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【神道シリーズ】第47回・八百万の神④天狗信仰(道教と密教修験道の習合が生み出した妖怪(仏教)護法神)
天狗と言えば、鼻が高くて山伏の格好をして手に大きな葉っぱを持ってるようなイメージですが、実はこうした天狗のイメージが創られたのは室町時代(「御伽草子」)ぐらいからで、もともとの天狗とは中国の道教神話の中で、流星の隕石が狐(ないしは犬)のような形をしてるのが天狗と呼ばれていたのですが、遣唐使の僧旻(そうみん)はその妖怪的なイメージだけを日本に伝えたところから、後にそのイメージが平安時代になって仏僧たちによって開かれた全国の山岳信仰の間で修験道の山伏たちにより僧形の天狗の神のイメージが生まれ、修行を多く積んで強力な験力を得たものが天狗になったとされました。
その天狗は、権現神(仏の眷属が仮の姿として山の神となったもの)と重なり、日本の山岳信仰(全国)の中に浸透して行きました。
八百万の神の中でもこの天狗信仰は全国の山岳信仰に隈なく普及しており、むしろ天狗信仰の無い山岳信仰を探すことが困難なぐらいになってます。
後に江戸時代に国学が盛んになると、天狗を古事記の神サルタヒコに比定する動きも出てきましたが、天狗自体は古事記や日本書紀にはまったく無関係の修験の神だと言えます。
やがて真言宗や天台宗が全国の山岳信仰を制覇するようになると(平安~鎌倉時代)、天狗信仰も両派(当山派=真言系/山門派=天台系)の傘下に入って行きます。
明治時代には国家神道形成の為に多くの天狗信仰の寺が廃寺に追い込まれたり、寺が無理矢理神社にされたり、祭神が無理矢理古事記の神に変えられたりしましたが、1000年以上に渡る歴史は変え難く、今では完全に元の天狗信仰が全国で復活してきています。
【神道シリーズ】第64回・八百万の神⑲愛宕山大権現【前編】(明治の弾圧を跳ね返して今日まで続く愛宕信仰)
愛宕山信仰とは、8世紀に役小角と白山信仰創設者の泰澄による開山と言われてはいますが、実際には781年に僧都・慶俊(法相宗)による開山だとされ(「雍州府史」)、さらに、和気清麻呂による愛宕五山寺(白雲寺・月輪寺・神願寺・日輪寺・伝法寺)の創建により愛宕大権現が祀られた、とされています。
9世紀に天台宗が愛宕さんに進出すると、愛宕山の山頂に位置する白雲寺が天台宗の傘下となり、さらに愛宕山の別当(支配管理職)に任命されると、6つの院(かつて皇族が住職を務めたことがある寺院のこと)によって運営されてたこの白雲寺が実質的に愛宕山信仰の中心となりました。
さらに、この愛宕山は戸隠信仰(飯綱大明神・真言系)の影響で天狗信仰が生まれ、「愛宕太郎坊」として日本の天狗信仰の中心ともなります。
天狗信仰は、真言宗系の当山派修験が中心となり、戸隠・飯綱・高尾山・秋葉山・愛宕山と、稲荷大明神(真言密教に基づくダキニ天の白狐に乗った仙人)のイメージが重なり、「白狐・烏天狗」と「勝軍地蔵・不動明王・毘沙門天信仰」を共有する一大「天狗信仰ネットワーク」を形成しました。