AIきりたんによる 義烈空挺隊の歌 (オリジナル日本軍歌 4番まで)

AIきりたんによる 義烈空挺隊の歌 (オリジナル日本軍歌 4番まで)

今でない時、此処でない場所で、その戦いは確かに在ったのです・・・。此度はAIきりたん+MMD&機械化管弦楽団と共に数年前に作成したオリジナル軍歌を、リメイクしてお届けしてみた所存。(なお、歌詞の一部につきましては、義烈空挺隊員の方々の、本物の辞世句を参考にしております。)時は1945年5月、沖縄が米軍に占領されつつある中、その米軍飛行場に対し、大日本帝国は特殊空挺部隊の投入を決定。作戦は「義号作戦」とし、破壊工作やゲリラ作戦の専門訓練をうけた「義烈空挺隊」が投入される事となります。当初、義烈空挺隊はサイパン島よりやってくるB29に対して、サイパン島に強襲着陸を行い、その戦力を漸減する任務を帯びていましたが、戦局の悪化に伴い作戦が中止。その後の、硫黄島の飛行場に突入する作戦も、やはり中止となりました。この状況に対し、義烈空挺隊隊長の奥山道郎大尉は「空挺隊として若し未使用に終わるようなことになっては何の顔(かんばせ)あって国民に相まみえん、当局の特別なる保護と、世上の絶大な尊敬に対して、武人の最期を飾るべき予期の戦場さえ与えられないとなると、国民国家に対して顔向けができようか!」と、軍部に訴えたと伝えられています。1945年5月24日、彼らには武人としての「死に場所」が与えられました。沖縄の飛行場に配備されているあらゆる大型・小型機を爆破出来る技術をもって、敵陣ど真ん中の米飛行場に夜間強襲着陸を行い、また軍需物資や飛行場施設の爆破・焼夷攻撃を行うことを作戦目標とし・・。彼ら168名の侍は、夕闇の中12機の九七式重爆撃機に搭乗し、米軍のレーダー網をかいくぐる為に海上5mの超低空飛行を行いながら出撃していきました・・・。さて、能書きはここまで、続きは動画を御覧下さい。次回投稿予定:2020年5月21日次弾装填アッツ島血戦勇士顕彰国民歌(きりたんリメイク)★本日のうちのMMD的家系図ふらすこ式風きりたん 金子卵黄型広告に関する謝辞:秋月型初月様、爆速の広告によって奇襲攻撃をうけました。(笑)他の動画に対する広告も含めまして「誠」にありがとうございます。(あ、でもご無理はなさらないで下さいね。こういうのは、ほんと、お気持ちだけでもうれしいものです。)ムドレロフ様、万歳三唱様、につきましても、息つく間も無き広告、感謝です。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm36859441