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朝永振一郎学長の桐花寮祭での講演
http://tue.news.coocan.jp/memories/tomonagatokaryo.htm
からの無断転載です。問題があればすぐ消えます。
みんなもこれでMAD作って!!!!!!!!!!!!!
人力ボカロ素材→https://www.axfc.net/u/3934949.zip
MAD→sm33817427 sm33817462 (増え次第追加します)
Zakkuri【ゆっくり解説】教授にせかされて書いた論文がノーベル賞受賞につながった人物~湯川秀樹について~
自伝には整頓が好きで、家でも机の脚が、畳の目に合っていないと、落ち着けないと述べているんだ。
きれい好きなんだね。
▼説明
ざっくりゆっくり解説していくんだよ。
情報不足で至らないときがあると思うので、その時はコメント欄で優しく指摘していただけると助かるよ!
▼参考リンク
大阪大学総合学術博物館 湯川記念室
https://www-yukawa.phys.sci.osaka-u.ac.jp/
THE NOBELPRIZE
https://www.nobelprize.org/
温泉部
https://onsenbu.net/13944
京都大学
https://www.kyoto-u.ac.jp/ja
NHKノーベル賞ってなんでえらいの?2019
https://www3.nhk.or.jp/news/special/nobelprize2019/physics/article_02_01.html
HIGGSTAN素粒子 単体イラスト 秋元祐希
https://higgstan.com/particle-image/
mainiti
https://mainichi.jp/articles/20151110/org/00m/040/030000c
kajipon~湯川秀樹
https://kajipon.com/kt/haka-topic9.html
ココログ ケペル先生のブログ
http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-fe37.html
▼ハッシュタグ
#Zakkuri#ゆっくり解説#湯川秀樹
▼次回
月
研究って大事だよね
湯川秀樹博士の日記公開 “原爆の研究”の記述も
湯川秀樹博士(1907~81)がつけていた日記のうち、太平洋戦争終戦前後の1945年の内容を、京都大が12月21日、公表した。原爆研究に関わったことを示す記述があるほか、戦後、戦争反対や核廃絶を訴えるまでの軌跡がうかがえ、貴重な資料だと専門家は指摘する。
公表された日記には教授だった京都帝国大での講義や会議の記録、空襲被害の報道の抜き書きもある。8月15日は「朝散髪し身じまいする。正午より聖上陛下の御放送あり ポツダム宣言御受諾の已むなきことを御諭しあり。大東亜戦争は遂に終結」と記している。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/12/21/yukawahideki-diary_a_23313755/
正力松太郎と中曽根康弘の原発推進
西暦1,955年11月1日
読売新聞社とUSIA(アメリカ広報文化交流局)主催で日比谷公園にて「原子力平和利用博覧会」が開催され、同月22日迄まで行われた。費用は全てUSIAが負担した。前年アメリカ軍の水爆実験での第五福竜丸の被曝を受けて、原水爆反対に傾いていた世論を塗り替える事を意図していた。その後USIAは、他の新聞社主催で西暦1,945年に原爆が投下された広島を含む以下9箇所で、西暦1,957年8月迄同様の博覧会を開催した。
①愛知県美術館(愛知県名古屋市東区東桜、中日新聞共催)
②京都市美術館(京都府京都市左京区岡崎、朝日新聞大阪本社共催)
③大阪アサヒアリーナ(大阪府大阪市北区中之島、朝日新聞大阪本社共催)
④広島平和記念資料館(広島県広島市中区中島町、中国新聞共催)
⑤福岡スポーツセンター(福岡県福岡市中央区天神、西日本新聞共催)
⑥中島スポーツセンター(北海道札幌市中央区中島公園、北海道新聞共催)
⑦仙台市レジャーセンター(宮城県仙台市青葉区本町、河北新報共催)
⑧水戸総合体育館(茨城県水戸市、茨城新聞共催)
⑨高岡古城公園(富山県高岡市古城)
宇宙一元化 公式HP
http://universe-centralization.com/top.html
湯川秀樹博士 ビキニ環礁の漁船ひばく 日記が初公開
5月11日 10時52分
日本人初のノーベル賞受賞者で、核兵器廃絶に取り組んだことで知られる物理学者の湯川秀樹博士が、昭和29年に太平洋のビキニ環礁で行われた水爆実験で日本の漁船が被ばくしたことについて記した日記が、初めて公開されました。
公開されたのは、ノーベル賞受賞から5年後の昭和29年、47歳の時に湯川博士が書き残した日記の一部です。
京都市左京区にある京都大学基礎物理学研究所の湯川記念館史料室が初めて公開しました。
湯川博士は科学者として核兵器廃絶に取り組み、そのきっかけとなったのが、アメリカが太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験で、日本の漁船、第五福竜丸が被ばくしたことだったとされています。
日記には、水爆実験のおよそ2週間後の3月16日の日付で、「水爆実験による真っ白な灰を被ったマグロ漁船第五福竜丸帰港、火傷の傷害を受けた乗組員を診断水爆症と推定」と記されています。
そして、3月28日には、新聞社向けに原稿を執筆したことが記され、当時の新聞には湯川博士が原子力の脅威に警鐘を鳴らす記事が掲載されました。
また、原子力をテーマに3度の講演を行ったことも記されていて、核兵器の廃絶に向けて行動した湯川博士の足跡をたどることができます。
親交のあった物理学者で日記の整理を担当した慶応大学名誉教授の小沼通二さん(87)は「日記には淡々と事実のみが書かれているが、当時の言動と合わせて読むと、湯川が行動した理由をより深く理解できると思う」と話しています。
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