【神道シリーズ】第84回・鞍馬寺信仰【前編】牛若丸と鬼一法眼と青蓮院(天台宗)<神道無関係w>

【神道シリーズ】第84回・鞍馬寺信仰【前編】牛若丸と鬼一法眼と青蓮院(天台宗)<神道無関係w>

鞍馬山と言えば、「鞍馬天狗(鬼一法眼・きいちほうげん)と牛若丸(源義経)」とか「鞍馬の火祭」で有名ですが、もともと、770年、鑑真の高弟・鑑禎(がんてい)が、山背に霊山があるとの夢を見た。その地で毘沙門天像を得て、草庵を結んだのが始まりとされています。その後、東寺の僧・峯延(ぶえん)が入寺し別当を任じられ、東寺真言宗となり(東寺の末寺となる)、さらに、959年に鞍馬寺は延暦寺西塔末になり、天台宗に改宗し、天永年間(1110-1113)、天台座主・忠尋により、比叡山延暦寺の末寺になり天台密教の傘下におさまります。その後、南北朝時代には、名和長年や新田義貞など南朝側の武将たちの干渉を受け、戦国時代に入ると、足利将軍家、武田信玄らの鞍馬寺の毘沙門天信仰への崇敬が集まり、さらに信長による庇護や秀吉、家康による信仰と庇護を受け、度重なる焼失にもかかわらず、焼失の都度、またたくまに復興という歴史を繰り返してきました。江戸時代になると、徳川幕府による厚遇の下、鞍馬寺信仰は最盛期を迎え、10院9房を抱える一大寺院勢力となりました。しかし、明治の神仏分離令に続く廃仏毀釈運動でその10院9房のほとんどは破壊し尽くされ、それまで鞍馬寺の鎮守(お寺の本尊をお護りする神社)として、鞍馬寺境内のほんの一角の小さな敷地に建てられていた由岐神社が(明治政府の命令により)火祭りなどの祭祀を引き継ぐことになり今日に至っています。一旦破壊尽くされた鞍馬寺も信者たちによりすぐに復活され、明治期は比叡山延暦寺(天台宗)の末寺となりましたが、戦後の昭和22年(1947年)には鞍馬弘教(こうきょう)として天台宗から独立しました。明治以降、それまで(平安末期より)鞍馬寺が行ってきた火祭りの祭祀は由岐神社に移されたものの、祭祀の内容はまったく変わっておらず、今でも由岐神社は由岐大明神や八所大明神というかつてからの名称(鞍馬寺毘沙門天の守護神)で神輿を出し、火祭りを行っています。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm36450962