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THE聖地~仙台編~『笹幸恵の軍事トリビア』#79
軍事トリビア、特別バージョン!
今回は聖地巡礼、仙台編!
「仙台といえば、そう、歩兵第4聯隊です!」
ということで、かつて第4聯隊の兵営があった榴岡(つつじがおか)公園へ。
唯一残る兵舎と「聯隊之跡」の碑を感慨深く巡る。
続いては宮城県護国神社を参拝、英霊顕彰館を見学。
最後には「大好物」にも遭遇!
大満足、大興奮の仙台聖地巡りをご覧ください!
飛行場を急襲!「義烈空挺隊」 読谷村の碑を訪れました。『笹幸恵の軍事トリビア』#78
今回は沖縄戦における、あまり知られていない戦史について。
沖縄県・読谷村に「義烈空挺隊玉砕之地」という碑がある。
これは昭和20年5月、米軍に占領された沖縄県の北・中飛行場に着陸し、米軍機や施設等を破壊後、ゲリラ活動を行うという「義号作戦」に参加した義烈空挺隊の碑である。
隊は伝家の宝刀のような精鋭部隊だったが、それだけに活躍のタイミングを失い、既に大勢が決していた沖縄戦に、ほとんど特攻のような状態で投入された。いわば「戦艦大和」と同じような状況だったのである。
にもかかわらず、その事実は沖縄戦の中でも語られることは少ない。
もし読谷村に行かれる際には、その碑を訪問してみてはいかがだろう?
ニイタカヤマノボレ一二〇八の「ニイタカヤマ」って、どこにあるの?『笹幸恵の軍事トリビア』#77
昭和16年12月8日、大東亜戦争の火蓋を切った真珠湾攻撃。
日本海軍機動部隊にこの作戦実行の命令を下した電文の言葉として有名な「ニイタカヤマノボレ」だが、この「ニイタカヤマ」とは何だろう?
案外知らない人が多いが、実はこの山、当時の日本で最も高い山だった。
一方、陸軍にも作戦実行を命じる電文の文言があったのだが、これはほとんど知られていない。そこで、こちらもあわせてご紹介。
祖父はシベリア帰りだと思っていたら全然違っていた件~大陸における日本軍最後の攻勢作戦に参加『笹幸恵の軍事トリビア』#76
第65回「身内の軍歴、どうやって調べればいいの?~軍歴証明書を取得しよう!」
https://www.nicovideo.jp/watch/so39888282
から始まった、親族の軍歴を調べてみるシリーズ。
その後、視聴者の方やスタッフ・時浦の祖父の軍歴について扱ってきたが、今回は満を持して、笹さん自身の祖父の軍歴を調査、報告!
調べてみたところ、祖父はシベリア抑留から帰還したものと思い込んでいたのが、軍歴にはシベリア抑留を示す「ソ満国境通過」という記載がないことが判明。
代わりに記載されていたのが、聞いたこともなかった陸軍の作戦「湘西作戦」に参加したという軍歴。
果たしてこの作戦はどういうもので、どういう経緯でこの作戦に参加し、どのような経験をしたのか?
調べてみると、生前の祖父が語らなかった苛酷な参戦経験が浮かび上がってきた…
海軍兵学校に行ってきた! 海軍の初級士官を育てたエリート校『笹幸恵の軍事トリビア』#75
第71回で紹介した軍港・呉に続く、海軍聖地巡礼シリーズ!
今回行ってきたのは、海軍最大の聖地ともいえる広島県・江田島。
ここには海軍初級士官の教育機関である海軍兵学校があり、現在は海上自衛隊幹部候補生学校となっている。
正門を入ると外とは全く違う、空気が張り詰めたような独特の雰囲気が漂う。ここは観光地ではない、明治以来の伝統を今も受け継ぐ海軍・海自の教育機関である。
今回は江田島見学の見どころやその感想、そして明治20年に築地から江田島に移転した海軍兵学校の、終戦に至るまでの歴史などについてご紹介します!
トラック諸島 大空襲とその後『笹幸恵の軍事トリビア』#74
現在ではダイビング・スポットとして有名なミクロネシアのチューク島。
ここはかつては南洋群島のトラック諸島と呼ばれ、日本の委任統治領だった。
今回は、この地域が大東亜戦争中どのような経緯をたどり、戦争の前後でどのように変わったかについて語る。
トラックの現地で「戦争」といえば、昭和19年2月に米軍が行った2日間の大空襲、それだけを指すという。
それまでは、日本の敗色が濃くなってきてもなお、トラックには繁華街もあり栄えていた。
ところが、わずか2日間の空襲によって、島の様相は真っ逆さまに暗転する。
そして今のトラックでは、ところどころに旧日本軍や日本統治による遺構を見ることもできるが、栄えていた昔日の面影はほとんど残っていない。まさに、兵どもが夢の跡というような風景が広がっている。これも、一つの運命なのかも。
兵站を担う輜重兵 そもそもタイトル読めますか?『笹幸恵の軍事トリビア』#72
このタイトル、読めた人はもうある程度軍事に詳しいと言っていい。
これは、「へいたんをになうしちょうへい」と読む。
「兵站」も「輜重」も、まず軍事関連以外では使われることのない言葉だから無理もない。
しかも「兵站」や「輜重兵」は戦史の中でもあまり重視して語られることのない分野だったから、なおのこと。
最前線の戦闘に当たる兵隊が「花形」であるとしたら、輜重兵はそこまでの舞台を整える「裏方」のようなもの。しかし、花形が輝けるのは、本当は縁の下の力持ちがいてこそである。
実際、日本軍の敗北の原因は「兵站の軽視」にあったというのは、定説のようになっている。
では「兵站」とは? 「輜重兵」とは? ここで解説しましょう!
軍港・呉の新たな聖地~「ネイビー萌え」したい人はぜひどうぞ♬『笹幸恵の軍事トリビア』#71
広島県・呉といえば、旧海軍時代からの軍港。
ゆかりの名所としては「大和ミュージアム」や「てつのくじら館」などが有名だが、ここにもうひとつ、新たな名所が誕生した。
その名は、「澎湃館」(ほうはいかん)。
明治33年(1900)竣工の呉海軍造兵廠予備艦兵器庫並預兵器庫として使われた赤レンガ倉庫で、日本遺産構成文化財にも認定されている。
その内部には、海軍や海上自衛隊が好きな人にはたまらない魅力的な展示があり、イベントも開催、お土産品等も充実している。
そんなマニア心をくすぐる見どころの数々をご案内!
澎湃館
http://hohaikan.com/
「時浦上等兵」の軍歴証明書~トッキーのおじいさまはやっぱり「時浦上等兵」だった!~『笹幸恵の軍事トリビア』#70
第65回「身内の軍歴、どうやって調べればいいの?~軍歴証明書を取得しよう!」
https://www.nicovideo.jp/watch/so39888282
を見て、自分の身内の軍歴も調べてほしいと言い出したのが、よしりん企画の時浦。
漫画『卑怯者の島』に登場する「時浦上等兵」のモデルでもある時浦は、祖父がシベリア抑留の帰りに戦病死しているが、それ以上の詳細は一切不明。
そこで第65回で紹介された手続きをとり、軍歴証明書を請求してみたものの、戦後の混乱の中で兵籍簿が紛失しているということで、届いた情報はごくごくわずか。
しかしここからが笹師範の腕の見せ所! そのごくわずかの手がかりを基に、時浦の祖父がたどった足跡を様々な資料を駆使して推測していく!
そうして見えてきた、一兵隊の数奇な運命とは?
終戦後のソ連軍侵攻 占守島の戦い~北海道の命運を分けた5日間『笹幸恵の軍事トリビア』#69
ロシアのウクライナ侵略が始まってから、2ヶ月以上が経過した。
その間に明らかになったのは、民間施設への攻撃や虐殺、強姦、略奪など、あらゆる国際法を無視してどんな非道な行為も平然と行ってしまう、ロシアの無法ぶりだ。
この様子を見て、日本人ならば思い起こさなければならない歴史がある。
千島列島の最北端・占守島において繰り広げられた「終戦後の戦争」である。
ソ連がまだ有効だった日ソ中立条約を破って日本に宣戦布告したのは、1945年8月9日。
そして、ソ連軍が占守島を侵攻したのはなんと、日本がポツダム宣言の受諾を公表した後の8月18日だった!
占守島の防衛に当たっていた第91師団は既に武装解除と帰国の準備に入っていたが、この事態に一転、ソ連軍の上陸・南下を阻止すべく徹底抗戦の死闘を繰り広げた!
もしこの戦闘がなかったら、北海道の半分はソ連に占領され、今もロシア領になっていたかもしれないにもかかわらず、「戦後」の出来事だったためか、このことを知っている人はそう多くはない。
だが、ロシアがどういう国なのかを理解するためにも、この歴史は決して埋もれさせてはならない!
「ウクライナ国民斯ク戦ヘリ」沖縄線に見る民間人の闘い~「沖縄県民斯ク戦ヘリ」大田實海軍中将の電文を読む『笹幸恵の軍事トリビア』#68
ロシアの侵略を受けたウクライナでは、一般市民を巻き込んだ熾烈な戦闘が行われている。
これに対して日本では、「戦闘で死者を増やすくらいなら、早く降伏した方がいい」などという意見まで出てくる始末である。
国を守るために、軍隊のみならず民間人までもが命を懸けるという気持ちが、今の日本人にはわからなくなってしまったのかもしれない。
しかし、そんな日本人も、かつては民間人までが国を守るために闘い、斃れていったという場面があった。それが沖縄戦である。
戦後の歴史観では、沖縄戦で死亡した民間人は単に戦いの「巻き添え」の被害者扱いにされ、しかも加害者が米軍ではなく日本軍にされてしまっているが、それは本当に正しいのだろうか?
沖縄根拠地隊司令官として海軍の戦闘を指揮した大田實中将が自決の直前に送信した決別電を読み、その実像に迫る。
そこに描かれた沖縄県民の姿は、いまのウクライナ国民と重なって見えないか?
清沢冽『暗黒日記』を読む~戦時中、冷徹な観察眼を持ち続けた人『笹幸恵の軍事トリビア』#67
戦前に活躍した外交・政治評論家、清沢冽(1890-1945)の著書『暗黒日記』の現代語訳版が東洋経済から出版された。
清沢は反軍国主義の主張を貫き、戦時中は情報局から執筆禁止者に指名され、完全に干されていた。
清沢は言論発表の場を奪われた中、現在のおかしな風潮を日記に残し、後に検証する史料にしようとした。
清沢は終戦前に死去したため、自身によって時代の検証をすることはかなわなかったが、しかし清沢が遺した膨大な日記から、現在の私たちが学ぶことは無限にある。
あの時代、本物の言論人は世の中の風潮をどう見ていたのか?
そして現代の我々は、当時の日本人と比べて、少しは進歩しているのだろうか?
日本軍にはなぜ空軍がなかったの?『笹幸恵の軍事トリビア』#66
今回は視聴者からのご質問にお答えします。
日本軍には「空軍」が存在しなかった。
イギリス軍は第1次大戦末期の1918年に空軍を創設。
第2次大戦中は英軍の他にイタリア、フランス、ドイツも独立した空軍を持っていた。
そして米軍の空軍創設は戦後の1947年。
これに対して日本軍は、陸軍が飛行隊、海軍が航空隊を別々に持っていて、独立した空軍を持つという構想はついに終戦まで具体化しなかった。
陸海軍共に相当の航空部隊を持ち、特に大東亜戦争初期には華々しい戦果を挙げていながら、なぜ空軍は作られなかったのか?
「なぜあったのか」という理由を探るよりも、「なぜなかったのか」の理由を探る方がずっと難しいものだが、その難問に挑みます!
身内の軍歴、どうやって調べればいいの?~軍歴証明書を取得しよう!『笹幸恵の軍事トリビア』#65
身内に軍隊経験者がいるけれども、軍隊でどういう経歴があったのか、どこの戦地へ行ったのかなど、詳しいことは知らないままという人は多い。
戦死した人ならもちろんのこと、帰還した人でもつい詳しいことを聞かないままに亡くなってしまい、悔いを残している人もいるだろう。
そういう方々から、どうすれば身内の軍歴を調べることができるのかという質問をもらうことがよくあるので、今回はこれに笹師範がお答えします!
その第一歩は「軍歴証明書」を取得すること。
難しい手続きが必要かと思われるかもしれないが、三親等以内の遺族であれば、意外に簡単。
軍歴証明書の取得の方法から、これを手掛かりにしたさらに詳しい出征状況の調べ方までを丁寧にご説明します。
これを見て軍歴証明書を取得された方は、ぜひ笹師範にお見せください!
「不敬罪」ってどんな罪?~ヤフコメの皇室バッシングは懲役何年?『笹幸恵の軍事トリビア』#64
小室眞子さん、圭さん夫妻は渡米したが、バッシングはなおも続きそうだ。
Yahoo!ニュースのコメント欄(ヤフコメ)などは、目を覆うような罵詈雑言が際限なく続く。
そしてバッシングはそんなネットの書き込みや、事実無根の週刊誌報道を批判された秋篠宮殿下にまで向かう始末である。
こんな歯止めのかからない状況に、もはや「不敬罪」を復活させた方がいいのではないかといった発言も、ゴー宣道場内では出てきたりもしている。
さて、この「不敬罪」だが、戦前に存在した法律として名前は聞いたことはあっても、それがどんな法律で、どんな罰則があったのかということまで知っている人はほとんどいないはず。
というわけで、調べてみました。
もしいま不敬罪が存在していたら、ヤフコメに皇室バッシングを書き込んでいる人にはどんな刑罰が科されることになるのか?
福山聯隊と樋口季一郎中将~岡山からちょっと足を延ばしてみました~『笹幸恵の軍事トリビア』#63
10月10日、第101回ゴー宣道場が岡山で開催された。
せっかく岡山まで来たのだからと、笹さんが足を延ばしたのが、福山。
備後護国神社には立派な戦没者慰霊碑が並び、中でも「メレヨン島戦没者慰霊碑」に感激。
そして福山といえば、歩兵第四十一聯隊。
というわけで、第四十一聯隊の創設から大東亜戦争末期、「二度、玉砕した部隊」と言われるまでの歴史を語る。
歴代の第四十一聯隊長の中でも特に語るべきは第17代・樋口季一郎中将。
樋口中将は後に北方軍司令官となり、戦争末期のアッツ・キスカや占守島の戦いにおいて名を知られている。
そして実は他にも、樋口中将にはユダヤ人難民の救援に大きく尽力した功績があるのだが、これは外交官・杉原千畝の活動に比べてほとんど知られていない。
そこで、樋口中将を顕彰するための新たな動きについてもご紹介!
利他的な自己犠牲的精神の賛美に潜む危険性~ワクチンを接種する若者は国を守る兵士と同じ!?ABEMA Primeのパックン発言を考える~『笹幸恵の軍事トリビア』#62
若者は新型コロナに罹ってもほとんど重症化しないし、死者も出ていない。
つまり、ワクチンを打つ必要などない。
ところが、「若者は自分のためではなく、他人にうつさないという『利他的意義』のために打つべきだ」として若者のワクチン接種をどんどん推進しようという動きがある。
その旗振り役が大阪大の忽那賢志医師である。
9月16日に配信されたABEMA Primeの番組では、中川淳一郎氏が「そんなバカなことがあるか」と忽那を追及、これに忽那は明確に答えられなかった。
そこで忽那に代わるように、ワクチンの「利他的意義」を熱弁したのが、お笑い芸人・パックンことパトリック・ハーランだった。
だがパックンの発言は、一見美しく、反論しづらいように聞こえるが、そこには非常に危険なものが含まれている。
本人が完全に善意のつもりで、その危険性を一切自覚せずに話していることが、さらにその危なさに拍車をかけている。
一見美しい言葉には、警戒が必要だ!!
「野戦病院設立」が最優先?”ごっこ遊び″でしかないメディアの言葉の軽さを検証する『笹幸恵の軍事トリビア』#61
コロナ禍をどうしても終わらせたくない、まだまだ煽りたいメディアの最近のトレンド・ワードは「野戦病院」。
デルタ変異による感染拡大が止まらない、このままでは医療崩壊だ、これに対応するには、「野戦病院」を作るのが最優先だー!! …という具合に何度も何度も言われているのだが、その発信源は例によって、羽鳥慎一モーニングショーの玉川徹。
玉川が言い始めてから、一気に「野戦病院を作れ!」という声が広がっていったのだが、そもそも、「野戦病院」とはどういうものなのか、分かっているのだろうか?
明らかに誰も何も知らないまま、ただ何となくの「雰囲気」だけで言っている。
そこで今回は、実際の「野戦病院」とはどういうものだったのかを、時間拡大で徹底解説!
戦争について完全無知のまま、たかがコロナの流行を「戦時」呼ばわりして「戦争ごっこ」に興じる、幼稚極まりないメディアの実態を明らかにする!!
ファシズムについて「国家総動員法」から考える『笹幸恵の軍事トリビア』#60
コロナ禍の中で国民の自由が狭められている。
同調圧力や「要請」という名の法的根拠のない事実上の強制によって、全体主義状態が出来上がり、メディアからは決まった意見しか流されなくなり、さらにワクチンを国民全員に接種しようと政府が躍起になるに至って「ワクチンファシズム」が出現した。
終戦の日を前に「悲劇を繰り返さぬように」という番組・記事などはお決まりのように出ているが、もうその悲劇は繰り返されているのではないか?
今ここで、かつての日本がどのように自由を失っていき、戦争へと突き進んでいったのかを検証してみよう。そのキーワードは「国家総動員法」。
果たしてわれわれは、かつての日本人よりも賢くなったといえるのだろうか?
インパール作戦はなぜ阻止できなかったのか?~『組織の不条理』から学ぶ〈2〉『笹幸恵の軍事トリビア』#59
前回に引き続き、菊澤研宗著『組織の不条理』から、旧日本軍の失敗の構造を解説する。
ビルマ防衛のための積極策として英印軍の反攻拠点だったインパールの攻略を企図したこの作戦は、当初から無謀だと指摘されていた。
特に3000メートル級の山岳を越えて進軍するため補給に懸念が示され、常識的に考えれば不可能であることは明らかだった。
ところが牟田口廉也軍司令官が強力に作戦を推進、実行された。
そしてその結果はやはり補給が途絶、作戦部隊は壊滅状態となり、死傷者は5万人にも及び、退却ルートは「白骨街道」と呼ばれた。
なぜ誰が見ても無謀な作戦は実行されたのか?
新型コロナに関する政府の対策を批判するテレビのコメンテータ―などがしたり顔で「旧日本軍の失敗にそっくりだ」と言う際に、ガダルカナル戦と並んでよく引き合いに出されるインパール作戦。
だが、その失敗の構造を見ていくと、いまの何かにそっくりじゃないか?
【ゆっくり解説】陣形に関する一考察(陣形の歴史篇)
今回は各種陣形について、その歴史的背景も含めてご説明です。
皆大好きファランクスとかスペイン方陣もあるでよ。
次回(歩兵と戦車篇)
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前回(横陣と縦陣篇)
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BGM:四輪の塔/英雄伝説 空の軌跡SC オリジナルサウンドトラック / Copyright © Nihon Falcom Corporation
背景のゲーム:Sandstorm Studios Inc.「Rise of Liberty」
動画作成ツール:ゆっくりムービーメーカー3
https://manjubox.net/ymm3/
立ち絵:キャラ素材(きつねゆっくり) - Nicotalk &キャラ素材配布所
http://www.nicotalk.com/charasozai_kt.html
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ガダルカナル島戦三度の「白兵突撃」は合理的だった!?~『組織の不条理』から学ぶ〈1〉『笹幸恵の軍事トリビア』#58
新型コロナに関する政府の対策を批判するテレビのコメンテータ―などが、決まり文句のように言うのが「旧日本軍の失敗にそっくりだ」
とにかくそう言っとけば、なにか鋭い分析をしたかのように見えると思っているのかもしれないが、その例えが的確だったことは未だに一度もない!
特によく引き合いに出されるガダルカナル島戦、「戦時の逐次投入」で「不合理な作戦」だったなどとしたり顔で言う者がいるが、果たしてそれは本当に不合理だったのか?
そもそもそんな批判をする人は、完全合理的にモノを判断できるのか?
軍旗にまつわるあれこれ~軍旗は天皇の分身だった!?『笹幸恵の軍事トリビア』#57
前回話していた通り、4月11日に新潟で行われたゴー宣道場に際して、新発田の歩兵第16聯隊資料館を訪れた笹師範。
そこで目を引いたものは数々あったが、特に目を引いたのは「聯隊旗」。それも「旗のない軍旗」とでもいうようなものだった。
そこで今回は、日本軍と「軍旗」について語る。
日本兵にとっての軍旗とは、どういうものだったのか?
それは、数百千の兵の命にも代えられないものだった!
西洋的合理主義では決して理解できないであろう、想像を絶するような、軍旗に込められた魂の物語!
新潟といえば「歩16」!!~飢餓と地獄の戦線を戦い抜いた新発田の歩兵聯隊 『笹幸恵の軍事トリビア』#56
4月11日、新潟で初のゴー宣道場が開催されることを記念して、新潟にちなんだ話題をお届け。
新潟といえば日本酒! 美味しい海産物も豊富だし、温泉も多いし…とはいえ、この番組はは「軍事トリビア」!
軍トリで新潟といえば、新発田! 新発田といえば歩16! それ以外にありません!
ということで今回は新発田にあった歩兵第16聯隊の略歴をたどります。
「餓島」と呼ばれたガダルカナル島に派遣され、ようやく撤退したと思ったら今度は「地獄」と呼ばれたビルマ戦線に送られて、最も過酷な戦場を2度も踏むというほかにあまり例を見ない経歴を持つのが、この歩兵16聯隊。
最後には、その2つの戦場の両方を経験して生き残った元兵士に笹さんが取材した際の、「ある意味すごい」と感じた秘話(?)も。
松の「根こそぎ」動員 海軍の切実な燃料事情~「松根油」について 『笹幸恵の軍事トリビア』#55
戦争の行方を決定的に左右するのは「資源」の差。
日米の間には比べようもない資源の差があり、そもそも開戦すること自体が無謀だった。
そのことは日米開戦の4か月前・昭和16年8月に「総力戦研究所」が行ったシミュレーションでも明らかだったが、結局は楽観論に押し切られて開戦に至り、その後はシミュレーション通りの道を歩むこととなってしまった。
そして戦争末期、いよいよ燃料事情が逼迫してきた海軍がその活路を見出そうとしたのは「松根油」。
松の根っこから取れる油を使おうということで大増産の号令がかけられ、松の根を大量採掘、文字通り「根こそぎ」にしようという国策が実行されようとしたのだった。
日本が資源においてどこまで追い詰められていたかを示す、隠れた逸話。
数字と空気と知性 「日米開戦は不可能」とした総力戦研究所の結論はなぜ黙殺されたのか 『笹幸恵の軍事トリビア』#54
日米開戦の4か月前・昭和16年8月、日本が対米戦に踏み切った場合のシミュレーションを行い、確実に負けるという結論を出していた機関があった。
その名を「総力戦研究所」。
内閣総理大臣の管理下に置かれ、30代の官僚、陸海軍人、民間人のエリート30数名が属する研究機関だった。
そのシミュレーション結果は近衛内閣に報告されるが、完全に黙殺されてしまう。
そして日米は開戦。その後は、原爆投下以外はすべて総力戦研究所のシミュレーションどおりに進んでいった…
その経緯は猪瀬直樹著『昭和16年夏の敗戦』にも詳しいが、それではなぜ総力戦研究所の研究結果は黙殺されてしまったのか?
そこにこそ、現在のコロナ禍で起きていることに通じるものがあるのではないか?
歴史に学ぶとか、戦争の反省をすべきだとか言うのなら、まずこういうところに目を向けなければならない!
GoToの一体どこが「令和版インパール作戦」!?~ろくに知らない人がたとえに軍隊を出すと失敗する例~ 『笹幸恵の軍事トリビア』#53
政府は世論の猛反対に押され、GoToトラベルキャンペーンの一時停止を余儀なくされた。
その際、政府批判でよく言われたのが、「GoToは令和のインパール作戦だ」という表現である。
ほとんど決まり文句のように繰り返されていたが、本当にその例えは正しいのか?
代表として神戸大学大学院准教授・岩田健太郎医師の週刊朝日コラムを挙げて細かく「校正」を入れ、その杜撰な論理(というか、全く論になってない)を明らかにする。
そして、実際のインパール作戦とはどういうものだったのかを解説。本当に、そこにGoToとの共通点はあるのか?
もういい加減、「それは旧日本軍みたいなものだ」とさえ言えば、何か鋭く批判したような気になって悦に入れるという幼稚な心理からは卒業しよう!
軍隊、軍人に関する質問にお答えします~「嵐を呼ぶ質疑応答」に寄せられた質問から~ 『笹幸恵の軍事トリビア』#52
11月8日に名古屋で開催されたゴー宣道場の第2部「嵐を呼ぶ質疑応答」では、事前の募集に199件もの質問が寄せられ、その中には笹師範への軍隊・軍人に関する質問もあったが、時間の制限もあって扱うことができなかった。
そこで今回は、そんな質問に直接答える!
「旧軍の方々は、男系継承しか認めない皇位継承の制度についてどう考えていますか?」
「旧軍の方の全員が、ということはないと思いますが、中には自衛官に対して複雑な感情を抱かれている方もいるのでしょうか?」
「元軍人の方々は、これまでの日本の外交をどのように感じておられたのか」
「笹さんは大東亜戦争時の日本人と今の日本人の気質の違いをどう見てますでしょうか」
さて、その回答は如何に?
楽器を持つ手を○○に変え… 陸海軍「軍楽隊」 『笹幸恵の軍事トリビア』#51
NHKの朝ドラ『エール』でも、主人公の音楽家が戦地へ慰問に行くシーンが描かれたが、今回は陸海軍に設置された「軍楽隊」のお話。
軍楽隊は明治に軍隊が発足するとほぼ同時期に、近代軍隊には軍楽隊が必要というイギリスの軍楽隊員で『君が代』の最初の作曲者としても知られるフェントンの進言によって誕生した。
その仕組みは、陸軍と海軍とでは、全く違う。
戦局が悪化して、音楽どころではなくなった時期の軍楽隊員たちは、どうしていたか?
そして、日本の軍歌を今も受け継いでいる、意外なところとは?
掃海殉職者追悼式と玉木雄一郎議員 機雷掃海と戦後の「戦死」者 『笹幸恵の軍事トリビア』#50
香川県の金刀比羅宮に、「掃海殉職者慰霊碑」がある。
昭和27年に建立、79名の掃海殉職者を慰霊し、その偉業を称える碑である。
では「掃海殉職者」とはなにか?
それは、終戦後の復興のためになくてはならない、命がけの作業によって命を落とした英雄たちである。
そしてさらにその中には、「戦後の戦死者」が含まれている。
しかしこのことは当時は秘密にされ、今も広くは知られていない。
だがこのことは、決して歴史に埋もれさせてはならないことである。
そして、このことと、9月のゴー宣道場に登壇された国民民主党代表・玉木雄一郎議員の関係とは?
ナウル守備隊 知られざる感染症の悲劇 『笹幸恵の軍事トリビア』#49
小林よしのり著『ゴーマニズム宣言SPECIALコロナ論』の第13章「インカ帝国の滅亡」には、南米大陸に白人がヨーロッパから持ち込んだ感染症が瞬く間に広がり、免疫を持っていなかった現地の住民が全滅していく様子が描かれている。
これを読んで連想したのが、ナウル守備隊の悲劇。
赤道直下にある面積約21平方キロメートルの小さな島・ナウルは、約4000人の日本軍が守っていた。
この日本兵たちは敗戦後オーストラリア軍によって武装解除されるが、悲劇はここからだった。
恨みに燃えるオーストラリア兵は、日本兵を過酷に扱い、ブーゲンビル島タロキナ(トロキナ)で「死の行軍」を強いる。
その後、日本兵はブーゲンビル海峡のビエズ島、マサマサ島に収容されるが、そこで待ち構えていたものは…
玉川徹と大本営作戦参謀・辻政信の共通点 『笹幸恵の軍事トリビア』#48
テレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」のレギュラーコメンテーターとして、最近は新型コロナの恐怖を煽りまくることに余念のないテレ朝社員・玉川徹。
彼は、政府批判をする際に「これは旧日本軍と同じ失敗を繰り返している!」という言い方をよく使う(ただし、引き合いに出すのはいつもガダルカナル島に関する不正確な知識だけ)。
あまりにもしつこく日本軍と同じ、日本軍と同じと繰り返す玉川徹を見ているうちに、この人、誰かに似ているなという気がして、思い当たったのが大本営作戦参謀・辻政信。
ノモンハン事件の敗戦の責任者でありながらいつのまにか復活し、終戦まで第一線に就き「作戦の神様」と言われた辻政信。
彼は自分の「正しさ」を疑わず、周囲もその「正しさ」に異を唱えることができなかった。
その辻政信の「正しさ」こそ、玉川徹の「正しさ」とそっくりなのだ!
果して、その共通点とは何か?