平安時代の陰陽師、安倍晴明(921-1005)から約2000年前、周易は帝王学の部門として進化を遂げていました。帝王学は秘伝のため公開されませんでしたが、春秋戦国時代にはその中の一部分が利用され、五行説や陰陽五行思想として生まれ変わり、世に公表されました。今回は周易が本来有していた「五行の元祖」と私が推定している陰暦に関係する「32法五行」(新説、仮りの名称)を、前回よりも詳しく紹介します。これこそが「易の魔術」であり「周易64卦の秘法」を再現していく大きな第一歩になりました。林慶信(はやしたかのぶ)