庭園遺構(城山を利用している)
大内氏の創建で仏国国師開山。今の城山周辺は永興寺の境内だったという大寺院であった。大内氏が安芸へ進出するときは宿所や陣所につかわれていた。
薬師堂建立(仏像はなかなかいい)の時に作られたようで前側の枯山水はあたらしいものですが地元の造園業者さんが作庭されたそうです。時代の味がつけばさらにいいでしょうね。
奥の室町期の庭園は城山の斜面を枯れ滝(なかなかいい感じ)に見立てた古いものであるがさらに整備が必要な感じでした。悪くはないです。よくみに行きます。
今境内墓地があるあたりは昔は紅葉などの林だったらしいです。今は面影がないようです。参道には紅葉の木が残り初夏や秋には緑や紅いトンネルにになります。
吉川氏が岩国領主となると寺院を解体、築城、御館、武家屋敷などに転用した。その後請願により再興されたが大きく規模は縮小された。
明治後、廃仏毀釈により縮小されて存続した。
参考
隣の曹洞宗の洞泉寺さんも本堂までの参道も綺麗にされていて梅の古木があるので2月梅の頃が良いです。
旧山陽道沿いを散策〜「防府の国分寺から佐波神社・多々良大仏〜周防国衙跡へ」 山口県防府市
山口県防府の国分寺〜古代の周防国衙跡(すおうこくが)古代政庁の遺跡跡 まで行きました。
ダイジェストで。やや解像度は落ちます。720p
武光家(防府天神 旧大宮司の邸宅あと)
国分寺(聖武天皇が日本の各国へで建立したもの)
周防国衙跡
佐波神社
毛利庭園(毛利邸)
多々良大仏堂(お寺は廃寺毛利邸の場所にあったらしい)
防府天満宮
宮市観音(天神さん門前町にある)
音楽 のる様作 ニコニ・コモンズ
mountain breeze~爽やか&軽快なピアノソロ~
忘却の都~ノスタルジックなBGM~
【西国街道海田宿】旧千葉家住宅の紅葉 抜粋版
西国街道の海田宿跡にある 天下送りの中継も受けた千葉家の旧住宅
座敷棟 県文化財
庭園 県名勝
ダイジェスト版
宇野千代 生家の庭園(一) 紅葉の初め頃 岩国市川西
岩国市川西の旧道筋ににある宇野千代さんの生家。宇野千代さんの残された苔と楓の多い庭と遺品などが今も守られ公開されています。
R3年の紅葉時期に二度訪問
その1回目 紅葉初めの青と赤の混じった庭園の風景。
宇野千代さん生家=登録有形文化財。庭が大変素晴らしい。苔庭です。紅葉も最高。
その」1=紅葉初め その2=紅葉終盤期の様子を少し。
岩国観光ではお薦めです、
旧浅野家 庭園 国名勝「縮景園」 その1 園内へ灌花井戸、清風館外観、大蘇鉄(明治100年記念)周辺まで。
縮景園(しゅっけいえん)=元和2年(1620年)浅野藩主 浅野長晟により造られた別邸の大名庭園。
築庭者は、武家茶道上田宗箇(そうこ)流の流祖で浅野家家老で茶人上田宗箇その人。
回遊式池泉庭園である。
その名は西湖を模したともいくつもの名勝を縮めて表現したためともいわれる。
また林羅山が浅野公の求めに応じて書いた詩文の冒頭句から名付けられたとも言われる。
元々は江戸時代以来正式には泉邸と言われていた。戦後、縮景園が正式名称となる。
築庭後、幾度か改修や拡張がなされ現在の形となる。天明年間に庭師として知られた京都の清水七衛門(加計の吉水園なども改修している)による大改修でほぼ今の原型が定まったと言われる。
そのほか文政期に行われたらしい。他に寛政年間に1度、文化年間に2度の改修が行われたようです。
1940年昭和15年に浅野家から広島県へ寄贈された。
清風館=書院風な数奇屋造りの平家建て柿葺の建物。戦後再建された。よく茶会で使われるので何度も見学しています。中でお茶を飲むといいですよぉ。上田宗箇流 武将の茶らしくて所作がかっこいいからね。今年は茶会あるらしい。
大蘇鉄=樹齢300年くらいらしいです。上田宗箇流家元の寄贈で明治100年記念に植樹されたもののようです。よくニュースなんかに出ますね春の菰(こも)はずしとか。
京橋川沿いに位置しており川から水を引いたり、井戸から組み上げている。
池(小島がいくつもある)、築山、茶室、居館、東屋、滝や流水などがありかなり広い。
今回は東側中心で撮影した・・できるだけ人が映らないように苦心しました。
築山好きなんだけど動画撮るの上手くいかないわ。平日にまたいこうお茶して帰ろうw
まーだ東屋や西側は撮影してないんだな・・・人が多くてw
原爆投下により建物等樹木なども焼失したが、戦後復興され市民に公開された。
広電白島線〜縮景園前か広島駅から至近なので徒歩でも行けるよ。
縮景園HP記事、ウィキ参照
音楽:ニコニ・コモンズ 忘却の都~ノスタルジックなBGM~
作者名:のる様
下松市の指定名勝〜旧内藤家(大内氏に仕えた)邸跡庭園 遺構 【隠れた紅葉の名所】 山口県下松市
毛利の防長制覇後に大内氏重臣 内藤氏の一族の一人が帰農してこの地で庄屋として江戸期をおくった。
庭園はそまま残るが池は水がなく、荒れ加減の廃墟感の中美しさもある。
紅葉がいい色を醸しはじめていた。
心字池、石組、出島んどが残る。
この時悔やまれるのがNikonの一眼をを忘れたことやな
整備したらよくなると思うんだけどなあ
重森さんみたいな人が修復してほしいね
旧内藤家屋敷への道 渓流 紅葉 銀杏の彩り
屋敷とへ 紅葉、庭園の様子
帰り道の風景〜滝の口河川公園の紅葉(再録)
初秋の半べい庭園 聚花山の庭(Syukazan Garden) 長尺版 広島市南区本西浦
庭園レストラン 半べい庭園 長めです 記録用として。
古庭園研究や作庭家の重森三玲氏が築庭の庭園がある。
二代目社長が重森氏に依頼して築庭したそうです。ふんだんに石が使われています。
庭の名前の聚花山の庭=花をあつめた山の庭 ほどの意味です。半べい庭園は昔は広島遊園地と呼ばれつつじの名所として有名らしいです(花の時期は未だ訪問したことがないんですが)
8月の終わりに訪問・・猛暑の終わり頃、池の水がやや濁り気味状態が悪かったです。造園業者が入っていて隣の庭は見れませんでした。料亭の庭なのでライトアップ資材など人工物ががあちこちあるのは仕方がないですね。年月が経ちますがよく保存はされています。
重森氏は元来花道の専門家でのち独学で庭園を研究し様々な古庭園の修復や新しい庭の創造を行われた。私が実際行ったところでは〜周南市漢陽寺、松尾大社なども築庭している。宇部市宗麟寺 龍心庭も重森三玲氏が修復している。
邇保姫神社前バス停が一番近いです (広電バス〜4号線仁保車庫、向洋行)車だと国道2号線を広島市中心部から走ると東雲の先で本浦交番前交差点で右折する。右手に看板が見える。案内に沿って広島市工業高校周囲を回り込むようにすすむ。一方通行が多い地域なので注意。
*レストランか料亭、入浴施設などを利用されると見学できます。
レストランと入浴施設はコロナ禍で廃業になりました。メインの料亭のみになりました。
晩秋の錦帯橋 岩国城下の秋風景(2) 庭園風な美しい紅葉谷と「黄檗宗 獨立性易 禅師 一勺の水・・」
錦帯橋を建設する際のヒントや詩や文学、篆刻など文化面でも影響を与えた人物。獨立性易(どくりゅうそうえき)明から亡命した明朝の官吏(儒学と医術に秀でていた)日本で隠元禅師のもとで出家した。吉川公の病気治療の関係でたびたび岩国を訪れ滞在し吉川公と交流した。
話はこうです独立和尚が藩主と対話して、故郷の名勝の西湖の「西湖志」を所持しており見せて欲しいと頼まれ、来岩国した折藩主に見せた。その絵図に五つの島に橋がかかる絵がありこれがヒントになったそうです。
池の岸壁に詩を刻んだ、今でも一勺の文字が残るらしいが見た感じわかりませんでした。
晩秋の錦帯橋 秋の風情吉香公園西山麓しばらくしますと紅葉も始まります 周防 岩国においでませ。この後は紅葉谷へ。
長年来ていて今回独立和尚の跡を初めて詳しくみました(よくみてみなくてはと思いました)
令和二年五月の錦帯橋の様子(人気が少ないです) sm36871944
久遠山 海蔵寺と江戸時代の作庭〜石組(いわぐみ)池泉庭園 【禅宗寺院庭園】 広島市西区草津
広島市西区草津 曹洞宗 久遠山 海蔵寺と石組庭園(池泉庭園)
米帝の原爆投下で焼けたため広島市内の古庭園はほとんどない。
江戸期庭園の遺構が残るのは=貴重なものであります。今回で3回目訪問。
本堂=天保年間建立で江戸期の寺の本堂建築を今に残す。被曝建物でもあります。
旧市内は古い寺社はほとんど焼けているため残るものが大変少ない。
本堂は方丈の形式だが通常より大きな作りになっているそうです。
西区草津
草津の旧西国街道沿いにある寺社である。周囲には草津八幡(近代に遷座している)、鷺森神社や古い蔵元、寺社、コテ絵を観れる古民家なども点在するエリア。漁師町でしたが今は都市化され埋め立てが進んでいる。現在の牡蠣養殖を盛んにしたのも草津かららしいですね。
石組庭園=元禄時代に築庭された寺院庭園。本堂北側の斜面にあり。
本堂(方丈)書院から見る形式かな。岩が多用されていて三角形に近い池がある。石組は池の護岸から池上部にかけて重厚に組まれている。
西側(向かって左)には滝石組があり落水されていた(今もわずかにあるそうですが、枯れたりもしてるみたい)この時は枯滝のようでした。
滝石の横(左)にも横石を用いた石組が築山から下の方へ組まれている。滝石と横石の石組のあたりの築山はちょうど谷のような形状になっている。庭園ガイドさんのHPを拝見すると以前の写真からしたら山からの土砂が石の間に増えていますね。
夏なので草が茂っています。
海蔵寺サイト、海蔵寺さんの御由緒書、庭園ガイド(庭の紹介HP) サイト海蔵寺の項参照しました。
音楽
ニコニ・コモンズ のる様作
春は歌う。.*:+☆軽やか&華やかなピアノソロBGM
静寂の庭。.*:+☆しっとり和風なピアノソロBGM
忘却の都~ノスタルジックなBGM~