【太閤の野望】肥前国名護屋城 其の二 平成26年(2014) 冬

【太閤の野望】肥前国名護屋城 其の二 平成26年(2014) 冬

天下統一を果たした豊臣秀吉によって、天正19年(1591年)から翌年にかけて、加藤清正、寺沢広高が普請奉行となり、わずか8ヶ月で築城され、唐入りの為の文禄・慶長の役の前線基地となりました。当時、大阪城に次ぐ二番目の規模の巨城が肥前の漁村に突如として現れ、朝鮮へ渡った兵士約20万、名護屋在陣の兵士約10万の計30万もの陣立ての中心となっていました。太閤秀吉の死後に廃城となり、唐津城へ石垣が移植されたり、島原の乱以降に石垣の破却等ありましたが、当時の遺構がほぼそのまま残る貴重な城址となっています。今回は馬場、二ノ丸、遊撃丸を散策します。前、大手口~三ノ丸→ sm23934577 次、本丸→ sm24045813 お城→ mylist/37297571

http://www.nicovideo.jp/watch/sm24026910