ukiyojingu+結月ゆかり『音楽を楽しく正しく聞くことに慣れている私たちにとって、不愉快で非合理なものこそが必要だ。そうして私は、この雑音の反復さえ、意味があるのだと言ってしまう。』

ukiyojingu+結月ゆかり『音楽を楽しく正しく聞くことに慣れている私たちにとって、不愉快で非合理なものこそが必要だ。そうして私は、この雑音の反復さえ、意味があるのだと言ってしまう。』

思考実装  #2解説: https://note.com/ukiyojingu/n/n982d3b6e8ef2 私は昔からインターネットが好きだった。幼少期にデジモンが流行し、そして2ちゃんねると秋葉原がまるで社会現象のように注目を集めている世の中を見て、とても期待に胸を膨らませていた少年時代を過ごした。それからもう何年たっただろうか、私たちは繋がり過ぎることをあきらめる一方、どこか自分自身を記号的存在のように扱うような世界が到来してしまった。そうした時代感覚は、一方で自分の唯一無二たる声を発することで創作を続けるような歌い手の活動として、他方ではそんな私たちが皆一様に同じ通販サイトや動画投稿サイトを使用する状況として見ることができる。そんな矛盾しながらも表出している人間性を、かつてデジモンと2ちゃんねるに憧れていた自分は見てきた。あらゆるものがただのデータとしてインターネット上に流出する中、そんな社会に沿うように教育されて生まれてきた私のような人間は、人間はみな等しく記号として扱い、数学的に処理されるべき存在と思って生きてきた。その一方で、インターネットのアルゴリズムは完全でもなく、完全な世界をどれだけ機械が描こうとも、それを支配するのが人間である以上、私たちはそこから先に進むことすら、できなかった。だからこそ、私は機械を通して出現した記号的、数学的な私たちが抱え込む人間性を考える必要があると思った。そしてその結果は、あるがまま展開される私の文章に隠された違和感のなかにあると思った。「言語交錯」の10曲を破壊し、作成された雑音たちは、この私のただの日記と同様に無意味なものであり、必要ではないからこそ削除されるべき不快な「雑音」だ。だがしかし、いやだからこそ、私はこの雑音こそが「人間性」と称する必要があるように思う。それを私たちは決して忘れてはいけない。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm39224978