結月ゆかり、初音ミクによる 硫黄島防備の歌 Fullver (日本軍歌6番まで)

結月ゆかり、初音ミクによる 硫黄島防備の歌 Fullver (日本軍歌6番まで)

今回はリクエスト曲ではなく、じじい(作者)がどうしても作りたかった曲になります。先に言っておきたいのですが、今回は日米両軍の鎮魂歌のつもりで作りました。(この曲は硫黄島守備隊が自ら作詞した曲なので明るい曲調だけんどもね。)あとは映画「硫黄島からの手紙」(Letters from Iwo Jima)の中で流れているのを知り、全番を作ってみたかったというのもあります。儂としては曲・ゆかりさん・ミクさんに「理想」を表現してもらい、背景写真で「現実」をお伝えしたつもり。(そうなってなかったら単純に儂の力不足です。)この歌の時代背景としましては、第二次世界大戦末期の1945年2月19日、米軍の「Operation Detachment」(デタッチメント作戦)が発動、大日本帝国は日本本土に迫る米軍を喰い止めんと、栗林中将以下の硫黄島守備隊に防衛戦を命じます。硫黄島には全長18kmにも及ぶ地下要塞が構築されており、当初「5日間で陥落」させる予定だった米軍のタイムスケジュールを大きく狂わせる「死闘」が繰り広げられるに至ります。(神風特別攻撃隊も硫黄島守備隊を援護せんと出撃した・・・。)硫黄島守備隊は米軍をもって「1時間で10mしか前進出来ない!」と言わしめる悪鬼の如き戦闘を行うも、多勢に無勢であり救援の望みは最初からありませんでした・・・。1945年3月26日、3月17日より攻撃の準備をしていた栗林大将(中将から昇進)以下300名余りが米軍に対して最後の突撃を敢行、玉砕・・。大東亜戦争(太平洋戦争)最大クラスの激戦である硫黄島の戦いは終わったのでした・・。過去に作った「アッツ島血戦勇士顕彰国民歌」でも言っておりますが、儂の考えは変わらず・・・「非難するでもなく、裁くでもなく、ただ理解するのみ・・・。」さて、能書きはここまで。是非御覧あれ。■硫黄島の呼称について調べましたが、大東亜戦争中の島民の方々は「いおうとう」、明治時代の海図等では「いおうじま」、大日本帝国の陸海軍では「両方」を使用していたようなので、このままにします。(国際的には 米・英・西・独・伊等:Iwo Jima 露:Иводзима)次弾装填:U Boote fahren(U-boot lied)★本日のうちのMMD的家系図くま式 結月ゆかり ChaChaMARU型Lat式 ミク YasU型広告に関する謝辞:Buttogo様、銃刀法違反様、ゲスト様、プロレタリア様、へロルト様、広告有難く頂戴致しました。皆様ありがとうございます。

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