【金ヶ崎崩れ】越前国金ヶ崎城 令和4年(2022) 晩春

【金ヶ崎崩れ】越前国金ヶ崎城 令和4年(2022) 晩春

2022年の4月中旬、福井県敦賀市にある金ヶ崎城跡を訪れました。 治承・寿永の乱(源平合戦)の時、平通盛が木曾義仲との戦いのためにここに城を築いたのが始まりと伝えられます。 延元元年(1336)、足利尊氏の入京により恒良親王、尊良親王を奉じて北陸落ちした新田義貞が入城も、翌年の3月3日、足利方が城内に攻め込み、兵糧攻めによる飢餓と疲労で城兵は次々と討ち取られ、尊良親王(たかよししんのう)、新田義顕(にったよしあき・義貞嫡男)、城兵300名は城に火を放ち自害、恒良親王(つねよししんのう)は捕縛され、3月6日、落城しました。 戦国時代には、朝倉氏一族の朝倉景恒(あさくらかげつね)が城主でしたが、織田信長の越前侵攻に開城しました。その直後、近江の浅井長政が朝倉に助力することになり、織田信長は近江朽木を通り撤退しました。 敦賀湾に突き出した海抜86mの小高い丘(金ヶ崎山)に築かれた山城で、月見御殿(本丸)跡、木戸跡、曲輪、堀切などが残り、1934年には国の史跡に指定されています。お城→ mylist/37297571

http://www.nicovideo.jp/watch/sm40360726