【坂東太郎】常陸国太田城 令和4年(2022) 仲冬

【坂東太郎】常陸国太田城 令和4年(2022) 仲冬

2022年の1月上旬、茨城県常陸太田市にある太田城跡を訪れました。 城の起源は明らかではありませんが、天仁2(1109)年に藤原通延(藤原秀郷の四世)が、下野国から太田郷に入り、太田大夫と称して築城したのが始まりであると伝わります。後に佐竹隆義が当時の太田城主・藤原通盛(通延の孫)を服属させたのち、通盛を小野台地(瑞竜中学校周辺)に移して「小野崎氏」を名乗らせ、自らが太田城に入りました。以降、佐竹氏代々の居城でしたが、戦国末期の当主・佐竹義宣が水戸城に本拠を移しました。その後、江戸幕府の一国一城令により廃城となりましたが、城の機能は一部残され「太田御殿」と呼ばれ、水戸藩の附家老の中山氏が管理していたようです。本郭は現在の太田小学校一帯。 二の郭は内堀町から若宮八幡宮一帯。 三の郭は栄町の大部分で北側が搦手とよばれている。 これらの郭は明治の初期に国から町の有志に払い下げられ、土塁をくずし堀を埋めて宅地や道路が造られたが、大正末期まで土塁や郭の一部が残っていたとのことですが、発掘調査により、江戸時代の古地図にはない大規模な堀跡等も発見されており、今後の調査によって縄張が大きく変わる可能性もある城です。常陸太田駅から、鯨ヶ丘・法然寺・若宮八幡宮・太田城・駒柵(帰願寺)・久昌寺・西山公園・三峯神社・梅照院と訪れています。城は鯨ヶ丘という南北に長い河岸段丘の上に築かれており、長野県の飯田城や後の佐竹氏の居城である水戸城との類似点も興味深かったです。佐竹氏の次の居城・水戸城 →  sm21235924 佐竹氏の次の次の居城・久保田城 →  sm26949128 お城→ mylist/37297571

http://www.nicovideo.jp/watch/sm39991397