タグ 懐かし助っ人 が登録されている動画 : 151 件中 1 - 32 件目
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元日本ハムファイターズのイースラー
ただ単に、 sm2827498 の動画と sm4271503 の音声をくっつけただけです。つくったもの mylist/30146699
【野球】8/16 埼玉西武vsオリックス ボカチカ自作自演!!平尾サヨナラ弾!!
2008/08/16 埼玉西武ライオンズvsオリックスバファローズブラゼル・ボカチカの致命的なエラーで7回に4失点で逆転されるも3点差の9回裏、ボカチカが起死回生同点3ラン!さらには、10回代打・平尾博嗣が完璧に捕らえた代打サヨナラホームラン!で、ライオンズ劇的勝利! mylist/7832679
懐かしの助っ人選手 シェーン・バワーズ
つべより。2001年に森新監督率いる横浜と契約。先発ローテーションの一角を担う存在としての入団だったが1年目は3勝(13敗)、2年目は4勝(8敗)しか挙げられなかった。2002年オフに退団。04~05年在籍のバワーズとは無関係。
横浜ベイスターズ 新外国人 JJファーマニアク
年俸6500万で入団が決定(12/5付け)したJJです。来年こそは優勝…いやCS出場を切に願う
懐かしの助っ人外国人選手 ジェイソン・グラボースキー
つべより。2006年にオリックスに在籍。マイナー時代中村紀洋とクリーンナップを組んでいたという縁で、中村が移籍したオリックスへやってきたがあまりの低打率のひどさと4本しかHRを打てないことから1年で解雇された。
1985年日本シリーズ バース
1985年日本シリーズ バース■オリックス 鉄壁の外野陣→sm5831090■助っ人外国人列伝→sm5831052■長嶋茂雄偉人伝説→sm5831070■ベッケンバウアー→sm5831166
懐かしの助っ人選手 ティモニエル・ペレス
つべより。カープアカデミーを経て1996年広島と契約。打撃は荒かったがパンチ力があり守備も無難にこなす選手だった。俊足で代走で起用されることも多かった。1999年に退団し、その後メジャー球団を数球団渡り歩いた。
懐かしの助っ人外国人選手 クリフ・ブランボー
つべより。2005年に合併オリックス新助っ人第一号として入団。その年はオリックスの主砲として活躍するが翌年は打撃不振で解雇となった。打撃フォームがアッパースイングの為、ポップフライが多かった。
元楽天 アンディ・トレーシー メジャーでのタイムリーヒット
2009年9月13日の試合らしいです。この年はフィラデルフィア・フィリーズに所属しています。
懐かしの助っ人外国人選手 ジャスティン・ジャマーノ
つべより。リトルリーグ時代にマーク・マグワイアのシーズン最多本塁打記録を破ったことがある。メジャーでは通算8勝を挙げ2009年にホークスと契約。交流戦での広島戦で雨天コールドだったものの初先発での完投で来日初勝利を挙げている。シーズン通して14試合登板で5勝を挙げたものの本人のメジャー志向により1年で退団。その後はインディアンズで中継ぎとしてプレーするものの、2011年は韓国でプレーしている。
懐かしの助っ人選手 エリック・ヒルマン
つべより。1995年にロッテと契約。1年目には12勝を挙げロッテの2位入りの原動力となる。翌年には14勝を挙げベストナインに選ばれるが、オフに退団。1997年には巨人と契約するが、前年までの活躍が嘘のようにまったく機能せず、さらに翌年は1試合も登板せずそのまま退団となった。
懐かしの助っ人選手 スコット・マクレーン
つべより。2001年に西武と契約。同期のカブレラと共に「ツイン・バズーカ」で活躍し、この年39本塁打を放つ。しかしその後は成績が急激に落ち、2003年にいったん解雇されるがカブレラ故障の代役として2004年途中に復帰する。オフに解雇となり、その後さまざまなメジャー球団を渡り歩き、2009年途中に広島と契約し5年ぶりの日本球界復帰となるも、調子の波が激しく同年限りで解雇。現カープ駐米スカウト。
懐かしの助っ人選手 ルイス・ロペス
ようつべより。1996年に広島と契約。キャンプで不安定なスイングの矯正を行い、この年と翌年に打点王を獲得。1997年には最多安打のタイトルを獲得した。97年オフに退団し、不祥事で謹慎していた小久保の代わりの主砲を探していたホークスと契約。しかし小久保の復帰で1年で退団し、2000年シーズン途中に広島と再契約。2001年まで主砲クラスの活躍を見せたが、2002年に前田智徳とのトラブルでシーズン途中で退団した。
懐かしの助っ人外国人選手 ドミンゴ・グスマン
つべより。2002年~2003年までは横浜に在籍し2003年はチームトップの8勝を挙げるもムラッ気のある性格が災いし解雇。2004年からは中日に移籍し、この年2桁勝利を挙げるもその後は故障で満足な結果が残せず解雇。2007年には楽天で先発のほかに抑えも務めたが満足な成績を出せずに退団となった。
懐かしの助っ人外国人選手 アダム・リグス
つべより。05年にヤクルトに入団。06年には「バントをしない二番打者」として39本塁打を放つ活躍をする。翌年は主軸の岩村が抜けたことにより代わりの主軸として活躍を期待されたが怪我などがあり全く活躍できなかった。さらに翌年は不振とやる気の無さから首脳陣の怒りを買い、シーズン途中で解雇となった。
懐かしの助っ人選手 ブレント・ブリード
つべより。1999年にロッテと契約。入団当時27歳と若く、球団からの期待も高かった。開幕スタメンで起用されたが、徐々に打てなくなりシーズン途中に手術で帰国。そのまま退団した。ちなみに同期はフランク・ボーリック。登録名は「ブレイディー」。
懐かしの助っ人選手 T.ウッズ
つべより。韓国リーグで本塁打王・打点王に輝いた実績を引っ提げて2003年に横浜と契約。2003年・2004年に本塁打王に輝くもチャンスに弱い・高齢であることを理由に2004年オフに解雇。2005年からは中日と契約し、2006年に本塁打王・打点王に輝くも徐々に年齢を重ねることに衰え、2008年オフに解雇となった。
懐かしの助っ人選手 ロブ・デューシー
つべより。メジャー時代は3球団を渡り歩き、1995年に日ハムと契約。主に1番として起用され、1番起用なのに良く本塁打を放つことから「恐怖の1番打者」と呼ばれた。1995年は25本塁打、1996年には26本塁打放つなどなかなかの活躍を見せたが、打率が低打率なのがネックだったために1996年限りで退団となった。
1998年 ロバート・ローズ 9号HR
タイトル通りです。ボビーはホントにいい選手でした。http://www.nicovideo.jp/mylist/6430960
懐かしの助っ人選手 ルイス・アキーノ
つべより。メジャー時代は通算31勝を挙げている。96年、近鉄と契約した。その風貌から「投げるマリオ」とも呼ばれ、この年11勝と好成績を残すもわずか1年で解雇となった。因みに西武戦では滅法強く、6勝を西武から勝ち星を挙げている。
懐かしの助っ人選手 グレッグ・ラロッカ
つべより。2004年に広島と契約。当初はあまり注目されなかったが、シーズンが始まると打撃が爆発し打率3割40本塁打100打点をマークした。翌年は4番としての活躍を期待されたが多大なる故障によりオフに解雇。2006年はヤクルトと契約し、同僚のラミレス・リグスと共にクリーンナップを組んでいた。それなりの成績は残したが、シーズン途中で戦線離脱したのが影響しオフに解雇。2007年はオリックスと契約しこの年久々に規定打席に到達し、また1シーズン最多死球の記録も塗り替えた。しかしその後は怪我や同じ三塁手のバルディリスの活躍により2010年オフに解雇となった。現オリックス米駐スカウト。
懐かしの助っ人 C・D(クリス・ドネルス)
つべより。メジャー3球団を渡り歩き1996年に近鉄と契約。20本塁打を放つが1年で退団。翌年オリックスに移籍し、1年目は打率3割と17本塁打を放つも2年目以降は成績がガクンと落ち3年目は1軍登録なしで解雇された。引退後はオリックスバファローズのスカウトを務めた。
オバQ・ブライアントホームラン競争
交流戦初年度に開催した企画だったかと。当時富雄51歳、ブライアント44歳。富雄はともかくブライアントは衰えを知りませんでした
懐かしの助っ人選手 エリック・アンソニー
つべより。メジャー5球団を渡り歩き1998年にヤクルトとシーズン途中で契約。1997年本塁打王のホージーの不振、新入団のムートンの途中解雇もあって期待も大きかったが故障癖があり、44試合で12本塁打を放ったがこの年限りで解雇。ポジションは外野手だったが1試合しか守る機会がなく大半は1塁を守っていた。
懐かしの助っ人選手 D・J(ダグ・ジェニングス)
つべより。1995年にオリックスと契約。当初は不調だったが7月ごろから調子が良くなり、7、8月の月間MVPに輝く活躍を見せこの年のリーグ優勝に貢献。翌年は成績が落ちたが、チームの日本一に貢献する活躍を見せた。1997年はシーズンの大半を二軍で過ごし、この年限りで退団した。
懐かしの助っ人選手 バーナード・ブリトー
つべより。メジャー時代はマイナーでは良く打つものの、メジャー昇格だと全く打てないため「ミスター・マイナーリーグ」と呼ばれていた。1995年途中に不振のマッキントッシュの代わりに入団し、56試合で21本と驚異のペースで打つが身内の不幸で帰国。1996年は29本塁打を放つが、練習法が合わないとしてそのまま退団した。