賭博者/44a

賭博者/44a

こんにちは、動画は配役のイメージですが、この話は遺産がたくさん出るロシアのお婆さんがなくなるのを待っている、甥の将軍と将軍家の家庭教師である主人公と、それを取り巻く人々の話ですが、なぜか将軍の義理の娘が主人公に資金をたくし博打をお願いしたことが始まりで、お婆さんがいきなりやってきて博打に連れってと懇願してますし、その後お婆さんは博打で散財してますが、それらは深い意味があり、最初の方は政略結婚に出されそうな娘が大金を手にしてそれを逃れたいと思ってるんでしょうし、次の方は死んで甥の将軍に大金がわたるくらいなら、資産を全部ルーレットで散財した方が良いと思ってるんでしょう。そして将軍にもなぜか25歳の彼女がいて、そのフランス人女は未来の大金を当てにしてるという、欲望がとても絡んだ話だ。その中で純粋なギャンブラーは主人公で、ひと時は大金を手にし、ポリーナにも金を渡し、将軍の彼女ともパリに旅行ね出ている。しかし負けたら奉公人の仕事をしたりして資金を稼いで、またギャンブルに手を出す話である。それで私の感想であるが、以前は今ほど宗教的なことを考えてない時代に、とても貧乏で友達のパチンコの台の代わり打ちをしていた時のことであるが、何故か急に覚醒して、あと50発で揃うという神のお告げが現れたのである。それは確信であり予言であったので、5、4、3、2、1、で777と揃った時はビックりしたというより、やっぱりなという不敵な笑みを浮かべ余裕しゃくしゃくだったような思いだ。それでいくらか忘れたが10万だか20万だか友人と合わせてであるが勝ったような記憶で、そのお金で友人に健康ランドと焼き肉をおごってもらい、ひょっとしたら賃金もいくらかもらったかもしれない、でも遠い昔のことだからはっきりしないのである。覚えているのはその確信的な啓示だけである。まあそんなろくでもないことに啓示があったことがあるのだが、たしかジャマイカのゲームであるドミノでも啓示的なことがおこったことがあるかもしれない。それでももともとギャンブル嫌いなので自分ではほとんどやらないのであるが、まぁこの小説で私が思ったのはギャンブルとはその世の中の摂理を説いているものでギャンブル場には神が住んでいるのである。それはサッカー場と同じであり、野球場とも同じであり、聖書や仏教の経典が説いていることの縮図なのである。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm35546029