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【親子リレー落語】古今亭志ん生・古今亭志ん朝・金原亭馬生【富久】
親子三人による、貴重なリレー落語です。
★データ★
昭和33年(1958年)録音。
志ん朝~21歳(入門二年目の前座)
馬 生~31歳
志ん生~69歳
音源の録音・編集は、当時ニッポン放送に勤務しておられた長女の美津子さまによるものです。
出典;【落語チャンネル】ネット寄席
http://rakugo-channel.tsuvasa.com/tomikyu-oyakorelay
ラジオ寄席 2017.12.31 「尻餅」「芝浜」
九代目入船亭扇橋さんの「尻餅」と
十代目金原亭馬生さんの「芝浜」。
大晦日にぴったりの二席をお楽しみいただきます。
また、先ごろ、亡くなった海老一染之助さんと
お兄さんの染太郎さんの懐かしいお声もお聴きいただきます。
ラジオ ラジオ寄席 エンターテイメント 落語 入船亭扇橋 尻餅 金原亭馬生 芝浜 海老一染之助・染太郎
親子三人落語『干物箱』
親子落語家を共演させてみました。・噺家/父親=古今亭志ん生・善公(本名:久蔵)=金原亭馬生・若旦那幸太郎=古今亭志ん朝
落語 金原亭馬生 「二番煎じ」
音声のみです。季節にはちょっと早いかもしれませんが、お楽しみいただければと。ニコ動にある馬生さんの噺 mylist/14666332
落語 金原亭馬生 「千両みかん」
音声のみです。季節ものですが、みかんは冬のものということでお許しを。ニコ動にある馬生さんの噺 mylist/14666332
落語「お初徳兵衛」十代目金原亭馬生
音声のみ、もうすぐ四万六千日なので船徳、はかなりあがってるようなので大元のお初徳兵衛を先代馬生さんで。志ん生のお初徳兵衛はこちら→sm7003824。//画像は両国の江戸東京博物館の両国橋風景の再現模型から。手前の細いのが猪牙(ちょき)舟、橋桁に隠れて見難いですが奥のが屋根船になってます。
大人のニコニコ落語「錦の袈裟」金原亭馬生
十代目馬生さんで錦の袈裟、音声のみですがお楽しみください。//「らくごのニコニコ(co5444)」主催「大人のニコニコ落語」開催中。mylist/18614768のマイリスからどうぞ。
大人のニコニコ落語「葛篭」金原亭馬生
第104回いわき寄席(http://www.iwaki.or.jp/~suda/warai/warai.html)より十一代目馬生さんで葛篭(つづら)。//「らくごのニコニコ(co5444)」主催「大人のニコニコ落語」開催中。mylist/18614768のマイリスからどうぞ//この噺は戦前八代目桂文治などが演じていたものの戦中は禁演となり、戦後になって演じ手もなく廃れてしまったそうです。それを十代目馬生が文治の口演で聞き覚えていたのを練り直して高座にかけたものだそうで、今や金原亭のお家芸とも言えるお噺です。//検索ワード;成田の間男、つづらの間男
大人のニコニコ落語 艶笑小咄 馬生・文治編
艶笑小咄第2弾です。名人で聴くバレ噺もおつな物です。コチラのマイリストからどぞ →http://www.nicovideo.jp/mylist/18614768
忠臣蔵特集 落語 「淀五郎」 金原亭馬生
ニコ手本忠臣蔵、私のうp一席目は十代馬生師匠の「淀五郎」です。四段目「塩谷判官切腹の場」を舞台にした芸道話ですね。画像は初代国貞の描く中村座での「仮名手本忠臣蔵四段目(部分)」。右側の白装束が判官ですが、演じているのは残念ながら淀五郎ではなく初代市川市蔵。http://www.nicovideo.jp/mylist/16228379←「らくごのニコニコ」コミュニティ主催「ニコ手本忠臣蔵」マイリスからどぞ。
落語 金原亭馬生 うどんや
相変わらず動画じゃありません。冬の噺ですが、馬生師匠の命日が近いので。もともとは上方ネタ。明治時代に東京へうつされたときに蕎麦の話に直されなかったのは、当時東京でも鍋焼きうどんが流行していたからとか。冬の寒いときの鍋焼きうどんは蕎麦好きでもそそられるものがあるようで。
落語 金原亭馬生 子は鎹
相変わらず動画じゃありません。馬生師匠の「子は鎹(かすがい)」です。画像は鎹と玄翁(げんのう)。鎹は柱や梁など木材同士をつなぎとめるために打ち込む両端が曲がってコの字型になった大釘。画像左下のマルの中のように使用します。一方、鎹を打ち込むときに使用するのが玄翁。画像にあるような形のものが玄翁で、金槌は打撃面の片方がとがった形のもの。関東の大工が使うのは金槌ではなく玄翁で、鎹を打ち込む場合にも打撃力のある玄翁の方が良いと読んだことがあります。馬生師匠は玄翁ではなく金槌で演じています。確認できる範囲では志ん生・可楽・ざこばの各師匠。玄翁で演じているのは小朝師匠のみ。圓生師匠も金槌で演じていたといいますから、時代・地域により玄翁のことを金槌と読んでいたのかも。