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まさかの赤点滅が出た WARASHI君達と行く慰霊の旅路 in由岐神社
大杉さんの御神木があることでも知られている由岐神社へWARASHI達と散策に訪れた際の記録です。
【神道シリーズ】第85回・鞍馬寺信仰【後編】鞍馬山火祭りと鞍馬山観光(火は煩悩を焼き尽くす)鞍馬山修験(天台山門派)
今回は映像を中心に鞍馬山の境内巡りと1000年以上続く鞍馬山の火祭りについて紹介します。
ニコ生放送が重くて放送中二度も中断しましたが、編集して一つの動画に繋げてアップロードしました。
【神道シリーズ】第84回・鞍馬寺信仰【前編】牛若丸と鬼一法眼と青蓮院(天台宗)<神道無関係w>
鞍馬山と言えば、「鞍馬天狗(鬼一法眼・きいちほうげん)と牛若丸(源義経)」とか「鞍馬の火祭」で有名ですが、もともと、770年、鑑真の高弟・鑑禎(がんてい)が、山背に霊山があるとの夢を見た
。その地で毘沙門天像を得て、草庵を結んだのが始まりとされています。
その後、東寺の僧・峯延(ぶえん)が入寺し別当を任じられ、東寺真言宗となり(東寺の末寺となる)、
さらに、959年に鞍馬寺は延暦寺西塔末になり、天台宗に改宗し、天永年間(1110-1113)、天台座主・忠尋により、比叡山延暦寺の末寺になり天台密教の傘下におさまります。
その後、南北朝時代には、名和長年や新田義貞など南朝側の武将たちの干渉を受け、戦国時代に入ると、足利将軍家、武田信玄らの鞍馬寺の毘沙門天信仰への崇敬が集まり、さらに信長による庇護や秀吉、家康による信仰と庇護を受け、度重なる焼失にもかかわらず、焼失の都度、またたくまに復興という歴史を繰り返してきました。
江戸時代になると、徳川幕府による厚遇の下、鞍馬寺信仰は最盛期を迎え、10院9房を抱える一大寺院勢力となりました。
しかし、明治の神仏分離令に続く廃仏毀釈運動でその10院9房のほとんどは破壊し尽くされ、それまで鞍馬寺の鎮守(お寺の本尊をお護りする神社)として、鞍馬寺境内のほんの一角の小さな敷地に建てられていた由岐神社が(明治政府の命令により)火祭りなどの祭祀を引き継ぐことになり今日に至っています。
一旦破壊尽くされた鞍馬寺も信者たちによりすぐに復活され、明治期は比叡山延暦寺(天台宗)の末寺となりましたが、戦後の昭和22年(1947年)には鞍馬弘教(こうきょう)として天台宗から独立しました。
明治以降、それまで(平安末期より)鞍馬寺が行ってきた火祭りの祭祀は由岐神社に移されたものの、
祭祀の内容はまったく変わっておらず、今でも由岐神社は由岐大明神や八所大明神というかつてからの名称(鞍馬寺毘沙門天の守護神)で神輿を出し、火祭りを行っています。
ゆかりとまきの京都観光案内Part.14 鞍馬寺(前編)
東山観光からすこし場所をとばして、今回から市内北部観光を数回やっていこうと思います。
まず手始めに鞍馬寺。義経伝説のスタート地点です。
例によって前後編になりましたのでよろしくお願いします。
とにかく歩きまくる観光地で足がえらいことになりました。
みなさんも観光に行く際は歩きやすい靴&服装と体力を十分確保していってください。
ほどほどにTwitterやってます。https://twitter.com/kyomen_siage
時々、京都観光情報や写真を載せてますのでよろしくです。
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《立ち絵等》
ふらすこ様 im5255637
はるか様 im7725120
かみゅ様 im3181508
由岐神社の絵馬画像集
2014秋のものです。京都・鞍馬山の鞍馬寺境内に内包される形で存在する由岐神社ですが、規模の大きい鞍馬寺では痛絵馬は見かけず由岐神社に少しありました。鞍馬寺の絵馬は小さめで模様があるのに対して由岐神社のは大きめで無地だから由岐神社に痛絵馬が奉納されているのではないかと。尚、導入画像は鞍馬寺の写真です。前:諏訪大社上社2013春:sm20608953 次:鷲宮神社2014秋:sm24985155 マイリスト:mylist/30226761
2013年京都に行ってきた(6)
1月4日の鞍馬寺の続き。奥の院に向かいましたが残念ながら暗くなってきたので大杉権現社で引き返すことに。帰りは徒歩で由岐神社のほうを通って下っていきました。
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