【鉄道模型】昭和54年「はくつる」

【鉄道模型】昭和54年「はくつる」

昭和54年10月、グリーン車の位置を2号車から485系と揃え6号車へ変更。食堂車の隣になるが「はくつる」「ゆうづる」運用の場合は食堂車は営業していないので上野駅中央改札口からいたずらに歩かされるだけだったのだけれど、夜行のロ座利用率はどうだったのでしょう?上野口の夜行特急というと常磐線経由の「ゆうづる」が代表格だった当時、東北本線経由の「はくつる」は裏方感が大きかったのでしょうか?逆に昼行の時は東北本線経由「はつかり」の方が本数が多く「みちのく」は裏方のような「ひたち」の補完のような存在だったのでしょうか?こと夜行列車に関して言えば全盛期の面影を色濃く残した堂々とした運用を組んでいた民営化初期。数々のブルートレインとともに北へ向け雁行していました。転機が訪れたのは青函トンネル開通後に華々しくデビューした寝台特急「北斗星」号。質より量の時代に計画された583系や24系等の開放寝台列車は、豪華でプライベートが確保され、豪華な食事が楽しめる上質がもてはやされる時代にのまれていった。製品は、KATOで再生産が発表された2021年2月に入手したTOMIX製品です。じつは再生産されるKATO製品を予約しておりまして、車内設備が寝台仕様のそれを「ゆうづる」に充て、車内装備が昼行使用の現編成は「はつかり」へ運用替えし、旧製品のKATO編成を「みちのく」にしようと思っています。どうも当局で「はくつる」は影が薄い存在です。「ゆうづる」3本体制はいつできるのでしょうね。KATO14系14形はよ!音楽素材:NightMessenger・カリフラワーとの戦い/ポケットサウンド様撮影場所:甲府ロイヤルモデル様

http://www.nicovideo.jp/watch/sm38787169