初音ミクによる 赤城の奮戦 Fullver (日本軍歌 10番まで)

初音ミクによる 赤城の奮戦 Fullver (日本軍歌 10番まで)

うちの孫(ミクさん)に歌ってもらっている、このリクエスト曲「坂元少佐」とも呼ばれる日清戦争の黄海海戦を題材とした軍歌となります。時は明治27年(1894年)9月17日、黄海にて大日本帝国海軍の防護巡洋艦8隻、仮装巡洋艦1隻、コルベット2隻、砲艦1隻は、優勢なる清国海軍北洋艦隊の戦艦2隻、巡洋艦8隻、コルベット・水雷挺各2隻と交戦。これを黄海海戦といいます。(日露戦争にも同様の名の海戦があるども、当然別の海戦ですじゃ。) この戦いにおいて歌の題名になっている「赤城」はへっぽこな「砲艦」でした。どんぐらいへっぽこかというと排水量がたった622tで全長50m、大砲は12cm単装砲4基、4.7cm単装砲4基という具合でした。(参考まで:大日本帝国旗艦「松島」 排水量4217t、全長89.9m、大砲各種19門の他魚雷有り、清国戦艦「定遠」 排水量7144t、全長94.5m、大砲各種20門に魚雷有り。)赤城が弱いのは最初から解っていたので、赤城には「西京丸」という参謀等が乗船していた仮装巡洋艦の護衛をさせ、海戦には参加させないつもりでした。が、運悪く護衛対象の西京丸が清国の戦艦「定遠」等6隻に補足されてしまいます。これに対して赤城は、数でも質でも格上である清国海軍主力を相手取り、一歩も退くことなく、ぼこぼこになりながらも単身で西京丸を守り抜きます。その後の海戦の詳細は省きますが、最終的に清国は巡洋艦5隻沈没、大日本帝国は沈没無しという大勝利をあげます。しかし、赤城の艦長であった坂元八郎太少佐は、艦橋に受けた直撃弾にて戦死を遂げていたのでした・・・。現在、坂元少佐の慰霊碑は長崎の佐世保にあるそうな。機会があったら東山公園に、儂も行ってみたいもんです。次弾装填:疾風戦闘隊 隊歌★本日のうちのMMD的家系図Lat式ミク thunderz13型広告に関する謝辞:紅月様、三浦虎次郎様(まーだ、しずまずやー、てーいえーんはー)、guilt様、秋月型初月様、今後も精進したく思います、わざわざこのような活動写真にありがとうございます。

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