タグ ASEAN が登録されている動画 : 298 件中 65 - 96 件目
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村下孝蔵『初恋』北京語版2…康喬「深痕」
1984年。台湾で出たもう1つの北京語版は「影子(sm23658584)」。香港で出た広東語版は「初恋(sm23010773)」。
西城秀樹『傷だらけのローラ』北京語版5…康喬「噢!羅娜」
1970年代後半から80年代前半にかけて、中華圏で人気絶大だった西城秀樹。その代表曲と言えば♪ローラ♪ですが、カバー曲も北京語版はマレーシアで「羅拉Laura(sm24978638)」と「羅娜(sm25388535)」「噢!羅娜(sm30455736)」、中国でも「羅拉(sm25199553)」と「羅娜(sm25388504)」が出て、香港では広東語版の「羅娜(sm23104977)」が出ました。羅拉はローラですが、羅娜はローナになるはず?中国人は「ラ」と「ナ」の発音がごっちゃになるみたい…。1983年に「噢!羅娜」を歌った康喬は、70年代末から80年代にかけて活躍したマレーシアの歌手で、当時のあだ名は「舞台帯道者」、たぶんヒデキのような派手なステージで歌っていたんでしょう。現在では歌手を引退して花屋の社長とか。
米国の会談見送りに慌てたドゥテルテ大統領が暴言の遺憾示すASEANまとめ
ASEANの議長国のラオスで会談する筈だった米国のオバマ大統領に対して、比ドゥテルテ大統領が放った外交儀礼を無視した罵りと「売春婦の息子が」という発言が決め手になりホワイトハウスが会談をキャンセルしました。ASEAN会場に到着したドゥテルテ大統領は、補佐官を介して自身の暴言に対して「遺憾の意」のコメントを発表w オバマ大統領の演説で、比は重要な同盟国で今後も連携を強化すると発言、ホワイトハウスからも、改めて首脳会談を調整するとのコメントも出されました。南シナ海問題での米比の連携に水を差す騒動が片付いたラオスでのASEAN会議報道をまとめました。
山口百恵『走れ風と共に』北京語版…黄鶯鶯「衝激」
『走れ風と共に』は山口百恵と三浦友和の主演ドラマ『赤い衝撃』の挿入歌。黄鶯鶯は台湾出身で、シンガポールに拠点を移して黄鶯鶯(トレーシー・ホァン)の名で活躍した歌手。
中島みゆき『この世に二人だけ』北京語版6…劉秋儀「陪我」
『この世に二人だけ』は1983年の中島みゆきの曲。中華圏ではカバーがいろいろ出ていて、台湾では北京語版の「瀟洒的走(sm24907424)」と台湾語版の「失落的過去(sm24907762)」 「留恋的愛(sm26220452)」、香港では北京語版の「陪我喝咖啡(sm25445647)」と広東語版の「陪我去逛街(sm25442514)」、中国では北京語版の「我的愛永遠陪着你(sm26220558)」「你的背影(sm27420318)」「昨日的朋友(sm27420356)」マレーシアでは北京語版の「陪我(sm29497202)」や広東語版の「縁尽(sm26216817)」などがあります
アジアまとまらず!判決を「紙くず」と言い放つ身勝手な国
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中島みゆき『ひとり上手』北京語版4…蘇家玉「愛綿綿」
1970年代から80年代にかけて、台湾を中心に日本、香港、東南アジアと、アジアを股にかけて活動した歌姫・鄧麗君(テレサ・テン)の香港での代表曲といえば、83年に歌った『ひとり上手』の広東語カバー「漫歩人生路(sm23036626)」。テレサ・テンはなぜか北京語で歌わなかったので、中国で「快楽人生路(sm24451534)」「美麗新一天(sm24451569)」「漫歩人生路(sm24451766)」などの北京語カバーが出ましたが、マレーシアで出た北京語カバーが「愛綿綿」。歌ってる蘇家玉は中国・江西省出身の歌手で、海南島でデビューし、失恋して(?)マレーシアに拠点を移した人。
【上念司】おはよう寺ちゃん 活動中【月曜】2016/07/25
音声のみ。6時台のコメンテータ関連以外はカット。公式→http://www.joqr.co.jp/tera/ mylist/37360151
コメンテータ予定:[月]上念司,[火]片岡剛士,[水]渡邉哲也,[木]孫崎享,[金]適菜収(週替り)
『ツーレロ節』福建語版…邱清雲+江夢蕾「亜伯跳迪斯可」
『ツーレロ節』はドリフの歌が流行りましたが、昭和30年代には小林旭が歌い、さらに遡ると戦前に海軍の『シャンラン節』を、芸者歌手の美ち奴がレコード化してヒットしたもの。で、その『シャンラン節』は「台湾民謡」だそうですが、台湾では『ツーレロ節』は日本の歌ということになっていて、お互いにルーツをなすり付けている状態。『ツーレロ節』の台湾語版は小林旭のバージョンをカバーした軽快な「心心相愛(sm25183182)」がメジャーですが、もう1つのカバー「春宵舞伴(sm25184607)」はどのバージョンをもとにしたのか謎。さらにそれをマレーシアで現代風?にアレンジしたのが「亜伯跳迪斯可」。タイトルを訳せば「おっさんディスコで踊る」。邱清雲は客家語の歌で人気が出た「客家歌王」ですが、実は福建人。
谷村新司『花束~最後の汽笛』北京語版2…巫啓賢「情的終結」
巫啓賢(エリック・ムー)は1990年代に中華圏でブレイクした歌手。もともとマレーシア出身で、85年にシンガポールでデビュー。その後台湾に拠点を移し、90年代には香港映画に出演したり広東語でアルバムを出したりして、香港でも人気に。最近では中国に進出している模様。たびたび「国籍はどこなのか?」と話題になるものの、今もマレーシア国籍とか。ちなみにマレーシアの中国語では、「巫」とはマレーの意味。で、85年のデビューアルバムに入っていたのがこの曲ですが、『最後の汽笛』がよほど気に入ったのか、別バージョンのカバー「未完的愛情故事(sm28909929)」もあり。
藤島桓夫『俺らは東京へ来たけれど』北京語版3…林淑容[媽媽請妳多保重]
『俺らは東京へ来たけれど』は藤島桓夫が1957年に歌った曲。日本ではとっくに忘れ去られた曲ですが、台湾語カバーの「媽媽請你也保重(sm26024542)」は、台湾では誰もが知ってる大ヒット曲。で、その北京語版としてシンガポールで黒縁メガネがトレードマークの黃清元が歌ったのが「媽媽請你多保重(sm28528568)」。一方、マレーシアでは歌詞が少しだけ異なる「媽媽請你多保重(sm28835005)」と、歌詞が丸っきり違う「媽媽請你多保重(sm28835028)」、それに「媽媽請你也保重(sm26024629)」などの北京語版が出ています。
喜納昌吉『花』福建語版…小萍萍「花心」
1994年。小萍萍は福建語と北京語で歌っていたマレーシアのちびっ子歌手で、現在は呉泓君と改名した模様。東南アジアの福建語は、台湾語とほぼ同じです。
並木路子『リンゴの唄』?北京語版5…劉秋儀「旧歓如夢」
「南都之夜(sm28449811)」は1946年の曲で、戦後台湾で最初に流行った歌謡曲として有名な曲。北京語や広東語でいろいろとカバーされ、台湾では小学校で習う愛国歌、中国では革命歌(sm28450443)にもなりましたが、原曲と言われているのが、戦後日本で最初に流行った歌謡曲『リンゴの唄』(1945年)。♪リンゴは何にも言わないけれど♪の部分を除いたような感じがします。北京語版は台湾のすばらしさを讃える香港映画の挿入歌「台灣小調(sm28449959)」が流行りましたが、61年に出た広東語版が「旧歓如夢(sm28450471)」。92年に香港映画『92黑玫瑰對黑玫瑰』の挿入歌になってリバイバルヒットし、マレーシアではいくつもの北京語版が作られることに。
ヒデとロザンナ『愛は傷つきやすく』北京語版2…「晴天布満了晚霞」
ヒデとロザンナの『愛は傷つきやすく』は1970年のヒット曲。翌71年に香港で北京語カバー「愛的創痕(sm28652254)」が出ましたが、80年代にマレーシアで出たもう1つの北京語カバーが「晴天布满了晚霞」。歌ってるのは魏漢文と尤菁で、デュエット形式になってます。
五木ひろし『夜空』客家語版…張少林「情茫茫」
張少林はマレーシアの歌手。広東語ソングをたくさん歌ってますが、客家系なので客家語ソングも出してます。客家語は広東語と北京語が混じったような感じに聴こえます。
山本リンダ『どうにもとまらない』北京語版…藍桜「一見面就説我愛你」
藍桜は1970年代から80年代にかけて活躍したマレーシアの歌手で、タイとの国境に近いケダ州の出身。で、歌の内容は♪どうして一目逢ったばかりなのに、私のことを愛してるなんて言うの?今日言いそびれたら、明日は忘れちゃうってこと?♪というようなもの。