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【voicepeak】りりせ&フリモメン 神社巡り〜延喜式内二俣神社論社「二俣神社」 山口県周南市大向
晩秋の延喜式内社 周防都濃郡一座「二俣神社」論社 二俣(ふたまた)神社参拝記。
周南市は旧国名で言えば周防国都濃(つの)郡に当たる。当社は旧社格は郷社である。
2022.11.28参拝(2回目)
この日、大陽寺〜二俣神社〜漢陽寺〜徳地の慈生温泉とまわりました^^
帰宅は真っ暗 途中 熊毛の八代で迷いました^^;
他の論社=ここから少し北上したところ鹿野にある二所山田神社と315号を下った長穂の周方(すわ)神社のがある。
県道315号線沿いで錦川右岸側(向道湖)になる。道路脇に看板が見えるので見落とさないように。少しいくと金峰方面への橋がある。
地元の方がおられたので挨拶をしてJAか何かの施設の空きスペースに車を止めてあるいて参拝した。
古い社殿と晩秋の空と風がやや厳しい雰囲気でようございました。境内社は菅原神社(天満宮)
隣は出雲大社の教会の社殿。こちらも参拝できちゃいます。
近くの神社好きはGO!だ ここいいよなあ
見返してまた行きたくなります、わしは好き。
周方神社(昔一回行った?)、二所山田(よく行ってる)へもまたいかねば。
☆案内音声にVoicepeak 使用。立ち絵も公式のものをお借りしています。絵はごく少なめにしてあります。
山口県神社庁 二俣神社の項 参照
延喜式内名神大社 旧官幣中社「厳島神社」<中国五県移動制限解除後>令和二年5月
令和二年五月 新緑の厳島神社へ(広島市廿日市市 Hatukaichi City)。中国5県内は移動自粛要請解除後。以前うPしたもののまとめ編集版。
渡船〜宮島港〜参道(海岸側)〜回廊入り口まで。人気もごくまばらな参道を海を見ながら歩き参拝します。商店街は大半がお休みですがいくらかは開いていた。
登山者か参拝者が少しいただけ。全く全然 密な状況はない。
緊縮財政を続けるア○な自民政権の観光政策による過剰ともいえるインバウンドの外国の観光がない島は静寂です。地元広島の登山者と参拝者がわずかにいるだけした。
対岸の駐車場もコロナ騒ぎの間あまり借り手がおられないので安くしておられるところもありまし
た。
千畳閣(開いてました)の受付の方曰く・・最高でも一日1000人の拝観がほぼなしの状態でそうです。
参道がこれだけ人が少ないのも久方ぶりに見たよ、ほんと風景だけ撮れた珍しいです。
9月にも行ったんですが神社も人が少なかった たまに再開された修学旅行の一団がきましたが・・。
自分で見返すのに不便だったので無人の厳島神社の映像 保存用として微調整して15分以下に再編集1本にし連続性を保たせた。
早春の御社2 延喜式内名神大社・旧国幣中社「 速谷神社 」廿日市市上平良
伊勢神社参拝後、少し下の上平良まで移動。速谷神社=安芸国二宮。延喜五年(905年)延喜式神名帳の延喜式内名神大社 旧 国幣中社。御祭神飽速玉男命(アキハヤタマオノミコト)阿岐国造を祀る。
古代は厳島神社を凌ぐ安芸備後で最高の社格を持っていた。厳島信仰の高まりにより いつしか速田神社と称され二宮、厳島明神の摂社的位置になっていたが明治以後速谷神社と社号を戻し復興された。
各地に勧請されていて何箇所かあるようです。旧佐伯町友和の速田神社、美和阿賀の速田神社などには昨年行きました。
境内社=稲荷社と岩木社のみがある、数は少ないですね。
岩木社=参道入り口の大鳥居の近く(向かって左手の住宅街の間)にある権現岩という小山に祠があり岩木の翁を祀るその分祀のようで、権現岩の傍に平楽地蔵堂がある(神宮寺の名残、先日遠目に見たらブルーシートで屋根が痛んでいた)
地主の神様と言われる。厳島明神の伝説にも絡んでいて厳島神社の三翁神社の祭神の一柱にもなっている。以前は岩木社の前には石鳥居がなくて椿が今より大きかったかな。
少し山上にある原の鎮守(安芸灘の眺め) 早春の伊勢神社=sm38317248
代貸ゆかりの一口講座 #03「延喜式」
しばらくバタバタしている内に気がつけば師走
皆様はどんな一年だったでしょうか?
私は動画投稿を初めてあーでもないこーでもないと悩んだりしたりした一年でした。
さて、来年は一体どんな年になるかは分からないけれども
初詣に役立つ知識をここでご紹介。
短い動画ですが最後までごゆるりとお過ごし下さいませ
前回の一口講座に広告いただきまして、ありがとうございます!
SAVI様
錦草様
あくまき様
わた様
フリー素材あそび様
今後とも、お引き立ての程、よろしくお願い申しやす。
twitterアカウントでござんす。よろしければフォローお頼み申します。
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岩国の神社巡り〜延喜式内社論社 岩隈八幡宮(令和二年春)岩国市玖珂(久重山)
岩隈八幡宮(旧玖珂の総鎮守)〜元来は熊毛大神を祀っていたと云われる。
和銅七年(714年)宇佐八幡宮より勧請、初め下祖生にあったものを元禄四年(1691年)参勤交代の大名の参詣に便利な様に吉川広紀 (ひろのり)公により遷座された。
玖珂の三市をはじめとして、近郷53ヶ村の 総氏神であった(山口県歴史散歩より)
情報がないので詳細は不明だが、社殿はおそらく古いものを移築したものではないかと思われる。
その後、下祖生(現岩国市周東町)に災害が続くので元の岩隈山に神社は再勧請されて居ます。動画あり。
延喜式内社熊毛神社論社(元は下祖生なのでまあそちらが本来の論社でしょうね)ただ熊毛郡から延喜式神名帳の時代には玖珂郡は分離していたらしいっす。相当な古社は間違いない。
国道から入口が狭いので一昨年まで参拝を躊躇っていました。狭いの入り口だけで車でも入れます中は広い駐車場あり。残念ながら宮司さんは今は居られないので、高森の椙杜八幡宮で祭祀をされていますからそちらで希望なら御朱印はいただけます。
国道437号線が岩徳線をくぐり国道2号線と合流する辺り〜国道2号線の脇に参道への入口がある(古い狛犬がある)入り口が狭いが車で入れる。わずか山の方へ入ると駐車場あり、さらに拝殿下広場へも入れるが道が狭い。令和三年初詣に行きましたら宮司さんが新たに就任されていました^^
まあ山なので静かで雰囲気はいいです。杉などの大きな木もあったりします。社殿が大きくて見事。 境内者宗本神社の石鳥居からの眺めがいいですね。
防長路巡り https://www.nicovideo.jp/series/19894?ref=user_series
<山口県の神社>石造の参道が美しい 鎮座九百年 旧郷社「賀茂神社」 山口県柳井市 伊保庄( UonoSyou)
周防国旧熊毛郡 伊保庄(うおのしょう)の賀茂神社。
賀茂神社にある、県下で二番目に古い在銘石鳥居は柳井市の重要文化財指定。
阿月の領主=乃美元貞(後の浦元種)が願主として寄進したものという。
本殿は明治時代の再建ながら地元山口県の名工の差配によるもので見事な造りである。
大変趣のある境内で参道の石畳などがよい。神社の向こうに島陰や海も見える。
初秋ながら境内は名残の蝉時雨 聞こえた。
900年前に創建され古社で、京都の賀茂神社の神霊を勧請して奉斎したもの。
由緒=寛治7年宮中の武陵伝の行事〜競馬会(うまくらべえ)が、京都賀茂神社にて催されることになった時に20箇所の荘園が寄進されたがその一つがここ伊保庄。その縁で分祀されたお社。
背後の森は市の天然記念物指定で植物の種も多く大木も多いという。
延喜式内社熊毛神社論社にもなっている、これは当社へ合祀されている古社の祭神が熊毛大神なのでその古社の関係らしいです。
令和2年9月初秋に訪問した。この後 大星山へ向かった。
福塩線沿線 延喜式内社 甘南備神社&素盞鳴神社 (Kannabi&Susanoo)
広島県府中市 備後国の国府があった場所。
甘南備神社=雨乞いでも有名だった古社。相殿に龍王神を祀る。三室山山麓にあり和銅年間に出雲より勧請とも言われる。延喜式内社。三室山には当社の磐座があるようです。
山は昔は遊歩道が整備された様ですが登山した方のブログを拝見すると祠や道も今は荒れている様です。登るのは諦めました。
出口通りにあり石州街道が上下から坂根峠を越え甘南備神社前を通り、備後国府方面へに出る場所でこの名がある。
素盞鳴神社=福山市新市戸手にある。延喜式内社(備後国深津郡 須佐男袁能神社)旧戸手祇園社で 牛頭天王を祀りこの寺での本地仏は観音菩薩。早苗山天竜院天王寺(真言宗)とよばれた。明治後に 神社だけとなり現社号。
石鳥居には習合時代の阿闍梨の名が刻まれています。
釈日本紀にある備後風記逸文にいう疫隈の国社(えのくまのくにやしろ)と言われる(または、摂社の社殿右手にある蘇民社、疱瘡神社がそれであるとも言われる)
祇園信仰の寺社としてはかなり古い様です
一部字幕間違いあり = 素鳴盞神社×→素盞鳴神社 ○ が正しい。 記録は2018春 四月
延喜式内名神大社 旧官幣中社「厳島神社」(二) 御本社参拝記録 ほぼ人がいないです 令和2年5月
令和二年五月 新緑の厳島神社へ。回廊入口〜客(まろうど)神社〜東回廊(鏡の池、卒塔婆石)〜御本社周辺〜大國社、天神社〜長橋〜反橋〜西回廊出口まで。ひと気もまばらな回廊内を巡り参拝します。
山仲間と散策しながらなので一部撮影していないところは今年の正月初詣や過去のデータを補足的に一部活用してます。賑やかさと静寂を対比していいかなと。
鏡の池=干潮時に見られる手鏡に見立てられ厳島八景の一つ。2カ所?ある。
卒塔婆石=池にある岩に鹿ヶ谷事件で流された平康頼流した卒塔婆が流れていたという平家物語にあ るお話だそうです。卒塔婆石の奥の石灯籠は平康頼寄進と言われ一番古いそうです。
後園(うしろその)=本殿の真裏の禁足地。森になっているが昔の本地堂が祀られいた場所。
本地仏=神仏習合で仏が仮の姿で神として現れ人々を救うという信仰形態。江戸時代以前の神仏信仰のスタンダード。
厳島明神本地=十一面観世音観音菩薩の化身。今厳島明神本地仏は大聖院 観音堂に健在。先日も拝んできました。大きな立像でいいお姿ですよ。
客神社=まろうどじんじゃ回廊入り口最初の神社と平舞台のところに左右2カ所あります。
宮島に詳しい郷土史家の方やその他サイトなどいくつか見ると厳島明神に宗像女神が比定されたのは、鎌倉時代以降ではないかとの説があるそうです。元は記紀と関係ない土着神として祀られていたらしい。厳島そのものの神格化だったかもしれません。
ジャンプ設定直しました。コメントでお知らせ恐れ入ります(^^; 気付いてなかったです。
(一)参道から回廊入り口まで。sm36933927
(三)境内外の摂社大元神社(地主神の社とも言われる)編 sm37100895
人がいるところでや、喋るときはマスク、飲食時は喋らない、手を洗い消毒(私は消毒アルコールも持参) 参拝や静かに散策。今まで特に外国人さんめちゃくちゃ多すぎたよね。政府は煽りすぎてた観光。ほどほどに多いくらいがいいです。今は静かでに見れますよ観光へ来てくだされ。
コロナ禍!延喜式内名神大社 旧官幣中社「厳島神社」(一) 参道〜回廊入口。令和二年5月
令和二年五月 新緑の厳島神社へ(広島市廿日市市 Hatukaichi City)。中国5県内は移動自粛要請解除後。普通なら人が多いので昼間でこういう絵は撮れない。
渡船〜宮島港〜参道(海岸側)〜回廊入り口まで。人気もまばらな参道を海を見ながら歩き参拝します。商店街は大半がお休みですがいくらかは開いていた。
登山者か参拝者が少しいただけ。全く密な状況はない。
自民政権の観光政策による過剰ともいえるインバウンドの外国の観光がない島は静寂です。地元広島の登山者と参拝者がわずかにいるだけした。
対岸の駐車場もコロナ騒ぎの間あまり借り手がおられないので安くしておられるところもありまし
た。
千畳閣(開いてました)の受付の方曰く・・最高でも一日1000人の拝観がほぼなしの状態でそうです。
地元の人は行こうよマスクして・・人がいるところでや、喋るときはマスク、飲食時は喋らない、目鼻口を洗わない手で触らない、手を洗い消毒(私は消毒アルコールも持参) 参拝や静かに散策ok
今回のパンデミック〜政権は過剰な観光立国インバウンドもほどほどほどに。程々にです
海外の観光の方も適度に来ていただきたいけど、何より国民が盛んに需要喚起して観光で回れるようデフレや恐慌脱却が先じゃろうね
参道がこれだけ人が少ないのも久方ぶりに見たよ、ほんと風景だけ撮れた珍しいです。
9月にも行ったんですが神社も人が少なかった たまに再開された修学旅行の一団がきましたが・・。
またあげるかな。
その(二)東回廊〜本社参拝〜西回廊出口まで。sm36957225
令和三年1月遅い初詣 sm38158915
*宮島関係動画
https://www.upload.nicovideo.jp/garage/series/12602
安芸国造の祖神を祀る安芸国総鎮守 旧国幣中社 速谷神社 (広島県廿日市市上平良)
御祭神は飽岐速玉命(あきはやたまのみこと)安芸国造の祖神を祀る神社。
古代には名神大社に列し鎮護国家の神として安芸一宮であった。
安芸・備後で最高の社格を誇る 安芸の国の守護神であったといいます。
別垢=最新令和3年 早春の延喜式内名神大社「速谷神社」=sm38359614
平安末期厳島明神の隆盛に伴い一宮も次第に厳島に移りいつの間にか二宮とされ社号も速田神社よばれて厳島の摂社になっていたらしい。明治後復興され社号も本来の速谷神社に復し国への運動の結果 国幣中社に昇格したという。
今でも旧佐伯郡や岩国山代地方の山間部に速田神社という社号の神社がある(勧請したものでしょうね)
現社殿、神門は昭和末期の再建 なかなか豪壮です。
江戸時代の記録には火災で焼けた本殿あとには大岩があり諸人に拝ませないよう幕を張ったとか記載されてるそうです。古墳か磐座かと言われてるらしいですね。
摂社=稲荷社、岩木社があるのみ
岩木社は地主神といわれ 岩木翁を祀る(厳島の三翁神社の祭神でもある) 神社の鳥居からわずか西へ入った住宅街の間にアパートくらいの大きさの小山があり 権現岩といい石の祠があるこの山は岩木翁の磐座とも言われるらしい また平楽地蔵堂もあり(かつての神宮寺の名残だといいます)
境内はそこそこ広い。神池や杉木立ちもある。本殿脇にある椿が結構好きです。岩木社の側にも大きな椿があったんですけど近年石鳥居が寄進されてかなり切られてしまいました。
車のお祓いは有名で新車を買ったら速谷さんと・・いわれてます。
訂正=バイパスから神社への道路は県道30号線ではなく国道433号線が正しい。
<山口県神社案内>延喜式内社熊毛神社・論社 岩隈八幡宮〜岩国市周東町祖生(そお)第二稿
岩国市周東町 祖生の岩隈(いわくま)山に鎮座(祖生は同じ旧玖珂郡でも山陽道沿いの玖珂町(くが)からやや内陸)訪れたのは2月(風がまだ冷たかったです)
玖珂から県道70号線に入り玖珂インターを過ぎ 途中左に通津周東線県道115号へ入り少し行くと常夜灯が山の麓にあるのでそこが参道入口。小高い山の上です。
元々は三毛入野命を祀っていたと言われのち八幡神も勧請されたようです。
歴史は古く、熊毛郡の延喜式内社熊毛神社に比定される論社です。
〜勝間の熊毛神社や室津半島の春日神社、高水の大歳神社などいくつか候補がある。
江戸時代に吉川公により、玖珂の久重山麓へ遷座したが、祖生で災害など続き領民の願いで
旧社地へ社殿再建し玖珂の岩隈八幡から祖生へ再勧請した。
現在の社殿は明治初め再建らしく吉川公が資材を寄進しているそうです。
余談
玖珂六郡の総鎮守・玖珂の岩隈八幡は国道2号線沿い(旧山陽道沿い)に今も健在。
しかし先年宮司をされていた社家がなくなられ宮司さん不在のようです。社務所も宮司宅を兼用だったため今はありません。大鳥居の先に駐車場あり〜拝殿前まで車で入れますが道が途中少し狭い。
岩国市周東町高森の椙杜(すぎのもり)八幡宮の連絡先が案内に記載されていましたので宮司代行されている模様。
先月 椙杜八幡宮も行きましたが 椙杜荘の地頭 蓮華山城の椙杜氏(鎌倉幕府問注所初代執事・三善康信の流れをくむ氏族だそうです)により、室町時代に鶴岡八幡宮から勧請された八幡神社で、泉山という木々の茂った小高い岡の上にありました。石段が急ですごいですw 旧山陽道の街道近くです。社殿など そうとう年季が入ってましたので修復とかしたいところでしょうね。