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プロ野球チームをつくろう!アドバンスに登場する元助っ人たち
ども。生きとります。
今回はやきゅつくアドバンスに登場する、かつての助っ人選手を紹介します。
なお、このゲームが発売した2002年当時の在籍助っ人選手は含まれておりません。
【第1回】楽天イーグルス外国人列伝【フェルナンデス編】
東北楽天ゴールデンイーグルスに所属した外国人を後世へ語り継ぐためのシリーズ動画です。
第壱回目はホセ・フェルナンデス選手(2006~2008・2012)
※次回以降取り扱ってほしい外国人選手がいればリクエストしていただければなと思います。
第弐回ラズナー編⇒sm30512938 イーグルス外国人列伝シリーズ⇒mylist/58096450
【東北楽天関係動画⇒mylist/28761478】ニコ生もやってます!co2080914
ハズレ外人だよ!全員集合!(ハズレ外人HR集)+外人投手のHR集
お得なハズレ外人+外人投手のHR集となっております。簡単に言えばネタ切れからの詰め合わせです。
【ダイエーホークス】 バークハート
2002年に1年だけ在籍。
友人との会話で話題に上げた時、誰も覚えていない(知らない)ので動画を見せようと思ったらどこにもなかったので、保持していた映像記録から引っ張り出して来ました。
1年在籍していたとはいえ、1軍にいたのは6月頃までと、オープン戦を含めても実質3ヶ月しか見ることができなかった選手なので、覚えていないのも無理はないかもしれません。
ちなロの主としてはこの映像の後半の試合、珍しく地上波で放送される試合をこの人のHRから逆転され敗戦したり、小坂選手がこの人と交錯して骨折したりしたので、印象に残っている選手でした。
また、両打ちの選手でしたが左右でフォームが全く違うのも印象的でした。
【1試合目】2002年4/24福岡
【2試合目】2002年4/29千葉
【プロ野球】ここ20年来印象に残る助っ人たち B面
☯お品書き☯
フリオ・フランコ(ロッテ)/ブラッグス(横浜)/R.ローズ(横)/カステヤーノ(巨人)/ガルベス(巨)/ジンター(西武)/ペドラザ(ダイエー)/ジョンソン(阪神)/ニール(オリックス)/ウォーレン(ロ)/ウィルソン(ハム)/ソンドンヨル(中日)/T.ローズ(巨)/(番外)バレンタイン(ロ)/ネルソン(中)/ガイエル(ヤクルト)/カブレラ(オ)/オーティズ(ソフトバンク)/ウィリアムス(神)/シーボル(広島)/バーナムJr.(ロ)/イムチャンヨン(ヤ)/ウッズ(中)/ベニー(ロ)/ランビン(ロ)/李スンヨプ(巨)/デントナ(ヤ)/オーティズ(西)/ヒメネス(楽天)/ゴンザレス(西)/ミレッジ(ヤ)/リンデン(楽)/マートン(神)/バレンティン(ヤ)/ボウデン(西)/マギー(楽)/ハフマン(ロ)
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懐かし外人③ 5ツールプレイヤー 「李炳圭」 いろいろプレー集
中日はなんで性格のいい外人ばかり連れてくるんだ・・・ グスマン→sm22937458 セサル→sm22948318 野球関係マイリスト→mylist/41359122
【プロ野球】ここ20年来印象に残る助っ人たち
クールボー(阪神)/サムソン・リー(中日)/ディアス(広島)/マルティネス(巨人)/ミンチー(広)/オバンドー(日本ハム)/C・D(オリックス)/シュールストロム(ハム)/ボーリック(ロッテ)/エルビラ(近鉄)/セラフィニ(ロ)/ベニー(ロ)/T・ウッズ(中)/ラミレス(ヤクルト)/ガイエル(ヤ)/アレックス・オチョア(広)/A・フィリップス(広)/バーナムJr.(ロ)/ホセ・フェルナンデス(西武)/ハーパー(横浜)/モーガン(Dena)/A・ジョーンズ(楽天)次 sm26096886
【懐かしの助っ人選手】 マーク・ミムズ
つべより。1990年にドジャーズに入団したがメジャー経験は無い。
メッツのマイナー在籍時の成績が評価され、1998年のシーズン途中にオリックスと契約。
オリックス在籍のフレーザーとの併用で使われることが多く、9月ごろから先発陣の一人として使われた。
1999年は先発以外にリリーフとしても使われた。オフに退団した。
懐かしの助っ人選手 マイケル・ブロワーズ
1999年に阪神と契約。メジャー時代は三度の二桁本塁打を記録した実績を持つ。
阪神時代は主に四番を務めたが、外角のスライダーに極端に弱い事が発覚してからの成績は急激に落ちた。
2年契約で総額2億2000万円の年俸に見合う成績とは言い難く、一年のシーズン途中で解雇となった。
迷助っ人列伝 阪神助っ人ヒストリー1
忘れられていたあのシリーズが帰ってきた!!
今回は勿論我らが阪神の助っ人列伝パート1です。
実は2か月前から制作していたにもかかわらず、こんなに時間が経ってしまいました・・・
懐かしの助っ人選手 ルイス・アキーノ
つべより。メジャー時代は通算31勝を挙げている。96年、近鉄と契約した。その風貌から「投げるマリオ」とも呼ばれ、この年11勝と好成績を残すもわずか1年で解雇となった。因みに西武戦では滅法強く、6勝を西武から勝ち星を挙げている。
懐かしの助っ人選手 ブレント・ブリード
つべより。1999年にロッテと契約。入団当時27歳と若く、球団からの期待も高かった。開幕スタメンで起用されたが、徐々に打てなくなりシーズン途中に手術で帰国。そのまま退団した。ちなみに同期はフランク・ボーリック。登録名は「ブレイディー」。
懐かしの助っ人選手 コーリー・ポール
つべより。独立リーグ・台湾リーグを点々としていた所を西武に拾われ、1999年シーズン途中に契約し入団。初打席で本塁打を放つなどの活躍を見せこの年12本塁打を記録する。同期の助っ人がことごとく不発だったので来シーズンも期待されたが、2000年は新助っ人の活躍でシーズンの大半を2軍暮らしとなる。2001年はカブレラ・マクレーンのツインバズーカに隠れてしまい1軍登録なしでオフに解雇となった。
懐かしの助っ人選手 フェルナンド・セギノール
つべより。2002年にオリックスと契約。しかし低打率により1年で解雇となる。その後ヤンキースを経て2004年に日ハムと契約。オリックス時代とは打って変わり、月刊MVP・ベストナインを受賞するなど急成長を見せた。2007年オフに解雇となり、2008年はメキシカンリーグからシーズン途中に楽天と契約。2009年オフに解雇となりその後は独立リーグでプレーしていたが、2010年途中で古巣のオリックスと契約するも調整不足を露呈するような成績しか残せず解雇となった。現巨人駐米スカウト。
懐かしの助っ人選手 シェーン・バワーズ
つべより。2001年に森新監督率いる横浜と契約。先発ローテーションの一角を担う存在としての入団だったが1年目は3勝(13敗)、2年目は4勝(8敗)しか挙げられなかった。2002年オフに退団。04~05年在籍のバワーズとは無関係。
懐かしの助っ人選手 ケビン・ミッチェル
つべより。メジャー通算220本塁打という実績をもった現役バリバリのメジャーリーガーとして1995年にホークスと契約。開幕戦で初打席満塁本塁打を放つという華やかなデビューを果たすもその後は低迷。しかもメジャー時代はトラブルメーカーとして名が知られ、日本でも様々なトラブルを起こした。結局、推定4億以上と言われる年俸とは不釣り合いな成績を残してオフに退団となった。
懐かしの助っ人選手 デーブ・ドスター
つべより。退団したR.ローズの代役として2001年横浜と契約。98年日本一を経験した権藤監督から森監督に代わって新たなチームの主砲としての活躍を期待されたが、成績はローズの代役としては物足りなく、更に得点圏打率が極端に低いという理由で1年で解雇された。
懐かしの助っ人選手 メル・ホール
つべより。メジャー時代は通算134本塁打を放ち、4番を務めた実績がある。1993年にロッテと推定年俸2億2000万円で契約。主に指名打者として活躍し、チーム四冠王(打率、本塁打、打点、盗塁)に輝いた。1994年オフに退団し、95年に中日と契約するも両膝の故障で不振に陥り、1年で解雇となった。引退後はバスケの教え子の女子にわいせつな行為をしたとして逮捕された。
懐かしの助っ人選手 エリック・ヒルマン
つべより。1995年にロッテと契約。1年目には12勝を挙げロッテの2位入りの原動力となる。翌年には14勝を挙げベストナインに選ばれるが、オフに退団。1997年には巨人と契約するが、前年までの活躍が嘘のようにまったく機能せず、さらに翌年は1試合も登板せずそのまま退団となった。
懐かしの助っ人選手 スコット・マクレーン
つべより。2001年に西武と契約。同期のカブレラと共に「ツイン・バズーカ」で活躍し、この年39本塁打を放つ。しかしその後は成績が急激に落ち、2003年にいったん解雇されるがカブレラ故障の代役として2004年途中に復帰する。オフに解雇となり、その後さまざまなメジャー球団を渡り歩き、2009年途中に広島と契約し5年ぶりの日本球界復帰となるも、調子の波が激しく同年限りで解雇。現カープ駐米スカウト。
懐かしの助っ人選手 ウェス・チェンバレン
つべより。メジャー時代には通算43本塁打を放っている。1996年シーズン途中にウィットモアと共にロッテと契約。先に獲得した助っ人がまったくのはずれで途中解雇になったための代役であった。初打席でいきなり活躍し、シーズン終了まで4番を務めたが思うような成績は残せずオフに解雇となった。
懐かしの助っ人選手 グレッグ・ラロッカ
つべより。2004年に広島と契約。当初はあまり注目されなかったが、シーズンが始まると打撃が爆発し打率3割40本塁打100打点をマークした。翌年は4番としての活躍を期待されたが多大なる故障によりオフに解雇。2006年はヤクルトと契約し、同僚のラミレス・リグスと共にクリーンナップを組んでいた。それなりの成績は残したが、シーズン途中で戦線離脱したのが影響しオフに解雇。2007年はオリックスと契約しこの年久々に規定打席に到達し、また1シーズン最多死球の記録も塗り替えた。しかしその後は怪我や同じ三塁手のバルディリスの活躍により2010年オフに解雇となった。現オリックス米駐スカウト。
懐かしの助っ人選手 T.ウッズ
つべより。韓国リーグで本塁打王・打点王に輝いた実績を引っ提げて2003年に横浜と契約。2003年・2004年に本塁打王に輝くもチャンスに弱い・高齢であることを理由に2004年オフに解雇。2005年からは中日と契約し、2006年に本塁打王・打点王に輝くも徐々に年齢を重ねることに衰え、2008年オフに解雇となった。
懐かしの助っ人選手 アロンゾ・パウエル
つべより。1992年に中日と契約。1994~1996年まで外国人初の連続首位打者を獲得した。1997年は打率が低下しこの年限りで退団。1998年に阪神に移籍し一時期は4番を任せられるが往年の力はなくシーズン途中で解雇された。
懐かしの助っ人選手 ティモニエル・ペレス
つべより。カープアカデミーを経て1996年広島と契約。打撃は荒かったがパンチ力があり守備も無難にこなす選手だった。俊足で代走で起用されることも多かった。1999年に退団し、その後メジャー球団を数球団渡り歩いた。