史記 第33話 胡服騎射~趙の武霊王~ ゆっくり歴史劇場(ゆっくり解説)

史記 第33話 胡服騎射~趙の武霊王~ ゆっくり歴史劇場(ゆっくり解説)

いつもご視聴、ギフトや広告、コメントありがとうございます(^^)次回は9/21木曜にアップ予定ですKhaim Music | フリーBGM&BEATS様  https://www.khaimmusic.com/ ※コメ返し いつも沢山のコメントありがとうございます、いつも勉強になってます(≧▽≦)まあ、キャスティング下手ですな、気付いたらこんな事にw三大天カッコイイですよね、キングダムオリジナルな称号です昭王、楽毅からの田単もアツイですよね斉が燕を完全に滅ぼさなかったのは謎ですよね、呉越みたいな感じだったんですかね秦の武王、凄い名の刻み方ですよねw注釈あざす!孝文王の三日はやっぱ気になりますよね、諸説ありです、呂不韋の怪しさも気になりますヒゲw頭蓋骨の杯はこれが元祖かと(たぶん)豫譲凄まじいですが、劇場化はいいかなとスルーしてしまいました、サーセン鳥丸族は三国志でも出てきますね、烏桓とも書くんですね進撃の饅頭この頃の日本は欠史八代で情報が少なすぎる時代です(初代神武天皇即位が前660年頃、10代崇神天皇即位が前100年頃と言われています)そうみたいですね、ひらひらした服に戦車だったみたいです、注釈あざす和服でバイクは分かり易いwなんか巻き込まれそうで危ない非以養欲而樂志也→欲を養いて志を楽しますに非ず→胡服は別に好みの問題ではない(楽しむ為じゃないw)、と現代語訳になっていてオモシロイですw難しい情勢を正確に把握し改革をした武霊王の優秀さが際立ちます中山国は内臓の病と、なるほどそんな感じですよねYは公子側、YYは王様側ですね小田原北条氏もそうなんですねそうなんですよね、楽毅は中山国にいたはずなんですが、楽毅列伝でも、魏の文侯の頃、楽羊が中山国を攻略し、子孫が中山国に住み、中山国が滅んで趙で登用されるも、武霊王が死んで魏に行ったとの事で、中山国で将軍として活躍した記録がないんですいきなり登場の李兌ですが、反乱を予測するとは、人を見る目があったんですねえ(アデランスの中野さん風)実際は聞き流しては無いんでしょうけど、なんかそうなったw邯鄲、鄴に次ぐのが代だったのかもですね、少し北方に離れているのもポイントですかね、だから武霊王が趙を半分こにしようとしたし、嘉も最後は代王となり抵抗した、となるほど、武は良い諡号、霊は悪い諡号ですねですね、最後まで簒奪しきるしか無かったんですねえやっぱここからの時代はアツイですよね、みんなワクワクするメンツばかりです

http://www.nicovideo.jp/watch/sm42731287