AIきりたんによる 陸軍教化隊の歌(オリジナル軍歌 4番まで)

AIきりたんによる 陸軍教化隊の歌(オリジナル軍歌 4番まで)

まずは芒崎奏殿及び、ワド殿に敬礼。こちらの曲は昨年募集しました「オリジナル軍歌アイデア募集」におきまして、作者の独断と偏見で採用・作曲・作詞させて頂いた曲となっております。今回のお題は「陸軍教化隊」になります。陸軍教化隊は1903年(明治36年)頃に「陸軍懲治隊」と呼ばれていた軍隊内での命令違反・犯罪等、問題行動を起こす兵士達を収容・監視する部隊がはじまりとされ、当初は陸軍兵士だけが収監されおりましたが、後に海軍兵士も仲良く収監されるようになり、1923年(大正12年)には陸軍教化隊と名を改め、大東亜戦争終結まで存続した部隊になります。(陸軍懲治隊は日露戦争の1905年(明治38年)1月7日に一時閉鎖され、在籍中の懲治卒が懲罰部隊として最前線に送られた事もあるらしい。)陸軍懲治隊の段階だと懲罰要素が強かったようですが、陸軍教化隊となってからは再教育施設としての色合いが濃くなり、収監された教化兵達は階級や肩章が剥奪され、朝は銃剣術や格闘術の訓練、午後からは田畑・森の開墾、夜は修養として軍指定の本の読書と日記の記述、というルーチンを繰り返す生活を送って兵士としての再教育を行っていたそうです。なお、この陸軍教化隊の監視を行う兵士達は、皆「金鵄勲章」持ち等の立派な武勲を立てた兵士であえて固めており、割と教育的側面は強かったのでは?と思います。(英雄の人材墓場的な側面も若干ある様子・・・まぁ、英雄様達に下手に戦死されまくると、国民の士気も下がるでしょうし・・・。)また、各教化兵ごとに個室があたえられますが教化兵同士の会話は「厳禁」、3人の担当監視兵がつき、教化兵には7級から1級の専門の階級が与えられ、1級に昇進後さらに態度が改善されたとみなされると原隊復帰となるらしいです。懲治卒・教化卒・教化兵として編入された兵士の総数は1944年までの期間で陸軍801人、海軍80人の計881人とされますが、この間で更生して原隊復帰できたのは7人と伝えられております。残りはといいますと軍人としての任期満了まで陸軍教化隊で収監生活の後に除隊とし、一般社会へというルートだったらしいです。●お知らせこの曲にて、このアカウントでの49曲目の投稿となりましので、50曲目である次回投稿を持ちまして一番古いアカウントにお引越し(出戻り)しようと思っております。ご容赦を。→ user/52288618 次回投稿予定:2023年6月1日次弾装填:ディエンビエンフー戦歌★本日のうちのMMD的家系図ふらすこ式風きりたん 金子卵黄型 

http://www.nicovideo.jp/watch/sm42237553