戦後連合軍に撮影された大日本帝国本土

戦後連合軍に撮影された大日本帝国本土

終戦後に撮影された、米国立公文書館保管映像。1945年3月から始まった米軍の日本近海戦略機雷封鎖により主要な港、海峡、航路は封鎖され日本側船舶の被害は増大し、制海権を失った日本近海には米潜水艦が常時跳梁していたため航路に壊滅的打撃を受けた。帝国海軍の主要艦艇がほぼ壊滅した中、西内海地域の輸送路確保及び掃海を目的に第七艦隊を編制した(実質的に1個戦隊程度)。掃海に従事した丁型海防艦などは艦体は脆弱で機器も故障が多く武装も貧弱なため護衛どころではなかった。その海防艦や掃海艇の将校階級者は予備士官や特務士官だった。海軍統帥部は艦隊決戦主義であり、護衛艦艇に対する理解が浅かった事が海路を破壊される事につながったのではないか。つべのesawe maenこの方とは無関係です

http://www.nicovideo.jp/watch/sm24666569