私のジャマイカ滞在記④ / 44A

私のジャマイカ滞在記④  /  44A

ジャマイカに足を踏み入れた時、私は多くの日本の常識が覆されることに驚きを隠せなかった。ジャマイカの人々は、400年にわたる奴隷制度の歴史を背負いながらも、その苦難を乗り越えてタフな精神を持って生きている。ウサイン・ボルトのような世界最速のアスリートが生まれるその土地で、体力的には日本の長寿文化には及ばないかもしれないが、身体能力の面では確かに一目瞭然だった。ある噂によれば、ボルトは昼間は厳しい陸上の練習をこなし、夜はダンスイベントで情熱的に踊り続けるという。私も何度かダンスイベントに参加したものの、立ち眠りが得意というだけで、中途半端な状態で友人のウィリーに何度も起こされた。ジャマイカ滞在中、私はいくつかの宿を転々とした。多くの場所は、日本人が経営するゲストハウスで、そこには日本人の旅行者たちとの交流の場があった。しかし、ウィリーと一緒に時間を過ごすうちに、私は彼らとの間に微妙なズレを感じるようになった。ボブ・マーリーの「トーキンブルース」には、彼が石を枕にして寝ていたことが歌われている。その歌詞が示すような過酷な生活も、ジャマイカの一部だろう。あの日から多くの年月が流れ、ウィリーとの連絡は途絶えてしまった。連絡することは手間もかかり、面倒だったからだ。私は彼がどうしているのか、時折思いを馳せる。ジャマイカで知り合った人々との別れは、永遠のもののように感じる。一方、日本では違った。カメラマンの兄ちゃんとは、東京の展覧会で再会することができたし、有名なアーティストたちのイベントに足を運べば彼らとも再会することができた。しかし、ジャマイカでの友人たちとは、なかなか会えない。この感覚、これこそが「ジャーガイダンス」なのだろうか。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm42944609