【神道シリーズ】第56回・八百万の神⑬道祖神【前編】(中国道教旅の神と地蔵菩薩の習合)江戸時代に爆発!!

【神道シリーズ】第56回・八百万の神⑬道祖神【前編】(中国道教旅の神と地蔵菩薩の習合)江戸時代に爆発!!

道祖神(どうそじん)と言うと、あたかも仏教が日本に伝わる前より我国の古代民俗信仰として存在し続けてきたようなイメージがありますが、実はその歴史は非常に浅く、日本初の道祖神は群馬県で発見された1625年(17世紀)のもので、18世紀(江戸時代)から19世紀(明治維新の前)ぐらいが生産のピークの所謂「流行り神」でした。「道祖」という言葉自体は3世紀の中国・秦朝の時代から中国で信仰されていた道教の旅の神「道祖」から来ており、それが日本の奈良時代頃に伝わると、日本では旅の神の意味から、当時全国で大流行した天然痘などの伝染病対策として、都(平城京・平安京)の境を「道祖」の木像(陰陽一対型>中国と同じ)で「塞ぐ」ことを目的にしたことから「塞(さい)の神」または「岐(ふど)の神」と呼ばれました。鎌倉時代から始まった五輪塔や十二仏などの仏教の石像が広がっていくと、室町時代にはそれが地蔵菩薩の石仏として各地に設置されるようになり、江戸時代に入ると、地蔵菩薩石像の形態不明瞭なものが単体道祖神として「道祖神」と呼ばれるようになり、その後、僧形の単体道祖神が創られるようになります。やがて、僧侶と尼僧のペアの双形道祖神も作られるようになり、19世紀になると国学が盛んになり、双形道祖神は「猿田彦と天鈿女」と比定(古事記から当て嵌め)されれるようになり、幕末には神像型の男女ペアの道祖神が増加します。しかし、その後道祖神は衰退の一途を辿り、明治維新になると禁止令も出たりして道祖神はほとんど作られなくなりました。道祖神は有名ではありますが、数の上からいうと庚申塔の方が圧倒的に多く、しかも、道祖神が作られた地域は群馬・長野・新潟・神奈川・山梨・静岡の5件が9割以上を占めています。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm34975351