【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第50回・岡本天明と日月神【前編】

【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第50回・岡本天明と日月神【前編】

岡本天明は、1897年(明治30年)12月4日 - 岡山県浅口郡玉島(現、倉敷市玉島)で豪農であった家に、父岡本藤太郎、母弥栄の三人兄弟の二男として生まれたが、父親が酒造のビジネスに失敗した為に天明が17歳の時に神戸に移転し、その後、上京して明治大学の夜学に通ったが、学費を自分で稼ぐ為に栃木の足尾炭鉱や北海道の炭鉱で働いたが、生活が続かず、東京に戻った後、無一文であった為、神戸まで無銭旅行で帰る事となった。神戸に戻るとたまたま開かれていた大本の神戸講演会に参加し、そのまま大本に入信することとなった。大本に入ると、彼の画家としての美術的才能が認められ、大本が買収した大正日日新聞の美術記者として働くこととなり、その後、同社の系列の金沢の北国夕刊新聞の記者となり、一時期名古屋で大本とは無関係の名古屋新聞の記者となるが、その後、昭和5年1930年に東京に大本の世界愛善新聞社が出来ると出口日出麿の強い勧めで記者として入社することとなり、天明の東京生活が始まった。その後、天明は大本と提携した中国の道教系慈善団体・世界紅卍会にも入会し、フーチーという卜占法を学び、その中で天日津久神が千葉の麻賀多神社の境内で祀られてるという神示を得、同地に向かい、その神社を発見すると同時に初めての日月神示という自動書記現象を体験した。時は昭和10年の大本第二次弾圧事件を過ぎ、既に太平洋戦争末期の昭和19年になっていた。大本で自動書記を行った出口なおは艮の金神が憑依した時も記憶があったが、天明は自動書記が行われた時の記憶は無く、完全に天日津久神に体も意識も乗っ取られた状態で自動書記が行われた。しかし、日月神示は意味不明の文字記号の集合体で天明本人にも解読出来ず、天明の三番目の妻・三典による解析で解読は進むこととなった。天明が大本から独立して「ひかり教会」を創立し、日月神示の示す「大立て直し」の活動を始めたのは戦後2年後の昭和22年1947年になってからであった。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm41944008