沖縄で散花した『義烈空挺隊』

沖縄で散花した『義烈空挺隊』

義烈空挺隊による義号作戦は、大戦末期に日本陸軍の正規の空挺部隊が沖縄への斬り込みを図った特別攻撃である。1945年(昭和20年)5月24日、奥山道朗大尉(当時26歳)率いる空挺部隊員が搭乗した九七式重爆撃機12機が熊本市の健軍飛行場より出撃した。発動機の不調などにより途中で帰還した4機を除く8機が北飛行場・中飛行場に突入。その内、北飛行場(読谷飛行場)に1機のみが胴体着陸・挺身攻撃に成功。飛行場の米軍機7機を破壊、22機を損傷させたのに加え、ドラム缶600本の集積所2箇所が爆破され炎上、70,000ガロンの航空機用燃料が焼失し、米軍側は戦死2名、負傷者18名の被害を出した。操縦士を含む攻撃に参加した隊員70名は全員戦死した。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm19210489