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大麻解放への道 第2回「バイオエタノールはホントにエコか?」
「麻枝光一トーキングレボリューション vol.3 ~大麻解放への道~」2009年10月30日(金)、阿佐ヶ谷ロフトAで開催。ゲストに「大麻ヒステリー」の著者、中部大学の武田邦彦教授をお招きし、大麻取締法問題に限らず環境問題についてもお話を伺いました。サブMCはTHCの白坂です。第2回は「バイオエタノールはホントにエコか?」を巡ってのお話です。
指原莉乃さん、おめでとう!
AKB48の「総選挙」で週刊文春が報じた恋愛騒動によって博多に左遷された指原莉乃さんがトップに立った。表現の自由とは「実質的に権力のある週刊誌が個人を叩いて人生を狂わすため」にあるのではない。芸能界は複雑だが、完全に週刊文春の間違いで、謝罪してすむものでもない。特に、指原莉乃さんの3回の記事の内、「指原さんがファンから罵倒された」などの明らかに間違っている記載が目立ったことは「報道」として致命傷である。週刊新潮も個人攻撃が酷いが、私の場合も「1年1ミリ男」という記事を出しているが、その時の記者の取材はなんとも言えないほど下品であった。(平成25年6月9日)
武田邦彦の歴史講座 第五回 支那の分割
(読者の方からのご指摘で、時間的に「日清戦争ー日露戦争ー第一次世界大戦」なのですが、音声で日露戦争が後のように話しています。また1895年と言うべき所を1995年と言ったりしていますので、早い機会に音声を直します)今では中国は大国ですが、日本と中国の問題が起きた頃、実は中国という国はなかなか「見つけることが難しい国」だったのです。アジア民族がヨーロッパ人の侵略で呻吟している頃、中国(支那)はどんな状態だったのでしょうか?(平成25年4月29日)
武田邦彦の歴史講座 第四回 アメリカの領土拡大(西進)
正しい歴史認識の基礎として、イギリス、ロシアと進めてきましたが、今回はアメリカで、次回の中国の考察で基礎編がおわりになります。アメリカがこれほど膨張主義の国なのに、なぜ日本人はアメリカと敵対しないのか?も考える必要があると思います。
武田邦彦の歴史講座 第三回 ロシアの東進
ロシアというのはヨーロッパの白人の国17世紀にシベリアを攻略して(侵略して)太平洋に至った。中国より歴史的には膨張主義の国。日本の北方からの圧力があることを知っておく必要がある。
武田邦彦の歴史講座 第二回 大英帝国の台頭
ギリシャから始まったヨーロッパの繁栄は時計回りにイタリア、スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリス、フランス、ドイツと進んでいく。彼ら白人はそのたびに有色人種の国を支配してきた。19世紀はイギリスがインド洋の回りの国(図)とカナダなどを支配した。その中で「生き残ったわずかな国」が日本であり、中国もほとんど支配地域を失った。(平成25年4月28日)
武田邦彦の歴史講座 第一回 スペイン・ポルトガル
16世紀から始まったヨーロッパ人の世界支配ものすごく残虐な大量殺戮日本の戦争は350年にわたる大きな世界史の動きの一つ歴史を「どの国にとっても中立的に正しく」理解しよう。
武田邦彦の歴史講座 第七回 日露戦争
日露戦争とは何だったのか? なぜ、ロシアと日本の間にあった朝鮮(李朝朝鮮)は南下するロシアに対して国を守ろうとしなかったのか? なぜ南下するロシアに対して中国は国を守ろうとしなかったのか? その序論に当たります。(平成25年5月1日)
武田邦彦の歴史講座 第八回 世界には10ヶ国ぐらいしかなかった
「歴史」というのは過去の事であり、過去は現在とは違う。過去は過去の状態があり、価値観があった。「なぜ王朝時代に民主主義ではないのか!」と起こってみたとしても仕方が無い。 「正しい歴史認識」というのは、「現在の価値観で歴史を見ること」なのか、「その時代の価値観で歴史をみること」だろうか?日本が大東亜戦争を始める前、世界にはおよそ10カ国しかハッキリとした国はなかった。(平成25年5月2日)
武田邦彦の歴史講座 第九回 日本だけが侵略戦争をしなかった
大日本帝国は「侵略戦争をした」と言う。戦った相手は、中国以外はすべて白人だった。ローマ帝国は地中海全体を征服したが、日本の歴史の先生はローマから見た戦争を説明したので、「侵略」とはなっていない。アメリカはアメリカに西部地区、ハワイ、フィリピンを侵略したが、日本を侵略戦争として非難している。(平成25年5月2日)
武田邦彦の歴史講座 第十回 支那は白人側で戦った
アジアは「その国」のものではなく、すべて占領されていた。日本軍が戦ったのは「白人軍」であって、「アジア軍」ではなかった。その中で白人側についたのは中国だけだった。「正しい歴史認識」とは、まずは価値観とか利己ではなく、大きな事実を確認すること。(平成25年5月3日)
武田邦彦の歴史講座 第十三回 人種差別の国 アメリカ
アメリカは人種差別で成り立っていた国だったインディアンは従わないので殺すアフリカ黒人はおとなしく働くので奴隷として使う中国人はおとなしいがお金を狙うので殺す日本人は自分たちより優れているので移民を禁止する1919年、パリ会議で日本が提案した諸国平等の提案はアメリカによって拒絶それでも、日本人はアメリカは正しいと仮定している理由アメリカの正しさをアメリカ人から見ると(平成25年5月10日)
武田邦彦の歴史講座 第十四回 民族移動 セム、アーリア、モンゴル
戦争と虐殺は民族移動で起こる。6000年前はセム、4000年前に第1次アーリア、3300年前に第2次アーリア、1400年前セム、900年前モンゴル、そして500年前第3次アーリア。特に第3次移動で、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、ロシア、南アメリカ諸国が誕生した。今では白人、あるいはアングロサクソンと呼ぶけれど、結局はアーリア人の領域拡大だ。かくして獰猛なアーリア人のために、非アーリアは、アフリカ、中国とその周辺、東および東南アジアに限定されている。 アーリアはもとに戻ってもらいたい。世界平和はそれによって達成されるだろう。また非アーリアはアーリアの侵入をいかに防ぐかという団結心を持たないと長い歴史で地球はアーリア人だけになるだろう。(平成25年5月17日)
武田邦彦の歴史講座 第十五回 日本人? まずは翻訳してから
「解体新書」、「蘭学事始」、「化学入門」、「理化日記」、「金銀成分」、「化学訓蒙」、「窒扶新論」、「日講記聞」、「講延筆記」、「洋算発微」、「機械事始」中国人を悪くは言いたくないが、漢の時に人口の半分が殺されたとも言われ、それは近代まで続いている。隙があれば殺戮という文化は日本にはなく、「相手に隙があっても優しく」が日本文化なのだ。このような「優しい日本」は損はするが、優位性も高い。そして世界に群を抜いている。日本人はそれを活かすべきだ。でも、優しければ優しいほど攻撃をしてくる民族もいるから注意もいる。それでほぼ全滅してしまったのが、アイヌやアメリカンインディアンだから。(平成25年5月18日)
武田邦彦の歴史講座 第十六回 朝鮮は独立したくなかった
開国した日本。朝鮮が独立して欲しかった。日清戦争で1895年中国(清)に朝鮮の独立を認めさせる(大韓帝国)。大韓帝国の改革が挫折、ロシアの侵攻を受けて日ロ戦争になり、大韓帝国は日本の保護国になる。朝鮮人が礼儀というのを知っていたら深く日本に感謝するだろう。今の日本人もこのことを学んでいないが。(平成25年5月26日)
武田邦彦の歴史講座 第十七回 満州は支那ではない
満州は民族的にも歴史的にも中国(支那)ではない。万里の長城「清」という国は中国の国ではなく満州の占領国だった。ロシアが南下してきたとき、中国は戦わずして満州を手放した。「戦わずして自分の国を放棄する」ことを日本人が理解できず、誤解を招く。その後、日本が満州国を建国した。これは大韓帝国と同じ。今の日本人はこのことを学んでいない。このまま反日・日本人の言動を認めていたら、父祖の恩に報いることができない。(平成25年5月26日)
反日日本人・発生の経路と原因(3) 明治天皇の嘆き
鎮海湾に軍港を作られると、日本は植民地になることが決まるので、戦争を決意。明治天皇「朕は開戦を望まぬ。が、もはやいかんともしがたい。もし敗北した場合、どのようにして祖先に詫び、国民に説明したら良いのか」(苦悩と絶望の中)伊藤博文「もし陸軍、海軍が全滅し、ロシアが九州、山陰に上陸すれば、この伊藤、生命、財産、地位、名誉、全てなげうって一兵卒として鉄砲を担いで戦う覚悟である。」こんな中、仲介依頼の金子堅太郎、外債発行の高橋是清は決死の覚悟で渡米、渡欧する。陸海軍、外交、財政のどの一つが欠けても日本は滅亡する運命にあった。2000年の歴史で最大の危機。これが日露戦争。乃木将軍の203高地の奮闘、東郷司令官の日本海海戦勝利で、漸く植民地化を免れた。(平成25年6月16日)
武田邦彦「間違いだらけの環境問題」~今わたしたちに何ができるのか~
ことしん経済講演会
【日 時】平成25年6月19日
【場 所】東近江市八日市文化芸術会館
【講 師】武田邦彦氏
【テーマ】「間違いだらけの環境問題」~今わたしたちに何ができるのか~
反日日本人・発生の経路と原因(4) 日本人は侵略者の白人だけと戦った
明治以後の日本は大きな戦争を2つ、小さなものを2つ行った。その大きな戦争は日露戦争と大東亜戦争だった。日本が「侵略戦争」をしたという反日日本人の表現が正しければ、まずはこの2つを検討しなければならない前の記事に書いたように日露戦争はロシアの侵略に対して、清は軍隊を持っていたが戦わずに満州をロシアに渡し、朝鮮は戦うだけの軍隊を持っていなかった。教科書裁判で有名で、本人はともかく反日日本人を育てた家永三郎は、その著書で、「(日露開戦を決め)天皇は大奥入御の後も御悲しみのためしばらく御言葉がなく御目には御涙をたたえさせられていたと伝えられる」(『新日本史』(1947冨山房))と記録している。家永三郎はその後、反日側に立ったが、記録自体は否定していない。
反日日本人の性癖(1) 戦争に対する無知
中学校社会科用「新編新しい社会 歴史」(東京書籍)p.188より『女性や子どもをふくむ中国人を大量に殺害しました(南京事件)」(注:この事件は、南京大虐殺として国際的に非難されましたが、国民には知らされませんでした)』・・・女性や子ども、大虐殺自体、国際的な非難・・・など項目自体が完全なウソが教科書に載っているけれど、一体、誰が書いたのだろうか?「虐殺」という定義や「戦争」の現実から離れている人の感覚かも知れない。戦闘には国際法があり、敵の兵士、形式を整えない投降兵士、軍服を着ていない兵士、戦闘現場にいる市民は殺して良い。戦争とは「殺すこと」であり、日常的な常識は通用しない。殺人数が多いほど英雄なのだから戦場では「殺すことが正義」なのだ。
反日日本人の性癖(3) お金がすべて。魂無し。
反日日本人ができた原因の一つに戦争に対する無知、アーリア人と日本人の差というものがあるが、やはりもっとも大きな原因は「儲かる」からだろう。その一例を朝日新聞の歴史から見てみよう。朝日新聞は満州国建国を熱烈に賛成して、批判的だった毎日新聞を大きく引き離した・・・国民が満州国を支持したからだ。朝日新聞は戦争賛成で論陣を張り、大いに人気をえて、二流新聞が一流になった・・・国民が戦争を支持したからだ。朝日新聞は戦後、突如として反戦、反日、左翼に転換し、またまた販売部数を伸ばした・・・国民が反戦、反日を支持したからだ。負けないように頑張ろう!誠実な日本人同士で!!(平成25年6月28日)
反日日本人・唯一の論拠 上海事変から南京事変
蒋介石率いる中国軍は、第一次上海事変で非武装の条約が結ばれた上海近郊に、ドイツ軍人の指導でトーチカ群を築城。一方で、中国第36師団など4師団の軍事訓練、チェコ製の軽機関銃を揃えた。4千人の在上海日本軍に対し30万人の中国軍人を準備した上で日本軍を挑発して引き起こされたのが、第二次上海事変だ。戦闘開始直後、中国軍機は日本の民間人を狙って爆撃し、パレスホテルなどで730名即死、大世界娯楽センターでは避難した婦女子を中心として1000名が死亡した。この戦いは日本軍にも旅順攻撃以来の犠牲者を出し、ニューヨークタイムズやヘラルドトリビューンが「中国軍が上海地域で戦闘を無理強いしてきたのは疑う余地は無い」と報じるなど反日日本人の著述と全く違うのもまさに「反日日本人」である。
【普通の歴史】 はじめに
学校の教科書は反日日本人が書いているので、日本の戦争はすべて侵略戦争であると言う。でもおかしいと思って日本擁護の歴史の本を読んでみると、日本万歳、すべては外国が悪いと書いてあって、さっぱりわからない。「中立的に事実を書いてある本はないの?」と聞くと、今度は「歴史に中立など無い!」と怒られてしまう。でも、わたしは知りたい。日本人が書くなら少しは日本よりであっても良いけれど、おおよそは正しい歴史を知りたい。それは私が日本人であり、自分たちの祖先のしたことを正しく理解したいからだ・・・
【普通の歴史】1-1 江戸から明治へ(1)日本と中国だけが残った
今から150年ほど前から100年ぐらい前の世界は今と全く違っていた。まず、世界は「ヨーロッパとアメリカの独立国」と「ヨーロッパとアメリカが占領していた国」と「日本と中国」の3つだけだった。もちろん、例外はある。アフリカならエチオピア、アジアならシャムのような国で、エチオピアは疫病、シャムはヨーロッパ勢の勢力争いの谷間で僅かに独立していたが、それもほんの少しの国だった。当時の世界は今では信じられないことが行われていた。
【普通の歴史】1-2 江戸から明治へ(2)世界の国
20世紀までにヨーロッパ人がほぼ全世界を支配していた.北アメリカ:イギリス領カナダ、フランス領カナダ、アメリカ、スペイン領メキシコ南アメリカ:スペイン領南アメリカ、ポルトガル領ブラジルアフリカ :イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、ポルトガル、オランダ領アジア :イギリス領インド、フランス領インドシナ、オランダ領インドネシア、スペイン領フィリピン(後にアメリカ)、ドイツ領太平洋諸島、アメリカ領ハワイ、ロシア領シベリア、ロシア領樺太、ロシア領アラスカ(後にアメリカ)オセアニア:イギリス領オーストラリア、イギリス領ニュージーランド欧州以外の独立国:完全に独立(日本)、一部独立(中国)のみ
【普通の歴史】1-3 江戸から明治へ(3)ヨーロッパ人が占領した地
ヨーロッパの侵略戦争というのは、「ハッキリした国と戦争して侵略したところ」と、「単なる地域でそこにいる部族を殺して侵略したところ」がある。北アメリカのアステカ王国、南アメリカのインカ帝国、インド、インドシナ、インドネシアなどは歴史のある国だからそこにある国と戦争して侵略したのだが、アメリカやアフリカの大部分、シベリアやアラスカ、太平洋諸島やオーストラリアなどはまだ「部族社会」だったので、国と戦争することなくヨーロッパは植民地にすることができた。
【普通の歴史】1-4 江戸から明治へ(4)心の傷の癒やし方
日本は建国以来、約2000年間、天皇陛下が殺されたことはないが、日本以外の国では天子や皇帝という人たちは、200年ぐらいで殺害される。中国が清の時代から蒋介石の中華民国になるとき、清の歴代の天子(日本の天皇陛下)の墓が爆破され中の骨が飛び散ったとされている。また100年ほど前のロシア革命の時には、300年続いたロマノフ家が倒れたが、その時には皇帝やお后ばかりではなく、ロマノフ家の全員が殺害された。この写真は殺害されたロマノフ家の王女などが遊んでいる様子だが、「天皇陛下」のような人に対する感覚がまったく異なるように感じられる。
【普通の歴史】1-5 江戸から明治へ(5)ヨーロッパ勢、最後の侵略
「優れた人が、平凡な人を殺すのは合理的である」という考えの基でヨーロッパ人による世界制覇が1500年から1950年まで行われた。さて、ここでは歴史を話すのにできるだけ「年号」を書かないようにして歴史の筋道だけを示しているが、それでは何となく満足しない人もいるとおもうので、アジア、アフリカ、アメリカ大陸がヨーロッパの侵略を受けた年を少しまとめてみた。
【普通の歴史】1-6 江戸から明治へ(6)タイトル不詳
中国とイギリスの間で起こったアヘン戦争は隣国・日本に衝撃を与えずにはおられなかった。当時、長崎でこのアヘン戦争についての詳報に接した吉田松陰は驚愕した。平戸滞在中に松蔭が読んだとされる書物に「阿芙蓉彙聞」七冊があり、松蔭がその後も必読書としてあげているものにも「阿片始末」がある。もし日本がヨーロッパに侵略されたら、日本人は殺され、痲薬を吸うことを強制され、日本は崩壊してしまうと思っても不思議ではない。それが歴史的事実だからだ。吉田松陰自身は安政の大獄に連座して処刑されたが、彼の思想はその後長く日本政治に影響を及ぼした。
【普通の歴史】2-1 戦争の時代・・・日清戦争
日清戦争というのは今から120年ほど前に、開国後まもない日本と、中国(清王朝)との戦いだった. ところで、学校で日清戦争を学ぶときには、まずは年号を覚え、なぜ戦争が起こったかということになると朝鮮情勢が問題になり、朝鮮で起こった事件と中国(清)が軍隊を出したとか、それに対して日本がどうしたということを事細かに学ばなければならない。でも、そうこうしているうちに、「なぜ、日清戦争が起こったの?」とか、「その結果、どういう方向性がもたらされたのか」と質問されると多くの人は答えることができない。ここでは歴史の本質だけに絞って整理を進めていく.
【普通の歴史】2-2 戦争の時代(2) 日清戦争とは?
当時、つまり今から120年前の朝鮮で「このままで良い」という考えの人と、「近代化しなければならない」という人たちがいて、前者が中国(清)派、後者が日本派だった。日本も開国するとまもなく、もっとも近い朝鮮に関心が集まり、「朝鮮は清から独立して欲しい」という人たちが多く現れた。朝鮮は日本では無いのだから、朝鮮がどのような政治体制でも日本に迷惑を掛けなければ良いという考えもあるが、現在でも「北朝鮮は独裁だから困る」という人もいるように、近くの国の場合、他人の国なのに影響があるので、どうしても口を出したくなるようだ。
【普通の歴史】2-3 独立まで・・・日露戦争
「日露戦争」は「日清戦争」と字は似ているが内容はかなり違う. 日清戦争は「朝鮮を独立させなければならないから清と戦争するか」という程度のものだったが、日露戦争は「日本がなくなるか?」という悲壮感をもって始めた戦争だった.ロシアはモスコーからウラジオストックまでシベリア鉄道を敷き、まずウラジオストックを「東方の侵略拠点」とした。そこから満州鉄道利権を獲得し、旅順に軍港を作った. 旅順というのはロシアと中国の国境線からずっと中国の内部に入った港だから、もし中国が「独立国」なら到底、そんなことはできない。