タグ 神道 が登録されている動画 : 452 件中 1 - 32 件目
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【GODforest】第1回放送(2015.4.1)
2015年4月1日(水)
【GODforest】コミュニティでの第一回放送を配信しました。
基本的にオカルトの話、民話や神話の話、宗教の話、雑談で進行していきます。
今回の配信内容は、
放送メンバーそれぞれの自己紹介、桃太郎伝説の真実、神様の目的とは何か、
炭坑話「ヤマと狐」、オルさんの不思議な日常等々、盛りだくさんとなっております。
ただ、オフ会ノリでぶっちゃけた雑談ベースですので、脱線も多し。
楽~にお聞きください。
GODforestニコニコミュニティ:co2765840
コミュニティメンバー登録よろしくお願いします。
Colabo 問題を取り上げた海外記事の翻訳 Colabo issue on oversea media
海外記事で取り上げられたColabo問題の翻訳です
【神道シリーズ】第14回・本地垂迹説(日本のすべての神々(朝鮮渡来の神々および人工神)は仏の眷属の化身とされる)
宇佐八幡(八幡大菩薩)シリーズの第三話に進む前に、この本地垂迹説、つまり、日本の神々(元は朝鮮半島・新羅から)は仏の眷属(仲間たち)の化身であるとする思想をよく理解しておく必要があると思い、この一話を挿入することにしました。
八幡大菩薩が釈迦如来(本地)の化身(垂迹)だとされたのは9世紀後半で、本地垂迹説の先駆けだと言われます。
その後、11世紀、12世紀を通じて日本のすべての神社の神々は仏の眷属の化身であるとされるようになり、各神社に設置された神宮寺(神社を支配する寺)が中心となり各地独特の神仏習合文化を形成して行きます。
そして、これは一時期明治政府により否定され、神宮寺は破壊されたものの、この神仏習合思想は今日まで全国各地のお祭りや祭祀にまで生き続けています。
神社本庁を解体して全国神宮寺を復活させることこそが真に日本を取り戻すことだと思います。
【神道シリーズ】第9回・天日槍の足跡(但馬・丹後・播磨編)
古事記・日本書紀では新羅王子とされ、播磨国風土記では新羅の大神とされた天日槍は、北九州(糸島)⇒瀬戸内海⇒播磨⇒難波⇒近江⇒若狭⇒丹後⇒但馬と足跡を残して行きますが、その中で先住のスサノオ族(新羅系)の祭神であったスサノオ=牛頭天王と天日槍族が信仰したイササワケ神(天日槍)が習合し、さらに秦氏(天日槍族)が持ち込んだ(中国秦王朝より新羅に伝わった)兵主神もそれに習合していきます。
今回はその信仰の習合も含めた天日槍(族)の但馬・丹後・播磨の足跡を追います。
専門的なアドバイスは歓迎しますが、感情論や願望に基づくその場の思い付きによる批判や中傷はすべてNGにします。(タグも含めて)
【神道シリーズ】第16回・主要八幡宮巡り(宇佐八幡・筥崎八幡・石清水八幡・鶴岡八幡)
今回は、これまでに学んだ宇佐八幡の歴史に出てくる宇佐八幡宮、筥崎八幡宮、石清水八幡宮、鶴岡八幡宮などを動画を通じて巡り、復習も兼ねて今日まで伝わる伝統儀礼や庶民の間にも伝承されてきた行事を見て行きたいと思います。
中でも宇佐八幡の放生会や神幸祭などは古代より今日まで続くもので、新羅の神(ヤハタと応神霊)と新羅仏教(法蓮)の習合に基づく信仰儀式は興味を引くものがあります。
オマケとして、朝鮮半島(新羅)から伝わり今日でも伝承され続けてきている出雲の田植え祭も動画でご紹介したいと思います。
専門的なアドバイスは歓迎しますが、感情論、願望論、その場の思い付きで知識的な根拠を示せないコメントはすべてNGにさせていただきます。(タグも含めて)
[GODforest] 第7回放送 (2015.5.13)
2015年5月13日(水)
【GODforest】コミュニティでの第7回放送です。
このコミュニティでは、基本的にオカルトの話、民話や神話の話、
宗教の話、雑談で進行していきます。
今回は、神道の御神体と仏教の仏像について、皆で考察しています。
GODforestニコニコミュニティ
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【GODforest】第2回放送(2015.4.8)
2015年4月8日(水)
【GODforest】コミュニティでの第2回放送です。
今回の配信内容は、
前回放送の感想、子どもに聞かせる怖い話について、身代わり地蔵の意味、
謎のコトバ「アジャラ コジャラ」とは?、
吉水神社でオルさんの身に起きた不思議な出来事・・・等々です。
co2765840
【神道シリーズ】第10回・三輪山信仰と朝鮮半島(新羅)
三輪山にある大神神社は日本最古の神社と言われますが、現在の風貌とは異なり、もともとは鳥居も本殿(神殿)もなく、三輪山にある磐座(石)自体が信仰の対象だったのですが、それと同じ形態の信仰形態が新羅(現在の韓国の慶州)の神堂(しんだん・しんたん)と呼ばれる神石や神木などの自然を対象とした巫覡によるシャーマニズム的な信仰と酷似してることが学者たちに指摘されてます。
古事記などに出てくる大物主神の神話と朝鮮半島の蛇と針に関する口伝伝説の酷似や、神の正体が蛇であった点とか、これも朝鮮半島の伝承との類似性が指摘されてます。
巻向遺跡や箸墓古墳でも新羅製の須恵器や鉄製品、馬具などが出土しており、さらにこの傾向は伊勢神宮の外宮の高倉山古墳でも見られています。
スサノオ族や天日槍族という半島(新羅)からの渡来勢力が古代日本や日本の古代信仰(神道)を形成した跡が窺われます。
【神道シリーズ・シーズン3】(特別編)神道の歴史は明治以降
神道は、往古の昔、仏教伝来より前からあったと信じてる人は多いですが、実は、神道とは明治以降に創られたものだという真実について語ります
【神道シリーズ】第15回・宇佐八幡(新羅と仏教の神)の発展(石清水八幡・鶴岡八幡・そして全国へ)
奈良の盧舎那仏(大仏)開眼式以来朝廷の絶大な崇敬を集めた宇佐八幡の八幡神はやがて朝廷から菩薩号を与えられて八幡大菩薩となり、その崇敬と信仰は天皇・貴族・一般民衆の間で絶大な信仰の拡大を見たのですが、我が子である惟人親皇(後の清和天皇)を天皇に即位させたがってた藤原北家の藤原良房は、大安寺(真言宗)の僧侶の行教に命じ、八幡大菩薩を宇佐八幡より平安京に分霊を持ってきて勧請(分霊を祀ること・分祀)させ、それが石清水八幡宮となり、さらに石清水八幡は清和源氏の流れを汲む源頼義の時代から源氏の氏神となり、源頼朝が鎌倉を拠点のするようになると鎌倉の由比にも勧請され、鶴岡八幡宮が創建されます。
八幡大菩薩はその後、荘園鎮守、国府鎮守、寺院鎮守への勧請を通じ、日本全国へ燎原の火の如く短期間に広がり、日本全体が八幡大菩薩一神教のような様相を帯びてきます。
専門的なアドバイスは歓迎しますが、知識に基づかない感情論・願望論・その場の思い付きによる非難中傷はすべてNGにします(タグも含めて)
日本神話と日本の歴史【天皇とは何か】
http://www.youtube.com/watch?v=rGNuYpqRc4k
【神道シリーズ】第一回・朝鮮半島と日本の古代神祇信仰(倭人とは?)
この神道シリーズは私個人の推測ではなく、あくまで今日本の古代史学会や考古学学会などの学者の意見が向かってる方向を分かりやすくまとめてお伝えする形で進めて行こうと思ってます。第一回は、倭人についてですが、倭人とは紀元前5世紀頃から中国江南地方の呉という国から難民になった人たちが、古代中国の鬼神信仰や社稷信仰、そして道教神仙思想や陰陽五行思想なども携えて朝鮮半島および日本列島に移民してきた人たちのことで、日本列島はその後、朝鮮半島からの移民が続き、その中で古代神祇信仰を形成して行きます。専門的意見のアドバイスを歓迎しますが、無内容な断言・レッテルはすべてNGにします(タグも含めて)
【神道シリーズ】第11回・神宮寺(神道(古代朝鮮信仰)が仏教の傘下に下る)
6世紀に百済から日本へ仏教が公式に伝来する以前から道教色(呪術的色彩)の強い雑密(ぞうみつ)と呼ばれる新羅仏教が新羅からの渡来人により伝えられ、皇族も豪族も競って自らの氏神を仏教へ帰依させようという動きが一機に広がりました。
これはそれまで信仰に無関係だった一般庶民の間にも雑密(新羅仏教)が燎原の火のごとく広まり、皇族や豪族たちもその時代の変化に対応したものでした。
そして、この動きは私度僧(無資格僧侶)たちによる神宮寺、つまり、氏神の仏教帰依を助けるお寺が日本国中すべての神社に建てられ、神宮寺が神社を支配する時代が始まります。
この神宮寺は平安時代になると真言・天台密教の傘下に入り、江戸時代終わりまで続く本地垂迹説の時代に突入します。
専門的なアドバイスは歓迎しますが、感情論、願望およびその場の思い付きに基づく非難、中傷は一切NGにします。
【神道シリーズ】第8回・天日槍の足跡(若狭編)
古事記・日本書紀では「新羅王子」、播磨国風土記では「新羅の大神」とされている天日槍は、学者の間では鉄製の武器を持った朝鮮半島(新羅)からの移民集団であったろうとされてますが、その天日槍族は九州・瀬戸内・播磨・難波・近江・若狭・丹後・但馬に渡り多くの足跡を今日にまで残してます。
古事記や日本書紀のアマテラスから仲哀天皇(14代)までの足跡が皆無である一方、これほどまでに日本各地に濃厚な足跡を残している天日槍系は、実質今日に至る皇統に繋がる重要な位置づけになります。
今回はその天日槍の若狭における足跡と、イササワケと天日槍の関係などを中心にお話します。
専門的アドバイスは歓迎しますが、感情論や願望に基づく断定や中傷はすべてNGにします。(タグも含めて)
【神道シリーズ】第7回・天日槍の足跡(近江編)
古事記・日本書紀では新羅王子とされ、播磨国風土記では新羅の大神とされた天日槍(天日矛)は、学者の間では個人ではなく、新羅から鉄武器や金銅製品、鉄器、須恵器などの文化を持って日本に移住した武装集団(部族集団でもある)とされています。
天日槍族は、その一族の息長氏や三尾氏や和邇氏らを率い、九州から瀬戸内海、難波、近江、北陸、そして山陰へと勢力を伸ばし、その足跡を追って今回はもっとも天日槍族が濃厚な足跡を残した地域の一つの近江を追ってみます。
専門的なアドバイスは歓迎しますが、感情論や願望に基づく断言や中傷はすべてNGにします(タグも含めて)
【神道シリーズ】第18回・稲荷信仰(新羅系秦氏「伊奈利」の神と真言密教の習合)②江戸時代以降
室町時代の応仁の乱で焼け落ちた伏見稲荷大社の再建の為、真言宗の東寺(教王護国寺)は、その末寺で愛染寺という寺を創建し、そのお寺を伏見稲荷大社の神宮寺(つまり、伏見稲荷社を支配・管理する寺)とし、その愛染寺に集まった真言宗の密教僧らが中心となり、「稲荷勧進聖(かんじんひじり)」として全国に散って稲荷大社再建の為の寄付を集め、怒涛の勢いで勧進聖たちは伏見稲荷大社を再建すると同時に全国に(真言密教系)修験道を通じて稲荷信仰を広めました。これにより全国(特に関東を中心に)広がった稲荷信仰は、屋敷神、流行(はやり)神、農業神など多岐の性質を持った神として、武家、商人から農民へと国の辻浦浦まで広まっていきます。
明治以降は、神仏判然令の弾圧を受け、神仏が切り離されましたが、民衆の中に根強く残る稲荷信仰はお塚(石碑)を作り般若心経を唱え、やがてはお塚に建てた鳥居が千本鳥居となり、現在各地に見られる「お稲荷さん」になっていきます。
【神道シリーズ】第44回・八百万の神とは?(仏神・外国神・人格神・家祖神・職祖神・女性神・・)
八百万の神と言えば、日本にはありとあらゆる所に神様がいるというイメージで、特に保守愛国系の人たちの間では
「八百万の神こそは神道」と言う人が多いですが、実は、八百万の神とは、縄文のアニミズムから生まれたものでもなければ、古事記・日本書紀に出てくる多くの神々そのものが実際に存在した日本各地の神々を取り上げてるわけでもなく、奈良時代から平安時代にかけて雑密や純密と言った密教系の仏教勢力を中心に形成された山岳信仰や地方信仰が確立していく中で、本地垂迹説的に後世になってから古事記や日本書紀の神々が(密教系の中世神学によって)あてはめられて行ったというのが実体です。
古事記や日本書紀に出てきた数々の神々は基本的に名前の羅列だけでその背景の詳細が書かれてるものではありませんでした。
それが、真言宗(三宝院)や天台宗(聖護院)の密教系神道を通じて本尊を仏の眷属としつつ、その垂迹(仮の姿)としての神々として古事記や日本書紀に名前の羅列だけだった神々を借用し(これを比定と言います)、中世の神道説(これが現在まで地方祭祀に反映されて行きますが)が形成され、定着して行きます。
そこには、外国神(中国・朝鮮からの播神)や仏教天部の神々、道教の神々、ヒンズー教の神々などがさまざまな形で八百万の神を形成して行く姿が見られます。
一方、中世以降の御霊信仰(古事記・日本書紀無関係)なども仏教(密教)の法会によって慰撫するという形で鎮霊・除霊がされ、天神などの御霊も八百万の神の一部となって行きます。
さくらじ#18 日本人の心の源を、山村明義・片桐勇治と語る
政治・経済等の論客としてチャンネル桜でもご出演頂いている、
山村明義さん、片桐勇治さんですが
実は日本古来の宗教 神道などにもお詳しいお二人!
スタジオでは、政治の話はもちろんとして、日本人の原点や心の拠り所など
そして・・・またもやアニメの話に!?山村さん、何故そんなに詳しいの!?
普段チャンネル桜では話さない話題を中心に話を聞いていきます!
出演:古谷 経衡、saya、山村 明義、片桐 勇治
【神道シリーズ】第17回・稲荷信仰(新羅系秦氏の伊奈利神と真言密教の習合)①
山背国風土記によると、新羅から渡来した秦氏の秦伊侶具が餅を的に矢を射てたら餅が白鳥になって飛んでいき、峯に留まって稲となり、711年にはその地に伏見稲荷大社が創建されたとありますが、もともと稲荷とは伊奈利という新羅系秦氏が持ってきた神で、この神はこの伝説以降「稲荷」と稲が当てられるようになったのですが、平安時代になり真言密教の作った両部神道の理論により、大日如来の化身である荼枳尼天(だきにてん)と習合することになり、荼枳尼天の乗るジャッカルという生き物が狐に似てることから稲荷神のイメージとして狐が生まれてきます。
真言密教と繋がることにより稲荷信仰は全国へ広がり、一方、朝廷の中でもこの荼枳尼天を天皇家の本尊として祀るようになり、荼枳尼天真言による即位灌頂が皇位継承の絶対条件となり、この習慣は明治前の孝明天皇の時代まで続きます。(始まりは11世紀の後三条天皇の時代からと言われる)
【神道シリーズ】第6回・天日槍の足跡(瀬戸内海編)
古事記と日本書紀では新羅王子とされ、播磨国風土記では新羅の神とされていた天日槍は、学者の間では鉄製の武器で武装し、半島より鉄製品、鏡、金銅装飾品、横穴式石室、須恵器などをもたらした集団として考えられてますが、古事記や日本書紀での古代皇統が架空のものであったことを考えると、まさにこの天日槍系こそが現在の皇統に繋がる存在だと言えます。
その天日槍は九州・瀬戸内海・畿内・近江・北陸・山陽・東海の一部と広範な範囲に濃厚に足跡を残しましたが、今回は瀬戸内海に残るその足跡を追ってみました。
専門的なアドバイスは歓迎しますが、感情論や願望に基づく断言や中傷はすべてNGにします。
【神道シリーズ】第12回・宇佐八幡(新羅の神々(ヤハタ神・応神霊)と弥勒信仰の習合)①
現在日本の神社12万社(摂社・末社も含めて)のうちその三分の一以上を占める八幡社は、もともと宗像神(宗像三女神)を信仰していた宇佐氏の住む宇佐に、西の香春に降臨した新羅の神「ヤハタ」を持ち込んだ(新羅系秦氏の)辛嶋氏が香春より東進を続け、宇佐の駅館川(宇佐川)で宇佐氏と対峙するまで勢力を広め、宇佐氏が磐井との戦いで勢力を弱めると(6世紀)、一旦は宇佐の馬城嶺(御許山)まで支配下に収めますが、その後、大和より大神氏が応神霊を持ち込み、辛嶋氏との戦いの末、御許山を含む宇佐を支配しますが、その後、英彦山に出現した宇佐氏系の法蓮は新羅系仏教の弥勒菩薩信仰により強大な影響力を広げ、大神氏と辛嶋氏は法蓮に懇願して八幡神を菩薩へと地位を高めてもらい、ここに八幡大菩薩の信仰が完成します。専門的なアドバイスは歓迎しますが、感情論や願望論、あるいはその場の思い付きによる非難や中傷に対してはすべてNGにします。(タグも含めて)
【神道シリーズ】第13回・宇佐八幡(新羅の神々(ヤハタ神・応神霊)と弥勒信仰の習合)②
新羅から渡来した新羅系秦氏の辛嶋氏が伝えたヤハタ神と、自ら新羅(辛国)から日本に来て天皇となりこの国(倭国)の王となったと主張する応神霊(宇佐八幡託宣集)と、出雲系の宗像三女神を信仰していた地元の宇佐氏の三つが合体して出来た「八幡大神」は、さらに英彦山で弥勒信仰(新羅仏教)を広めていた法蓮に依頼し、仏の道の修行をすることになり、鷹居(今の宇佐八幡宮所在地のすぐ近く)へ鎮座することになりました。その後、厭魅(えんみ)事件、道鏡天位託宣事件などを経て、やがて八幡大神は朝廷が崇敬する国家神(つまり日本は八幡神を絶対神とする国)となり、「八幡大菩薩」の称号を朝廷が与え(781)、天皇、公家、貴族はもとより民衆全体の中に広く信仰が伝わり、さらに平安時代になると武家の間でも圧倒的な崇敬を受けることになります。専門的なアドバイスは歓迎しますが、感情論、願望論およびその場での思い付きによる誹謗中傷はすべてNGにします。
【神道シリーズ】第23回・春日信仰(藤原氏の正体(百済人)・真言密教系神道(両部神道)の影)②
春日大社は藤原氏(不比等・永手ら)によって政治的な意図で作られた神社であることは①の方で説明しましたが、そもそもこの藤原氏とは何なのか?
今回はそれと三社託宣(春日・八幡・伊勢)に見られる両部神道(真言密教が作った神道)の影響に焦点を当て春日大社創建の背景を見て行きたいと思います。
藤原氏の出自に関してはさまざまな研究と見解がありますが、どれも共通していることは「日本人ではなく百済人である」という点です。
朝廷の祭祀を司る役職にいた中臣氏の家系の中に滅亡百済王族がどのように入り込んで来たのか?
百済王族は、藤原氏の計らいで百済王氏としてその後も朝廷の中で生き続け、桓武天皇の母親(高野新笠)などを輩出したりしてますが、百済村と呼ばれる地域に住み、百済人の濃厚な血筋を維持しながら朝廷内で生き続けて行きました。
一方、三社託宣では、春日・八幡・伊勢の三社が同時に儒教・道教的な道徳的訓示を託宣発表するという事になり、その中でアマテラスは真言密教理論に基づく両部神道で描かれた雨宝童子という16歳の少女として描かれています。
百済系の藤原氏の政治的思惑と興福寺のバックアップの中で生まれ、真言密教によって理論づけされ春日信仰は誕生します。
【神道シリーズ】第5回・天日槍(九州編)
砂鉄製鉄による鉄製品、金銅製冠装飾品、横穴式石室、鉄製馬具、須恵器などを朝鮮半島(新羅)から持ち込んだ天日槍族は、北九州の糸島に降り立ち、さらに瀬戸内海を通じて播磨より北上し、近江、若さを通って最後は但馬に永住した、と記紀では伝えてますが、この勢力は濃厚な足跡を残し、やがて出雲系のスサノオ王朝を倒し、「国譲り」を実現し、神功「皇后」(天皇)に始まる応神朝を形成し、今日の皇統へ続いていきます。専門的なアドバイスは歓迎しますが、感情論や願望に基づく誹謗中傷・レッテル張りはすべてNGにします。
『近代天皇論—「神聖」か、「象徴」か』
『近代天皇論—「神聖」か、「象徴」か』刊行記念 トークイベント
片山杜秀(政治学者)×島薗進(宗教学者)
https://www.youtube.com/watch?v=Lidba0HX9zY
『近代天皇論—「神聖」か、「象徴」か』az4087208656
キーワード:皇位継承、女系天皇、側室制度、日本会議、自民党、安倍政権、象徴天皇制、民主主義、共和主義
『恩賜の義脚』大塚文雄azB01H1LKUNW
【世界は今#32】水野久美クロアチア報告 / カナダ櫻會結成報告 / ニュージーランドから帰国する理由 / イタリア憲法改正国民投票の結果 / ドイツ女子医学生殺害事件と難民問題[桜H28/12/8]
※この動画はインターネット先行配信でお届けします。
日本国内と各国在住の草莽日本人が「草莽国際情報ネットワーク」特派員となり、多岐に亘る様々な生の現地情報をお送りします!
司会:水島総・水野久美
■ 水野久美のクロアチアレポート
■ カナダ・バンクーバー - 清野健二さん
・櫻會結成発表イベント報告
・北米唯一の神社「椿大社」参拝とアメリカ人禰宜ローレンス氏との交流
■ ニュージーランド - 戸澤真紀子さん
・なぜニュージーランドから日本へ帰る事を決めたのか
・断捨離
■ イタリア - カンパナ・マウリツィオさん
・イタリア憲法改正国民投票の結果とレンツィ首相の辞任
■ ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州 - 横山久子さん
・女子医学生殺害容疑でアフガニスタン人少年を逮捕
※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。
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【古谷経衡】さくらじ#103、山村明義が語る神道の深さとしなやかさ【saya】
今回は、1年半振りに登場することになった山村明義氏に、「神道」の懐の深さと、「サブカル」や「科学技術」との相性の良さを語って頂くほか、神道への誤解と怨念が渦巻いている「裸足のゲン」についてもバッサリとやっていただきます!
出演:古谷経衡、saya、山村明義
皇紀2673年8月23日収録
※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。
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【神道シリーズ】第20回・天神信仰(真言密教僧(道賢)によって広まった御霊信仰)神道関係無し①
【神道シリーズ】第20回・天神信仰(真言密教僧(道賢)によって広まった御霊信仰)神道関係無し①
日本の御霊信仰は、8世紀の聖武天皇の時代の長屋王の変や9世紀の桓武天皇の時代の早良(さがら)親王事件などの第一期御霊信仰と、菅原道真の大宰府左遷での憤死のよる
菅公(道真)御霊(怨霊)に始まる第二期御霊信仰の二期に分かれます。
第一期での鎮霊は雑密の法相宗の僧侶たちによってなされ、第二期になると真言宗の僧侶たちによってなされてます。
第一期では朝廷内だけでの御霊信仰でしたが、第二期の道真の御霊信仰は、吉野峯真言修験僧の道賢(どうせん)が自らの臨死体験を綴った「道賢上人冥途(めいど)記」の中で蔵王菩薩が現れ、道賢を道真の御霊である大政威徳天に会わせられ、そこで地獄の煉火の中で苦しむ藤原時平や醍醐天皇の姿を見せられた上で(道賢)に「日蔵」という名前を与えてもらった、という話が書かれています。
この逸話は朝廷のみならず農民を中心とする民衆の間にも広く広まり、自在天神、大富天神などの名で全国に広まります。
その天神信仰は御霊信仰を越えて農民の田歌や田楽にも影響を与え今様(いまよう)歌として広まり今日に続いていきます。
「日本、保守化!特攻作戦」★衝撃インタビュー第17回
前半は明治神宮での憲法改正インタビューの圧倒的結果について。中盤は建国について古事記の分かりやすい解説。後半が沖縄左翼デモへの特攻作戦。ラスト衝撃動画となります。ご意見、ご感想をお寄せください。お待ちいたしております。へんまも事務局まで[email protected]
【神道シリーズ】第22回・春日信仰(興福寺(法相宗)や臨済宗とともに歩んで今日に至る春日浄土の世界)①
春日大社と興福寺はその歴史からして、興福寺(669年)に始まり、春日大社(768年)が創建されて以来、興福寺が実質春日大社を支配管理する形で今日まで至っています。
明治の神仏判別令でこの一体の体制は破壊されたものの、やはり歴史の中で培われた文化力の強さはそんな弾圧も乗り越えて、今日では以前のように春日大社の中で興福寺の僧侶たちが神前読経をする姿やおん祭のように共同開催で行われる行事が生き続けています。
興福寺(法相宗)が藤原氏の信仰に基づいて創建されたの対し、その100年後に作られた春日大社は藤原氏の朝廷内の格付け証明の為に創建された経緯があります。
なぜ(創建時に)藤原(中臣)氏の本来始祖神であったはずの天児屋根命(あめのこやねのみこと)が(春日大社の)第一殿に祀られずに第三殿になってしまったのか?
その辺の謎を解きながら興福寺とともに歩んだ春日大社の歴史を見て行きたいと思います。
(あと、なぜ奈良では鹿が神扱いされるようになったのか?も、鎌倉後半以降の仏教説話から出て来た鹿島立神影図からお話していこうと思います)
【神道シリーズ】第二回・新羅本紀と古事記・日本書紀(対比検証)
よく保守系の人たちの間で、「新羅の国王は日本人(倭人)だった」「日本は強い高句麗から新羅・百済・任那を守ってた」「古代の朝鮮半島は日本の一部だった」などという首を傾げてしまうような言論を耳にしますが、そもそも倭人という点で当時の列島と半島の間の人種的な差は無く、しかも、新羅本紀や記紀を比較すると、そこには壮絶に戦争をし続けた両国の歴史が綴られており、決して「新羅が日本の一部」とは言えない歴史が記されています。当シリーズでは、専門的なアドバイスは歓迎しますが、感情論・願望に基づく根拠無き断定やレッテル張りはすべてNGにします(タグも含めて)
【神道シリーズ】第4回・天日槍(新羅からの渡来勢力)の足跡その1
古事記、日本書紀には新羅王子とされ、播磨風土記では新羅神とされた天日槍は、その足跡を北九州から瀬戸内海、そして近畿、北陸まで朝鮮半島から持ち込んだとされる品目(須恵器、金銅製冠・装飾物、馬具、鉄器製品、支墓石、新羅製鏡など)を遺跡に残しながら、地方風土記や神社の伝承、地元の祭祀など濃厚に残しながら今日の発掘研究を可能にしています。この天日槍の血統上にある五十迹(いそて)、田道間守らは地方信仰の対象となり、そしてその末裔である神功皇后はスサノオ王朝(新羅系)を倒し、今日の皇統に繋がる存在となっています。(夫とされる仲哀天皇の非実在性は確実視されてます)専門的アドバイスは歓迎しますが、感情論、願望に基く中傷やレッテル張りはすべてNGにします。