タグ 朝倉景紀 が登録されている動画 : 5 件中 1 - 5 件目
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【金ヶ崎崩れ】越前国金ヶ崎城 令和4年(2022) 晩春
2022年の4月中旬、福井県敦賀市にある金ヶ崎城跡を訪れました。
治承・寿永の乱(源平合戦)の時、平通盛が木曾義仲との戦いのためにここに城を築いたのが始まりと伝えられます。
延元元年(1336)、足利尊氏の入京により恒良親王、尊良親王を奉じて北陸落ちした新田義貞が入城も、翌年の3月3日、足利方が城内に攻め込み、兵糧攻めによる飢餓と疲労で城兵は次々と討ち取られ、尊良親王(たかよししんのう)、新田義顕(にったよしあき・義貞嫡男)、城兵300名は城に火を放ち自害、恒良親王(つねよししんのう)は捕縛され、3月6日、落城しました。
戦国時代には、朝倉氏一族の朝倉景恒(あさくらかげつね)が城主でしたが、織田信長の越前侵攻に開城しました。その直後、近江の浅井長政が朝倉に助力することになり、織田信長は近江朽木を通り撤退しました。
敦賀湾に突き出した海抜86mの小高い丘(金ヶ崎山)に築かれた山城で、月見御殿(本丸)跡、木戸跡、曲輪、堀切などが残り、1934年には国の史跡に指定されています。
お城→mylist/37297571
【金ヶ崎崩れ】越前国天筒山城 令和4年(2022) 晩春
2022年の4月中旬、福井県敦賀市にある手筒山城跡を訪れました。
築城時期等は分かりませんが、 治承・寿永の乱(源平合戦)の時、平通盛が木曾義仲との戦いのために金ヶ崎城を築いた時に築城されたものと思われます。
南北朝時代の新田氏と足利氏の戦いがあり、戦国時代は朝倉氏の城でしたが、織田信長の越前侵攻に
より落城しました。
敦賀湾の東の標高171mの手筒山に築かれた山城で、曲輪跡や堀切の跡等を確認することができます。山頂からは金ヶ崎城や敦賀湾・敦賀の街を一望でき、水の手があれば、敦賀を抑えるのは金ヶ崎城ではなく、この山城だと実感しました。
お城→mylist/37297571
【三盛木瓜】越前国一乗谷城 其の四 一乗谷城山~茶会編 令和3年(2021) 晩夏
2021年の8月上旬、福井県福井市にある一乗谷城を訪れました。
築城年代は不明ですが、15世紀前半には築かれていたと考えられる山城で、西の谷合に館や城下町がありました。
城下町は南の上城戸(かみきど)と北の下城戸(しもきど)と呼ばれる二つの谷の入口に守られており、往時は1万人もの人々が城下に住んでいたと伝わるようです。
天正元年(1573)、織田信長の越前侵攻により、一乗谷は炎上、当主・朝倉義景は大野に逃れますが、一族の朝倉景鏡に裏切られ自害しました。
後に越前を治めた柴田勝家が北ノ庄城に本拠を構えた為、一乗谷は荒廃し、田畑の下に埋もれていましたが、昭和42年(1967)に発掘が開始され、城下町全体が一乗谷朝倉氏遺跡として、国の特別史跡、特別名勝、重要文化財(出土品2343点)の三重指定を持つ全国6史跡の一つとなっています。
今回は復原街並から、朝倉館跡、英林塚、一乗谷城山を散策し、最後に朝倉氏が所持した茶器の紹介とともに茶会を開催しています。
一乗谷城其の一 下城戸~朝倉景鏡館跡編 → sm39179238
一乗谷城其の二 平面復元地区~朝倉館跡編 → sm39216353
一乗谷城其の三 中の御殿跡~復原街並編 → sm39255706
お城→mylist/37297571
【戦国無双4Empires】義景の逆襲 その十一【ゆっくり実況】
ども、里庭狗です。
景紀さんですが、読みが「かげとし」か「かげのり」か分かってません。
当動画では「かげのり」でいきます。だって分かりやすいし。きえええい!
【追記】この動画を SR朝倉義景様 無銘の刀様 Kusiku様
ジョージ様 ナベシマン様 に
宣伝していただきました!ありがとうございきえええい!
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【戦国大戦】CV花澤香菜のカードで正一位維持を目指す89【正一位B】
こんにちわ、ガンモです。
今回は昨日(6/21)にやっていた生放送で
青井さんが考案した景紀ワラが面白そうだったので
自分が組める資産で組みなおしたタイプで遊んでみました。
面白みはないかもですが、暇つぶしになれば幸いです。
こちら:ST長政、SR江、藤堂、R初、SRお市の方、高橋景業、朝倉景紀
あちら:SR北条氏康、北条氏照、太田康資、上田朝直、富永直勝
選択家宝:森羅万象+(統統統)
■前回の動画→sm18139354
■次回の動画→sm18191466
■マイリスト→mylist/26553315
このデッキでは1勝2敗でした。
景紀に大般若持たせてみたりしましたが難しかったです。