【1980年】たった一つの選択が命取り 一人の教員の独断で失われた生徒の命『逗子開成高校山岳部遭難』【ゆっくり解説】

【1980年】たった一つの選択が命取り 一人の教員の独断で失われた生徒の命『逗子開成高校山岳部遭難』【ゆっくり解説】

#00:00 冒頭挨拶#00:24 視聴上の注意#00:45 本編開始#1:27 行方不明だった六人#2:06 「唐松岳」#2:46 「八方尾根ルート」#3:04 山岳部顧問Aさん#3:29 記録されているAさんたちの行動#3:58 第二ケルンで一泊#4:30 第三ケルンで引き返す選択をするもホワイトアウト#5:30 遭難が発覚#6:14 自衛隊が発見したオレンジのテント#7:07 何故テントに装備が?#8:07 泥沼の裁判へ#9:33 学校内部も分裂#11:18 新理事のもと話し合いが進行、和解へ#13:00 その後慰霊碑や道しるべが建設された#13:40 どうしたら防げていた?#17:02 登山の素晴らしさと恐ろしさ今回紹介するのは、以前からリクエストがありました「逗子開成高等学校遭難」です。1981年5月1日。雪解けが始まる、五月の連休中。長野県白馬村に位置する、唐松岳近くの沢、松川の支流で変〇体が発見されました。発見されたのは、合計六名の男性。一人は成人男性で、5名は16歳から17歳の男性。調べによれば、彼らは昨年12月から行方不明になっていた、神奈川県逗子市にある、「逗子開成高等学校」に通う生徒五名と、教員の男性「Aさん」であることが判明。Aさんは山岳部の顧問をしており、昨年12月25日、長野県白馬の「唐松岳」に登山に訪れていました。彼らは唐松岳に続く『八方尾根ルート』を選択し、Aさんというリーダーに引き連れられ、冬の登山を行っていましたが、翌日26日の午後2時ごろから消息を絶ち、行方不明となっていました。この遭難事故は、天候や誤った判断、計画など複数の要因によって起きていたもので、後に裁判が泥沼化してしまいますが、多くの教訓が後世に活かされた、非常に歴史的なものでもありました。今回の紹介は、八方尾根遭難事故報告書『白いケルン』、本多勝一著『リーダーは何をしていたか』を基に制作したものです。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm43364530