【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第35回・第二次大本弾圧事件

【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第35回・第二次大本弾圧事件

1935年(昭和10年)12月8日、警官隊500人が綾部と亀岡の聖地を急襲した。当局は大本側が武装していると信じており、警官達は決死の覚悟であったが大本の施設をいざ急襲してみると、竹槍一本見つからず、幹部も信徒も全員が全くの無抵抗であった。王仁三郎は巡教先の松江市で検挙され、罪名は不敬罪並びに治安維持法違反。6日間の捜索で5万点の証拠品を押収し、取り締まりは地方の支部や関連機関にも及び、検束や出頭を命令された信徒は3000人に及び、最終的に987人が検挙され、318人が検事局送致、61人が起訴された。この逮捕の後、特別高等警察の激しい拷問で起訴61人中16人が死亡している。20名の信者が獄死あるいは発狂したと伝えられ、 異端審問とも言われた。王仁三郎の後継者と目された娘婿・出口日出麿は拷問により精神的異常をていし、王仁三郎は「日出麿は竹刀で打たれ断末魔の悲鳴あげ居るを聞く辛さかな」と辛い心境を詠った。しかし、こうした厳しい取調べにも関わらず転向者は少なく、王仁三郎・すみ夫妻のカリスマと人間性が信者達の抵抗を支えた。内務省警保局長の唐沢俊樹は京都府会議事堂で全国特高課長を集め「大本教は地上から抹殺する方針である」「わが国教と絶対相容れず、許すべからざる邪教」と宣言したが、翌日二・二六事件が勃発して現地視察も祝宴も取りやめとなった。つまり、第二次大本弾圧は226事件をまたいで行われたのだ。後に同事件で逮捕・処刑された北一輝は大本と軍部の関係について訊問され、「大本教は邪霊の大活動」と述べて関連性を否定した。しかし、北は第二次大本弾圧の1週間前に王仁三郎にクーデター資金5億円を要求して断られており、しかも大本にも多くの皇道派将校が出入りしていたことから当局は一層大本と北の周辺を厳重に調査を進めていた。しかし、当局が革新軍部と右翼勢力が大本事件に関係する可能性はなくなったと判断したためさらなる強硬手段を準備していた。裁判前にも関わらず、政府は亀山城址にあった神殿をダイナマイトで爆破し、綾部や地方の施設も全て破壊、財産も安価で処分し、人類愛善会など大本関連団体も解散や活動停止に追い込まれ、出版物も全て発行禁止処分となった。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm41462418