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懐かしの助っ人選手 グレッグ・ラロッカ
つべより。2004年に広島と契約。当初はあまり注目されなかったが、シーズンが始まると打撃が爆発し打率3割40本塁打100打点をマークした。翌年は4番としての活躍を期待されたが多大なる故障によりオフに解雇。2006年はヤクルトと契約し、同僚のラミレス・リグスと共にクリーンナップを組んでいた。それなりの成績は残したが、シーズン途中で戦線離脱したのが影響しオフに解雇。2007年はオリックスと契約しこの年久々に規定打席に到達し、また1シーズン最多死球の記録も塗り替えた。しかしその後は怪我や同じ三塁手のバルディリスの活躍により2010年オフに解雇となった。現オリックス米駐スカウト。
【千葉ロッテマリーンズ】ショート 内野手
03年ロッテ、06~09楽天。本職だったサードはフェルナンデスが守ることが多かったため大抵レフトで出場。一度だけセカンドを守ったものの、あいにく誰もが期待していた「ショートがショート」の機会は一度もなかった。8月以降調子を上げ打率3割でシーズンを終えたが、山本エカ政権終了の巻き添えを食いあえなく解雇された。楽天では巧打を遺憾なく発揮して、08年には首位打者を獲得。
懐かしの助っ人選手 T.ウッズ
つべより。韓国リーグで本塁打王・打点王に輝いた実績を引っ提げて2003年に横浜と契約。2003年・2004年に本塁打王に輝くもチャンスに弱い・高齢であることを理由に2004年オフに解雇。2005年からは中日と契約し、2006年に本塁打王・打点王に輝くも徐々に年齢を重ねることに衰え、2008年オフに解雇となった。
ビグビー&コバフト
炎と燃えるその闘志 みなぎる胸に託す夢 かっ飛ばせ!空へ高く 君は二ユーヒーローさ♪
ジェイジェイ&コバフト【sm3984911】
懐かしの助っ人選手 ロブ・マットソン
つべより。1998年に近鉄と契約。メジャー経験はなく(主にメキシカンリーグでプレー)また当時としてはNPBとしては珍しいナックルボーラーだった。この年はチームの勝ち星稼ぎとなり、チーム最多の9勝を挙げる。翌年は敵球団に徹底的に攻略され解雇となった。
懐かしの助っ人選手 メル・ホール
つべより。メジャー時代は通算134本塁打を放ち、4番を務めた実績がある。1993年にロッテと推定年俸2億2000万円で契約。主に指名打者として活躍し、チーム四冠王(打率、本塁打、打点、盗塁)に輝いた。1994年オフに退団し、95年に中日と契約するも両膝の故障で不振に陥り、1年で解雇となった。引退後はバスケの教え子の女子にわいせつな行為をしたとして逮捕された。
懐かしの助っ人選手 アロンゾ・パウエル
つべより。1992年に中日と契約。1994~1996年まで外国人初の連続首位打者を獲得した。1997年は打率が低下しこの年限りで退団。1998年に阪神に移籍し一時期は4番を任せられるが往年の力はなくシーズン途中で解雇された。
【日本ハムファイターズ】クローマー内野手
再うp。02~03年在籍。登録名は「DT(デイビッド・トーマス)クローマー」だったが、応援コールはおろか本拠地東京ドームのスコアボードですら「クローマー」とだけ表記されていた。応援テーマは元々シューの曲だったものの流用。13年のレジェンドシリーズでアブレイユに使われていたが「かっとばせー、クローマー!」と言いそうになってしまったのはたぶん私だけ。
懐かしの助っ人外国人選手 フランク・ボーリック
つべより。99年に長打力不足に悩んでいたロッテに入団。キャンプでは不調で当初は二軍暮らしが続いたが一軍に上がると来日初打席で本塁打を放つなどの活躍を見せた。01年には指名打者でのベストナインに選ばれるなどの活躍を見せたが、翌年は新ストライクゾーンが採用されると瞬く間に不振になり解雇となった。99年にはボーリックが本塁打を放った試合は負けないという「ボーリック神話」も生まれた。
懐かしの助っ人選手 デーブ・ドスター
つべより。退団したR.ローズの代役として2001年横浜と契約。98年日本一を経験した権藤監督から森監督に代わって新たなチームの主砲としての活躍を期待されたが、成績はローズの代役としては物足りなく、更に得点圏打率が極端に低いという理由で1年で解雇された。
懐かしの助っ人外国人選手 ジャレッド・フェルナンデス
つべより。アストロズ時代は防御率54.00と自己ワースト記録を出している。2007年に広島へ入団。いわゆる「ナックルボーラー」と呼ばれるタイプの投手で、主にナックルを使いプレーしていた。しかし牽制は上手いものの、肝心のナックルが100km/h程しか出ないことから打ちこまれることが多く、防御率6点台とあまり活躍できずに1年限りで退団した。
【ダイエーホークス】 バークハート
2002年に1年だけ在籍。
友人との会話で話題に上げた時、誰も覚えていない(知らない)ので動画を見せようと思ったらどこにもなかったので、保持していた映像記録から引っ張り出して来ました。
1年在籍していたとはいえ、1軍にいたのは6月頃までと、オープン戦を含めても実質3ヶ月しか見ることができなかった選手なので、覚えていないのも無理はないかもしれません。
ちなロの主としてはこの映像の後半の試合、珍しく地上波で放送される試合をこの人のHRから逆転され敗戦したり、小坂選手がこの人と交錯して骨折したりしたので、印象に残っている選手でした。
また、両打ちの選手でしたが左右でフォームが全く違うのも印象的でした。
【1試合目】2002年4/24福岡
【2試合目】2002年4/29千葉
懐かし外人③ 5ツールプレイヤー 「李炳圭」 いろいろプレー集
中日はなんで性格のいい外人ばかり連れてくるんだ・・・ グスマン→sm22937458 セサル→sm22948318 野球関係マイリスト→mylist/41359122
懐かしの助っ人選手 エリック・ヒルマン
つべより。1995年にロッテと契約。1年目には12勝を挙げロッテの2位入りの原動力となる。翌年には14勝を挙げベストナインに選ばれるが、オフに退団。1997年には巨人と契約するが、前年までの活躍が嘘のようにまったく機能せず、さらに翌年は1試合も登板せずそのまま退団となった。
懐かしの助っ人外国人選手 タフィ・ローズ
つべより。近鉄時代は2001年にシーズン最多本塁打55本を達成しリーグ優勝に貢献。2004年は年俸問題で巨人に移籍しセリーグ最多本塁打王を記録。巨人退団後は一旦引退するが2007年新生オリックスで復帰。2008年、新生オリックスとしては初のAクラスに入る活躍に貢献した。しかし翌年は怪我によりまたも年俸でもめて退団。現在は半引退状態らしい。
懐かしの助っ人外国人選手 ジョージ・アリアス
つべより。2000年~2001年までにオリックスに在籍。2002年~2004年までは阪神に在籍し、2003年の優勝に貢献する活躍を見せた。2006年に巨人に移籍するも全盛期のような活躍は出来ずに退団した。(最も球団の空気になじめなかったらしいが)現在は住宅の清掃会社を経営している。
懐かしの助っ人選手 フェルナンド・セギノール
つべより。2002年にオリックスと契約。しかし低打率により1年で解雇となる。その後ヤンキースを経て2004年に日ハムと契約。オリックス時代とは打って変わり、月刊MVP・ベストナインを受賞するなど急成長を見せた。2007年オフに解雇となり、2008年はメキシカンリーグからシーズン途中に楽天と契約。2009年オフに解雇となりその後は独立リーグでプレーしていたが、2010年途中で古巣のオリックスと契約するも調整不足を露呈するような成績しか残せず解雇となった。現巨人駐米スカウト。
懐かしの助っ人選手 コーリー・ポール
つべより。独立リーグ・台湾リーグを点々としていた所を西武に拾われ、1999年シーズン途中に契約し入団。初打席で本塁打を放つなどの活躍を見せこの年12本塁打を記録する。同期の助っ人がことごとく不発だったので来シーズンも期待されたが、2000年は新助っ人の活躍でシーズンの大半を2軍暮らしとなる。2001年はカブレラ・マクレーンのツインバズーカに隠れてしまい1軍登録なしでオフに解雇となった。
1985年日本シリーズ バース
1985年日本シリーズ バース■オリックス 鉄壁の外野陣→sm5831090■助っ人外国人列伝→sm5831052■長嶋茂雄偉人伝説→sm5831070■ベッケンバウアー→sm5831166
懐かしの助っ人選手 スコット・マクレーン
つべより。2001年に西武と契約。同期のカブレラと共に「ツイン・バズーカ」で活躍し、この年39本塁打を放つ。しかしその後は成績が急激に落ち、2003年にいったん解雇されるがカブレラ故障の代役として2004年途中に復帰する。オフに解雇となり、その後さまざまなメジャー球団を渡り歩き、2009年途中に広島と契約し5年ぶりの日本球界復帰となるも、調子の波が激しく同年限りで解雇。現カープ駐米スカウト。
懐かしの助っ人選手 ウェス・チェンバレン
つべより。メジャー時代には通算43本塁打を放っている。1996年シーズン途中にウィットモアと共にロッテと契約。先に獲得した助っ人がまったくのはずれで途中解雇になったための代役であった。初打席でいきなり活躍し、シーズン終了まで4番を務めたが思うような成績は残せずオフに解雇となった。
懐かしの助っ人外国人選手 ドミンゴ・グスマン
つべより。2002年~2003年までは横浜に在籍し2003年はチームトップの8勝を挙げるもムラッ気のある性格が災いし解雇。2004年からは中日に移籍し、この年2桁勝利を挙げるもその後は故障で満足な結果が残せず解雇。2007年には楽天で先発のほかに抑えも務めたが満足な成績を出せずに退団となった。
懐かしの助っ人選手 ハービー・プリアム
つべより。1998年にオリックスと契約。ニールと共にクリーンナップを組んでいた時期もあった。当初は成績を残せなかったがシーズン途中から急成長を遂げる。ロッテの17連敗を記録した試合で9回2アウト2ストライクから逆転のホームランを黒木から放っている。この年は18本塁打を放ち、翌年20本塁打を放っている。1999年退団。
懐かしの助っ人選手 ダリン・ジャクソン
つべより。メジャー時代は通算77本塁打を放った実績を持つ走攻守が三拍子揃った現役バリバリのメジャーリーガーとして1995年に西武と契約。安定した打率と長打力で打線を引っ張った。また足も速い上外野守備も強肩好守と非の打ち所が無く、従前の打つだけという助っ人打者像を覆す活躍を見せた。またメジャーリーガーという肩書を鼻にかけることなくチームとなじんでいた。1996年退団。
懐かしの助っ人選手 ベン・リベラ
つべより。メジャー時代には1993年に13勝を挙げている。中華リーグ時代は抑えとして19セーブを挙げている。1998年に阪神と契約。阪神では150km超の速球を使い抑えとして活躍しこの年27セーブを挙げる。翌年はシーズン途中までは防御率0.70、13セーブを挙げるも故障で帰国。走者を背負った場面に対しての不安定さからそのまま退団となった。現阪神タイガース中南米担当スカウト。