タグ 出口王仁三郎 が登録されている動画 : 121 件中 1 - 32 件目
種類:
- タグ
- キーワード
対象:
日月神示の予言は人によって解釈が違う?噂の2025年7月に何が起きるの?
読めば恐ろしい事しか記されていない日月神示...
どうやってもこうなってしまうのだろうか?
世界情勢を見ているとそんな方向に進んでいるのも事実。
魂の抜けた者たちへのただの戒めであって欲しいですが...
【スピ入門2】出口王仁三郎の語る救世主 日本人の霊性と使命
◇ WAS(ワス)の生い立ちと目覚めのきっかけ
→ https://wass.fun/school/letter/background/
* ホームページにブログ記事を掲載しています
◇ ZOOM座談会 オープンチャット
→ https://line.me/ti/g2/U9f5kMJETaIOSVYSLBJqy6N7dAtgNhB8Zd3tRA
* 週2回ペースで浄化ワークも無料提供しています
◇ WASの生い立ちや個別のお問い合わせはコチラ
→ https://lin.ee/64M5Iuq
==========
◇ 目次 ◇
00:00 神霊→霊界→現実界の順に顕現する
00:52 なぜこの世は理不尽が多いのか?
02:06 新たな次元へのアセンションと567
02:52 出口王仁三郎の語った日本人の使命
04:16 霊止(ヒト)と祈り(意乗り)の真価
05:06 科学的に証明された「祈り」の効能
06:04 日本人は昔から神仏と共にあった
07:24 人の運・不運を形成するもの
08:54 ドラクエ3とお祈りするメリット
10:28 生まれてきた理由と目的
12:02 開運に繋がる守護霊さんへの祈り方
13:35 実際にお祈りを体感してみよう!
14:42 愛念のお祈りの実践(BGM)
16:14 愛念を出して祈ることのメリット
16:56 ZOOM座談会と無料の浄化ワーク
◇ BGM提供 ◇
フリーBGM素材集 爽やか系1【作業用BGMにもどうぞ】
https://www.youtube.com/watch?v=JEEZ9jkZd8M
#祈り方 #使命と役割 #出口王仁三郎
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第46回・霊界物語をどう読み解くか
出口王仁三郎の霊界物語は、その冗長さと内容の不可解さから困難な書とされてきたが、そこで彼が訴えたかったものとは一体何であったのだろうか?
霊界物語は今でも大本で出口直のお筆書き、大本神諭に次ぐ二大経典の一つとされているが、これは直の神諭のように世の中はこうあるべきでこう変革するべきだというメッセージは一切見られず、ただ、183億年前の宇宙発生時から現代にいたる霊界における歴史を語って来た書と王仁三郎には自称されている。
しかし、正直、その中身たるや、荒唐無稽な上に、一体何が大本の信仰対象であり、何をどう考えるべきかがまったく不明瞭で、大本信者でさえそこを心底理解している者は一人とていないと推測される。
霊界物語は、183億年前の天祖、大国常立大神による大宇宙創成時代の霊界の地球で大地自然と神々の修理固成を行ったとミロク大神たるスサノオの話と、38万年前の霊界の地球でさらに修理固成を行った国祖と呼ばれる
国常立尊と、その後、その国常立尊が自ら創った神人たちに追放され、その結果、大峠という地球規模の大洪水が起こり、一旦破滅した地球に天の大神と呼ばれるイザナギ、イザナミ、アマテラスが再び大地自然の再創造を行うストーリーが展開されている。
不思議なことには、こうした大宇宙創成神や地球の修理固成神たちが霊界に産み出した神々や神人と呼ばれる霊界の住民たちの間でまったく権威や崇敬が無く、霊界人達に追放された国祖・国常立尊や、みろく大神と呼ばれながらも霊界の地上に産み出された邪神たちとのあくことなき戦いが強いられ続けていく、という、絶対崇拝対象無きストーリーが展開されているのである。
ただ、絶対崇敬対象としての存在が不在の中、霊界物語の中では、「言向け和し」という、敵対する者に対して武力や策略によって相手を屈服させてはならない、あくまで相手を諭し、心服させるやりかたで和平し共存していくことの大切さを終始強調されている。
出口直、王仁三郎の間で一貫していたのは、反戦世界平和的な全宗教共存論で、これは金光教や天理教以来一貫している万教同根の思想である。
王仁三郎が第二次大本弾圧事件の前に結成した昭和神聖会では、満州事変や日中戦争を「愛の戦争」と呼んだ彼の真意は不明のままだが、戦後の大本は戦前の社会変革論を完全に放棄し、ひたすら芸術活動と世界宗教平和共存運動に徹して行ったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第45回・霊界物語その⑧(最終回)
単調で冗長な霊界物語は続く。
第69巻では、南米物語で、高砂島(南米)のウヅの国(アルゼンチン)とヒルの国(ペルー)で若者が立ち上がり、政治改革が行われる。
第70巻は、インドのトルマン国の国政改革の物語。
三五教の宣伝使・照国別(てるくにわけ)が活躍する。
高姫の再生である千草姫が本巻から第72巻まで登場して悪事を繰り広げる。
第71巻は、インドのタラハン国の物語。
玄真坊(げんしんぼう)、千草の高姫、妖幻坊(ようげんぼう)の杢助(もくすけ)といった悪役が出てきて悪事を重ねて行く。
第72巻では、インドのトルマン国の「スガの港」の物語。
千草の高姫と妖幻坊の杢助の悪事と、それに対する照国別一行の活躍が描かれている。
第72巻と第73巻の間には、「入蒙記」が挿入され、ここでは出口王仁三郎が大正13年1924年に満蒙に神の王国を築こうとして盧占魁率いる3千人の蒙古軍とともに行軍した入蒙体験が書かれている。
第73巻から第81巻までは、今から183億年前の宇宙創成期に言霊の元子から地球を中心に宇宙が形成された様子から、地球上の大地や海や神々が想像された地球の修理固成の歴史が記されている。
ここでは、主に、大本顕津男神と称するミロク大神たるスサノオが、御樋代神(みひしろがみ)と言われる女神たちとの間で言霊による水火と火水の神事という、言わば、霊界における言霊セックスとでも言えるまぐわりを行い、国々や神々を生み出して行くというストーリーが語られている。
これは、大宇宙の根本の世界「紫微天界(しびてんかい)」の修理固成と言われ、最後の9巻は、「天祥地瑞」篇と呼ばれ、大正時代より35万年前の霊界が描かれた1巻より72巻とは異なる世界が描かれている。
この霊界物語は、まったく荒唐無稽で、これまでの日本の歴史の中で語られたことない国土と神々の創成の歴史が語られているが、しかし、明治以降の平田系神道カルトの間では新たなる古事記とも言えるようなバイブル的存在となったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】第44回・(思想編)霊界物語(その⑦)
出口王仁三郎が自らの瞑想の中で見てきたという霊界の歴史の物語は延々と続く。
第56巻から58巻の前半までは、フサの国テルモン山の神館(かむやかた)の物語である。求道居士(きゅうどうこじ)と三千彦(みちひこ)が活躍する。
本巻の冒頭には、天界と地獄界の図が掲載されている。
また「総説」の末尾の「附言」には、第1巻第37章に出てくる「顕国の御玉」が大本に献納された経緯が記されている。
第56巻から58巻の前半までは、テルモン山の神館(かむやかた)の物語である。
本巻の後半から第60巻までは、イヅミの国のスマの里の物語。玉国別(たまくにわけ)の一行が活躍をする。
第58巻の後半から第60巻までは、イヅミの国のスマの里の物語。玉国別(たまくにわけ)の一行が活躍をする。
第60巻は、前半はイヅミの国のスマの里の物語。後半は三美歌と祝詞と神諭である。
第61・62巻は「大本讃美歌」である。
神を讃える歌や、信仰生活に関する歌、聖地・霊場を詠んだ歌、天界を詠んだ歌など、二巻で567篇もの歌が収められている。
第61巻は主に七五調の歌、第62巻は主に和歌(五七五七七)から成っている。
第63巻は、聖地エルサレムへ向かう玉国別(たまくにわけ)一行の物語。
スダルマ山、スーラヤ山、ハルセイ山の三つの山で、神の試練と教示が与えられる。
第6巻の上下二冊では、エルサレム物語の上巻。第64巻は上下の2冊に分かれている。
霊界物語は基本的に「35万年前」という時代設定になっているが、この巻は現代(大正時代)のエルサレムが舞台である。
日本から宣教にやって来た「ルートバハー」の宣伝使ブラバーサの活動と、それを妨害するユラリ教のお寅たちの妄動が描かれる。
ラブストーリーやドタバタ劇が繰り広げられるが、救世主の降臨ということがテーマになっており、世界の統一や平和に関する重要な話がたくさん出てくる。
第65巻は、虎熊山と仙聖郷を舞台に、七人の宣伝使が活躍する物語。
最後に七人はエルサレムに到着し、七福神の神劇を演じる
第66巻は、トルマン国を舞台に照国別一行が活躍する物語。
オーラ山の山賊を言向け和す。
第67巻は、前半は「ハルの湖」を舞台にした梅公一行の物語。
後半から次巻にかけては「タラハン国」の国政改革の物語になる
第68巻は、タラハン国の国政改革の物語。
最後に梅公別によって救済される。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第43回・霊界物語(その⑥)
誇大妄想にか見える霊界物語も実は出口王仁三郎本人が実際に霊界で見て来たと主張する霊界の歴史話は40巻以降も延々と続く。
第40巻は、フサの国(ペルシャ)のイソの館からバラモン教を言向け和すために出発した言霊隊の第一陣・黄金姫、清照姫の母娘と、第二陣・照国別の物語。
第41・42巻はインドの入那(いるな)の国の物語。
黄金姫(おうごんひめ)と清照姫(きよてるひめ)の母娘が、入那の国難を救うために活躍する。
第43・44巻は、、ハルナの都に向かう言霊隊の第三陣・玉国別(たまくにわけ)の一行と、第四陣・治国別(はるくにわけ)が活躍する物語。ハルナの都に向かう言霊隊の第三陣・玉国別(たまくにわけ)の一行と、第四陣・治国別(はるくにわけ)が活躍する。
第45・46巻は小北山(こぎたやま)のウラナイ教の宗教改革の物語。
松彦・松姫・お千代の親子が活躍する。小北山(こぎたやま)のウラナイ教の宗教改革の物語で
お寅と魔我彦が改心して真の道に立ち返る。
第47・48巻は治国別(はるくにわけ)一行の天国巡覧の物語。
落とし穴に落ちて気絶した治国別一行の精霊が、中有界と天国を巡覧して、その様子を見聞して行く。
肉体と霊魂の関係、天国団体の様子、天人の生活、天国の祭典と説教、天国と霊国、霊界と現界との相応の理、などについて詳しく説明される。
第47・48巻は治国別(はるくにわけ)一行の天国巡覧の物語。
落とし穴に落ちて気絶した治国別一行の精霊が、中有界と天国を巡覧して、その様子を見聞して行く。
第49・50巻はフサの国の河鹿峠の「祠の森」の物語である。
本巻では、「祠の森」の神殿を乗っ取った高姫を、妖幻坊(ようげんぼう)が悪へ誘いこんでゆく。
言霊隊は、妖幻坊(ようげんぼう)によって悪へ引っ張られる高姫を、初稚姫が改心させようと努力をする。
第51・52巻は、「浮木の森」と「小北山」が舞台になる。
本巻は、浮木の森の曲輪城(まがわじょう)の物語。「浮木の森」と「小北山」が舞台になる小北山での文助の改心物語。
第52巻の第23章で、高姫が空から墜ちて死んでしまう。
第53巻から55巻までは、インドの「ビクの国」の物語である。治国別の一行が活躍する。
本巻では、ビクの国の内憂外患を、王家の若者たちが救う。
登場人物たちが巻ごとに立ち代わり入れ替わり、また名前を変えながら一貫性の無い霊界の歴史の物語はこの後も81巻まで延々と続くのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第42回・霊界物語その⑤
霊界物語は、邪教徒たちを事向け和しという諭しを通じて武器を使わず改心させていくというパターンが延々と続いていくのだが、
第30巻では、高砂島(南米)を舞台に、神素盞嗚大神(かむすさのおのおおかみ)の末娘である末子姫(すえこひめ)がウヅの国(アルゼンチン)の女王となり、また言依別命(ことよりわけのみこと)と国依別(くによりわけ)がウラル教を言向け和して三五教を広めて行く物語。
第31巻では、高砂島(南米)を舞台に、国依別(くによりわけ)がヒルの国(ペルー)の大地震を鎮め、日暮シ山(アンデス)のウラル教を言向け和し、三五教を広めて行く物語。
第32巻では、南米アマゾンの「兎の都」の物語。
三五教の十八人の宣伝使が集結し、アマゾンの魔神・モールバンドとエルバンドを言向け和して行く。
第33巻では、前半は南米、後半は日本が舞台となる。
三・五の玉をめぐる旅が完了し、高姫・黒姫の過去が解き明かされる物語。
第34・35巻は黒姫のアフリカ物語。
逃げた夫を探すために黒姫は筑紫島(アフリカ)を旅して回る。
第34・35巻は黒姫のアフリカ物語。
黒姫は、35年前に捨てた子供・玉治別(たまはるわけ)と再会を遂げる。
第36巻では、シロの島(セイロン島、スリランカ)の物語。
神素盞嗚大神(かむすさのおのおおかみ)の第七女・君子姫(きみこひめ)がシロの国難を救う。
第37・38巻は出口王仁三郎の若い頃の自叙伝である。
ここでは、主に明治31年から大正5年にかけての出来事が記されている。
第39巻から第72巻までは、主にペルシャ~インドのあたりを舞台に、バラモン教主・大黒主(おおくろぬし)を言向け和す三五教の言霊隊の物語である。
第39巻では、ではまず言霊隊の第一陣・黄金姫(おうごんひめ)と清照姫(きよてるひめ)の母娘と、第二陣の照国別(てるくにわけ)が活躍する。
物語は、王仁三郎が現実的な世界の中で体験したことと、彼が霊界で見て来たとする霊界の歴史と規則性無く絡み合い、大本の雛形世界論を展開して行くのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第41回・霊界物語その④
出口王仁三郎が実際に霊界に行って見てきたと主張する霊界の歴史では、クニトコタチによる宇宙創成、地球創成のあと、国祖としてクニトコタチが隠退に追い込まれてから地球上では大峠と言われる大洪水が起き、一旦地球は泥の海となってしまったが、イザナギ、イザナミ、アマテラスの三神による国土創成が行われ、霊界の神人類の世界は再建された。しかし、その後も宝珠と呼ばれる宝の玉を巡って霊界は争いが続き、ミロク大神であるスサノオが創設したアナナイ教と三つの邪教との言霊戦を通じて「事向けやわし」という、諭しを通じて敵を改心させていくアナナイ教の宣伝使と言われる宣教師たちの身魂磨きの成長の記録が記されて行く。
第22巻から第32巻にかけては、舞台がオノコロ島と呼ばれた日本列島の関西地域からオーストラリア、台湾、琉球、南米と、太平洋をまたぐ世界が舞台となり、アナナイ教と邪教と言われるバラモン教やウラル教との戦いが展開されて行く。
第22巻は、摂津を舞台に、三個の宝玉を紛失した高姫・黒姫が玉探しに出る物語。
第23巻は、近畿地方一帯(熊野~丹波~摂津~淡路地方)を舞台に、消えた宝玉を探し回る高姫の物語。
第24・25巻はオーストラリアが舞台で、竜宮島と呼ばれたオーストラリアに三つの玉を探しにやって来た高姫・黒姫一行の物語。
第27巻は、五つの麻邇宝珠(まにほっしゅ)が紛失し、高姫がそれを探しに旅立つ。
前半は丹波の綾の聖地が舞台だが、後半は琉球が舞台となる「琉球物語」である。
第28巻は、「台湾物語」が舞台で日楯・月鉾の兄弟が、暴政を布くサアルボース・ホーロケース兄弟から台湾を救うために活躍する。
第29巻から第33巻の前半までは高砂島(南米)を舞台にした「南米物語」である。
本巻は、高姫と鷹依姫が改心する物語。
高砂島(南米)を舞台に、神素盞嗚大神(かむすさのおのおおかみ)の末娘である末子姫(すえこひめ)がウヅの国(アルゼンチン)の女王となり、また言依別命(ことよりわけのみこと)と国依別(くによりわけ)がウラル教を言向け和して三五教を広めて行く。
ストーリーは、様々な人物が何度も名前を変えながら複雑な絡みを続けて行くが、一貫していることは、邪教ウラナイ教の教主高姫と部下の黒姫が何度もアナナイ教の宣伝使らによって改心しながらもみずからの強欲に勝てず、裏切り続けて行くと言う物語が延々と続いて行くのであった。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第40回・霊界物語その③
霊界物語では、現界のパラレルワールドである霊界における全世界を舞台に物語は展開されるが、しかし、これは出口王仁三郎からすればけっして創作ではなく、あくまで王仁三郎本人が瞑想の中で実際に見て来たと自称するまぎれもない霊界の歴史の記録であった。
クニトコタチが創造した地球を中心とした宇宙の中で、地球では国祖と言われたクニトコタチがウラル彦によって隠退に追い込まれると大峠と言われる地球規模の洪水大災害が起き、半ば破滅しかけた地球上でイザナミ、イザナギ、アマテラスによる国土再建が行われ、その後、ミロク大神であるスサノオが三五教を設立して世界中の邪教や邪神たちを「事向け和し」という諭しを通じて敵を改心させるという言霊戦を展開していくこととなった。
この戦いは、スサノオ配下の宣伝使と言われる宣教師たちにより行われ、この宣伝使たちが武力や権謀術策を用いず、あくまで相手を心底心腹させて改心させる「事向け和し」と言われる方法を通じて戦う、という、いわば武器を用いず戦う神軍として展開して行くのである。
この霊界物語は、言い換えれば、一人一人の宣伝使たちが事向け和しで敵を改心させる力を身に着けていく身魂磨きの物語であると言える。
第14巻までは世界各地を舞台に展開されていた言霊戦が、第16巻から第23巻までは日本の、綾部を中心とした関西地方が舞台となる。
スサノオの養女である八人乙女の五女・英子姫と、その侍女・悦子姫は、メソポタミヤの顕恩郷を発った後、バラモン教に捕まり小舟で海に流されて、延々と漂流して日本の天の橋立に漂着した。そして、その後、彼らをメソポタミアから追ってきたバラモン教の棟梁・鬼雲彦率いるバラモン軍や、アルタイ山脈から来日したウラナイ教の教主・高姫および配下の黒姫たちと、三五教で、英子姫の侍女である悦子姫らが三五教の宣伝使らとともに両者と戦い、バラモン教の鬼雲彦一派を追い払う一方、ウラナイ教の高姫と黒姫は、スサノオ自身の優れた采配により改心させることに成功し、高姫と黒姫はウラナイ教を辞め、三五教に改宗した。
スサノオの采配とは、権謀術策により悦子姫が黒姫より玉照姫を取り戻したやり方が正しくないとし、なんと黒姫に拉致されていた玉照姫を、解放されたのに、再び黒姫らに戻してしまったのである。しかし、黒姫はこのスサノオの公明正大さに感服して改心してしまったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第39回・霊界物語(その②)
霊界物語は、内容は実に荒唐無稽な話の連続で、しかも、その勧善懲悪的なパターンは単調で始終一貫しており、正義が悪に対して力ではなく、事向け和しという、所謂、相手を諭して改心させる、という形で善に導いていくということがこの全81巻という冗長なストーリーの中で貫かれている。
霊界物語の中で語られる死生観とは、現世界で死ぬと、現世界のパラレルワールドである霊界に送られ、その霊界の一部である中有界というところで、その人の生前の行いに即し、天界ないし地獄界、または現世界に戻されるかが決められる。その死者が生前善人であった場合は、中有界において審判の上、一途の川を渡り、天界に行くこととなり、生前悪人だった場合は三途の川を渡り、地獄界に落とされることとなる。
こうした死生観と存在論に基づき、ストーリーは、出口王仁三郎が、実際に自らの瞑想のうちに彼の霊眼で見てきた霊界の歴史が語られて行く。
霊界で、地球の国祖たるクニトコタチがウラル彦らによって隠退に追い込まれると、霊界の地球上では大峠と呼ばれる地球規模の大洪水が起き、それにより、現在の五大陸とムー大陸が形成されたと言う。
霊界以降の第7巻以降では、大洪水以降に新たな大陸構成になった霊界の地球上の話から始まり、ミロク大神である神素戔嗚尊は、正しい宗教である三五教を開き、地球上に存在していた3つの邪教、ウラル教、バラモン教、ウラナイ教との戦いを正しい神々や神人たちに指示し、物語全体が正しい教え三五教が3つの邪教を事向け和しという諭しにより改心させていく戦いというストーリーが延々と語られて行くこととなる。
霊界以降の第7巻以降では、大洪水以降に新たな大陸構成になった霊界の地球上の話から始まり、ミロク大神である神素戔嗚尊は、正しい宗教である三五教を開き、地球上に存在していた3つの邪教、ウラル教、バラモン教、ウラナイ教との戦いを正しい神々や神人たちに指示し、物語全体が正しい教え三五教が3つの邪教を事向け和しという諭しにより改心させていく戦いというストーリーが延々と語られて行くこととなる。
霊界でのイザナミの長子である大道別は、死後、その魂が日の出の神として蘇り、三五教の宣伝使のリーダーとして、三五教で宣伝使と言われる宣教師たちを束ね、北米を拠点とするウラル教やインドを拠点とするバラモン教やイランを拠点とするウラナイ教の邪教達を改心させていく戦いを続けた。
その後、果てしない三五教による邪教に対する事向け和しの戦いが続いていくのであった。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第38回・霊界物語(その①)
大本教では、第一次大本弾圧事件までは、大本教の開祖・出口なおが自らに憑依した艮の金神からのメッセージとしてすべてひらがなで書かれたお筆先と言われる自動書記の書が「大本神諭」として大本の教典となっていたが、大正10年1921年の大本弾圧事件の時にそのなおのお筆書きはすべて警察に没収された上、焼却されてしまい、しかも禁書となってしまった。
当時、お筆先の写しも無く、ましてや出版もしてなかった為、大本神諭とされた原本のお筆書きはそのほとんどが失われてしまった。
そして、この大本神諭に続いて第二の教典となったのが、第一次大本事件直後から出口王仁三郎によって著述されたのが「霊界物語」である。
霊界物語は、王仁三郎が瞑想しながら語る物語を40人以上の弟子たちが書き取っていくという大変な作業を通じて形成されて行った。
その中には、後に生長の家を創設した谷口雅春も含まれていた。
霊界物語は、第一次大本弾圧事件のあった1921年から5年間と、その後、7年間の中断を経て昭和8年1933年から約1年間のトータルで6年間の月日を経て書かれ、全部で81巻・83冊の超長編物語となった。
その中には、王仁三郎自身が修行時代に亀岡の高熊山の瞑想修行の中で見て来た霊界の姿や、国祖クニトコタチによる宇宙創造や地球の修理固成、つまり、大地や海、川、そして樹木や人や動物が生成される様が描かれ、さらに霊界物語では、彼がその後の瞑想の中で見て来た霊界の歴史を語っている。
王仁三郎によれば、我々が住んでる世界は顕界と言われ、霊界とは、顕界と姿は異なるが、神や神人の住む世界で、言わば顕界のパラレルワールドとでも言える世界で、霊界で起きた事は比喩的に顕界で起き、さらに大本で起きた事は世界で起きる、という世界雛形論がその格子にある。
ストーリーの一貫したテーマは、正義が悪をくじくとき、けっして暴力を用いてはならず、あくまで悪人に諭すことで改心させよ、と言うもので、このパターンのショートストーリーが延々と語られている。
荒唐無稽な話の連続ではあるが、そこには、王仁三郎が一貫して追求した万教同根と世界愛善の精神が貫かれており、人類皆兄弟のようなキリスト教的博愛主義が感じられる。
結果的に見ると、ユダヤ教やキリスト教の世界観の中に日本の古事記神話を組み込もうという図式さえ垣間見えたりするのである。
しかし、この霊界物語は、その後大本を離れて独立宗派を形成した神道系カルト教団全体に大きな影響を与えることになったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第35回・第二次大本弾圧事件
1935年(昭和10年)12月8日、警官隊500人が綾部と亀岡の聖地を急襲した。当局は大本側が武装していると信じており、警官達は決死の覚悟であったが大本の施設をいざ急襲してみると、竹槍一本見つからず、幹部も信徒も全員が全くの無抵抗であった。王仁三郎は巡教先の松江市で検挙され、罪名は不敬罪並びに治安維持法違反。6日間の捜索で5万点の証拠品を押収し、取り締まりは地方の支部や関連機関にも及び、検束や出頭を命令された信徒は3000人に及び、最終的に987人が検挙され、318人が検事局送致、61人が起訴された。
この逮捕の後、特別高等警察の激しい拷問で起訴61人中16人が死亡している。
20名の信者が獄死あるいは発狂したと伝えられ、 異端審問とも言われた。王仁三郎の後継者と目された娘婿・出口日出麿は拷問により精神的異常をていし、王仁三郎は「日出麿は竹刀で打たれ断末魔の悲鳴あげ居るを聞く辛さかな」と辛い心境を詠った。しかし、こうした厳しい取調べにも関わらず転向者は少なく、王仁三郎・すみ夫妻のカリスマと人間性が信者達の抵抗を支えた。内務省警保局長の唐沢俊樹は京都府会議事堂で全国特高課長を集め「大本教は地上から抹殺する方針である」「わが国教と絶対相容れず、許すべからざる邪教」と宣言したが、翌日二・二六事件が勃発して現地視察も祝宴も取りやめとなった。つまり、第二次大本弾圧は226事件をまたいで行われたのだ。
後に同事件で逮捕・処刑された北一輝は大本と軍部の関係について訊問され、「大本教は邪霊の大活動」と述べて関連性を否定した。しかし、北は第二次大本弾圧の1週間前に王仁三郎にクーデター資金5億円を要求して断られており、しかも大本にも多くの皇道派将校が出入りしていたことから当局は一層大本と北の周辺を厳重に調査を進めていた。
しかし、当局が革新軍部と右翼勢力が大本事件に関係する可能性はなくなったと判断したためさらなる強硬手段を準備していた。
裁判前にも関わらず、政府は亀山城址にあった神殿をダイナマイトで爆破し、綾部や地方の施設も全て破壊、財産も安価で処分し、人類愛善会など大本関連団体も解散や活動停止に追い込まれ、出版物も全て発行禁止処分となった。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)王仁三郎の死と戦後の大本
昭和25年1945年8月15日の日本の敗戦以降、10月17日には第二審まで有罪になっていた王仁三郎ら大本幹部たちは敗戦による大赦令で二審の有罪判決がすべて無効になり、翌年からは愛善苑という名称でどこの教団の傘下ではない完全独立した宗教法人として教団活動を再開することとなった。
しかし、戦後の大本の再開は、実は再開と言うよりも新生と言った方が相応しいほどの一大方針転換であった。
戦前に大本の昭和神聖会が掲げた皇道大本主義や弥勒革命論は完全に放棄し、一方で大正時代より根付いていた
万教同根主義に基づく世界宗教連合運動や、陶芸、短歌、詠歌、書道などの芸術創作活動に重点を置き、戦前とは打って変わり、世直しのような政治活動とは完全に距離を置いた新しい宗教活動が開始された。
王仁三郎は「芸術は宗教の母である」とし、大正時代より学んでいた楽焼という、ろくろを使わず、内窯と言われる小さな窯を使った陶器制作に精を出し、京都から持ち込んだ10-15年分の陶芸材料を1年で使い果たしてしまうほど楽焼茶碗の作品作りに熱中した。
王仁三郎の作品は専門家から高く評価され、陶原評論家の加藤義一郎氏に「耀盌」と命名され、その後、国内外から高い芸術的価値を認められた。
しかし、王仁三郎は、1946年(昭和21年)8月、脳溢血で倒れ、2年後の1948年(昭和23年)1月19日には遂に帰らぬ人となり76年の波乱に満ちた生涯を閉じた。
その後、大本は王仁三郎の反戦平和人類宗教平等主義を引き継ぎ、戦後の着実な発展を続けたが、1980年代になると教祖の継承問題をめぐって三つの教団に分裂することとなる。
第3代教主の直日の第4子で長男の京太郎が二代目王仁三郎を襲名する意思を明らかにすると、王仁三郎の3女の八重野の息子・和明(やすあき)と直日の長女で教祖後継者であった直美の夫の栄二が強く反発し、教祖直日のナンバー2の京太郎は栄二と和明の役職を解任した上で両者を教団から追放し、教祖継承者には直美が外され、直日の3女の聖子(きよこ)に変更された。
追放された和明と栄二はそれぞれに大本本部を相手に地位確認の訴訟を起こすが、この裁判は10年に渡って争われた後、栄二と和明はともに訴訟を取り下げた上で、それぞれ愛善苑と大本信徒連合会という別教団を立ち上げ、大本主流と袂を分かつこととなった。
現在の大本は戦前の最盛期の勢いには遠く及ばないものの、平田神道系カルトからは決別し、出口なおの時代の万教同根主義と反戦人類平等主義が貫かれることになったのである。
『盤』(VAN)vol.8「艮の金神(うしとらのこんじん)」④(後半)
『盤』の第八回「艮の金神」シリーズの第四弾の後半をお届けします。「艮の金神」の神示の中でも謎の多い『金神の艮(とどめ)の文』に触れる前に、さらに、まずは原点とも言える『大本神諭』の冒頭に触れ、艮の金神の啓示の流れを理解していきます。後半は、『大本神諭』の予言的部分や、やはり世界的にも究極の神示ではないかということに触れていきます。
注意:
前半に引き続き、音声の高音部にひずみがあり、お聞き苦しい箇所があります。申し訳ありません。
※ご意見・ご質問・ご感想・ご提案は下記アドレスまで送ってください
[email protected]
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第34回・昭和神聖会と昭和維新
第一次大本弾圧ののち、出口王仁三郎は、満蒙に神の国の建設を目指し内蒙古入りするが、張作霖に部隊に逮捕され処刑直前に命を救われるという九死に一生を得る体験をするが、その後は、開祖出口なお亡き後、大本は王仁三郎を中心に、なおの時代には曖昧だった教義を整理し、欲得ですべてが動く乱れた世界を正すために弥勒菩薩の降臨を求める昭和維新の運動を展開して行った。
王仁三郎の提唱する昭和維新は、腐敗した政財界を無くし、国民が国常立やその下で世界を統治する天皇を世界人民が崇敬し、世界の人民は人種宗教思想を超えて皆平等で階級の無い豊かな社会で暮らせるようにすると言うものであったが、この思想は、国常立や天皇を除けば、まさにマルクスレーニン主義、つまり、世界の労働者が団結し、資本家や政府を倒し、世界規模で搾取や階級の無い共産社会を築くという発想とまさに瓜二つであった。
王仁三郎は、一方では、世界宗教連合会を結成し、世界のありとあらゆる宗教の代表を集め、信仰の違いを超えての宗教界の団結を目指し、また、人類愛善会を結成し、当時、農業恐慌や東北地方の冷害干害で飢餓に苦しむ農民たちに二毛作や愛善陸稲と呼ばれる陸稲の栽培などを現地で実地指導して広め、日本全国で多くの飢餓農民たちを救ったりしたが、また一方では、満州事変以降進行する中国大陸での関東軍を中心とした軍事作戦の展開進行に対して絶大な支持と賛同賛美を送り、多くの軍人の支持を取り付ける事に成功している。
そして、昭和10年1935年の第二次大本弾圧事件の1年前には、昭和神聖会と言う、ありとあらゆる救国団体の大同団結を訴えた連合組織を立ち上げるが、この大本が主導した昭和神聖会の結成式には、内務大臣、逓信大臣、多くの国会議員、そして陸海軍の中将クラス以上の幹部軍人たち、全国の右翼団体、さらには、全国著名大学教授や著名文化人たちが多数集まり祝辞を述べ、中には日本初の女性解放運動家の平塚らいちょうまでも含まれていた。
こうした昭和神聖会の運動に賛同する国民は当時の日本の人口約4千万人のうち800万人、つまり5人に1人が賛同したほどに支持された。
そして、その賛同者たちの中には、王仁三郎の熱烈な信奉者で満州事変を企画実行した陸軍中将石原莞爾や、後に日中戦争で主要な働きをした陸軍大将板垣征四郎、さらには226事件でクーデター計画を実行した青年将校の西田税までもが含まれていた。
人道的な慈善活動と戦争推進論と言う両極端な思想に揺れた王仁三郎の皇道主義は、きたる第二次大本弾圧事件を跨いで、大本から派生した極右の神道系カルト教団も含め、日本の第二次世界大戦への道を確実に進めて行くこととなったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第33回大本教(その⑦)エスペラント語運動と王仁三郎の入蒙
第一次大本弾圧ののち、出口王仁三郎は、満蒙に神の国の建設を目指し内蒙古入りするが、張作霖に部隊に逮捕され処刑直前に命を救われるという九死に一生を得る体験をするが、その後は、開祖出口なお亡き後、大本は王仁三郎を中心に、なおの時代には曖昧だった教義を整理し、欲得ですべてが動く乱れた世界を正すために弥勒菩薩の降臨を求める昭和維新の運動を展開して行った。
王仁三郎の提唱する昭和維新は、腐敗した政財界を無くし、国民が国常立やその下で世界を統治する天皇を世界人民が崇敬し、世界の人民は人種宗教思想を超えて皆平等で階級の無い豊かな社会で暮らせるようにすると言うものであったが、この思想は、国常立や天皇を除けば、まさにマルクスレーニン主義、つまり、世界の労働者が団結し、資本家や政府を倒し、世界規模で搾取や階級の無い共産社会を築くという発想とまさに瓜二つであった。
王仁三郎は、一方では、世界宗教連合会を結成し、世界のありとあらゆる宗教の代表を集め、信仰の違いを超えての宗教界の団結を目指し、また、人類愛善会を結成し、当時、農業恐慌や東北地方の冷害干害で飢餓に苦しむ農民たちに二毛作や愛善陸稲と呼ばれる陸稲の栽培などを現地で実地指導して広め、日本全国で多くの飢餓農民たちを救ったりしたが、また一方では、満州事変以降進行する中国大陸での関東軍を中心とした軍事作戦の展開進行に対して絶大な支持と賛同賛美を送り、多くの軍人の支持を取り付ける事に成功している。
そして、昭和10年1935年の第二次大本弾圧事件の1年前には、昭和神聖会と言う、ありとあらゆる救国団体の大同団結を訴えた連合組織を立ち上げるが、この大本が主導した昭和神聖会の結成式には、内務大臣、逓信大臣、多くの国会議員、そして陸海軍の中将クラス以上の幹部軍人たち、全国の右翼団体、さらには、全国著名大学教授や著名文化人たちが多数集まり祝辞を述べ、中には日本初の女性解放運動家の平塚らいちょうまでも含まれていた。
こうした昭和神聖会の運動に賛同する国民は当時の日本の人口約4千万人のうち800万人、つまり5人に1人が賛同したほどに支持された。
そして、その賛同者たちの中には、王仁三郎の熱烈な信奉者で満州事変を企画実行した陸軍中将石原莞爾や、後に日中戦争で主要な働きをした陸軍大将板垣征四郎、さらには226事件でクーデター計画を実行した青年将校の西田税までもが含まれていた。
人道的な慈善活動と戦争推進論と言う両極端な思想に揺れた王仁三郎の皇道主義は、きたる第二次大本弾圧事件を跨いで、大本から派生した極右の神道系カルト教団も含め、日本の第二次世界大戦への道を確実に進めて行くこととなったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第32回・第一次大本弾圧事件
大正10年1921年の第一次大本弾圧事件後、仮出獄した出口王仁三郎は、来日し綾部を訪れていたバハイ教の米国人宣教師アイダ・エ・フインチと会見し、王仁三郎は、バハイ教が提唱する世界共通語としてのエスペラント語の普及の話に強く共感し、以後、大本内にもエスペラント語の研究会を設立し、エスペラント語とローマ字の全国普及に努めるようになる。
一方、大正9年1920年に中国で設立された新興宗教で慈善団体の世界紅卍字会との提携に乗り出し、これがきっかけで大本率いる王仁三郎は、世界中の全宗教との連合を企画し、大本の万教同根の精神に基づき、全世界の宗教は信仰対象や信仰内容に関わらず一致団結しようという世界愛善運動を始めた。
大正13年1924年には、王仁三郎は保釈の身でありながら、世界宗教連合会の設立に着手した。
しかし、その直後、王仁三郎は突如思い立って、信者の植芝盛平ら3名を引き連れ、満州入りし、関東軍特務機関の協力を得て、内蒙古の馬賊の棟梁の蘆占魁の率いる千名の匪賊の部下を同行させ、奉天派トップの張作霖から馬賊討伐の為という理由で満蒙の行軍を始めたが、この行軍は王仁三郎にとっては、新蒙古王国の建設であり、蒙古よりエルサレムを目指した世界の精神的統一の運動であった。
しかし、奉天より北西方向に進軍していた王仁三郎の隊列は外蒙古付近で突如南進に方向を変えた為、これは内蒙古独立運動ではないかと張作霖に疑われ、王仁三郎とともに隊列を進めていた蘆占魁らは張作霖の部隊に追討され、戦わずして武装解除の上、全員逮捕され、蘆は即座に銃殺され、王仁三郎たちも銃殺刑が決まったものの、運よく張作霖部隊の処刑担当兵の機関銃が根詰まりしたため処刑は延期となった。
その直後、日本領事館からの歎願により処刑自体が中止となり、王仁三郎一行は間一髪の難を逃れることが出来たのだ。無事帰国できた王仁三郎は、一旦大阪刑務所に収監されたが、ただちに再保釈され、いよいよ、入蒙前からの目的だった世界宗教連合会結成の準備を進め、大本信者で大陸浪人の岡崎鉄首や、大アジア主義者で日蓮主義者の当山満や内田良平らの協力もあり、大正14年1925年の5月20日に、北京悟善社において、世界宗教連合会の発会式が挙行されるに至った。
このようにして発足した世界宗教連合会の総本部は北京におかれることになり、東洋本部は亀岡に設置することになった。
こうして、一見、世界の反戦平和の実現と世界宗教の融和を求めたような世界大家族主義運動を進める一方で、実は、王仁三郎の中ではもう一つのそうした平和的な動きとは相反するような思想的発展が進行していた。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第31回・大本教・第一次大本弾圧事件前夜
大正7年1918年、大本教の初代教主出口なおが83歳で生涯を閉じるまで、大本ではなおのお筆先という全文ひらがなで書かれたメッセージノートが大本神諭として信仰の中心になっていたが、なおの死後は出口王仁三郎に実権が移り、さらに入信加入してきた神霊イデオローグの浅野和三郎や谷口正治らによって大本神諭は恣意的に解釈されるようなり、そうした背景の下、「大正10年立替え論」つまり大正10年に日本も世界も滅んでしまうという大予言が行われ、これに釣られて膨大な数の信者が日本全国的に増え、大正10年1921年の第一次大本弾圧事件の間接的原因ともなって行った。
かつて出口なおは、日露戦争の時に、この戦争が世界大戦に発展して世界は一度滅びると予想し、それが外れたために大本は一時崩壊状態になったが、今回の「立替え説」を教団では「二度目の世の立替え」と宣言し、今回もまた大きく予言が外れる事により多くの信者たちが大本を去ることとなった。
同時に、それまでなおの神諭の解釈を巡って王仁三郎と対立していた浅野や谷口や友清歓真らも大本を去り、それぞれ、心霊科学研究会、生長の家、神道天行居と言った各自の神道系カルト教団を形成して行った。
大正10年頃の社会状況は、第一次大戦が終わって3年経って急速に欧州への輸出が激減した為に町に失業者が溢れる一方、大戦以降高まった国民の所得急増に伴う米不足により、労働争議と米騒動が全国各地に広がり、次第に深まる世界情勢の暗雲の中、大本が発表した終末論「二度目の立替え」予言は膨大な数の人々の気持ちを引き付け、教団は急激に規模が膨張し、政府や警察は大本の動向に注目し、きっかけを見つけて弾圧する機会を虎視眈々と窺っていた。
大正10年1921年2月12日の未明、検事総長平沼騏一郎の指示をうけた京都府警察部長藤沼庄平は、予審判事・検事らとともに、武装警官200人を動員して大本をおそった。すなわち綾部・亀岡・京都・八木における20数ヵ所が、不敬罪および新聞紙法違反の容疑で家宅捜査され、筆先の全部と神体の一部が押収され、大阪梅田の大正日日新聞社に出務中の出口王仁三郎、および綾部に在宅していた浅野和三郎・吉田祐定の三幹部が検挙され、だだちに京都監獄未決監に収容された。そして三幹部は、不敬罪および新聞紙法違反の罪名で起訴されたのである。
敬神尊皇愛国を標榜する宗教団体の幹部が、こともあろうに、不敬罪という罪名で逮捕されるという皮肉的で前代未聞の大事件であった。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第30回・大本教(なおと王仁三郎との「火と水の戦い」)
もともと出口なおの時代には、艮の金神のなおに対する憑依によりなおに書かせた筆先により、ありとあらゆる外国のやりかたに反対し、外国を真似たり媚びたりする態度を日本人がやめなければ日本は世界の戦争に巻き込まれ、世界とともに崩壊するという警告アピールであった。
なおの筆先は艮の金神のメッセージだとは言うが、それはまさに明治以降、西洋化近代化に日本全体が邁進する中で取り残され、見捨てられた底辺民衆たちは、新たに勃興してきた財閥や、その財閥と結託した政治家たちにより搾取され、使い捨てられ、その財閥・政治家たちは外国と結託し、自分たちの利益だけの為に弱者の立場を顧みず、まったく悪神に支配された世の中になってしまったと言う。
この世の中を立て直すためには、日本人はありとあらゆる外国由来のものを使うのを止め、本来の日本人の価値観の原点に戻るべきだという警告であった。
そしてその外国のやり方という言葉の中には、電気、鉄道、洋服、洋食などからマッチや漢字までもが含まれていた。 過激すぎると言うほど徹底した反近代主義、反文明主義である。
一方、なおと出会った王仁三郎は、本田霊学の鎮魂帰神法を始め、大石凝の弥勒菩薩降臨論や竹内文書の奇想天外な宇宙論や歴史観などを吸収しており、素朴な民衆の立場を代弁するなおと国学的な霊学的立場に立つ王仁三郎との間には相克があり、徹底的な反文明主義・反西洋主義に固執するなおや金光教出身の信者たちは王仁三郎の合理的な合法的宗教団体組織論のみならず、国学や古事記・日本書紀の神々と言った底辺庶民たちにとってはまったくなじみのないものを採り入れてくやり方がまさになおのいう「外国のやり方」に映り、反王仁三郎派の信者たちは王仁三郎を綾部から追放してしまった。
しかし、日露戦争を通じて世界は崩壊するというなおの予言は日本の勝利によって外れ、結果、ほとんどの信者たちはなおに失望して大本を去って行き、王仁三郎が綾部に戻ってくると、今度は王仁三郎のペースで大本再建は進み、いよいよ、大石凝によって王仁三郎に注入されていた弥勒菩薩降臨による世界救済論は大本の教義の中心を占めるようになり、その背景には、日本による世界征服こそ弥勒菩薩降臨の前提条件になるという弥勒革命論が拡大浸透し、それは、その後、軍人らの強い支持を集めると同時に政府や官憲の監視対象となり、やがて訪れる二度の大本大弾圧の原因ともなっていったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】第29回・大本教(その④)出口王仁三郎と出口なおの出会い
大正7年1918年、大本教の初代教主出口なおが83歳で生涯を閉じるまで、大本ではなおのお筆先という全文ひらがなで書かれたメッセージノートが大本神諭として信仰の中心になっていたが、なおの死後は出口王仁三郎に実権が移り、さらに入信加入してきた神霊イデオローグの浅野和三郎や谷口正治らによって大本神諭は恣意的に解釈されるようなり、そうした背景の下、「大正10年立替え論」つまり大正10年に日本も世界も滅んでしまうという大予言が行われ、これに釣られて膨大な数の信者が日本全国的に増え、大正10年1921年の第一次大本弾圧事件の間接的原因ともなって行った。
かつて出口なおは、日露戦争の時に、この戦争が世界大戦に発展して世界は一度滅びると予想し、それが外れたために大本は一時崩壊状態になったが、今回の「立替え説」を教団では「二度目の世の立替え」と宣言し、今回もまた大きく予言が外れる事により多くの信者たちが大本を去ることとなった。
同時に、それまでなおの神諭の解釈を巡って王仁三郎と対立していた浅野や谷口や友清歓真らも大本を去り、それぞれ、心霊科学研究会、生長の家、神道天行居と言った各自の神道系カルト教団を形成して行った。
大正10年頃の社会状況は、第一次大戦が終わって3年経って急速に欧州への輸出が激減した為に町に失業者が溢れる一方、大戦以降高まった国民の所得急増に伴う米不足により、労働争議と米騒動が全国各地に広がり、次第に深まる世界情勢の暗雲の中、大本が発表した終末論「二度目の立替え」予言は膨大な数の人々の気持ちを引き付け、教団は急激に規模が膨張し、政府や警察は大本の動向に注目し、きっかけを見つけて弾圧する機会を虎視眈々と窺っていた。
大正10年1921年2月12日の未明、検事総長平沼騏一郎の指示をうけた京都府警察部長藤沼庄平は、予審判事・検事らとともに、武装警官200人を動員して大本をおそった。すなわち綾部・亀岡・京都・八木における20数ヵ所が、不敬罪および新聞紙法違反の容疑で家宅捜査され、筆先の全部と神体の一部が押収され、大阪梅田の大正日日新聞社に出務中の出口王仁三郎、および綾部に在宅していた浅野和三郎・吉田祐定の三幹部が検挙され、だだちに京都監獄未決監に収容された。そして三幹部は、不敬罪および新聞紙法違反の罪名で起訴されたのである。
敬神尊皇愛国を標榜する宗教団体の幹部が、こともあろうに、不敬罪という罪名で逮捕されるという皮肉的で前代未聞の大事件であった。
prep28
出口王仁三郎は、1871年(明治4年)8月27日(旧暦7月12日)、現在の京都府亀岡市穴太に、農業を営む上田家五男三女の長男上田 喜三郎として生まれた。
近所ではその聡明さから直感力や理解力に優れた人を意味する「八つ耳」の神童と言われていたが、13歳の時に通学する僧侶の小学校教師と喧嘩沙汰となり退学となったが、その学識と聡明さを校長に見込まれ、異例の処置として13歳にして代用教員として採用された。しかし、2年後、正式な小学校教員が赴任してきた為に辞職し、豪農の家に奉公して働くこととなった。
23歳のころからは、園部の牧場で働きながら獣医を目指すが不合格となり、京都府巡査試験に合格するも拒否し、明治時代の若者として立身出世を目指す喜三郎は、マンガン鉱の探鉱やラムネ製造など幾つかの事業を始めるがいずれも失敗に終わった。
ところが、26歳になると独立して「穴太精乳館 上田牧牛場」を開業、搾乳・牛乳販売業を始めて成功を収めた。その頃、園部の南陽寺に滞在していた国学者・岡田惟平から古事記・日本書紀の国学的解釈と和歌を学び、次第に宗教に目覚めて行った。
しかし、弟の由松が賭博にのめり込むと、王仁三郎はその賭博場に出入りし、賭場で頻繁に喧嘩をするようになり、最後は襲撃されて頭部に大怪我を負い、祖母から厳しく叱咤され、深い悔悟の念に駆られていたところ、初めての神憑りに遭い、王仁三郎に取り憑いた松岡芙蓉という仙人に、近所の高熊山で修行するよう指示された。
穴太の高熊山で7日間の飲まず食わずの洞窟での瞑想修行の中で、王仁三郎は、初めて幽界の世界に入り込み、そこで見たものは、三途の川の前で閻魔大王の沙汰を待つ死者の列、そして三途の川で溺れる死者たちを助け、さらに高天原にて国常立尊の下で形成される宇宙創成の歴史や、地球、人類創成の歴史を見せられた上で、国常立尊より地球再生のためのメシアになるよう命ぜられた。
この荒唐無稽とも言える体験は、そのあと、綾部の地で艮の金神からの神託を得た出口なおとの出会いや、彼女とともに大本教を築いて行く上で重要な霊体験となったのである。
『盤』(VAN)vol.7「艮の金神(うしとらのこんじん)」④(前半)
『盤』の第七回「艮の金神」シリーズの第四弾の前半をお届けします。「艮の金神」の神示の中でも謎の多い『金神の艮(とどめ)の文』に触れる前に、さらに、まずは原点とも言える『大本神諭』の冒頭に触れ、艮の金神の啓示の流れを理解していきます。
※ご意見・ご質問・ご感想・ご提案は下記アドレスまで送ってください
[email protected]
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第27回・大本教(その①)出口なおと艮の金神
出口なおは1837年1月22日(天保7年12月16日)、大工の父/桐村五郎三郎と母/すみの長女として福知山藩領の丹波国天田郡上紺屋町に生まれたが、父の五郎三郎はその放蕩癖の為に家計は傾き、さらになおが10歳の時にコレラで亡くなった為、なおは10歳の時から米屋や饅頭屋や呉服屋などで下女奉公をして家計を支えることとなった。金光教の信者であったなおは、その教え通り母親を大事にし、下女奉公の給金のすべてを母親に送り、その孝行ぶりが藩主に認められ、福知山藩の三人の孝行娘の一人として表彰された。
1855年(安政2年)なおが20歳になった時、母の実母の実家の出口家に家督後継者が無く、祖母の出口ゆりからの要請でなおは出口家の養女となり、そこに養子縁組で出口家入りした四方豊助と結婚し、夫は出口政五郎と改名した。夫の政五郎も優秀な大工だったが、その楽天的な人の良さから知り合いたちからの金の無心を断れず、次々と返済されない金貸しをするうちに出口なおの家の家計は傾き、なおとの間には3男5女の8人の子供がいたにもかかわらず家の財産は底をつき、1888年明治16年に出口家は破産した。
51歳になったなおは、幼い四女と五女をかかえながら餅屋や古紙回収業を行い糊口を凌いだが、翌年事故で半身不随になっていた夫・政五郎が死去し、貧困多忙の生活を続ける中、三女の福島ひさと長女の大槻よねが精神異常を来たした後に神憑りになり、1893年明治26年、58歳になった出口なおまでが神憑りになり、突然騒いだり喚いたりするようになった為、近所の放火事件で容疑者扱いされ、警察に逮捕され牢に入れられてしまった。しかし、その牢屋の中で文盲であったはずのなおが突然、自分に憑依した艮の金神のメッセージを全文ひらがなで半紙に書き留め、これが出口なおの初のお筆先となった。
その筆先には、人類の改心と三千世界の立替え立直しを唱えるメッセージが書かれており、それは、その5年後、なおの三女福島ひさの営む茶屋を通じてなおの筆先を知った上田喜三郎の共感を得、やがてふたりで金明霊学会という教団を立ち上げることとなる。
なおは、喜三郎を出口家の婿養子とし、五女のすみに嫁がせ、名も王仁三郎に改名させた。
王仁三郎は鎮魂帰神法で艮の神を国常立神だと断定し、なおはそれを受け入れた上で、男神の国常立が宿るじぶんを変性男子とし、豊雲野尊という女神の宿る王仁三郎を変性女子とし、ふたりは霊的な意味での夫婦という設定で教団は形成された。しかし、その後、教団内の保守派たちは王仁三郎の文化開明的な考え方に反発し、王仁三郎は一時教団を離れることを余儀なくされ、その間に皇典講究所にて国学や水戸学を学び、彼が教団に戻ると、その教団の教義の中にはより国学色が強くなっていった。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第26回・大本教(その①)大本教の思想遍歴
大本教の歴史は、開祖出口なおが、57歳の時、放火容疑で収監された牢獄の中で神憑りになり、文盲であったはずなのにいきなり全文ひらがなで艮の金神からのメッセージを書き留めた自動書記と言われる現象から始まった。
当時、頻繁にいきなり神憑りとなり意味不明の言葉を発していたなおは周りから精神異常者と見做されており、それが故に無実ながらも放火事件の容疑をかけられ逮捕拘留されていた。
しかし、なおは、意味不明のメッセージを発するだけではなく、同時に神憑りになり、多くの人の病気神霊治療も行っており、周りのなおの評価は二分していた。
そんななおが63歳になった時、丹波出身で、本田親篤の弟子の長澤雄楯から言霊学や古神道を学んだ上田喜三郎と出会い、宗教的知識のある喜三郎はなおを補佐しながら次第になおの神憑りによる筆書きは宗教団体としての体裁を得ていくこととなる。
上田喜三郎はなおの5女すみと結婚して出口家に養子縁組し、なおの勧めで名を出口王仁三郎と名乗ることとなった。当時、すみの母なおは65歳で、王仁三郎は30歳の若者であった。
なおと王仁三郎は対立や協調を繰り返す中、次第に曖昧だったなおの艮の神や世の立て直しの神託は王仁三郎によってより明確な大本神道理論となり、艮の金神は国常立尊であり、立て直しで実現するのは弥勒菩薩の降臨であると宗教理論の体型を確立して行った。
もともとなおが信仰していた天理教や金光教の教えである万教同根論、つまり、すべての宗教は同じもの、という考え方や神の願いに叶った生き方をすべしという考え方がベースにあったが、これが、なおの死後、王仁三郎により、より平田国学的な解釈が強まり、日本を中心とした汎神論や、世界宗教日本起源説や、日本が世界を統一することにより
弥勒菩薩の降臨を呼ぶ、と言うような日本中心主義を強調することにより、多くの軍人や右翼団体の幹部たちの広範な支持を受けることとなった。
第一次大本教弾圧後、王仁三郎の思想は、当時の社会不安が拡大する風潮を背景に急進化し、自らがメシア、つまり世界の救世主であり、自分こそがイエスキリストの生まれ変わりであり、同時に弥勒菩薩そのものだと主張するようになり、軍人たちが世界を制覇したのちには自分が天皇の輔弼となり世界を治めるべきとまで訴えるようになった。
大本は政府により潰されたが、大本に心酔した軍人の中からはクーデターを企画したり、政府を脅したりと、戦争拡大と日米戦による日本の破滅への道を進めることとなったのである。
『盤』(VAN)vol.1「憑依(ひょうい)」(前半)
『盤』の第一回は、「憑依」をテーマとして、その前半をお届けします。果たして、自分の「言葉」や「行動」は、本当に自分から出たものなのか。「言動」とは? 「選択」とは?
※ご意見・ご質問・ご感想・ご提案は下記アドレスまで送ってください
[email protected]
テレビアニメ「鬼滅の刃」無限列車編 第四話『侮辱』
動画一覧はこちら
夢の中にいることを自覚した炭治郎。夢から目覚めるために斬るべきものを悟り、自らの頚を斬る。その一方で、炭治郎たちの精神の核を破壊するため、無意識領域に入り込んだ魘夢の協力者たちもまた、目的を達成できずに焦りを募らせていく――。
絵コンテ:三浦貴博 演出:白井俊行 演出補佐:下村晋矢 作画監督:松島 晃、佐藤哲人、茂木貴之、岡部 茜、岡部 葵、高橋 聰
無料動画や最新情報・生放送・マンガ・イラストは Nアニメ
テレビアニメ「鬼滅の刃」無限列車編
2021秋アニメ アニメ無料動画 アニメランキング
声優情報 花江夏樹 鬼頭明里 下野紘 松岡禎丞
塚本素山とは一体何者なのか?
大本から派生した生長の家信者であった田中静壱陸軍大将の専属副官の塚本素山は、戦後に創価学会顧問に就任。2代目会長戸田城聖に師事。学会の前身は南朝皇統派の大日本皇道立教会で、天誅党に遡る。戸田城聖の叔父が初代会長牧口常三郎で、大本の出口王仁三郎、笹川良一らは親戚にあたる。
【ネタバレ注意】鬼滅キッズたちがうるさいので黙らせてみたw【鬼滅の刃】
Twitter見てたらうるさかったので
youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UC3HDmIwjkLfOUI60FadQtuQ/
【続編】→sm36278290
他のやつ⇒mylist/64187313
Twitter⇒https://twitter.com/kairiki_gouriki
※お勧めのホラーカテゴリの動画募集中!コメントかツイッターでよろしくおねがいします
迷惑になるところがあればコメントによろしくお願いします
【鎌倉仏教シリーズ】第89回・日蓮主義⑧外八州史観と神道カルト2-2
木村鷹太郎は、昭和2年(1927)に「一天四海五大洲の大日蓮」という本を出版し、かつて太古の昔は世界が日本であった、言う「外八州史観」を発表します。しかし、末法の時代とともにかつての外八州(=全世界)日本は失われ、今や内八州という小さな領土になってしまった日本が、法華経の公布という使命を負って再び外八州を取り戻す(つまり、侵略するという意味)べきだと主張します。この誇大妄想的な発想は、平田国学の流れを汲む平田系神道カルトの間にも広まり(大本教「世界雛形理論」、さらには陸軍中枢まで広まる(神道天行居など)と、それは妄想から狂気の現実となり、日本を絶望的な戦争への道へと導いて行きます。
出口王仁三郎・霊界物語・三美歌・第一番
出口王仁三郎著・霊界物語・第六十巻・三美歌全57曲で掲載されそれぞれ明治三十六年版讃美歌の替え歌になっています。動画サイズを2.41GBのMOVを38MBに落として投稿しています。プレミア会員に登録してもあまり画質の向上が望めないので妥協です。ホームページではMP3で掲載しています。http://aizen987.jp/