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懐かしの助っ人 グレン・ブラッグス
つべより。メジャーでは通算70本塁打を放ちワールドシリーズ制覇に貢献した実績を持つ現役バリバリのメジャーリーガーとして1993年にベイスターズと契約。29試合連続ヒットを放ち歴代助っ人の連続安打記録を更新する。翌年はベイの4番として35本塁打を放つなど凄まじい活躍を見せたが96年は死球による不調でこの年限りで引退した。ちなみに同期は後の「マシンガン打線」の一角を担ったロバート・ローズ。
懐かしの助っ人外国人選手 アレックス・オチョア
つべより。メジャー時代はサイクル安打達成やワールドシリーズ貢献者に名を連ねるなどの実績を持つ。2003年に中日に所属し、翌年はゴールデンクラブを受賞している。しかしその後は徐々に調子が悪くなり、2006年オフに解雇。2007年のシーズン途中に広島へ入団。この年は途中入団ながらそこそこ活躍したが、翌年は年齢による衰えで現役を引退した。強肩が自慢の選手だった。
【オリックスブルーウェーブ】シェルドン内野手
youtubeから02~03年在籍。『メジャー時代に(消化試合で)1試合中に全ポジションを守った珍記録保持者』というあまり期待できない売り文句だった。日本では主に一・三塁を守り、1年目は26本塁打を放ったものの得点圏打率.168ととんでもなくチャンスに弱くかったうえリーグ最多の155三振を記録。2年目はオーティズ・ブラウンの現役メジャーコンビの陰に隠れあまり目立てなかった。
懐かしの助っ人選手 グレン・デービス
つべより。メジャー時代はドラフト1位指名でアストロズに指名されその後通算190本塁打を放ち1986年のアストロズ地区優勝に貢献するなど華やかな経歴を掲げながら1995年阪神と契約。同期入団のクールポーとクリーンナップを組んでこの年23本塁打の成績を残す。しかし翌年は首脳陣とトラブルを起こし2軍暮らしが続き、1軍復帰後は代打満塁本塁打を放つ活躍を見せるがクールポーと共にシーズン途中で解雇された。
【千葉ロッテマリーンズ】ボーリック内野手
99~02年在籍。助っ人打者としては小柄だったが選球眼が良く、高めの直球を見送ってカウントを有利にし、フォークで空振りを奪いにきたところを豪快なアッパースイングで叩く抜群に勝負強いバッティングで数多からぬファンを魅了した。しかし02年シーズンにストライクゾーンが変わったことで、いままで手を出さなかった高めの球をことごとくストライクにされてしまい低迷。特徴的だったスタンスを狭くするなどのフォーム改造も実らず、シーズン終了を前に帰国した。なお、4シーズン在籍したにもかかわらず専用応援歌は用意されなかった。
懐かしの助っ人選手 ルディ・ペンバートン
つべより。1997年途中に西武と契約。しかしその直後に故障になり、復帰後もろくな成績を残せずにいたが最終戦で満塁本塁打を放ち残留。1998年は9月までろくな働きをしなかったが、9月あたりから急激に調子を上げ一時期は4番を任せられるようになった。しかし守備面にやや雑さが目立ったためこの年限りで解雇となった。
懐かしの助っ人外国人選手 チャド・アレン
つべより。アトランタオリンピックや北京オリンピック予選でアメリカ代表で4番を打った実績のある選手として2007年オリックスに移籍した。右打ちがうまく、打率.286と決して悪くはなかったもののHRはわずか4本止まりと助っ人としては迫力不足だったので解雇となった。
【西武ライオンズ】マクレーン内野手
再うp。01年入団、当初は同時に獲得されたカブレラより期待されていた。1年目はそのカブレラと共に『ツインバズーカ』として39本塁打を放つ。エバンスとの残留争いに勝つなどの紆余曲折を経て03年オフに一旦解雇されたが再雇用され04年まで在籍。09年シーズン中広島に電撃入団、年齢の割にはまあまあの活躍を見せたが今度は1年限り。
懐かしの助っ人外国人選手 フランク・ボーリック
つべより。99年に長打力不足に悩んでいたロッテに入団。キャンプでは不調で当初は二軍暮らしが続いたが一軍に上がると来日初打席で本塁打を放つなどの活躍を見せた。01年には指名打者でのベストナインに選ばれるなどの活躍を見せたが、翌年は新ストライクゾーンが採用されると瞬く間に不振になり解雇となった。99年にはボーリックが本塁打を放った試合は負けないという「ボーリック神話」も生まれた。
【大阪近鉄バファローズ】バーンズ外野手
再うp。04年在籍、登録は外野手だったがほとんどDH専門。シーズン序盤の故障が響き34試合出場、打率.252、4本塁打といまいちの成績だった。長打力のあるマリオが途中入団して以降は投手3人制(パウエル・バーン・カラスコ)に阻まれ藤井寺暮らし。(アレな画質は勘弁してください)
オフコースの「サヨナラ」でウィットとミセリ
大失点外国人投手ミセリと活躍なかったウィトの2005年をサヨナラをBGMで。ちなみにミセリは防御率23.63です。
懐かしの助っ人選手 ベン・リベラ
つべより。メジャー時代には1993年に13勝を挙げている。中華リーグ時代は抑えとして19セーブを挙げている。1998年に阪神と契約。阪神では150km超の速球を使い抑えとして活躍しこの年27セーブを挙げる。翌年はシーズン途中までは防御率0.70、13セーブを挙げるも故障で帰国。走者を背負った場面に対しての不安定さからそのまま退団となった。現阪神タイガース中南米担当スカウト。
グレン・エリック・ブラッグスのテーマ
1993年から1996年まで横浜ベイスターズに所属した助っ人外国人。ものすごいスイングと強肩、そして乱闘でファンを魅了した。この曲は、2001年ジョン・ズーバーの応援歌に流用された。2013年後半戦よりトニ・ブランコのチャンステーマに!(2013年8月追記)
3ボールでも余裕で出塁しようとしたダンジョン
今横浜ベイスターズにいるダンジョンことダン・ジョンソンはかつて3ボールで出塁しようとしたことがある。06年05月06日の試合にて。 そういえば今年同じようなのがありました⇒ sm7165903 こっちはランナーアウトになったけど。どっちもA'sの待球戦術タイプの選手がやってます。 mylist/10308062
懐かしの助っ人外国人選手 ヘクター・カラスコ
つべより。メジャー通算498試合登板の実績を売りに近鉄に2004年在籍。それまでクローザーを務めていた大塚が抜けてしまったので新たなクローザーとして期待されたが制球難からよく炎上が発生するため勝てる試合も負けてしまう事が多々あった。因みにこの年近鉄・オリックスの吸収合併騒動があった為、メジャー時代のストライキの経験をアドバイスをしていた。
懐かしの助っ人選手 フェルナンド・セギノール
つべより。2002年にオリックスと契約。しかし低打率により1年で解雇となる。その後ヤンキースを経て2004年に日ハムと契約。オリックス時代とは打って変わり、月刊MVP・ベストナインを受賞するなど急成長を見せた。2007年オフに解雇となり、2008年はメキシカンリーグからシーズン途中に楽天と契約。2009年オフに解雇となりその後は独立リーグでプレーしていたが、2010年途中で古巣のオリックスと契約するも調整不足を露呈するような成績しか残せず解雇となった。現巨人駐米スカウト。
元東北楽天ゴールデンイーグルス デイモン・マイナー
YouTubeから転載 誕生日記念のはずだが1月9日という可能性もあるらしい 投手は小林宏之
懐かしの助っ人選手 デーブ・ドスター
つべより。退団したR.ローズの代役として2001年横浜と契約。98年日本一を経験した権藤監督から森監督に代わって新たなチームの主砲としての活躍を期待されたが、成績はローズの代役としては物足りなく、更に得点圏打率が極端に低いという理由で1年で解雇された。
懐かしの助っ人外国人選手 ジョージ・アリアス
つべより。2000年~2001年までにオリックスに在籍。2002年~2004年までは阪神に在籍し、2003年の優勝に貢献する活躍を見せた。2006年に巨人に移籍するも全盛期のような活躍は出来ずに退団した。(最も球団の空気になじめなかったらしいが)現在は住宅の清掃会社を経営している。
懐かしの助っ人選手 ウェス・チェンバレン
つべより。メジャー時代には通算43本塁打を放っている。1996年シーズン途中にウィットモアと共にロッテと契約。先に獲得した助っ人がまったくのはずれで途中解雇になったための代役であった。初打席でいきなり活躍し、シーズン終了まで4番を務めたが思うような成績は残せずオフに解雇となった。
懐かしの助っ人選手 バーナード・ブリトー
つべより。メジャー時代はマイナーでは良く打つものの、メジャー昇格だと全く打てないため「ミスター・マイナーリーグ」と呼ばれていた。1995年途中に不振のマッキントッシュの代わりに入団し、56試合で21本と驚異のペースで打つが身内の不幸で帰国。1996年は29本塁打を放つが、練習法が合わないとしてそのまま退団した。
懐かしの助っ人選手 D・J(ダグ・ジェニングス)
つべより。1995年にオリックスと契約。当初は不調だったが7月ごろから調子が良くなり、7、8月の月間MVPに輝く活躍を見せこの年のリーグ優勝に貢献。翌年は成績が落ちたが、チームの日本一に貢献する活躍を見せた。1997年はシーズンの大半を二軍で過ごし、この年限りで退団した。
懐かしの助っ人選手 エリック・アンソニー
つべより。メジャー5球団を渡り歩き1998年にヤクルトとシーズン途中で契約。1997年本塁打王のホージーの不振、新入団のムートンの途中解雇もあって期待も大きかったが故障癖があり、44試合で12本塁打を放ったがこの年限りで解雇。ポジションは外野手だったが1試合しか守る機会がなく大半は1塁を守っていた。
オバQ・ブライアントホームラン競争
交流戦初年度に開催した企画だったかと。当時富雄51歳、ブライアント44歳。富雄はともかくブライアントは衰えを知りませんでした
懐かしの助っ人選手 グレッグ・ラロッカ
つべより。2004年に広島と契約。当初はあまり注目されなかったが、シーズンが始まると打撃が爆発し打率3割40本塁打100打点をマークした。翌年は4番としての活躍を期待されたが多大なる故障によりオフに解雇。2006年はヤクルトと契約し、同僚のラミレス・リグスと共にクリーンナップを組んでいた。それなりの成績は残したが、シーズン途中で戦線離脱したのが影響しオフに解雇。2007年はオリックスと契約しこの年久々に規定打席に到達し、また1シーズン最多死球の記録も塗り替えた。しかしその後は怪我や同じ三塁手のバルディリスの活躍により2010年オフに解雇となった。現オリックス米駐スカウト。
懐かしの助っ人 C・D(クリス・ドネルス)
つべより。メジャー3球団を渡り歩き1996年に近鉄と契約。20本塁打を放つが1年で退団。翌年オリックスに移籍し、1年目は打率3割と17本塁打を放つも2年目以降は成績がガクンと落ち3年目は1軍登録なしで解雇された。引退後はオリックスバファローズのスカウトを務めた。