AIきりたんによる 大航空の歌(日本軍歌 3番まで)

AIきりたんによる 大航空の歌(日本軍歌 3番まで)

本年最後になります投稿曲は「大航空の歌」というリクエスト曲になります。この歌についてはあまり言及する事がありません故、たまには日本における「軍歌」という存在の、めっさ簡単な歴史でも語ってみようかとおもいまする。日本最初の軍歌らしい軍歌と言えば「宮さん宮さん」が有名ですが、この曲は「都節」と呼ばれる日本俗謡調の歌でして、かなりゆっくりとしたテンポで当時は歌われていたようで、あまり軍歌とは呼べない代物でした。太皷やラッパを用いる行進曲の類は、古くはオスマントルコの軍楽隊に遡りますが、この4拍子のリズムになじみのなかった明治初期には「お雇い外国音楽家」が腕をふるい「抜刀隊」等を通じて日本国民にゆっくりと浸透していったと言われます。その後、日清戦争が勃発。第一次軍歌黄金期がおこり、メディアが未発達だった事もあり、おこった出来事を口伝えにニュースのように伝える「演歌」(演説ではなく歌によってニュースを説く)が生まれ、様々な軍歌が適当に作詞作曲されます。大正時代に入ってからは「ヨナ抜き短音階軍歌スタイル」が流行り、その後の「同期の桜」や「露営の歌」に多大な影響を与えます。日露戦争時にも軍歌がもてはやされますが、小学校で「唱歌教育」が行われたのもあり作曲家人口が増加、ちょっとした軍歌粗製乱造期に突入します。第一次世界大戦の頃には「兵隊ソング」と呼ばれたちょっとおどけた内容を兵士達が勝手に歌うのが流行しますが、アングラ軍歌が多い時期なります。(「青年日本の歌」位しか有名曲がない時代)そして満州事変頃に「レコード」が普及し、シナ事変頃には軍歌としては亜種にあたる「戦時歌謡」が大流行「軍国子守唄」をはじめ「大陸行進曲」「靖国神社の歌」等がもてはやされます。第二次世界大戦頃には挙国一致をスローガンに作曲家達はこぞって軍歌の作曲を行い、第二次軍歌黄金期がおこり銃後の歌を含む数々の名作が生まれます。(「ああ紅の血は燃ゆる」「加藤隼戦闘隊」他、数えきれない程)が、日本の敗戦により軍歌の地位は凋落、現代ではカラオケでもあまり見ない存在となってしまうのでした。(せいぜい戦後は「ハバロスク小唄」や「異国の丘」が流行った程度ですねぇ・・・んで、むしろ反戦歌が流行していきます。ちゃんちゃん)さて、来年の次回投稿時には恒例の「既存軍歌リクエスト」を取りたく思いますので、皆様お手柔らかにお願い致します&良いお年を。次回投稿予定:2024年1月11日次弾装填:日の丸行進曲(きりたんでもう作っておま)★本日のうちのMMD的家系図ふらすこ式風きりたん 金子卵黄型

http://www.nicovideo.jp/watch/sm43202891